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 そして夜になった。

 祖母は、いつもと同じように過していればいい、といったけれど、やっぱり皆そうもいかなくて――私もふくめて――なんとなく、リビングから出て行けずにいた。

 ソファにすわる者、床の上に直接すわる者、窓辺にたたずむ者、皆それぞれに、不安そうな顔でだまりこくっている中、祖母はとくに不安げでもなく、刺繍をしていた――そう、私と母の服の刺繍だ。

「美しいでございますですね」祖母の手もとを見てそっとそういったのは、サイリュウだった。「どなたのお召し物でございますのでしょうか」

「うふふ」祖母はうれしそうに笑う。「これはポピーのドレスよ」

「おお」サイリュウと、ケイマンとルーロも私を見た。「きっとすばらしくお似合いになることでございましょうでしょう」

「ありがとう、サイリュウ」祖母はにっこりと笑い、他の二人にも笑顔でうなずいた。

 ユエホワは窓際から、ほんの一瞬だけちらりとこちらを見たが、すぐにまた窓の外に目を向けた。

「そういうのって魔法でやれねえのか」ルーロが誰にきくともなく小声ですばやくつぶやく。

「まあ」祖母は目をまるくした。「そんなこと、考えたこともなかったわ。でもそうね、ツィッカマハドゥルを使えば、できなくもないと思うわ。でも」そこまでいうと祖母は、糸をはさみでぱちん、と切り、私の服(になる予定のもの)を両手で持ち上げ、刺繍のできばえをたしかめはじめた。「それをやって、もし私がやるより上手にできたとしたら、私たぶんひどく傷ついちゃうわ。だからやらない」ほほほほ、と楽しそうに笑う。

 あははは、と他の皆――私もふくめて――も笑う。

 けれど窓際に立つユエホワは、こんどはふりむきもせず、笑っているようすでもなかった。

 私は、さりげなく、すこしずつ窓際へ近づき、

「なに見てんの?」

と、ふくろう型鬼魔にきいた。

 ユエホワは、ちらりと横目で私を見たけど、とくに何も答えなかった。そのかわり、

「あれ、おぼえてるか?」

と、逆にききかえしてきた。

「あれ?」私はききかえしかえした。

「マハドゥ」ユエホワは窓の外を見たままこたえた。

「マハドゥ?」私はまたしてもききかえした。

「学校でやったんだろ。親父さんから教わって」

「ああ」私はやっと、それを思い出した。「えーと、うーんと」記憶をさぐる。「マハドゥーラファドゥー、……」すぐにつづきが出て来ない。

 ユエホワは目を細めて横目で私をじっと見ている。

「クァスキル、ヌウ、……ヤ」

「本当か?」ユエホワがすかさずきく。「それでまちがいないか?」

「う」私はすぐにうなずくことができずにいた。「ん……たぶん」

「まあ、それは」祖母がだしぬけに声をかけてきたので、私とユエホワは同時にふりむいた。「マハドゥの初歩段階の呪文の省略形ね。すごいわ」ためいきまじりに、首をふりながらいう。「実践で使ってみたの?」

「あ、うん」私は正直にこたえた。「一回うちにアポピス類がきた時、使った」

「まあ、そうだったの」祖母は肩をひょいと持ち上げおろした。「それは知らなかったわ、無事でよかった。でも、それとピトゥイ、あとシルキワスにエアリィ、これだけの材料があれば、組み合わせ次第で向かうところ敵なしの攻防がくみたてられそうだわ」ろうそくの、ほの暗いともしびの中でも、祖母の瞳が不敵に輝くのがわかった。

