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第20話 ケアレスミス イズ ヒューマンエラー
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「啄木」結城は洞窟に入った当初に注意された内容をすっかり忘却し、叫んだ。「石川啄木?」
「あの、元祖ワーキングプアか」時中が呟く。
「どうして、石川啄木がこんなところに?」結城は天津の顔を、その肩の下あたりから見上げて訊いた。
「恐らく、呪文の副産物でしょう」天津はちらりと結城を見下ろして答えた。
「副産物」結城は天津の肩の下あたりで叫んだ。「つまりあの啄木は、イベント遂行による副作用で出てきたものだと」
「恐らくそうだと思われます」天津は片目を、暗闇の中にも関わらず眩しそうに細めて答えた。「結城さん、あの、少しボリュームを……」
「あ、はい」結城は“口にチャック”のジェスチャーをして見せたが、恐らく“ボリューム調整”の意味のつもりでそうしているものと思われた。
「天津さん」時中が、抑揚のない声で問う。「つまりこれは石川啄木の、幽霊だというわけですか」
「ええと」天津は後頭部に手を当てた。「まあいわゆる、そうですね」
「あれ、でも足ありますよ」結城が目の前の、涙で頬を濡らす男の足下を指差して指摘する。
「ははは」天津は薄く笑う。「まあ、特に気にする必要もありませんから、先に進むことにしましょう」そして佇む幽霊の横をすり抜けて先に行く。
「え、いいんですか」結城は泣き濡れる啄木を眺めながら天津に続く。「供養したりとか、別にしなくても?」
「はい」天津は振り向きもしない。「こういうのは単なる“出現物”ですから」
「出現物?」
「はい」天津は歩きながら頷く。「想いを訴えて来ることはありますが、それ以上の事はしてきません……あの土偶みたいに」
「ああ、なるほど」結城は納得して頷く。「幽霊より土偶の方が怖いってことですね」
「まあ、ケースバイケースですね」天津はまた笑う。
「あれ、じゃああの人」結城はふいに、歩きながら後ろを振り向く。「幽霊ってことは、精霊? 本原さん」
「違うと思います」本原も歩きながら答える。「あの人は人間なので」
その後、皆黙った。沈黙の中に“若干の混乱”という見えない糸が緩くからまり合っていたが、誰も正面切ってそれに手を伸ばし解く気にもなれずにいたのだった。そうして、泣き濡れる石川啄木は後ろに遠ざかっていった。
「天津さん」一行はしばらく進んだが、またしても結城が“それ”を見て最初に口にした。「あれは何すか? あの、真っ赤な岩は」
指差す方向十メートルほど先に、結城の言葉通りペンキを塗ったかと思わせるほど赤い色を呈する直径五、六十センチほどの岩が、一行のライトが集まり照らす中、ころんと地面に転がっていた。無論、午前中には見られなかったものだ。
「あれも“出現物”の一種ですね」天津は答えた。「オオクニヌシが抱いた石です」
「オオクニヌシが」結城が叫び、
「抱いた?」時中が呟き、
「オオククニヌシノミコトですか、あの神様の」本原が溜息混じりに囁いた。
「はい」天津は頷く。「八十神たちにだまされて、赤猪だと思い込んで抱きとめてしまったものです」
「なんで赤いんすか?」結城が訊く。
「今も、焼けているからです――触らないようにね。オオクニヌシみたいに焼け死にますから」天津がそう忠告したのは、一行が赤岩のすぐ近くまで来たところでだった。
「まじすか」結城は天津の後ろにいたが、既に差し伸べかけていた右手をそっと下に降ろした。
「オオクニヌシはカミムスヒノカミに助けられたんですよね」本原が最後尾から言葉をかける。
「ええ。でもいつも助けてもらえるとは限らないですからね」天津は柔和な笑顔で振り向く。
「出現物、ということは、これは岩の幽霊ということになるのですか」時中が眉をしかめて岩を眺めながら訊く。
