9 / 20
第9話
しおりを挟む
熱田氏は別れ際、また電話で連絡をすると言った。
私は咄嗟に、電話ではなくメールで連絡するようにと依頼した。
依頼しながら、たとえメールが届いたとしても恐らく返信しないだろうと思った。
ことによると読みさえもしないかも知れない。
もう、この人間に会いたくない、声も聞きたくない、と思った。
恐らく電車を乗り継いで帰ったのだろうが、私は気づくとマンションの自室のドアの前に立っていた。
昼を大分回っていたが、何も食べたくない、口にしたくなかった。
無理に食べたとしても、いろいろな意味でそれは私の体に吸収されそうにない気がした。
着替えもしないまま床に倒れ込み、うつ伏せのまま私は数時間気絶した。
目を開けると、夕焼けの光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
のろのろと体を起こす。
しかしそれから何をすればいいのか、まったく頭に浮かばない。
私は日が暮れるまで、床の上に呆然と座り、窓の向こうから聞こえてくる音を耳に受け止めていた。
「おかあさーん」小学生ぐらいの子供が大声で母親を呼ぶ。
「○○はー?」母親も大声で何か訊いている。
「□□ちゃんとこに行ったー」子供が大声で答える。
「△△だから帰っておいでー」母親は大声で指示を出す。
車のエンジン音が近づき、遠ざかり、また近づき、遠ざかる。
部屋の中はだんだん暗くなってゆき、カーテンの隙間からは外部の建物の照明が洩れ始めた。
喉が、渇いた。
そのことに気づいたお陰で、私はずい分久しぶりに体を動かした。
立ち上がったときに、少し眩暈がした。
キッチンへ向かおうとして、私はぎくりと硬直した。
薄闇に慣れた私の目に、足が映ったからだった。
足は、リビングとキッチンの境のところに、足一本で立っていた。
私の心臓は早鳴りを始めた。
汗が噴出し、呼吸が浅くなった。
足は無表情に、無言のままそこに立っていた。
何か、言うべきなのだろうか――
私の頭の中に、どうしてかは分からないが、そんな思いが生まれた。
今ここで、私は足に向かって何か言葉をかけるべきなのか――
まったくもって、何故そのようなことを思ったのか皆目分からなかった。
声をかけるって、家族じゃあるまいし。
そもそも私はこの足を浄霊しようとしていたのではないのか――
まさか。
まさか俺は、足に対して、何か後ろめたさのようなものを感じているとでもいうのか。
或いは申し訳なさ、というようなものを。
私は、自分の中に生まれた仮説を否定するため首を振った。まさか。まさかだ。
それに声をかけるといっても、何と言えばいいのだろう。
「ああ、お帰り」と?
いや、むしろ
「ああ、ただいま」か?
待て、もう一度確認するが、足は別に俺の“家族”ではないのだから、そのような言葉をかけるのは妙だ。
「ああ、いたの」辺りか?
「まだいたのか」ぐらい言ってもいいのか?
その時。
ぺた、と、足が一歩を踏み出した。
私は足を見た。
いや、ずっと見てはいたが、ぺた、と一歩踏み出した足にハッと注目したのだ。
改めて見た、とでもいうのか。
だがその“注目”は、生温かった。
なぜなら次の瞬間、足が足の甲で私の左頬に蹴りを食らわしたのを、避けきれなかったからだ。
それは“油断”だったのかも知れない。
今まで散々腰を蹴られ続けていた相手つまり足だが、にも関わらず私は、そいつに対して注意を怠ってしまったのだ。
まさか足が、私の顔面を蹴るとは思っていなかったのだ。
左頬を蹴り飛ばされて――足に“ビンタを食らった”というのは、正しい日本語ではないものだろうか――私は一瞬、自分の身に何が起こったのか理解できずにいた。
いて。
え?
何?
