終に至る幸福

柘榴

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第5話 DEAD END

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 翌日、昨日の事もあって美山さんとは顔も会せ辛く、授業が終わってすぐに下校しようとした。
「あ……」
 しかし、考えていることは向こうも同じだった。
 昇降口付近で見覚えのある顔と遭遇する。
「せっかくだし、帰りましょうよ。別に今日は襲ったりしないですし」
 美山の表情は一瞬だけ曇ったが、すぐに僕の手を取って歩き始めた。

 道中は無言だった。ただ、僕は美山に手を引かれながら歩いている光景は異様だ。
 河川敷の橋下を通る途中、僕は黙って手を引かれることが恥ずかしくなり口を開いた。
「……その、昨日の火傷とか大丈夫?」
「大丈夫ですよ。そんな目立つわけでもないですし」
 あっけなく返答された。美山は本当に気にしていないようだ。
「けど……女の子に一生残る痕を残すなんて」
 僕としてはこの言葉に大した意味は無かった。
 すると、美山は橋下で足を止めて振り返る。
 言われた側の美山は……顔を赤く染め、涙を浮かべていた。
「もう……やめてください」
「え?」
「そうやって、私をこれ以上惑わせないでください」
 美山は半泣きになりながら僕の手を放す。
「えっ……美山さん?」
「……私、これ以上先輩には協力できません。先輩を……殺せません」
「な、なんで!?」
 僕は突然の言葉につい大声を出してしまう。
「分かりませんか? 先輩のせいだっていうのに」
「ぼ、僕が悪いなら修正する! だから……だから」
 身に覚えがない。僕が何か美山にしたこと。
 ……昨日のこと? だが、火傷を気にしているようには見えない。
「……無理ですよ。もう、取り返しのつかない段階まで進んでる」
「一体、何が……さ、殺人の要望なら何だって答える! 痛くても、苦しくても、どんなに惨かろうと僕は、僕は……」
「だから、違うんです」
 美山は涙を拭い、悲しそうな表情で夕焼けを見つめる。
「もう、先輩を……殺したくないって、私が思うようになった」
 夕焼けに染まった美山の顔は、赤く染まっていた。
「最初、私と先輩は雇用、契約上の関係だった。殺す側と殺される側、私の欲望を満たすため、先輩が肉体を私に預けるという。契約の利害は一致していたし、何の問題も無かった。何の……」
「なら、どうして」
「先輩が、先輩が私を人間にしてくれたからですよ。ただ殺戮に憧れるだけの獣だった私を……人間に作り替えたのは……あなたです」
 出会った時の美山の言葉を思い出す。自分は異常者から生まれた異常者であると。
 花壇の虫を一心不乱に虫を踏み殺す彼女は、確かに人間とは程遠いものだった。
「私にとって先輩はただの肉塊だった。いくら乱暴に扱っても壊れない都合の良い玩具だった。けど……その玩具には感情があった、心があった……優しさがあった。それは私にまで及ぶくらいに大きくて、温かいものだった」
 虫には感情は無い。けど、僕にはそれがあった。
 美山は、殺人を通じることで初めて人間の感情に触れた。
「先輩は、私にとって初めての契約者でもあり理解者だった。私の正体を知って、尚且つ私に向き合ってくれたのは……あなた以外いなかった」
 異常な彼女の周りには誰一人として理解者は居なかった。
 そして、それを理解できるのは……異常者同士。
「それは……異常同士だから」
「ええ、きっと。今後はもう2度こんな相棒には出会えないでしょう。だから、だから……あなたを殺したくない、失いたくないと感じ始める私が生まれてしまった」
 彼女は僕と出会ってから少しずつ人間らしくなっていたのは確かだ。
 殺人を重ねることで人間味を増すなんて、皮肉な話だと思う。
「先輩、もう少しだけ……生きてみませんか? あなたの人生を歩めとは言いません、私の人生の中で……あともう少しだけ生きてみませんか?」
「美山さん……」
 美山はもう一度僕の手を取り、優しく握る。
 このまま、ずっと手を繋いでいたいと思えるくらいに彼女の温度は心地よかった。
 心の底から湧き上がる何か、それを僕が感じた時に頬の傷から何かが零れ落ちた。
「……先輩、血が」
