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3巻

3-2

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「クロード、背負い袋が歩いてる」
「確かに、背負い袋が歩いていますね……」

 おはようございます、真名部響生です。
 懐中かいちゅう時計が指し示す時間は午前五時。いつもより少し早く目が覚めた俺達は、早速冒険者ギルドへと向かっていた。
 ローウェルの冒険者ギルドの受付は午前六時から開設されるが、北の町では二十四時間対応らしい。ならばと、早々に出発したわけなんだけど……。
 宿から冒険者ギルドへの一本道の途中で、クロードの物より巨大な背負い袋がのそのそとうごめいている光景に出くわしたのである。
 ……まあ、もちろん本当に背負い袋が歩いているわけではない。

「あの、大丈夫?」
「おやぁ? おはようございますぅ」

 背負い袋を追い越し振り返ると、そこにはリリアンと同じくらい小柄な少女がいた。
 丸みのある顔、おっとりとした口調に似合うブラウンの垂れ目。ウェーブの掛かった胡桃くるみ色の長い髪は耳の下で二つ結びにされ、体格に相応ふさわしくない豊かな胸元に垂らされている。
 幼いながらもどこか大人っぽい印象だ。

「どこまで行くの? よかったら手伝うよ?」
「まぁ、いいんですぅ? でしたらぁ、冒険者ギルドまでお願いしますぅ」

 というわけで、彼女に代わって背負い袋を冒険者ギルドまで運んだ……クロードが。
 俺にあんな大荷物持てるわけないじゃん。というかこの子、どうやってあそこまで運んだんだ?
 彼女の名前はフラニカというらしい。そして驚くべきことに、少女ではないそうだ……。

「ドワーフですよぉ。三十歳ですよぉ?」

 ……ドワーフ?

【技能スキル『辞書レベル3』を行使します】
『ドワーフ』
 小人種。総じて小柄で、強靭きょうじんな肉体を持つ。鍛冶師などの生産職にくことが多く、男性は物作りに優れ、女性は装飾や魔法付与に長ける。
 名立たる名剣の中には、ドワーフの夫婦によって作製された物も少なくない。

「ドワーフ、知らないですぅ?」
「いえ、

 俺の返答に、フラニカさんは不思議そうにこちらを見上げていたが、すぐにやめた。
 冒険者ギルドに着いたのだ。

「手伝ってくれてぇ、ありがとうございますぅ。おかげで助かりましたぁ」

 フラニカさんは俺達に、特に背負い袋を運んでくれたクロードに頭を下げて礼を告げた。

「いえ、お気になさらず」

 クロードに続いて、俺も声をかける。

「困った時はお互い様だしね」
「ふふふぅ、ありがとうございますぅ。……ところでぇ、皆さんはこんな時間からギルドに何の御用ですかぁ?」
「ダンジョンに、入るの!」
「ダンジョンにですかぁ?」

 楽しみなのか笑顔で答えるリリアンに対し、なぜかフラニカさんが首をかしげていたので、少し気になった。

「どうかしました?」
「えーとぉ、ギルドの受付開始は午前六時からですよぉ?」
「え? 受付は二十四時間対応なんじゃ……」
「それはぁ、ダンジョンからの帰還の受付だけなんですよぉ」
「そうだったの!?」
「それは……失念しておりました。そういえばそうでしたね……」

 顔をしかめるクロード。どうやらダンジョンのあるギルドでは当たり前のことだったらしい。

「そうなると一時間くらい待つしかないか。どうしようかな」
「仕方ないですぅ。手伝ってもらったお礼に、ちょっと早いですが受付を開けて差し上げますぅ」
「フラニカさんが? ――あ」

 どうして今まで気が付かなかったのか。フラニカさんの服……ジュエルさんと同じ制服だ。

「私はこの冒険者ギルドの職員なんですよぉ。だから、今受付を開けますねぇ」

 フラニカさんはちょっと自慢げに冒険者ギルドの扉を開けた――が、ピタリと停止した。

「……何をしているんですぅ?」

 扉を開けると、職員と思われる男性が、床に大の字になって寝転がっていた。

「寝てるの?」
「職務怠慢とは、ギルド職員にしては珍しい」

 リリアンとクロードはそう言うが、どうも様子がおかしい。

「あの、この人、白目いてない? 寝てるっていうか気絶してるんじゃ……」
「むむぅ、お恥ずかしいですぅ。起きてくださいぃ」
「ぐぶふうううううううっ!」

 仰向あおむけになって寝転がる男性職員は、脇腹をフラニカさんに足蹴あしげにされ、勢いよくゴロゴロと床を転がっていった。

「うにゃははははっ!」

 その光景に俺もリリアンも、クロードさえも唖然となる。ヴェネくんだけが大笑いだ。
 ……今、鑑定しました。フラニカさん、レベル59の武闘家だって。
 ドワーフは生産職じゃなかったの? あ、称号に『不器用』ってついてる。

