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離縁の準備
第三話
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「ふぅ……」
マキシムに報告を終え、部屋を出た私の口から漏れたのは大きなため息だった。
必死に酷使していた表情筋はもうぼろぼろで、呆けた表情でいるのさえつらい。
背後から、呆れと賞賛を滲ませた声が響いたのはそのときだった。
「あら、まあ。今日も随分がんばってこられたのですね」
「まりあ」
「あらあら。なんて知能のかけらも感じない声音かしら」
そうおっとりと毒を滲ませてくるのは、私のお着きのメイドのして腹心の諜報員マリアだった。
長い長髪におっとりした表情……見た目に反して毒が大量に詰め込まれた中身。
腹心のいつもの姿に、私は取り繕うことをやめてそのふくよかな身体に飛び込む。
「しょうがないでしょ……。あの男、情緒不安定すぎて断り方を間違えるとすぐに不機嫌になるのよ。最低限さわることを許容しておかないと、露骨に機嫌悪くなるし」
「まあ、あの男に女性の取り扱いを求めてもどうしようもないですものね」
そんな私の髪を優しくとかしながら、マリアはおっとりとため息をつく。
「この前私を口説こうとした時の言葉も、品がないものでしたもの」
「へえ、そんなこと……。は?」
今まで疲労で急停止していた私の頭が回転しだす。
「待って、なんて言った?」
「私が口説かれましたの。マキシムに」
「は?」
私の頭が沸騰したのはそのときだった。
ああ、知っている。
もう二度とあの顔見たくないな、そう思っていた心が怒りでねじ曲がる。
あの男、こりもせずに侍女に手をだそうとしていたのか?
それも私の、大切な腹心に?
「落ち着きなさい」
「つっ!」
怒りで真っ赤になった私を正気に戻したのは、容赦なくマリアが頬をつねったことによる痛みだった。
「前から言っているでしょう。貴女の悪い癖は身内に手を出されると感情的になるところです」
「いたひ、いたひ、はなひて」
「前から何度言ってもこの癖だけは直りませんね。本当にどう折檻すればいいのかしら」
そういいながら、どんどんとマリアの頬が紅潮していく。
「それにしてもまあ。ライラ様はいじめられている時ほど、輝きますわね」
「……っ!」
そう告げるマリアの息が荒くなってきたあたりで、私は全力でマリアの手を振り払った。
「あら……。もう少しされるがままになっていただいてもよかったのに」
「貴女は主人をなんだと思っているの!」
そういいながら、私はひりひりと痛む頬を抑える。
こんなに痛いのに跡がつかないのは誉めるべきか、責めるべきか。
「マリア、時々貴女怖いのだけど……」
「自意識過剰ですわ」
「鏡を見せてやりたい……!」
問いつめたいが、こういう言い合いでマリアに勝てる訳がない。
それを知っている私は、勝ち誇っているマリアにひとまず矛先を納める。
「それでは真面目な話をしましょうか」
「……さっきは遊んでたて認めたようなもの何だけど、その発言」
私の言葉を無言の笑顔で黙殺したマリアはさらに続ける。
「ライラ様、その心配はうれしく思います。ただ、私に何か起きても貴女は涼しい顔を崩さないでください」
「……分かっている」
「いえ、分かっておりませんわ。諜報員とはそういう宿命なのです。自分の身を危険にさらしても情報を勝ち取る、それが私達の定めです」
その言葉に私は思わず口ごもる。
マリアの言葉は正論だった。
情が深いことが悪いことだとは言わない。
ただ、諜報員は常にぎりぎりのところを生きている。
そのおかげで今まで様々な情報を得てきた。
そんな彼らに情を移すのは、本職のマリアからすれば愚かなことなのだろう。
けれど、そう割り切るには私にとってマリアは大きな存在だった。
私の様子からそんな内心を読みとったのか、マリアが柔らかい笑みを浮かべる。
「それに、私達一族は自分のピンチも武器に使う存在ですわ。ライラ様の仕事は私達を信じてどんと構えることです。それをどうか頭に入れておいてください」
「……分かったわ」
それに私は何とかうなずく。
そんな私をみるマリアの顔に浮かぶのは慈愛にあふれた微笑みで、私は改めて思う。
マリアは私にとって姉代わりのような存在だと。
ドリュード家に嫁いできてすぐのころ、私は四面楚歌の状態だった。
そんな中で、一番最初に私の協力者となってくれたのがマリアの一族だった。
あれから何年経っただろうか。
長いこと私とマリアのつきあいは決して短くなんてなくて、だからこそ分かる。
マリアの言葉は本心からのもので、私の情にに引っ張られた感情的な心配など彼女は喜ばないだろうことを。
「どんな報告が来ても貴女の心配はしない。ここで約束するわ」
「はい」
そんな私の言葉にマリアは肯定する。
出来の悪い妹をほめるような笑顔で。
「代わりに絶対に死なずに戻ってきなさい」
けれど、私の言葉はそれで終わりではなかった。
「貴女の言うとおり、心配はやめます。代わりにここで誓いなさい」
──主ならば主らしく、偉そうにしてくださいませ。
かつてマリア本人に言われたことを思いだし、必死に胸を張りながら私は告げる。
