DV幽霊

葵むらさき

文字の大きさ
上 下
1 / 20

第1話

しおりを挟む
 この理不尽さ加減はどうだろう。

 足は、私の腰をさっきから蹴りつづけている。
 いつからだろう。
 いや、腰を蹴りつづけられているのがではなく、この、足が私にとり憑いているのは。
 きっかけは何だったか。
 バグか。
 ウイルスなのか。
 もしかしたら、エロ動画を堪能した報いの――
 と、そんなことを布団の中で横向きに寝転んで考えながら、私は腰を蹴りつづけられている。
 随分と余裕たっぷりに対応できるようになったものだ。
 もちろん当初は、まず驚き、おののき、うち震え、誰もいないこの一人暮らしの1Kマンションの部屋の中できょろきょろし、助けを求め、泣き、喚いたものだ――多少オーバーかも知れないが、そんな感じだったものだ。

 状況を詳しく説明しよう。
 私は、せんべい布団の中で、さっきも言ったように横向きになり、背を丸め両膝を曲げて寝転がっている。せんべい布団は体に巻きつける形だ。
 一方足は、そんな私の腰を一・五秒に一回ぐらいのペースで蹴り続けている。
 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 そういった感じだ。
 ここで賢明なる読者は気づくだろう。
 音、ちがくね? と。
 そう。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

だ。決して、

 ぼふ。
 ぼふ。
 ぼふ。

では、ないのだ。
 賢明なる読者はまたここで気づくだろう。
 そう、つまり、この足は、私の腰を「布団越し」に蹴っているわけでは、ないということだ。
 ダイレクトに。
 私の腰直撃で、足は足を見舞っているのだ。
 もう一度言おう。
 私はせんべい布団を、体に――当然腰の部分も含め全身、頭にまで――巻きつけている。

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 塩を撒いたことがあった。あれは足に出会ってから――否、取り憑かれてからどれくらい経った頃だろう。
 私はその時、憔悴していた。
 一体、これは何なのだ。この、足は。
 足は、足だけの存在だ。
 足だけがいて、そこから上の、人間でいう胴体だとか腕だとか頭部だとか、そういう他の部分はない。
 足の、人間でいうと膝から下の部分だけが、くっきりと見えている。
 足の――幽霊、だろうか。
 もし幽霊だとすれば、私が想像していたものとは随分様相が違うのだった。私のイメージしていた幽霊とは、透けていて、頭と胴体と、前方に恨めしげに差し出している手とがあって、そして――
 逆に、足がないものだった。
 とすれば、今現在私の腰をごつごつと蹴っているこの足は、幽霊というよりもむしろ「逆幽霊」とでも呼べる代物かも知れない。
 それはともかく、今ほどこの足の存在に慣れていなかった頃、私はどうにかしてそいつから解放される術はないかと考えあぐね、半ば泣きながら

「塩を撒いたらどうか」

という結論に達したことがあったのだ。
 塩にて何かしらお清めをするという風習は、今も残っている。塩だ。そうだ塩だ。
 その時の私はともかく必死だったから、お清めにはそれ専門の塩があるということにまで考察範囲を拡張するゆとりがなかった。塩ならば何でもいいと思った。
 溺れる者は藁をも掴むの心境で、私は台所の塩のもとへまろぶように駆け寄った。
 足はその時も、私の体を――腰だの尻だの背中だの――蹴り続けていた。
 私は食卓塩の瓶をつかみ、涙を堪えるためぎゅっと目を瞑りながら震える手で、それでも可能な限り大急ぎで、蓋を回し開けた。
 足は委細構わず、当然のことをしているかのように、私の体を1・5秒に一回ぐらいの速さで蹴り続けていた。
 恐怖と絶望のどん底にいたにも関わらず、その時の私には理性が残っていたと、今は胸を張って言える。
 何故なら、蓋の開いた塩瓶を私は、直接足に向けて振ったりしなかったからだ。
 そんなことをしていたらどうなっていただろう?
 恐らく塩は、ろくに瓶の口から放たれはしなかっただろう。チャッ、と音がして、量にすれば精々小匙一杯分かそこらほどの食塩が、空中に飛散しただけにとどまっただろう。
 料理の味付けじゃないんだから、そんな程度の塩を振ったところで意味はないのだ。
 そう。
 私はその時、腰を尻を蹴られつつも、必死で己の掌の上に塩をさらさらと流し出した。
 何度も何度も、瓶を振って。
 私の掌の上に、やがて塩の山が生まれた。
 足は、飽きることなく私を蹴り続けていた。
 首だけ振り向くと、足だけがくっきりと存在していて、私を蹴っていた。
 足の上辺は、闇だった。
 骨も筋も腱もなく、ただ吸い込まれそうな闇が、そこに見えていた。
「ああーッ!」
 私は叫びながら、足に向かって塩を撒いた。ぶつけた、と言った方が正確か。

 !!