「げふ、がふっ! いって……何が……フ、フラニカさん!?」

 さすがにあれだけ転がれば誰でも目が覚めるだろう。痛そうに起き上がった男性職員は、フラニカさんの姿に驚き顔面蒼白だ。

「夜勤で居眠りだなんてぇ、いい度胸ですぅ」
「いや、いやいやいや! それどころじゃなかったんですよ!」

 男性職員は必死で否定した……フラニカさんって、思ったより怖い人なんだろうか。

「言い訳ですぅ? いいですよぉ、聞いてあげますよぉ」
「もう大変で! 昨夜はもう大変で! それが――…………あれ? ……何だっけ?」
「ギルティですぅ」
「ち、違うんですよ! 何か大変なことがあったんですよ! お、思い出せないだけで……」
「……居眠りしてたんだからぁ、今日は昼間も働けそうですぅ。とりあえず、ギルドの前のき掃除と便所掃除をしてくださいですぅ」
「えええええええっ!? それはちょっと――」
「おやぁ、口答えですぅ?」
「うひいいっ! やります、やります! 失礼しました、フラニカ所長!」

 シュタッと立ち上がった男性職員は美しい九十度の礼を見せると、ギルドの奥へと駆けていった。

「お待たせしたのですぅ。それではぁ、私が受付を致しますぅ。カウンターへどうぞぉ」
「う、うん……あの、所長って?」
「ああ、言ってなかったですぅ? 私がぁ、冒険者ギルドローウェル支部出張所の所長、フラニカですぅ。以後お見知りおきをなのですよぉ」
「……ちなみに、フラニカさんを所長に選んだのって……」
「――? 最終決定はバルス様ですけどぉ、選任したのはジュエルさんって聞いてますよぉ?」

 ……うん、納得。


       ◆ ◆ ◆


 ダンジョンの受付では『ダンジョン攻略予定表』を提出する。
 滞在期間と攻略予定階層を記入するだけの簡単な物だが、Cランク以下は提出必須らしい。
 ダンジョンにやってくる冒険者は上昇志向が強く、身のたけに合わない階層攻略を目指す者も多い。
 伸びしろのある冒険者を失いたくないというギルド側の意向により、予定を過ぎても帰還しない冒険者を捜索する制度があるのだ。
 そういった冒険者達の生存率を向上させるために、攻略予定表が活用されている。
 ただし捜索は有料だ。あらかじめ捜索委託金、金貨十枚をギルドに預けるか、事後支払いの誓約書に署名する必要がある。分割払いもできるので、大抵の冒険者は署名する。
 だが、金をケチって誓約せずにダンジョンに入る冒険者も少なからずいるそうだ。
 残念だが、捜索側も命がかっている以上、彼らが帰還できなくても見捨てるしかない。
 ギルドが求めているのは優秀な冒険者の卵であって、危機管理能力のない無謀者ではないのだ。
 もちろん、資金に余裕のあった俺達は委託金を支払った。
 北の町の滞在期間は約一ヶ月を予定している。ダンジョンの攻略具合の良し悪しにかかわらず、期日に達したら一度ローウェルに戻る予定だ。
 クロードが言うには、ダンジョンは予想以上に心身を疲弊させるらしく、あまり長期間滞在するのはお勧めできないらしい。
 とりあえず慣れるために一週間、ダンジョンに籠る。一旦ダンジョンを出て、一日休んだら次は三週間。最下層を目指して本格的に攻略を行う予定だ。
 さすがに一ヶ月でダンジョンを攻略できるとは思っていない。少しでも早く最下層へ、地底都市テラダイナスへ行きたいが、急ぐあまり命を危険にさらすわけにはいかないからね。