「私達の目的を果たすまで──スリラリアが私達のものになる前に死ぬことはないと」
マキシムに報告を終え、部屋を出た私の口から漏れたのは大きなため息だった。
必死に酷使していた表情筋はもうぼろぼろで、呆けた表情でいるのさえつらい。
背後から、呆れと賞賛を滲ませた声が響いたのはそのときだった。
「あら、まあ。今日も随分がんばってこられたのですね」
「まりあ」
「あらあら。なんて知能のかけらも感じない声音かしら」
そうおっとりと毒を滲ませてくるのは、私のお着きのメイドのして腹心の諜報員マリアだった。
長い長髪におっとりした表情……見た目に反して毒が大量に詰め込まれた中身。
腹心のいつもの姿に、私は取り繕うことをやめてそのふくよかな身体に飛び込む。
「しょうがないでしょ……。あの男、情緒不安定すぎて断り方を間違えるとすぐに不機嫌になるのよ。最低限さわることを許容しておかないと、露骨に機嫌悪くなるし」
「まあ、あの男に女性の取り扱いを求めてもどうしようもないですものね」
そんな私の髪を優しくとかしながら、マリアはおっとりとため息をつく。
「この前私を口説こうとした時の言葉も、品がないものでしたもの」
「へえ、そんなこと……。は?」
今まで疲労で急停止していた私の頭が回転しだす。
「待って、なんて言った?」
「私が口説かれましたの。マキシムに」
「は?」
私の頭が沸騰したのはそのときだった。
ああ、知っている。
もう二度とあの顔見たくないな、そう思っていた心が怒りでねじ曲がる。
あの男、こりもせずに侍女に手をだそうとしていたのか?
それも私の、大切な腹心に?
「落ち着きなさい」
「つっ!」
怒りで真っ赤になった私を正気に戻したのは、容赦なくマリアが頬をつねったことによる痛みだった。
「前から言っているでしょう。貴女の悪い癖は身内に手を出されると感情的になるところです」
「いたひ、いたひ、はなひて」
「前から何度言ってもこの癖だけは直りませんね。本当にどう折檻すればいいのかしら」
そういいながら、どんどんとマリアの頬が紅潮していく。
「それにしてもまあ。ライラ様はいじめられている時ほど、輝きますわね」
「……っ!」
そう告げるマリアの息が荒くなってきたあたりで、私は全力でマリアの手を振り払った。
「あら……。もう少しされるがままになっていただいてもよかったのに」
「貴女は主人をなんだと思っているの!」
そういいながら、私はひりひりと痛む頬を抑える。
こんなに痛いのに跡がつかないのは誉めるべきか、責めるべきか。
「マリア、時々貴女怖いのだけど……」
「自意識過剰ですわ」
「鏡を見せてやりたい……!」
問いつめたいが、こういう言い合いでマリアに勝てる訳がない。
それを知っている私は、勝ち誇っているマリアにひとまず矛先を納める。
「それでは真面目な話をしましょうか」
「……さっきは遊んでたて認めたようなもの何だけど、その発言」
私の言葉を無言の笑顔で黙殺したマリアはさらに続ける。
「ライラ様、その心配はうれしく思います。ただ、私に何か起きても貴女は涼しい顔を崩さないでください」
「……分かっている」
「いえ、分かっておりませんわ。諜報員とはそういう宿命なのです。自分の身を危険にさらしても情報を勝ち取る、それが私達の定めです」
その言葉に私は思わず口ごもる。
マリアの言葉は正論だった。
情が深いことが悪いことだとは言わない。
ただ、諜報員は常にぎりぎりのところを生きている。
そのおかげで今まで様々な情報を得てきた。
そんな彼らに情を移すのは、本職のマリアからすれば愚かなことなのだろう。
けれど、そう割り切るには私にとってマリアは大きな存在だった。
私の様子からそんな内心を読みとったのか、マリアが柔らかい笑みを浮かべる。
「それに、私達一族は自分のピンチも武器に使う存在ですわ。ライラ様の仕事は私達を信じてどんと構えることです。それをどうか頭に入れておいてください」
「……分かったわ」
それに私は何とかうなずく。
そんな私をみるマリアの顔に浮かぶのは慈愛にあふれた微笑みで、私は改めて思う。
マリアは私にとって姉代わりのような存在だと。
ドリュード家に嫁いできてすぐのころ、私は四面楚歌の状態だった。
そんな中で、一番最初に私の協力者となってくれたのがマリアの一族だった。
あれから何年経っただろうか。
長いこと私とマリアのつきあいは決して短くなんてなくて、だからこそ分かる。
マリアの言葉は本心からのもので、私の情にに引っ張られた感情的な心配など彼女は喜ばないだろうことを。
「どんな報告が来ても貴女の心配はしない。ここで約束するわ」
「はい」
そんな私の言葉にマリアは肯定する。
出来の悪い妹をほめるような笑顔で。
「代わりに絶対に死なずに戻ってきなさい」
けれど、私の言葉はそれで終わりではなかった。
「貴女の言うとおり、心配はやめます。代わりにここで誓いなさい」
──主ならば主らしく、偉そうにしてくださいませ。
かつてマリア本人に言われたことを思いだし、必死に胸を張りながら私は告げる。
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