 足の反応は、まさにこうだった。
 エクスクラメーションマーク二本。
 漫画などで登場人物が「!!」と叫び体を硬直させる絵が出てくるが、丁度そんな感じだ。
 足はその瞬間、あれほど執拗に――なかば楽しげにさえ見えるほど――繰り返していた私への暴挙を、ぴたり、と止めた。
 そして次の瞬間、蒸発するように消えた。
 私はしばらく、首だけ振り向いた形で茫然と立ち尽くしていた。
 消えた、のか……声にもならぬ呟きを漏らしたのは、何分後だっただろうか。
 足は、清められたのか?
 奴は、成仏したのか?
 もう、私は腰や尻を蹴られなくてすむのか?
 もう、足は私を許してくれたのか? 否、許すも何もないけれど――

 その瞬間、足はものすごい形相で戻ってきた。

 否、足は足しかないのだから、形相、というものがあるわけではない。
 だがそうとしか言えぬほど凄まじく怒り狂った様子で、足は復活してきた。
 そして前にも増して――正確に言うと前など足許にも及ばぬ勢いで、私を猛烈に蹴り直し始めた。尻を、腰を、背中を。
「いててててててて」
 足に取り憑かれてから初めて、私は痛みを訴えた。
 それまで、恐怖とか意味のわからなさは痛烈に感じていたものだったが、蹴りそのものはさほど強いものではなく、純粋なる痛覚というものを感じたことはなかった。
 ――ということに、その時私は気づいたのだった。
 それまでの蹴りは、

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

であったし今もそうなのだが、その時に限っては、

 ばきっ。
 がすっ。
 どかっ。

という表現が一番しっくりくる、そんな蹴り方だった。
 怒りに任せて、足は蹴っていた。
  何すんだこの野郎!!
 まるで、そう言っているかのような蹴り方だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

Catastrophe

アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。 「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」 アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。 陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は 親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。 ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。 家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。 4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

怪異相談所の店主は今日も語る

くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。 人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。 なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。 普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。 何故か今日もお客様は訪れる。 まるで導かれるかの様にして。 ※※※ この物語はフィクションです。 実際に語られている”怖い話”なども登場致します。 その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。 とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。

怪物どもが蠢く島

湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。 クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。 黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか? 次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。

ノック

國灯闇一
ホラー
中学生たちが泊まりの余興で行ったある都市伝説。 午前2時22分にノックを2回。 1分後、午前2時23分にノックを3回。 午前2時24分に4回。 ノックの音が聞こえたら――――恐怖の世界が開く。 4回のノックを聞いてはいけない。

Dark Night Princess

べるんご
ホラー
古より、闇の隣人は常に在る かつての神話、現代の都市伝説、彼らは時に人々へ牙をむき、時には人々によって滅ぶ 突如現れた怪異、鬼によって瀕死の重傷を負わされた少女は、ふらりと現れた美しい吸血鬼によって救われた末に、治癒不能な傷の苦しみから解放され、同じ吸血鬼として蘇生する ヒトであったころの繋がりを全て失い、怪異の世界で生きることとなった少女は、その未知の世界に何を見るのか 現代を舞台に繰り広げられる、吸血鬼や人狼を始めとする、古今東西様々な怪異と人間の恐ろしく、血生臭くも美しい物語 ホラー大賞エントリー作品です

「こんにちは」は夜だと思う

あっちゅまん
ホラー
主人公のレイは、突然の魔界の現出に巻き込まれ、様々な怪物たちと死闘を繰り広げることとなる。友人のフーリンと一緒にさまよう彼らの運命とは・・・!? 全世界に衝撃を与えたハロウィン・ナイトの惨劇『10・31事件』の全貌が明らかになる!!

処理中です...