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王太子殿下の「真実の愛」について語り終えたステファニアを、アメリアとエルリックが見つめる。
「まあ、全て私の勝手な憶測よ。」
「そうかしら。」
重くなってしまった空気を払うようにステファニアが言うのを、アメリアはそのままにはしなかった。
「王太子殿下の一存がここまで通るほど、殿下に独断出来る力はあるのかしら。だってこれが本当なら単なる我儘ではなくて?それも、国政を乱して国にダメージを残すとんでも無い我儘よね。公爵家が公国として独立を願って、そこで兵を挙げてしまったら容易く戦が起こってしまうわ。現実に公爵家がそこまでするとは思えないけれど。」
「公爵家に辺境伯家が賛同すれば、全く有り得ない話ではなくなるよ。」
エルリックの言葉に、ステファニアはぎょっとする。
「エ、エルリック様の辺境伯家も?」
「いや、我が辺境伯家は公爵領とは離れているから。公爵領地は王国の北と東に跨っている。仮に、北の辺境伯と東の辺境伯が加わったら、国土の何割が移ってしまうんだろうな。」
ステファニアはすっかり肝が冷えてしまった。そろそろ夏の気配を感じる季節であるのに、寒さを覚えるのは気の所為か。
「ステファニア、大丈夫だよ。多分そうはならない。貴族達とて馬鹿ではないよ。僕等が想像出来る事を考えない訳が無い。それに、公爵閣下はこの国を大切にお思いだ。国の為に令嬢を妃に推した。それは私欲からではないだろう。」
エルリックは大人だ。
ステファニアは、両親や姉夫婦に守られて平和な王都に生きて来た。王都住まいの貴族の多くがそうである様に、平和とは当然の事でいつまでも続くものと思っている。ステファニアもそれを疑問に思わず成長した。
国には境があり、地図上の国境線は極々短い期間に屢々変動する。国盗りは何時でも何処でも起こり得るのを食い止めているのは各辺境伯家で、東西南北の辺境伯領では今も兵士達が身を挺して国境線を護っている。
そんな兵士の家系に生まれたエルリックは、平和は日常ではないのを肌で感じながら育ったのだろう。死は彼にとってはとても身近なもので、その死生観はステファニアとは大きく異なっている。
この日、ステファニアは死について考えた。そうして、決して失いたくない命の筆頭にエルリックの顔が思い浮かんだ。
「お父様。お耳を貸して下さるだけで良いの、私の独り言だと聞いて下さる?」
晩餐の席で、ステファニアは昼間、アメリアやエルリックと話した事を父に話した。
聖女に心変わりを見せる王太子が真の姿であるのか。聖女を祭り上げる意味の不可解さと公爵家離反の可能性。それに追従する辺境伯家があった場合の王国の損失。そうしてその可能性に気付いているだろう貴族家達。
たった一人の女性の存在が、国政に影響する不穏さをステファニアはそのまま話してみた。
父は黙って聴いていた。姉夫婦も分かり切った事と思う様であった。エルリックの言う通り、ステファニアが危惧する事など疾うの昔に、多分初めから大人達は気が付いていて、だから公爵家も辺境伯家も貴族達も誰も彼も動かない。些細な事を発端にして、国が乱れぬ様に機を窺っているのだろう。
「ごめんなさい。全部勝手な考察よ。不敬な発言だと承知しております。」
ステファニアは話し終えて、少しばかり恥ずかしく思った。みんな思っている事を、態々口にした様な恥ずかしさである。
「全く、王家にはしっかりして頂かねばなりませんわね。うら若き令嬢までが国の行く末を案じなければならないとは。あんぽんたんが国を治めるのだから仕方がないのでしょうけれど。誰かきっちり一言言ってやれば良いのよ。夢を見るならベッドで寝ておれと。」
「え?!」
お母様、今、なんと?
空耳だろうか。あんぽんたんと聞こえたが。
「ステファニア、大丈夫よ、貴女の耳は正常よ。お母様は確かにあんぽんたんと仰ったわ。」
姉が何でもないように言うのも、ステファニアは聞き間違いだろうかと思った。
「もう、あの方、学生の頃から手綱が甘かったのよ。きっちり握っていてほしいものだわ。そのうち王太子殿下まで阿呆の仲間にされちゃったらヘンリエッタ嬢がお可哀想よ。ねえ、旦那様。」
母は尚も信じられない言葉を続けて、そこで父に相槌を求めた。
「全くだな、メリエンダ。」
え!お父様、そこで頷いてしまうの?!
政治的な話題には一切の干渉を見せない父が、コテコテの王家批判に諾とした。
思わず義兄を見れば、義兄もうんうん頷いている。二人共、大丈夫?この家って王家の影とか居ないよね!