「あんまり心配そうではなさそうですよね」ケイマンがルーロのような小声でつぶやく。

 たしかに、母がこのこと――私が一人で留守番をしていたとき、うちにアポピス類がやって来たことを知った時ほど、祖母はショックを受けてはいないように見えた。

 それはでも、私の身が心配じゃないということでは、まったくない。

 祖母は、私がキャビッチで鬼魔を倒すことを、疑ってなどいないのだ。

 もしかしたら、私自身よりもずっと。

 ――よろこんでいいことなのか悲しむべきことなのかは、よくわからないけれども。

「あ、じゃあ俺、ひとつ提案がある」ユエホワがそういい、皆が座っている方へ近づいていった。「こっち来い」ふりむいて私を呼ぶ。

「頼もしい参謀さんだわ」祖母はますます楽しそうに、わくわくした声でいった。「どんな提案かしら」

「あの」ユエホワはすこしだけ照れ臭そうにうつむき、話しだした。「シルキワス、なんだけど――もしかしたらあいつら、回避方法を身につけてるかも知れない」

「回避方法?」

「まあ」私と祖母が同時におどろきの声をあげた。

「シルキワス?」

「なんか聞いたことあるようなないような名前だな」

「古くからある投げ技のひとつでございますですね」アポピス類たちも同時にたしかめようとする声をあげた。「投げたキャビッチが相手の前でいったん消えまして、背後から当たってくるという」

「ああ」ユエホワがうなずく。「いろいろ調べて考えてみたんだけど……投げつけられたキャビッチが目の前で消えた直後に体を横や斜めに向けてたら、回避できるはずなんだ」

「えっ」私はまたしてもおどろき、

「まあ、さすがだわ」祖母は感心した。「年配のムートゥー類なら知っているはずの、シルキワス回避方法ね」ユエホワと顔を見合わせ、うなずき合う。

 鬼魔界で、先輩たちに聞きまわって仕入れた情報なのだろう。

「消える瞬間に横を向くってこと?」ケイマンがきく。

「ああ。シルキワスをかけられたキャビッチは消える瞬間に、そのまま飛んだ場合に自分がぶつかるはずの相手の体の点から、まっすぐ向こうに抜け出た場合の出口の点がどこになるかを記憶して、転移後その点めがけて攻撃する。けど出て来た瞬間にその点の位置が思ってた直線上からずれてると、どこに当たればいいか判断つかなくて、落っこちるか、もしくはあさっての方向にずれて飛んでっちまう」

「ですがシルキワスは消えるのと同時に背後から現れますから、とても間に合うとは思えませんでございますけれども」

「そう、だから相当機敏に動ける者でないと不可能だ。けどもし、その瞬間に姿を消されたらどうする?」ユエホワは人さし指を立てて質問した。

「あ」

「まあ」

「おお」

「うわ」

「ふうん」全員がおどろいたような顔になった。

「とてもじゃないけど、投げてキャビッチが消えて出て来るまでの間にピトゥイを発動させるなんて、無理だろ」

「そうね、確かに」祖母は右手をにぎりこんで口を押さえ、しばらく考えこんだ。「あらかじめピトゥイで光使いたちを離しておいたとしても、別働隊が用意されているかも知れないし」

「だから方法としては、ピトゥイ専任を一人決めておいて、相手が姿を消すたびに即効で発動させるってのもある」ユエホワが考えをいう。

「なるほど」ケイマンが腕組みをしてうなずく。

「けどそのピトゥイ係が攻め込まれたらどうするよ?」ルーロが早口で質問する。

「ピトゥイ係の護衛係をそばにつけておきますとよろしいのではないでございましょうか」サイリュウが意見をのべる。

「その護衛係をねらって姿を消したやつが攻めてきたらどうするよ?」

「ポピーがもらって帰った薬を使えば、いちどに複数のアポピス類の光使いを離すことができるわ」祖母がいう。「それをするならば、ポピーがピトゥイの専任になるけれど」

「えーっ」私は不満を口にした。「あたし、投げる方がいい」

「じゃあ俺たちがあの薬を使って」ケイマンがいいかける。

「え?」ユエホワが片眉をしかめる。「お前らがあの薬を使って、なんだって?」

 他のアポピス類たちは、目をそらして何もいわずにいた。

 よく見ていなかったけれど、たぶん彼らがあの薬を使っても、ピトゥイは発動できなかったのだろう。

 もしかしたら、魔法さえ起きなかったのかも知れない。
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