そんな感じだった。
足は続けて、今度は私の鼻の下に蹴りを見舞った。
私はぎゅっと目を瞑り、苦痛に眉をしかめた。
「何す」
言いかけて開いた目に、足の、足の裏が映った。
それはその直後、私の視界を真っ暗にふさいだ。
ふさがれたのは私が再び目を閉じたからでもあり、顔面全体に蹴りを食らった私はバランスを崩して尻餅を突いた。
声を挙げるいとまもなかった。
足は、私の両頬に足で往復ビンタを食らわし、私はそれを避けるため床に顔を伏せ這いつくばった。
足は、今度は私の後頭部を上から思い切り踏んづけてきた。
私の心の中には、無論恐怖や苦痛もあったが、同時に不思議なものを見る想いも生まれていた。
重量が、ある。
そう、今までは腰にしろ背中にしろ、そして今の時点での顔面にしろ、横からの攻撃に限られていた。
そのため、この足に“重さ”があるなど、意識したことがなかったのだ。
しかるに今、私の後頭部、襟足、そして背中と、上から踏みつけてくる足、それには、びっくりするほどの“重み”が、感じられる。
比喩ではなく、物理的な重さだ。
足は足しかないくせに、一人前の男の大人並みの重量を備えている。
ずっしりと、重い。
なんでこいつ、こんなに重いんだ?
何度も踏みつけられる内、次第に私の意識は薄ぼんやりとぼやけてきていた。
そんな中で私は、今や恐怖よりも、不可思議さに包まれていたのだ。
素材か?
こいつ何で出来てるんだ?
金属か?
重金属?
そんなことを、とりとめもなく思っていた。
そうしてやがて、完全に私は気絶した。
私は咄嗟に、電話ではなくメールで連絡するようにと依頼した。
依頼しながら、たとえメールが届いたとしても恐らく返信しないだろうと思った。
ことによると読みさえもしないかも知れない。
もう、この人間に会いたくない、声も聞きたくない、と思った。
恐らく電車を乗り継いで帰ったのだろうが、私は気づくとマンションの自室のドアの前に立っていた。
昼を大分回っていたが、何も食べたくない、口にしたくなかった。
無理に食べたとしても、いろいろな意味でそれは私の体に吸収されそうにない気がした。
着替えもしないまま床に倒れ込み、うつ伏せのまま私は数時間気絶した。
目を開けると、夕焼けの光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
のろのろと体を起こす。
しかしそれから何をすればいいのか、まったく頭に浮かばない。
私は日が暮れるまで、床の上に呆然と座り、窓の向こうから聞こえてくる音を耳に受け止めていた。
「おかあさーん」小学生ぐらいの子供が大声で母親を呼ぶ。
「○○はー?」母親も大声で何か訊いている。
「□□ちゃんとこに行ったー」子供が大声で答える。
「△△だから帰っておいでー」母親は大声で指示を出す。
車のエンジン音が近づき、遠ざかり、また近づき、遠ざかる。
部屋の中はだんだん暗くなってゆき、カーテンの隙間からは外部の建物の照明が洩れ始めた。
喉が、渇いた。
そのことに気づいたお陰で、私はずい分久しぶりに体を動かした。
立ち上がったときに、少し眩暈がした。
キッチンへ向かおうとして、私はぎくりと硬直した。
薄闇に慣れた私の目に、足が映ったからだった。
足は、リビングとキッチンの境のところに、足一本で立っていた。
私の心臓は早鳴りを始めた。
汗が噴出し、呼吸が浅くなった。
足は無表情に、無言のままそこに立っていた。
何か、言うべきなのだろうか――
私の頭の中に、どうしてかは分からないが、そんな思いが生まれた。
今ここで、私は足に向かって何か言葉をかけるべきなのか――
まったくもって、何故そのようなことを思ったのか皆目分からなかった。
声をかけるって、家族じゃあるまいし。
そもそも私はこの足を浄霊しようとしていたのではないのか――
まさか。
まさか俺は、足に対して、何か後ろめたさのようなものを感じているとでもいうのか。
或いは申し訳なさ、というようなものを。
私は、自分の中に生まれた仮説を否定するため首を振った。まさか。まさかだ。
それに声をかけるといっても、何と言えばいいのだろう。
「ああ、お帰り」と?
いや、むしろ
「ああ、ただいま」か?
待て、もう一度確認するが、足は別に俺の“家族”ではないのだから、そのような言葉をかけるのは妙だ。
「ああ、いたの」辺りか?
「まだいたのか」ぐらい言ってもいいのか?