「……はは、そうか。そういう事だったんだね、母さん」
 傷から溢れ出る鮮血を美山が心配そうに見つめる。
 しかし傷口から血は溢れ続ける。
「確かに、美山さんとこの狂った日常を生き続けるっていうのも悪くないかもね。出会って間もないけど、僕の人生の中で誰かと生きてみたいと思えたのは……今日が初めてかもしれない」
「じゃあ……!」
「でも、それはできないみたいなんだ」
 僕は優しく美山の手を放した。
 すると頬の傷口からは血が止まる。固まった血が瘡蓋になり、やがてその瘡蓋も風と共に吹き飛んでしまう。
「先……輩」
 頬の傷は癒えた。それと共に僕の身体の自壊が始まる。
 口、目、鼻……あらゆる場所から血が流れ出し、身体中に過去の傷跡が浮かび上がる。
 そして、その傷口から徐々に腐敗が始まる。
「僕の心はそうでも、身体の方は……もう、死を望んでる」
 もしかしたら、僕の身体はとっくに死んでいたのかもしれない。
 ただ、心が……母さんがそれを食い止めていた。
「美山さん、君のおかげで答えを知ることができた……この母さんの呪いのね。これは、確かに僕1人じゃ永遠に埋めることのできない傷跡だった」
 美山は突然の事に茫然と立ち尽くしていたが、僕は話を続ける。
「絆だよ。母さんは、人生の中でこの傷跡を……僕が誰かとの間に築き上げた絆で埋めることを最期の呪い……いや、願いとして僕に授けた」
「絆……?」
 美山は初めて聞いた言葉の様に、確かめるかのように呟いた。
「恋愛でも、友情でもいい……僕らの絆は何て表現すべきかは分からないけれど……きっと、そんなものよりずっと深い何かで繋がっていたからこそ、この傷跡は癒えた」
 僕の身体はもう限界を迎え、立っていることすらできなくなってきた。
 足の肉は既に腐り落ち、僅かに骨が残るばかりだった。
「そんな、やっと理解してくれる人が出来て……なのに、なのに……もう会えないだなんて」
「ごめん……けど、もう止められない。僕は……やっと、君のおかげで死ぬことが許される」
 もう立っていることが出来ず、美山の胸の中に抱きかかえられる形になる。
 血の膜で覆われた視界には、美山の半泣き、半笑いの顔が映った。
「本当に、逝ってしまうんですね。けど、笑うべきですかね。やっと……やっと、楽になれるんだから」
 美山は無理をしているのか、満面の笑みを浮かべた。
「ただ、生きることが誰にとっても正しいわけじゃない。死ぬことが、先輩にとっては正しい……ただ、それだけの話……」
 そう、僕にとっては死が救いだった。
 けれど、彼女と出会い、ほんの少しだけ生きる事に楽しさを見出すことができた。
 僕は……きっと彼女が殺しを喜ぶ姿を自然に楽しみにしていたんだと思う。
「……今日まで、短い間だったけど本当にありがとう。巻き込んでしまってごめん。君は……目的はどうあれ僕のために人殺しになってくれた。それはきっと君にしかできなかった」
「……今日まで、ありがとうございました。いっぱい痛い思い、苦しい思いさせて……ごめんなさい。けど、私はそれを快感とする両親と同じ異常者です。だからこそ、先輩との絆も芽生えたのかもしれないですけど」
 これから死ぬというのに、案外あっさりとした挨拶だった。
 それは、僕や美山にとって死がネガティブな意味だけのものじゃないから。
「最期にこれだけは言える。君は両親と同じ異常者なんかじゃない。だって、今こうして人間として涙を流している」
「うれし涙です……っ、やっと先輩が死んでくれるから」
 死は、別れでもあるけれど、新たな世界への旅立ちでもある。
「ありがとう、美山さん……」
 異常も悪くないけど、次は普通の人生を送ってみたいなと少し思った。
「……」
 僕はこうして、最高の死を迎えることができた。
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みんなの感想(2件)

天倉永久
2022.03.13 天倉永久

美山さんの両親とは?

解除
堅他不願(かたほかふがん)

 いびつな凸凹がぴたり噛み合った瞬間がああした結末になるとは、恐怖だけで終わらない大事な題材も抱えた秀作であります。

解除

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