『北のダンジョン 滞在予定期間七日 攻略予定階層 第九階層』

 これが攻略予定表に記入した内容だ。
 フラニカさんからも、これくらいなら問題ないだろうと太鼓判たいこばんをもらった。
 ただ、リリアンが仮登録冒険者なので気を付けるようにと注意された。
 ……一番弱いのは俺なんだけどね。一応「はい」とだけ頷いておく。
 カウンター奥の通路を突き当たりまで進み扉を開けると、土と岩で出来た半球状の大きな広場があった。
 露店も設置されているが、ギルドの営業時間より早いためか、まだ店員は見当たらない。
 冒険者ギルドローウェル支部出張所は、大きな山の切り立ったがけを背にして立っている。つまり、北のダンジョンはその山の地下にあるのだ。
 地底ダンジョンの多くは、ここのように山や森の洞窟などから発見される。
 少々ばらつきはあるが、階層数は大体五十から八十くらいが一般的。
 全二百階層などという超高難度のダンジョンもあるそうだが、俺達が挑む北のダンジョンはなんと全三十階層と平均以下。
 難易度が違う割に、テラダイナスへ行けるのは変わらないのだから、北のダンジョンが近くにあったのはある意味幸運だったと言える……まさか、これも主神様の恩恵だったりして。
 ちなみに未踏破みとうはダンジョンの階層数が分かるのは、そういうスキルがあるかららしい。
 ところで、冒険者達はなぜダンジョンへ向かうのか。
 俺達はテラダイナスへ行くためだが、一般の冒険者はそうじゃない――ダンジョンはもうかるのだ。
 ダンジョンの魔物は外界の魔物より強い傾向にあるが、その分素材は良質。
 また、ダンジョン特有の魔物が発見される場合もあり、そういう希少な魔物ほど武器や防具の素材としての価値が高かったりする。
 また、ダンジョンでは時折『宝箱』が見つかるそうだ。
 中には希少な武具や魔法道具、箱いっぱいの宝石など、それひとつでダンジョン攻略の収支が大黒字になるお宝が得られるんだとか。
 ただし注意しないと、宝箱の振りをして人間を襲うダンジョン特有の魔物『ミミック』かもしれない。なんでもミミックのふたには牙があり、伸ばした手をガブリと食い千切ってしまうとか。対冒険者専門みたいな魔物だな。
 十階層ごとに待ち構えているボス討伐に成功すると、その報酬としても宝箱を得ることができる。
 だから野心的な冒険者はボスを狙う。実力さえあれば、他の階層の魔物をちまちま倒すよりも余程儲かるのである。

「……そういえば、第十階層のボスは何だったっけ?」
「聞いてなかったのにゃ? ご主人さま」
「エメラルドだよ、お兄ちゃん」
「エメラルド?」
「シルバーエメラルドウルフです、ヒビキ様。以前私達が戦ったシルバーダイヤモンドウルフと同じ、ジュエルウルフ種に該当する魔物です。奴は金剛石の魔石を額に持っておりましたが、シルバーエメラルドウルフの額には翠玉すいぎょくの魔石が付いています。先ほどフラニカ殿が受付で説明していたはずですが……」
「まったく、つい先日ヴェネが華麗かれいに倒した魔物にゃよ? 忘れちゃダメにゃ」
「エメラルド……次は、負けないの」

 リリアンは拳を握り闘志を露わにしていた。その姿は愛くるしいとしか言えないけど。
 シルバーダイヤモンドウルフに襲われた時、深手を負った俺を連れて逃げるリリアン達に差し向けられた追手が、シルバーエメラルドウルフだったっけ。
『聖獣召喚』スキルで本来の姿に戻ったヴェネくんが消し飛ばしちゃったんだよね。
 それにしても、案外リリアンは根に持つんだな。まあ、殺されかけたんだから当然か。
 ――さて、そろそろ広場を抜けてダンジョンの入り口だ。最終確認でもしておこうかな。

