終に至る幸福

柘榴

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第1話 僕と彼女の殺人契約

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 ―10年前のあの日、僕は母に呪われた。

『雄二、生きたい?』
 目の前で、血塗れの母が僕に問う
『生きたい……死にたくない』
『そう……なら、連れて行けないわね』
 母は手に持った包丁を見つめながら、涙を流した。
 再婚相手の父と、その連れ後の幼い娘を切り刻んだ血塗れの刃に涙が滲む。
『雄二、あなたには辛い思いをさせた。だから、これからの人生はせめて……満足のいくものにしてほしいの』
 そう言って母は僕の頬に刃を突き立てる。
『……痛』
 僕の頬に、血が流れる。
『この傷を癒すまで、あなたは死なない。死ねない』
『どうしたら、癒えるの?』
『それは、あなたが人生の中で見つける答え。だから……』
 最後に母は僕を思い切り抱きしめた。血の匂いと、母の匂いがした。
『生きなさい』
 それが母の最期の言葉だった。母はそのまま自分の首に刃を突き刺し、命を絶った。

―現在、深夜のオフィス街。
「っぐ……!」
 目を覚ますと共に、頭が割れるような激痛を感じる。
 いや、実際に割れていたのだろう。目の前には大きな血だまりができていた。
「……また、駄目だったか」
 僕は目の前にそびえ立つ高層ビルを見上げる。
「……また、死ねなかった」
 そう、僕は確かにこのビルから飛び降りて地面に直撃した。
 頭が割れて、手足が粉々になった記憶も鮮明だ。
 けれど、僕は死んでいない。生きている。
「母さん、僕には何が足りないんだ。教えてくれよ……もう、疲れた」
 僕は、あの日からずっと自殺を試みてきた。
 けれど、死ねなかった。首を吊っても、飛び降りても、身体がバラバラになろうとあの日の母の呪いが僕を死なせてくれない。
 僕は、ずっと自分が死ぬ術を探すためだけに生きているのだ。

 翌日、僕は頭の頭痛に耐えながら学校で昼休みを迎えていた。
 死ぬことはできなくても、痛覚ははっきりと残っている。
「死にたい……」
 僕の日頃からの口癖。そんな口癖のせいか、友人の1人もいない。
「……僕をどうして、連れて行ってくれなかったんだ、母さん」
 あの日、僕は生きたいと答えた。けれど、それは間違えだった。
 あの日以来、人生を楽しいと思えたことが無い。家族もいなければ友人もいない人生の何が楽しい?
 けれど、死ねない。死ぬことが叶わない。
 まさにそれは呪いだった。
 そして今日も無駄に生き永らえる事を繰り返す……そんなことを考えながら、僕は教室から中庭の方に目をやる。
 すると、1人の女子生徒が花壇で激しく、狂ったように足踏みを繰り返していた。
 その光景は異様で、周りの人間も近づこうとはしていなかった。
「えいっ……えい」
 女子生徒は掛け声とともに一心不乱に足を踏み下ろし続ける。
 なにをしているんだろう。見たことのない顔だったが、少し気になった。
「うわ、あれ噂の……」
「1年の美山? あいつマジで頭狂ってるから、関わらないほうがいいぞ」
 隣の席で談笑していた生徒がその様子に気付き、怪訝そうな表情で言った。
 有名な生徒なのか、友人がいないとそんな情報にも疎い。
 友人のいない僕には、直接本人に聞きに行く以外に真相を確かめる術は無かった。

「……何を、しているの?」
 僕は中庭まで足を運び、美山という生徒に話しかける。
「……殺し。見て分かりません?」
 踏み荒らされた土の上には、確かに何匹もの蟻や蟲の潰れた死骸が転がっていた。
「えーっと、なんで」
「生命を奪う瞬間が快感だから! 自分が相手の存在全てを支配したような……そんな感覚、先輩には分かりますかね?」
 美山はニカっと笑った。
「……いや」
「ええ、分からなくて結構です。それとも説教しますか? 命を粗末に扱うなって」
「いや……」
 美山は呆れた様子で足踏みを再開する。
 何度もそんなようなことを言われ続けてきたのだろう、けど僕はそんなつもりは毛頭なかった。
「ならなんです? 昼休み中にあと30匹は殺さなきゃいけないんですよ。できればこんなしょぼい虫じゃなくて生身の人間が望ましいんですけどね」
「……羨ましいと思ったんだ、死ぬことができるこの虫たちが」
「は?」
 美山は足踏みを止め、僕の方を驚いた表情で見つめる。
「君に、頼みたいことがある」
 僕は美山の肩を掴み、顔を近づけて本題を切り出した。
「僕が死ぬまで、僕を殺し続けてくれないか?」
 僕の突然の頼みに、美山はフリーズしたまま昼休みを終えた。

