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彩美の罪

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 零梛を失った日。あたしは自責の念で押し潰されそうだった。いや、押し潰されて当然だった。全てを甘く見ていたんだ。5歳と2歳の子どもを連れていくところから考え直せばよかった。そもそも断ったってよかった。でも、義理やチームで進めてきていたこと、今までの撮影でも二人を連れてきたりマネージャーに面倒見てもらっていたりという積み重ねがあたしの警戒心を緩めていっていた。

 零梛が産まれた日とても嬉しくて幸せだった。もちろん稜梛が産まれた日も等しく幸せだった。国によって管理される精子を使った受精では保存上の課題から母親の遺伝子を色濃く反映するという研究結果もあり、二人ともあたしによく似ていて血の繋がりを感じたし、これからの未来に胸が弾んだ。

 どんな子になるんだろう。どんな風に生きるんだろう。そんな希望はすぐに砕かれる。

 生まれたばかりの零梛に対して大人達が必死に声をかけるのだ。自分で言うのもなんだがあたしは有名女優で知名度も人気もある。男性が貴重であることもわかっている。それ以上に現実はイカれていたように思う。

 0歳の赤子に婚約の話、精液の個人間提供。あたしは零梛の未来の扉に鍵がかかってしまったような。幸せを妨害するもの達がいるのだと初めて理解した。

 零梛が育つと言うことは段々と男性の義務への参加や婚姻可能な年齢へ近づいていることを示す。そして健康であることはその未来が実現可能であるという話になってくる。

 赤ちゃんが一年や二年成長したところでお前らが期待する大人になった時のこの子の選択の何が変わるんだとあたしなら思う。

 2人の子どもを育てる苦労はあった。でも誰かを頼ってしまってはそれを皮切りに入り込んでこられることを恐れた。だから心を許せると思った人にはとことん心を許すようになった。零梛を狙う話は全て流した。稜梛と縁を結ぼうとする輩にも警戒するようになって、あたしはどんどんおかしくなっていったと思う。

 そんなある日に事件の日に遭遇した。

 あたしは誘拐されたと知って有り得ないほどの喪失感を得た。声一つ出なくて、泣き方もわからなくなるほど壊れてしまった。

 マネージャーに預けた二人は一人は誘拐されて、もう一人は泣きじゃくっている。頼ったマネージャーは頭から流血している。

 全てあたしの怠慢、無力さが起こした悲劇。


 でも、同時にあたしは思ってはいけない感情がよぎった。解放感も感じたんだ。

 子育てが嫌なんじゃない。家族が奪われて平気なわけじゃない。ただあたしはもう戦わなくていい。周りはあたしを憐れむだろう。そんな風に思ってしまった。

 それもすぐに罪悪感に変わりあたしの胸に突き刺さる。泣く、叫ぶなんかじゃ到底満足できない。人間が抱えていい感情の量を超えている。

 警察や病院の対応が台風の中なんとか行われたあと稜梛の聴取に立ち会うと流暢に事件を話した。

 あたしは無気力になってホテルの一室でへたり込んだ。

 そんなあたしに稜梛は話しかける。

「零梛は無事だよ。私が逃したもの」

 既にパンクしたあたしの脳に稜梛は新しい刺激を与えようとする。この瞬間だけはこの子の無事を喜ぶよりも零梛を心配する気持ちよりも自責よりも混乱が勝った。

 わずか5歳の娘は自分の弟を守る為に行動していた。マネージャーの不穏な様子にも気がつき、頼れる冷静な大人を見極め事態に対応した。凄いとか嬉しいとかポジティブな感情はそこにはなくて、悔しさと自分の無力さを一層呪うことになった。

 どれだけ時間が経とうと、冷静になろうと感情は変わらない。稜梛の成長だけが嬉しかった。小夜さんとも少しだけ連絡も取れたがそれ以上は取れなかったし、取らなかった。零梛の親でいる資格がないと思ったし、主導権は小夜さんにあると認識していた。無理矢理にでも取り返そうだ到底なんて思えなかった。

 そのことについて稜梛は文句を言うこともあった。その通りだと思う。実際、稜梛には小夜さんに文句をいう権利はあるんだと思う。あたしは何もしてあげられないからそんな稜梛に「時が来ればまた会えるよ」なんて言うことしかできなかった。体裁のために捜索は続けてもらうことになるが、警察に捜索を願っておいて、掻き回す稜梛を止めることもなかった。

 そしてその時が来た。零梛は美しくて賢くて優しい男の子に育っていた。あたしはそんな彼に偉そうに母親ヅラをしている。苦しい。

 零梛が13年を「幸せでしたよ」と評することであたしはまた心を抉られる。でも「不幸だった」「助けて欲しかった」なんて言われてもあたしは傷つくんだろう。あたしが零梛の母親であることなんて血縁でしか示せない。親子であるはずなのに何も知らない。

 それでもあたしは強欲にも心を開いてほしくて彼に甘えた。母親ヅラを貫くことで彼との距離を無理にでも保とうとした。その甲斐あってか彼は彼なりにあたしのことを考えてくれてまだ甘える。

 その上零梛は私に「これから」と言ってくれる。過去は取り戻せない。その上でのあたしたち家族の未来を見ようとしてくれている。かつてあたしも二人の未来を見ていたはずなのにあたしは出来ていない。

 都合がいいけれど、許しは求めないけれど、これからの零梛を、稜梛を大切にしていこうと誓う。二人が私を母だと言ってくれる間はあたしは母親でいられる。

 あたしの罪はしっかりと身に刻み込んだ。あたしの罪は13年で終わることなく。二人の行く末を見守ること、小夜さんへの贖罪によって完遂される。

 零梛は無事に帰ってきた、稜梛はとてもいい子に育った。あたしは本来幸せと思わないといけないはずなんだ。

 前を向くことがどれだけ辛かろうと受け入れることが心を苦しめようとあたしは二人と歩いて行くんだ。それがあたしなりに母親として出来ることだから。



 
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