負社員

葵むらさき

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第38話 女を褒める時は行動や結果よりもセンスを褒めるべし

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「昔の化粧品?」天津が訊く。
「はい」本原が答える。
「何故昔の化粧品の匂いを知っているんだ」時中が訊く。
「私の祖母が使っていた化粧品と同じ匂いだからです」本原が答える。
「祖母ってあの、東海道五十三次のお婆ちゃん?」結城が訊く。
「それは父方の祖母です。化粧品の祖母は、もう亡くなりました」本原が答える。
「そうでしたか」天津が声を落とし、
「ではあの匂いは」時中が声を落とし、
「本原さんにとっては、懐かしい匂いなのかあ」結城が比較的声を落とした。
「はい」本原が答える。
「言ってあげればいいよ」結城が微笑む。「あなた、私のお婆ちゃんの匂いと一緒ですねって。そしたらお近づきになれるかも」
「わかりました」本原が頷く。
「いえ」天津が素早く両手を挙げて制した。「それは、言わない方が」
「殺されるぞ」時中が警告する。
「あはは、そこまではしないよ。天下の会社社長の人がさ」結城は笑い飛ばす。
「いえ、あながちそんな事はないとも言い切れないです」天津は肩をそびやかした。
「えっまじすか」結城が眼を丸くする。
「はい」天津は頷く。「彼女は、自らのことを“アマテラス”だと言う人なんです」
「アマテラス?」三人はシンクロして訊き返した。
「はい」
「えっ、でもアマテラスって伊勢さんでしょ?」結城が人差し指を立ててシステムの仕組みを想起し直す。
「はい」天津はやはり頷く。「もちろん、磯田社長も自分が人間だということは充分自覚なさってますが、まあ比喩的にご自分をアマテラスと称しているんですね」
「ははー、なるほど」結城が納得し、
「自分がいなければ会社は真っ暗闇になるという意味ですか」時中が確認し、
「まあ、すごい」本原が溜息混じりに囁いた。
「そうですね」天津は頷く。「しかし、自分のことを“アマテラス”だと言う女性は他にも、結構あちこちにいっぱいいるんですよ」
「おおっ、アマテラス・ワールドっすね」結城が感嘆し、
「何故、そんなに」時中が疑問を持ち、
「まあ、大変」本原が溜息混じりに囁いた。
「まあやはり日の神ということで、人気高いんでしょうね」
「へえー」結城が納得し、
「そうなのですね」本原が納得し、
「しかし神の間でもどの依代に神が入っているのかわからないと仰ってましたよね」時中が質問した。「それ程にまで自分がアマテラスだという者がいる場合、本物がどれに入っているのか見分けがつかなくなったり混乱したりしないんですか」
「だから伊勢は、男の体に入ったんです」天津はにっこりと答えた。「アマテラスは女だと一般には思われてますから、区別する為にね」
「ああ」結城が大きく頷いた。「そういう意味かあ」
「では、女性で自分の事をアマテラスだという方はすべて偽者という判断が下されるのですね」本原が確認する。
「はい」天津は肯定した。「我々の業界用語でそういう人のことを“ガセアマ”と呼んでいます」
「厳しい表現だな」時中が小声でコメントした。