「岩の幽霊って」結城が時中を見て叫ぶ。
「静かにしろ」時中が歯を食いしばり制する、それは言う事を聞かない犬に手を焼く飼い主の表情に似ていた。
焼けているだけあってその岩に近づくにつれ、ぽかぽかと暖かくなってきてはいたが、いざ狭い通路でその横を通り過ぎるとなると、なかなかの試練といえるほどの高温に耐えねばならなかった。
「ふいー」結城はウエストベルトのポケットからペットボトルの緑茶を取り出し、ぐびぐびと飲んだ。「幽霊のくせに温度高いやつだなあ」
「これはある意味で“攻撃”になるといえるのか」時中が考えを述べる。「土偶と同様に」
「そう、ですね」天津は慎重に答える。「まあ、こっちに向かって転がって来な
いだけ、まだ穏便な方かも知れませんね」
「えっ、そんなやついるんですか」結城が息を呑む。「焼けた状態で迫ってくる岩が」
「たまに」天津はさらりと答え、とどまることもなく先に歩いていく。「まあ、川の水で抗戦できるでしょう」指差す方向に、午前中にも見た小川が見えてきた。
「ああ、ほんとだ」結城が額に手をかざす。「もう川まで来た。なんか今回は早いなあ。ねえ、皆」後ろを振り向くが、他の二人はそれに対して特に何も述べなかった。
「抗戦」時中が復唱する。「つまり、戦えと」
「戦うのですか」本原も繰り返す。「あの岩と」
「失礼しました、“抗戦”ではなく“防御”です」天津は眉を八の字にして笑う。「ご自分の身を護るという事です」
「ああ、なるほど」結城が納得して頷く。「冷水浴びて心頭滅却すればいいんですね」
「――ええと、はい」天津はもう適当に受け流すことにしたようだった。
「しかし我々は神力で護られるはずではないのですか」時中が眼を細めて訊く、その表情はふと天津の心に、木之花の顔を思い出させるものだった。
「――それは」天津は俯き、足を止めて振り向いた。「研修中は、そうですね」
三人は、押し黙った。天津も、それ以上は言葉を重ねない。
「いつも」やがて時中が言った。「助けてもらえるとは限らない、と」
天津は口を固く引き結んだが、特に言葉は返さなかった。
「あの、元祖ワーキングプアか」時中が呟く。
「どうして、石川啄木がこんなところに?」結城は天津の顔を、その肩の下あたりから見上げて訊いた。
「恐らく、呪文の副産物でしょう」天津はちらりと結城を見下ろして答えた。
「副産物」結城は天津の肩の下あたりで叫んだ。「つまりあの啄木は、イベント遂行による副作用で出てきたものだと」
「恐らくそうだと思われます」天津は片目を、暗闇の中にも関わらず眩しそうに細めて答えた。「結城さん、あの、少しボリュームを……」
「あ、はい」結城は“口にチャック”のジェスチャーをして見せたが、恐らく“ボリューム調整”の意味のつもりでそうしているものと思われた。
「天津さん」時中が、抑揚のない声で問う。「つまりこれは石川啄木の、幽霊だというわけですか」
「ええと」天津は後頭部に手を当てた。「まあいわゆる、そうですね」
「あれ、でも足ありますよ」結城が目の前の、涙で頬を濡らす男の足下を指差して指摘する。
「ははは」天津は薄く笑う。「まあ、特に気にする必要もありませんから、先に進むことにしましょう」そして佇む幽霊の横をすり抜けて先に行く。
「え、いいんですか」結城は泣き濡れる啄木を眺めながら天津に続く。「供養したりとか、別にしなくても?」
「はい」天津は振り向きもしない。「こういうのは単なる“出現物”ですから」
「出現物?」
「はい」天津は歩きながら頷く。「想いを訴えて来ることはありますが、それ以上の事はしてきません……あの土偶みたいに」
「ああ、なるほど」結城は納得して頷く。「幽霊より土偶の方が怖いってことですね」
「まあ、ケースバイケースですね」天津はまた笑う。
「あれ、じゃああの人」結城はふいに、歩きながら後ろを振り向く。「幽霊ってことは、精霊? 本原さん」