【技能スキル『鑑定レベル5』を行使します】
【 名 前 】真名部響生
【 性 別 】男
【 年 齢 】17
【 種 族 】ヒト種
【 状 態 】健康
【 職 業 】鑑定士(仮)(レベル25)
【 レベル 】25
【 H P 】341/341
【 M P 】203/203
【 S P 】593/593
【物理攻撃力】156(+80)
【物理防御力】111(+120)
【魔法攻撃力】141(+160)
【魔法防御力】95(+60)
【 俊敏性 】271
【 知 力 】302
【 精神力 】482
【  運  】75
【固有スキル】『識者の眼レベル2』『チュートリアルレベル3』
【技能スキル】『鑑定レベル5』『辞書ディクショナリーレベル3』『世界地図ワールドマップレベル3』『翻訳レベル2』
       『魔導書グリモワールレベル2』『宝箱レベル0』『契約コントラクトレベル3』『医学書メディカルブックレベル2』
       『救済措置レベル2』『暗号解読レベル1』『精霊弓術レベル1』
       『自動書記レベル4』『魔法解析レベル1』『聖獣召喚レベル1』『医神の杖』
       『複製転写コピーアンドペーストレベル3』『安全地帯セーフティゾーンレベル1』『技能貸借スキルレンタルレベル2』
       『緊急退避エスケープレベル1』
【魔法スキル】『生活魔法レベル4』『火魔法レベル1』
【 称 号 】『異世界の漂流者』『メイズイーターからの生還者』『年上キラー』『一攫千金いっかくせんきん
       『救世主の主』『賢者の保護者』『デスマーチに耐えし者』『死の淵の生還者』

 ――うん、特に問題ないかな。新しく習得したスキルを試すのが楽しみだ。

「では今からダンジョンですが、全員、心の準備はいいですか?」
「俺は大丈夫だよ。リリアンは?」
「わたしも、いつでもいいよ。ね? ヴェネちゃん」
「にゃにゃ~、いざという時はヴェネに任せるにゃ!」

 クロードの問い掛けに、それぞれが気合を入れて答えた。クロードは俺達を一瞥いちべつするとしっかり頷き、入り口へ体を向けた。

「承知しました。では、参りましょう」
「「「おう!」」」

 さあ、テラダイナス目指して、ダンジョン攻略の始まりだ!
 こうして俺は北のダンジョン第一階層へと足を踏み入れた。

『サポちゃんより報告。神威しんい伝導率が十五パーセント減衰しました。サポちゃんより以上』

(あー、やっぱりそうなっちゃうよね~)

 ……サポちゃん? それに主神様も? 今何て言っ――。

「ヒビキ様、ダンジョンに入って早々うわの空になってはいけません」
「え? あ、ご、ごめん!」
「ダンジョンではちょっとした油断が命取りになります。お気を付けください」
「わ、分かった。気を付けるよ」

 とりあえず今はダンジョンに集中した方がよさそうだ。サポちゃんには後で聞いてみよう。


       ◆ ◆ ◆


「あー、やっぱりそうなっちゃうよね~」

 どこまでも真っ白な空間。黄金の装飾が施された玉座に座る金髪の青年が一人。
 健康的な褐色の肌を大きな一枚布で包む姿は……正直だらしない。
 十一人の神の一人、序列一位『神々の頂点 主神』は、その手に持つティーカップの水面みなもを眺めながら、眉尻を下げて苦笑していた。
 水面に映るのはダンジョンへ足を踏み入れようとする少年、真名部響生の後ろ姿。しかしそれも水面が揺らぎ、次第にその映像がかき消されてしまう。
 ダンジョンに入った瞬間、少年の姿を捉えづらくなった。予想はしていたが、いざそうなってみるとやはり心もとない。この分だと、繊細せんさいな固有スキルにも影響が――。

「何が『やっぱり』なのよ?」

 艶やかな漆黒の髪に切れ長の黒い瞳。スレンダーながら大人の女性の魅力に溢れる美女、序列四位『魔導の原初 魔神』が、主神の玉座の陰からそっと姿を見せた。

「魔神ちゃん? いつの間に現れたのさ? 夜這よばいなら夜にしてくれ・な・く・ちゃ♪」
「ふふふ、アイアンクローをお望み?」
「や、やだな~、ジョークだよ、ジョーク。だからね、右手をコキコキさせないで、ね?」