「ステファニア。」
ステファニアは名を呼ばれて姉を見る。
「安心なさい。貴女が危惧する事は多分起こらないわ。でも確かに可能性は0ではないわね。ただ、王太子殿下はそんな空け者ではないでしょうから、貴族達はあのお方の力量を推し量っているのではないかしら。」
姉の言葉はステファニアの胸にストンと落ちた。
それは辺境に生きる戦士達、引いてはエルリックの生が僅かでも保障されたような深い安堵を齎した。
「お母様、お母様って、とっても素敵。格好良いわ。」
母はおっとりとした見目であるのに、身の内に揺るがない芯と胆力を持っている。いつだってきっぱりすっきりとした物言いで清々しく美しい。男装しない男装の麗人とは、正しく母のことである。
「当たり前だろう。」
そこで父が至極当然という風に返すのを、ステファニアは自身もこんな間柄の夫婦になりたいと思った。
誰と?なんて、その答えは考えない事にした。
「まあ、全て私の勝手な憶測よ。」
「そうかしら。」
重くなってしまった空気を払うようにステファニアが言うのを、アメリアはそのままにはしなかった。
「王太子殿下の一存がここまで通るほど、殿下に独断出来る力はあるのかしら。だってこれが本当なら単なる我儘ではなくて?それも、国政を乱して国にダメージを残すとんでも無い我儘よね。公爵家が公国として独立を願って、そこで兵を挙げてしまったら容易く戦が起こってしまうわ。現実に公爵家がそこまでするとは思えないけれど。」
「公爵家に辺境伯家が賛同すれば、全く有り得ない話ではなくなるよ。」
エルリックの言葉に、ステファニアはぎょっとする。
「エ、エルリック様の辺境伯家も?」
「いや、我が辺境伯家は公爵領とは離れているから。公爵領地は王国の北と東に跨っている。仮に、北の辺境伯と東の辺境伯が加わったら、国土の何割が移ってしまうんだろうな。」
ステファニアはすっかり肝が冷えてしまった。そろそろ夏の気配を感じる季節であるのに、寒さを覚えるのは気の所為か。
「ステファニア、大丈夫だよ。多分そうはならない。貴族達とて馬鹿ではないよ。僕等が想像出来る事を考えない訳が無い。それに、公爵閣下はこの国を大切にお思いだ。国の為に令嬢を妃に推した。それは私欲からではないだろう。」
エルリックは大人だ。
ステファニアは、両親や姉夫婦に守られて平和な王都に生きて来た。王都住まいの貴族の多くがそうである様に、平和とは当然の事でいつまでも続くものと思っている。ステファニアもそれを疑問に思わず成長した。
国には境があり、地図上の国境線は極々短い期間に屢々変動する。国盗りは何時でも何処でも起こり得るのを食い止めているのは各辺境伯家で、東西南北の辺境伯領では今も兵士達が身を挺して国境線を護っている。
そんな兵士の家系に生まれたエルリックは、平和は日常ではないのを肌で感じながら育ったのだろう。死は彼にとってはとても身近なもので、その死生観はステファニアとは大きく異なっている。
この日、ステファニアは死について考えた。そうして、決して失いたくない命の筆頭にエルリックの顔が思い浮かんだ。
「お父様。お耳を貸して下さるだけで良いの、私の独り言だと聞いて下さる?」
晩餐の席で、ステファニアは昼間、アメリアやエルリックと話した事を父に話した。
聖女に心変わりを見せる王太子が真の姿であるのか。聖女を祭り上げる意味の不可解さと公爵家離反の可能性。それに追従する辺境伯家があった場合の王国の損失。そうしてその可能性に気付いているだろう貴族家達。
たった一人の女性の存在が、国政に影響する不穏さをステファニアはそのまま話してみた。
父は黙って聴いていた。姉夫婦も分かり切った事と思う様であった。エルリックの言う通り、ステファニアが危惧する事など疾うの昔に、多分初めから大人達は気が付いていて、だから公爵家も辺境伯家も貴族達も誰も彼も動かない。些細な事を発端にして、国が乱れぬ様に機を窺っているのだろう。
「ごめんなさい。全部勝手な考察よ。不敬な発言だと承知しております。」
ステファニアは話し終えて、少しばかり恥ずかしく思った。みんな思っている事を、態々口にした様な恥ずかしさである。
「全く、王家にはしっかりして頂かねばなりませんわね。うら若き令嬢までが国の行く末を案じなければならないとは。あんぽんたんが国を治めるのだから仕方がないのでしょうけれど。誰かきっちり一言言ってやれば良いのよ。夢を見るならベッドで寝ておれと。」
「え?!」
お母様、今、なんと?
空耳だろうか。あんぽんたんと聞こえたが。
「ステファニア、大丈夫よ、貴女の耳は正常よ。お母様は確かにあんぽんたんと仰ったわ。」
姉が何でもないように言うのも、ステファニアは聞き間違いだろうかと思った。
「もう、あの方、学生の頃から手綱が甘かったのよ。きっちり握っていてほしいものだわ。そのうち王太子殿下まで阿呆の仲間にされちゃったらヘンリエッタ嬢がお可哀想よ。ねえ、旦那様。」
母は尚も信じられない言葉を続けて、そこで父に相槌を求めた。
「全くだな、メリエンダ。」
え!お父様、そこで頷いてしまうの?!
政治的な話題には一切の干渉を見せない父が、コテコテの王家批判に諾とした。
思わず義兄を見れば、義兄もうんうん頷いている。二人共、大丈夫?この家って王家の影とか居ないよね!
「ステファニア。」
ステファニアは名を呼ばれて姉を見る。
「安心なさい。貴女が危惧する事は多分起こらないわ。でも確かに可能性は0ではないわね。ただ、王太子殿下はそんな空け者ではないでしょうから、貴族達はあのお方の力量を推し量っているのではないかしら。」
姉の言葉はステファニアの胸にストンと落ちた。
それは辺境に生きる戦士達、引いてはエルリックの生が僅かでも保障されたような深い安堵を齎した。
「お母様、お母様って、とっても素敵。格好良いわ。」
母はおっとりとした見目であるのに、身の内に揺るがない芯と胆力を持っている。いつだってきっぱりすっきりとした物言いで清々しく美しい。男装しない男装の麗人とは、正しく母のことである。
「当たり前だろう。」
そこで父が至極当然という風に返すのを、ステファニアは自身もこんな間柄の夫婦になりたいと思った。
誰と?なんて、その答えは考えない事にした。
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