「違うと思います」本原も歩きながら答える。「あの人は人間なので」
その後、皆黙った。沈黙の中に“若干の混乱”という見えない糸が緩くからまり合っていたが、誰も正面切ってそれに手を伸ばし解く気にもなれずにいたのだった。そうして、泣き濡れる石川啄木は後ろに遠ざかっていった。
「天津さん」一行はしばらく進んだが、またしても結城が“それ”を見て最初に口にした。「あれは何すか? あの、真っ赤な岩は」
指差す方向十メートルほど先に、結城の言葉通りペンキを塗ったかと思わせるほど赤い色を呈する直径五、六十センチほどの岩が、一行のライトが集まり照らす中、ころんと地面に転がっていた。無論、午前中には見られなかったものだ。
「あれも“出現物”の一種ですね」天津は答えた。「オオクニヌシが抱いた石です」
「オオクニヌシが」結城が叫び、
「抱いた?」時中が呟き、
「オオククニヌシノミコトですか、あの神様の」本原が溜息混じりに囁いた。
「はい」天津は頷く。「八十神たちにだまされて、赤猪だと思い込んで抱きとめてしまったものです」
「なんで赤いんすか?」結城が訊く。
「今も、焼けているからです――触らないようにね。オオクニヌシみたいに焼け死にますから」天津がそう忠告したのは、一行が赤岩のすぐ近くまで来たところでだった。
「まじすか」結城は天津の後ろにいたが、既に差し伸べかけていた右手をそっと下に降ろした。
「オオクニヌシはカミムスヒノカミに助けられたんですよね」本原が最後尾から言葉をかける。
「ええ。でもいつも助けてもらえるとは限らないですからね」天津は柔和な笑顔で振り向く。
「出現物、ということは、これは岩の幽霊ということになるのですか」時中が眉をしかめて岩を眺めながら訊く。
「岩の幽霊って」結城が時中を見て叫ぶ。
「静かにしろ」時中が歯を食いしばり制する、それは言う事を聞かない犬に手を焼く飼い主の表情に似ていた。
焼けているだけあってその岩に近づくにつれ、ぽかぽかと暖かくなってきてはいたが、いざ狭い通路でその横を通り過ぎるとなると、なかなかの試練といえるほどの高温に耐えねばならなかった。
「ふいー」結城はウエストベルトのポケットからペットボトルの緑茶を取り出し、ぐびぐびと飲んだ。「幽霊のくせに温度高いやつだなあ」
「これはある意味で“攻撃”になるといえるのか」時中が考えを述べる。「土偶と同様に」
「そう、ですね」天津は慎重に答える。「まあ、こっちに向かって転がって来な
いだけ、まだ穏便な方かも知れませんね」
「えっ、そんなやついるんですか」結城が息を呑む。「焼けた状態で迫ってくる岩が」
「たまに」天津はさらりと答え、とどまることもなく先に歩いていく。「まあ、川の水で抗戦できるでしょう」指差す方向に、午前中にも見た小川が見えてきた。
「ああ、ほんとだ」結城が額に手をかざす。「もう川まで来た。なんか今回は早いなあ。ねえ、皆」後ろを振り向くが、他の二人はそれに対して特に何も述べなかった。
「抗戦」時中が復唱する。「つまり、戦えと」
「戦うのですか」本原も繰り返す。「あの岩と」
「失礼しました、“抗戦”ではなく“防御”です」天津は眉を八の字にして笑う。「ご自分の身を護るという事です」
「ああ、なるほど」結城が納得して頷く。「冷水浴びて心頭滅却すればいいんですね」
「――ええと、はい」天津はもう適当に受け流すことにしたようだった。
「しかし我々は神力で護られるはずではないのですか」時中が眼を細めて訊く、その表情はふと天津の心に、木之花の顔を思い出させるものだった。
「――それは」天津は俯き、足を止めて振り向いた。「研修中は、そうですね」
三人は、押し黙った。天津も、それ以上は言葉を重ねない。
「いつも」やがて時中が言った。「助けてもらえるとは限らない、と」
天津は口を固く引き結んだが、特に言葉は返さなかった。
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