 放課後、僕は美山を学校付近のファミレスへと呼び出した。
「で、どういう意味なんですか?」
「そのままの意味だ。僕を殺してほしい」
 美山はまだ僕の不死を信じていないようだ。
 当然と言えば当然だが。
「……死にたいなら、自殺じゃダメなんですか~」
 美山は僕の話を悪ふざけか悪戯の類だと思っているんだろう。
 視線を逸らしながらジュースに口をつける。
「死ねないんだ」
「はぁ……」
「僕は自分出来る範囲の事はほとんどやり切ったつもりだ。けれど、死ねなかった。首を吊ろうが、ビルから飛び降りようが、身体がバラバラになろうが翌日には何事も無かったかの様に僕は……生きている」
「先輩、不死の呪いでもかけられてんじゃないですかー?」
 美山は僕を小馬鹿にしたように吐き捨てた。
 まぁ、こんな話をいきなり信じろという方がおかしい。
「ああ、その通りだ。僕は実の母に呪われた」
「……はい?」
 美山は僕の予想外の返答に素っ頓狂な声を上げた。
 僕は10年前のある日の出来事の詳細を美山に事細かく説明した。
 母の再婚相手がロクデなしのDV男で、それに耐えかねた母が父とその連れ子と無理心中を図ったこと。
 そして、母は死ぬ直前に僕に不死の呪いをかけたこと。
 その傷を僕の人生の中で癒すことができて初めて、僕は死ねることを。
 それができす、今日まで生き永らえていること。
 ……説明を終えると、美山はため息をついてまたストローを吸い始める。
「……んで、仮にその話が事実だとして……その頬の傷はどうすれば癒えるんです?」
「分からない……けど、きっと僕1人じゃ癒すことはできないんだと思う。1人でやれることのほとんどは試したつもりだから」
 僕は無意識に頬の傷に指を伸ばしていた。
 今までの人生、ずっと1人で過ごしてきた。けれど傷は癒えなかった。
 つまり、僕1人の力じゃこの傷は癒えない。誰かの協力が必要だ。
「それで、私に協力しろってことですか?」
「君にとっても悪い話じゃない。僕は死にたい、君は殺したい。利害は一致してる」
「けど……虫と人じゃ勝手が違います。確かに殺したいけど、刑務所には入りたくないですし」
 美山は目を伏せた。
 一応はそういう感覚あることに安心した。
「ああ、人を殺せば殺人……犯罪者だ。けれど問題無い、万一僕が死んだ場合は発覚しないような準備もしてある」
 僕が万一死んだ場合、どのようにして証拠や死体の隠滅を行うかも説明した。
 死体の処理は専門家に委託するつもりだ。死体さえ発見されなければ殺人は立件できない。
「どうだい? そもそも僕が最終的に死ななければ殺人にすらならない」
 一通りの説明を終えた時、美山の表情は大きく変わっていた。
 目には生気が宿り、表情も以前に比べて柔らかく、豊かになっている。
 合法的に、そして何度も生身の人間を殺せる。美山にとってはこれ以上に美味しい話は無い。
「確かに……先輩がいれば私は永遠にこの欲求を満たせることになる……」
 今まで虫で発散して欲望を、今度は生身の人間で発散できる。しかも、何度でも。
 それに、僕の計画通りに進めば逮捕される危険性も無い。
 美山の殺戮衝動を満たすには、最高の物件が僕だ。
「……後で死にたくないって喚くのは、無しですよ? 先輩?」
 美山は満面の笑みを浮かべながら手を差し出してきた。
 その笑顔には、もう僕への疑いの色は無かった。
「ああ」
 僕はそれを握り返し、確かに僕と彼女の殺人契約は結ばれた。

 駅までの帰り道、僕と美山は言葉を交わしながら歩いた。
「美山さんはその、殺しに目覚めるきっかけとかあったの?」
「……」
 美山は黙って道の先を見つめるだけだった。
「ああ、ごめん。言いたくないなら」
「……笑顔の理由が、知りたかったんです」
「え?」
 今にも消え入りそうな声で、美山が呟いた。
「うちの両親すっごく仲が悪かったんです。顔を合わせればすぐに喧嘩し始めるような。けど、その2人が嘘みたいに仲良くなる時があったんですよ」
 暗くて顔は良く見えなかったけど、美山は悲しそうな表情だったと思う。
「私を殴るときだけ。私を痛めつけて、泣き叫ぶ娘を見ている時だけあの2人は幸せそうに笑ってたんです」
「虐待……されてたんだ」
 美山は黙って頷いた。
「その時、私は思いました。何でこの2人は笑っているんだろうと。私はそれを知りたくなって……」
「だから、虫を……」
 美山が一心不乱に虫を踏み殺す姿が頭に蘇る。
 確かにあの時の彼女は……笑っていた。
「でもやっぱり蛙の子は蛙でした。私も、楽しくて、幸せなんです。他者の存在を踏み潰す事が」
 美山は笑っていた。けれど、どこか悲しそうで諦めた様な表情だった。
「へへ、お互いロクでもない親元に生まれたみたいですね。先輩」
 彼女はそう言って、駅の方へ走り去ってしまった。
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