 エレベータが停止し、扉を潜り抜けて出た先は、練習用洞窟の比ではなく広大な洞穴の中だった。真っ暗な穴の奥から、それこそ精霊なり神霊なりスピリチュアルなものがあたかも頬を撫でていくように、ひんやりとした空気が流れてきて肌を粟立たせる。
「うっひゃー広いなあまた!」結城の叫ぶ声が岩壁に当った後木霊となり戻って来る。「おお響く! やっほーう」
「よせ」時中が顔をしかめる。
「うるさい」本原が顔をしかめる。
「結城さん、静かに」天津が顔をしかめる。
「あ、すいませんつい」木霊がやっほーうと返してくる中、結城は振り向き頭を掻いた。
「学習するという事を学習しろ」時中が苛々と言い募る。
「やっぱり結城さんがスサノオなのではないでしょうか。それなら私はクシナダではありません」本原が表情を消して言い募る。
「ま、まあとにかく、先へ進みましょう」天津が洞穴の奥を手で示す。
 一行は歩き出したが、練習用の洞窟の狭さを思うとそこは、頭上に目一杯腕を伸ばしながらでも、通常の五割増しの歩幅でも、上体をぶんぶんと左右に振り回しながらでも歩けるという、恵まれた環境だった。それを立証したのは結城で、それらのすべてを試しながら彼は歩いた。その為他の者たちは、彼からおのおの少なくとも二メートルずつ離れて行かなければならなかった。
「あれ、出て来ないっすね」そんな結城は機嫌よく振り向き、天津に問う。「出現物」
「ああ、ええ」天津は周囲を軽く見回して答えた。「地球も、用心しているのかな」
「用心?」時中が訊く。
「ええ……スサノオに」
「私たちがここにいることを、地球さまもスサノオさまもご存知なのですか」本原が訊く。
「はい」天津は淀みもせず頷く。
「じゃあここでもおんなじように、岩の“目”を探って、地球と対話するんすか」結城が訊く。
「そうです」天津が頷く。
「鯰(なまず)を介してですか」時中が訊く。
「はい」天津が頷く。
「すごいっすね、鯰ここまで声届くんすか」結城が興奮する。「どんだけサイコな鯰なんすか」
「一度お会いしてご挨拶しておきたいと思います」本原が積極的な発言をした。「会社にいらっしゃるのですか」
「あ、ええ、はい」天津は若干眸を泳がせた。「いつもは鹿島部長と恵比寿さんが、管理してくれてます」
「そういや、恵比寿さんって」結城が人差し指を唇に当て、岩天井を見上げて誰にともなく訊いた。「歓迎会の時いたっけか」
「わかりません」本原が無表情のまま首を傾げる。「ご挨拶はしなかったように思います」
「ああ……いるには、いたんですが」天津が苦笑する。「なんか本人的に、あんまり目立ちたくないような事情があるようで……挨拶もなく、失礼しましたと言ってました」
「へえー」結城は指を唇に当てたまま足下を見下ろした。「どの人だろ」
「顔を覚えているのか」時中が問う。「歓迎会の参加者全員の」
 結城は時中の顔を見上げ「ううん」と首を振った。「そういや覚えてない」
「さあ、では」天津が三人の意識を岩に差し向けた。「いよいよこの、本番の現場で、岩の目、探っていきましょうか。用意をお願いします」

     ◇◆◇

「いやあ、また若い子たちが入りましたねえ」相葉専務は事務所の扉を引き開けながらハハハと笑った。「皆、地質学を勉強して来たんでしょうねえ」
「しかしこの、新日本地質調査の人たちって」城岡部長が、磯田社長の後ろから言葉を続ける。「いつも軽装で、大した装備もなく現場に入って行きますけど、大丈夫……なんですかね」
「あら、何が?」磯田社長は入り口を通りながら振り向き、眉を吊り上げて城岡部長に訊き返した。「何が大丈夫なの」
「いや、まあつまり」城岡部長が瞬時に全身汗を掻き緊張状態に陥ったことは想像に難くなかった。「その、ちゃんとわかるのかな、と」
「何が?」磯田社長は入り口を通り抜けた所で脚を止め、若い部長の眼前に仁王立ちで立ちはだかった。「何がちゃんとわかるの?」
「つ」城岡部長の咽喉はすでに大気の吸い込み動作を停止しかけていた。「まり、地質のちょ、調査に、ついてですね」
「天津君がついてるのよ?」磯田社長はもう一度眉を吊り上げた。「彼が何年、新人教育の担当をしているか知ってるの? 君」
「あ」城岡部長は今、眉間に弾丸を撃ち込まれたことを自覚した。「そ、そうですよね。ハハハ、それもそうですよね、天津さんがついていてくれるわけですもんね、ハハハ」
「君さ」最後にじろり、と一瞥をくれた後、磯田社長は城岡部長に背を向けた。「もういいから、機材メンテの確認に行って」
「あ」城岡部長は今、首をすぱーんと一刀両断に斬られたことを自覚した。「は、あのでも、今から東海土木の東浦さんがお見えに」
「いいわよ」磯田社長はぴくりと眉を眉間に寄せた。「他の人にやってもらうから。あれだったらあたしがやるわ。早く行って」手で、一瞬だが城岡部長を追い出す仕草をする。
「あ」城岡部長はその手、自分を事務所から追い出す手を見下ろした後、磯田社長の顔に視線を上げることもできず「はい」としか言えず、そのまま回れ右をして階段を降りることしかできなかった。
 がらぴしゃ、と冷淡な音が城岡部長の背後で立てられ、事務所のドアは冷たく閉ざされた。
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