 ティーカップの水面がチャプチャプと揺れる。主神は笑みを浮かべたまま青ざめ、震えていた。
 顔を合わせるたびに繰り返されるやり取りに、魔神は諦観のため息をつく。

「もういいわよ。それで、『やっぱり』って何が?」
「あー、それ? いや~、例の子がダンジョンに行っちゃってねぇ」
「例の子って、うちのヴェネが世話をし……お世話になってる子のことよね。……食費とかあとで支払った方がいいのかしら? ――て、そうじゃないわ。あの子、どう見ても戦闘向きじゃないと思うんだけど? いくらあなたや私、医神ちゃんからスキルをもらったと言っても、あのステータスではダンジョンなんて危ないと思うわよ? どうして止めないのよ?」
「お兄さんは、弱っちいあの子が死ぬのがあまりに可哀相だから、死なないように助けてあげてるだけさ。あの子の行動を制限するつもりも、過剰に誘導するつもりもないよ」
「ふーん、まあ、いいわ。それにしても、わざわざ危険なダンジョンに行くなんて、何しに行ったのかしら? 冒険者として名を上げようって感じの子じゃなかったと思うんだけど……」
「ダンジョンを攻略して、地底都市に住む賢者に、元の世界に帰る方法を教えてもらうんだってさ」
「…………は?」

 魔神の表情がこおり付く。『こいつは何を言っているんだ』と言わんばかりに。

「あなた……何を言ってるの?」
「本人達がそう言ってたんだよ」
「だから、どうして止めなかったのよ! どうしてそんな……無駄なことをさせるのよ?」
「言ったでしょ? お兄さんはね、あの子を死なせるつもりもない代わりに、意のままに操るつもりもないんだよ。……そんなの、楽しい人生とは言えないでしょ?」
「それでも、あなたは分かってるはずよ……賢者が元の世界に戻る方法なんて知らないことを。異世界人が元の世界に帰る方法なんて、存在しないって事実を」
「いいじゃないか。いろいろ試して失敗して、それでも諦めずに目標に向かって邁進まいしんする。実に有意義で充実した人生だと思わないかい?」

 いぶかしむ魔神を他所に、主神は特に気にした様子もなくティーカップを口元に寄せた。

「それで、魔神ちゃんは何の用で来たわけ?」

 どこまでもマイペースな主神に、魔神はあきれた。そして、やり返すような満面の笑みを見せる。

「……医神ちゃんからお茶会に呼ばれてね。せっかくだから、たまには誘ってあげようかと思ってたんだけど、お一人様のお茶会で満足してるみたいだから必要なさそうね。じゃあね」
「えっ! ちょ、誘ってよ! 行くよ、お兄さんも行くってばあああああああ!」

 叫ぶ主神だったが、魔神は一切応じず、きびすを返して主神の領域から去っていった。
 主神はがっくりと肩を落としたが、すぐに顔を上げる。

「も~、魔神ちゃんってば勝手なんだから~」

 不貞腐ふてくされたように言い、玉座に深く腰掛け、再びティーカップを覗き込む。
 だが、そこには自身の顔が映るだけだった。

「……『元の世界に戻る方法は存在しない』か。そうだね、少なくとも、の中には存在しないだろうね」

 主神は胸に手を当て意識を集中させた――そして、安堵の息をつく。

「ダンジョンに入って姿を見失った。でも気配は探れる。声も届けにくくなった。でも完全に途切れたわけじゃない。何より……お兄さんとの『繋がり』は消えていない。『加護』も大丈夫だ。魔神ちゃんの様子を見る限り、ダンジョンの中でも『加護』は正常に機能している。なら、なんとかなるでしょ……なるかな?」

 主神はティーカップに口をつけた。

「……美味しい、けど……うん、やっぱり医神ちゃんのお茶会に誘ってもらおう。一人で飲むより、みんなで飲んだ方が美味しいに決まってる」

 少し冷めてしまった紅茶を堪能しながら、主神は真っ白な空を見上げた。
 神とて完璧ではない。どんなに策を講じようと、不測の事態は起きてしまう。
 現に真名部響生はこの世界に来てしまったし、ちょっと目を離した隙に死にかけたりもした。それでもダンジョンを攻略してもらわなければならない。元の世界へ帰るために。

「――よし! とりあえず心配するのは一旦終わり! 医神ちゃーん、お茶会に誘って~♪」

 主神は玉座から立ち上がり、数歩前に出て、真っ白な空間から姿を消した。
 直後、甲高い女性の悲鳴と男性の断末魔の叫び声が、神域中に響き渡る。

「だから、アイアンクローはやめてええええええええええええええええええええええ!」

 それを聞いた神域の住人はこう思う――本日も神域は平和なり、と。


       ◆ ◆ ◆
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