その時。
ぺた、と、足が一歩を踏み出した。
私は足を見た。
いや、ずっと見てはいたが、ぺた、と一歩踏み出した足にハッと注目したのだ。
改めて見た、とでもいうのか。
だがその“注目”は、生温かった。
なぜなら次の瞬間、足が足の甲で私の左頬に蹴りを食らわしたのを、避けきれなかったからだ。
それは“油断”だったのかも知れない。
今まで散々腰を蹴られ続けていた相手つまり足だが、にも関わらず私は、そいつに対して注意を怠ってしまったのだ。
まさか足が、私の顔面を蹴るとは思っていなかったのだ。
左頬を蹴り飛ばされて――足に“ビンタを食らった”というのは、正しい日本語ではないものだろうか――私は一瞬、自分の身に何が起こったのか理解できずにいた。
いて。
え?
何?
そんな感じだった。
足は続けて、今度は私の鼻の下に蹴りを見舞った。
私はぎゅっと目を瞑り、苦痛に眉をしかめた。
「何す」
言いかけて開いた目に、足の、足の裏が映った。
それはその直後、私の視界を真っ暗にふさいだ。
ふさがれたのは私が再び目を閉じたからでもあり、顔面全体に蹴りを食らった私はバランスを崩して尻餅を突いた。
声を挙げるいとまもなかった。
足は、私の両頬に足で往復ビンタを食らわし、私はそれを避けるため床に顔を伏せ這いつくばった。
足は、今度は私の後頭部を上から思い切り踏んづけてきた。
私の心の中には、無論恐怖や苦痛もあったが、同時に不思議なものを見る想いも生まれていた。
重量が、ある。
そう、今までは腰にしろ背中にしろ、そして今の時点での顔面にしろ、横からの攻撃に限られていた。
そのため、この足に“重さ”があるなど、意識したことがなかったのだ。
しかるに今、私の後頭部、襟足、そして背中と、上から踏みつけてくる足、それには、びっくりするほどの“重み”が、感じられる。
比喩ではなく、物理的な重さだ。
足は足しかないくせに、一人前の男の大人並みの重量を備えている。
ずっしりと、重い。
なんでこいつ、こんなに重いんだ?
何度も踏みつけられる内、次第に私の意識は薄ぼんやりとぼやけてきていた。
そんな中で私は、今や恐怖よりも、不可思議さに包まれていたのだ。
素材か?
こいつ何で出来てるんだ?
金属か?
重金属?
そんなことを、とりとめもなく思っていた。
そうしてやがて、完全に私は気絶した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
Catastrophe
アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。
「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」
アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。
陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は
親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。
ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。
家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。
4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
怪異相談所の店主は今日も語る
くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。
人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。
なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。
普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。
何故か今日もお客様は訪れる。
まるで導かれるかの様にして。
※※※
この物語はフィクションです。
実際に語られている”怖い話”なども登場致します。
その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。
とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
ノック
國灯闇一
ホラー
中学生たちが泊まりの余興で行ったある都市伝説。
午前2時22分にノックを2回。
1分後、午前2時23分にノックを3回。
午前2時24分に4回。
ノックの音が聞こえたら――――恐怖の世界が開く。
4回のノックを聞いてはいけない。
Dark Night Princess
べるんご
ホラー
古より、闇の隣人は常に在る
かつての神話、現代の都市伝説、彼らは時に人々へ牙をむき、時には人々によって滅ぶ
突如現れた怪異、鬼によって瀕死の重傷を負わされた少女は、ふらりと現れた美しい吸血鬼によって救われた末に、治癒不能な傷の苦しみから解放され、同じ吸血鬼として蘇生する
ヒトであったころの繋がりを全て失い、怪異の世界で生きることとなった少女は、その未知の世界に何を見るのか
現代を舞台に繰り広げられる、吸血鬼や人狼を始めとする、古今東西様々な怪異と人間の恐ろしく、血生臭くも美しい物語
ホラー大賞エントリー作品です
「こんにちは」は夜だと思う
あっちゅまん
ホラー
主人公のレイは、突然の魔界の現出に巻き込まれ、様々な怪物たちと死闘を繰り広げることとなる。友人のフーリンと一緒にさまよう彼らの運命とは・・・!? 全世界に衝撃を与えたハロウィン・ナイトの惨劇『10・31事件』の全貌が明らかになる!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる