負社員

葵むらさき

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第24話 カワイゲってどこに生えてる毛ですか

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「吸収能が最高だって」鯰が言った。「この空洞放射にアルベドはあり得ないって言ってる」
「んな?」結城が言葉にならぬ問い返しをした。
「シュテファンとボルツマンが踊り狂うのが見えるって」鯰は容赦なく続ける。
「はは」天津だけが笑う。「なるほど、弾けるぐらい楽しいわけだ」
「いや、なるほど?」結城が天津を振り向いて叫ぶ。「何がなるほどなんすか?」
「要するに、この空間内の電磁波が平衡状態に到っているということだろう」時中が説明する。
「それのどこが楽しいのですか」本原が問う。
「なんか地球的にはテンションハイパーレベルな話ってわけか」結城が彼なりに返したコメントもまた、常人にとっては理解困難なものであった。
「それで」時中が問いを続ける。「何の為に地球は――地球の“魂”は、ここを歩き回っているんだ」
「味わってんのよ」鯰が答える。「この、黒体放射の味を」
「味がするのですか」本原が訊いた。「地球さまは、それでお腹がいっぱいなのですか」
「ゾウリムシとどっちが旨いのか知らないけどね」鯰が答える。
「ゾウリムシって旨いんすか」結城が訊いた。「すげえなあ。今日のこの日のワンダーランド」叫ぶ。「不思議いっぱい冒険の旅」
「何言ってんのかわかんないけど」鯰が抑揚のない声で答える。
「それで」時中が深く溜息をつきながら質問する。「地球は結局、我々を殺そうという腹積もりではないと見ていいんだな?」
「岩っちがそんな事言ったことはないよ」鯰が答える。「ただ人間って――」
 しばらく、間があった。
「人間って、何だ」時中が問う。
「人間って、どうなんすか」結城が問う。
「人間って、だめなのですか」本原が問う。
「神たちにとって、どんな存在なんだろう、って言ってる」鯰が答えた。
「神たちに」時中が呟き、
「とって?」結城が叫び、
「どんな存在なのでしょうか」本原が囁き、三人は一斉に、同方向を振り向き見た。
 ポニーテールに無精髭を生やしたビジカジ教育担当者が、端正ではあるが気弱げな表情で、そこに立っていた。

     ◇◆◇

「よし、じゃあここで一区切り、飯にしましょうか」板長がぱん、と手を打ち合わせる。
「うん、そうね」酒林は壁時計に目を遣る。「もう三時か。ごめん俺ちょっと、ヤボ用で一旦出て来るわ」板長に向き直り、片手を挙げる。
「あ、そうすか。じゃあ俺一人寂しく食っときます」板長が笑う。
「開店までには戻るよハニー」酒林も軽口を叩きつつ、店外に出る。
 町中をしばらく歩き、路地裏に入り込み、小さな川沿いの道をまたしばらく行く。酒林はてくてくと、ただまっすぐ歩き続けた。道は段々細くなり、住宅が並ぶ区画も過ぎ、塵屑が打ち上げられあちこちに溜まっている海辺に出た。
 辺りに目を配る。平日の昼下がり、季節外れの海には、人一人いない。いるのは神だけだ。酒林はすう、と海風を吸い込み、目を閉じ首を仰け反らせてしばしそのまま停まった。それから上空に向けてふうー、と息を吹き、目を開ける。
「よし、では」そう一言呟いた次の刹那、彼は一匹の蛇に姿を変えた。長さ数メートルほど、人の首ほどの太さの蛇だ。「新鮮ぴちぴちの飯を、捕えに行くかな」そう続けて呟いた次の刹那、蛇は素早く身をくねらせながら空に向かって昇り始めた。

     ◇◆◇

「――我々にとって」天津は、何かを探るようにそっと、注意深く言葉を返した。「本当に、地球はそれを知りたがっているというのか?」
「うん」鯰の答えは拍子抜けするほどに簡易で明るかった。「どうして神は、ヒトを作ったんだろうって」
「――」天津はすぐに答えられずにいた。
「へえー」結城が何度も頷く。「やっぱ人間って、神さまが作ったんだ」
「それは人間という存在が地球にとって邪魔かつ迷惑な存在であるからこそ、何故作ったか知りたいということなのか」時中が問う。
「時中さん」本原が口を挟む。「二回続けてのご質問ではないのでしょうか。順番が飛んでしまっているのでは」
「――」時中は唇を尖らせたが反論できずにいた。
「あーでも、俺もそれ訊こうかと思ってた」結城が時中に向け人差し指を振る。「まあ一回ぐらい順番が入れ替わってもいいんじゃない?」
「入れ替わっているのではなく、飛ばされたのです、私が」本原が自分の胸に手を当て、肩を揺すって抗議した。「結城さんと時中さんが入れ替わっただけではなく、私という存在がスルーされたのです」
「存在をスルーとかはしてないよ」結城は両手をぶんぶん横に振った。「全然そんなつもりで言ったんじゃ」
「私にも対話する権利があるのではないでしょうか」本原の発言は止まりを見せなかった。「地球さまや、鯰さまと」
「彼女、あんまり意見を主張し過ぎると煙たがられちゃうよ」鯰が口出しした。
 人間たちは口をつぐんだ。
「可愛げがないとかってさ。まあ今はそんな事言うとハラスメント問題になっちゃうから、ないかもだけど、影でこっそりなんか言われたりすると、仕事もやりにくくなるでしょ」鯰は続ける。「大人しくしといた方が無難だって」
「ルールを守るという事が、可愛げがない事になるのですか」本原は岩天井をきっと睨み上げて更なる主張をした。「それはおかしいのではないでしょうか」
「いや、俺は陰口なんて言わないよ。俺はね」結城が口を挟む。
「私なら言うというのか。陰口を」時中が口を挟む。
「あんたらが言わなくても、神たちが言うかもよ。陰口」鯰が口を挟む。
「まあ。神さまがそんなことをなさるわけ、ないではないですか」本原が口を抑える。
「我々にとって」天津の声に皆が振り向くと、ポニーテールの神は目を閉じ俯いたまま、唇をそっと動かして答えを口にした。「人間の皆さんは、大切な従業員さんだ」
「大切な」時中が呟き、
「従業員」結城が叫び、
「まあ、素敵」本原が溜息混じりに囁く。
「従、業、員」鯰はその言葉をゆっくりと区切りながら繰り返した。「働かせる為に作ったってわけね」
「端的に言えば、そうなる」天津はゆっくりと瞼を開いた。「我々の為に仕事をし、我々に利益をもたらしてくれる。我々にとっては何より大切な、宝だ」
「おお」結城が感動の声を挙げる。
「まあ」本原が両手で頬を抑える。
「――」時中は無言だったが、天津をじっと見つめていた。
 しばらく、沈黙があった。
「ふうん」やがて鯰が言った。「って、言ってる」

     ◇◆◇

「やれやれ」宗像が腕組みして首を振る。「ふうん、とは手応えないのう」
「ははは」鹿島が苦笑する。「ふうんって、ねえ」
「そんなもんなんすかねえ」大山も頭を掻く。「ふうんって」
「あっさりだなあ」恵比寿がそっと呟く。「ふうんって」
「何それ」木之花がデスクに頬杖を突き、口を尖らせる。「ふうんって」

「はっはっはっ」酒林は飛びながら身をよじって笑った。「さっすが岩っちさま。『ふうん』だけとは恐れ入った」そんな事を言いながらも蛇の眼で“獲物”を追うことは抜かりない。
 彼はすぐに、新鮮でぴちぴちしたターゲットを発見した。「いたいた」直ちに下降体勢に移る。
 それは、スマホを見ながら街路を歩く若い人間の女だった。その向かう先のビルのドアが開き、人間の姿に戻った酒林が現れる。
「あれ、志帆ちゃんじゃん? こんなとこで遭うなんて」酒林は眉を思い切り持ち上げ、驚きと喜びの表情を作りながら呼びかけた。
「え、あれ、サカさん!」女はスマホから顔を挙げるなり同様に眉を持ち上げ同様に驚きと喜びの表情になった。
「これも何かの運命だよね。せっかくだから一緒に飯とかどう? 奢るよ」酒林はするりと女の横に貼り付き、今にも肩を抱き寄せんとしながら誘う。
「えーまじ? やったあ行く行く」女は自分から酒林の脇に抱きつかんばかりの体勢を取り、嬌声を挙げる。「どこ連れてってくれるの?」
「そうねえ、どこにすっかな」
 昼間からべたべたとくっつき合って歩きながらも酒林は心中計算していた。
 ――つってもここはあっさりめで済ませといた方がいいな。何せ今宵は、新人の娘をお持ち帰りって流れになるだろうからな。うん。

 ばん、とデスクを叩く。マウスがぴょん、と飛び上がる。
「酒林」木之花が、低く呟く。

「おおう」
「うわ」
「まずい」
「やばい」
 神々が一斉に焦りの声を挙げる。

     ◇◆◇

「ああ、これは」天津が片目を瞑り痛そうな表情で言う。「荒れるな」
「えっ、荒れるって」結城が驚いて反応する。
「地球さまがですか」本原が問う。
「何か起きるとでも」時中も身構える。
「いや」天津は首を振る。「すいません、荒れるというのは地球がではなく……うちの総務担当が、です」
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