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政夜之書
1.出会った時の俺と君―前編―
しおりを挟む施設の帰り道「政夜さん」と突然、声が掛かる。もちろん声の主はこれから俺と共に暮らす事になる他の鬼の元伴侶。
その不安気な声に「どうした?」と聞けば、自信の無さそうな声で「本当に僕で良いの?」と返ってきた。
俺にとってその質問は愚問なんだけどな…と思いつつ「その為に何回もマッチングしたんだけど?」と返しておく。
それと同時にこちらも不安になる。正式な手続きをしていたとはいえ毎回、会いに行っていたのが鬱陶しかったのか?とか仕方がなく番う事を了承してくれたのか?など…考え出したらきりがない。
「………嫌なら断っても良かったんだよ?俺が諦められるのかは別として…だけどね…」と言って頭を撫でると顔を真っ赤にして俯いてしまった。
この可愛い反応に襲ってほしいのだろうか…と誤解しそうになる。
まぁそんな事をしてしまえば二度と心を開いてはくれないだろう事は分かっているので撫でるだけに止まっているのだが…
この子を幸せにしたいし、この子にとっての初夜は地獄だっただろうから特に大切にして愛したい…そう思っている。
思い返せば、この子との出会いは衝撃的なものだった―…それはもういろいろな意味で…
★
週末には帰省するが、上層の居住区以外に拠点となる部屋を借りている。
賃貸契約で部屋を借り、普段はそこで暮らしている。
しかも、この賃貸の部屋は紅輝―…父さんが所有している物件の中から選んで借りている。
とは言っても飯を食って会社へ行くと、後は風呂に入って寝て起きるだけの作業しかしてないので、休日と夜以外は殆んど居ないんだけどね…
昇格し、部長クラスになり、それなりに忙しく充実した日々を送っていたそんなある日だった。この子を見つけたのは―…
その日はいつも通り母さんから電話があった。珍しく会社の部下以外で着信がきていたが、落ち着いてから確認する事にして、母さんからの電話を優先した。
内容はしっかり食べているか?しっかり寝て疲れを取っているかなど、暑い日には熱中症、寒い日には風邪などに気をつけるように言ってくるが…
母さんの心配は杞憂だ。鬼の場合、風邪は気だるいな程度で1日経てば直るし、余程の事がない限り重症化しない。熱中症も然りである。
寧ろ母さんの方が心配だ。鬼より身体は弱いし、何より父さんにムリさせられていないか…など思うところは多々ある。
風邪は父さんが気を付けているから問題ないだろうが…別の意味で大体ベッドの住民化している。
まぁ、本人も照れはするが嫌がってないので『あ~またか』となるのが俺たち兄弟の中では通例となりつつある。
それはさておき、基本的には離れて暮らしているので心配らしく、1日の決まった時間にかかってくるようになった。母さんの事だから離れている弟たちにも電話をしているのだろう…
逆に父さんからは全くない…いや、寧ろあったら何事かと勘繰ってしまうから無いほうが有難いんだけど…
俺の誕生日の日とかは思い出したかのようにかけてくるんだけどね…
その母さんからの電話の後、夕飯でも作るかと冷蔵庫を開けると、ものの見事に空だった。
仕方なく近くのスーパーに買い物へ行くために駐車場へ行った時だった。
治安は良い方だと思っていたが―…と眉間に皺が寄るのがわかる。
普通の人間なら恐らく聞き取れないだろう物音…しかし、生憎、こちらは鬼…しっかりと聞こえた。
押さえ付けられているのかは分からないが、誰かの悲痛な叫びは当然ながら俺以外には聞こえていないらしい…
放っておいても良かったが、声音からして男のΩといったところだろう。
俺の母が男のΩだという事もあるので、状況に応じて助けようと心に決めて念のため気配を消し、声の方へ近づいてみると―…
もう、強姦のテンプレとしか言いようがないような場所…使われていないだろう倉庫へと辿り着く。
そして、先ほどよりも鮮明に聞こえてくる「やめて」という悲痛な叫び声…それから下品な複数人の声に不快感が増しイラつきが生まれる。
気を取り直して状況を把握しようと中を覗き込む。
そこには両手両足を押さえつけられ、男のモノを突っ込まれて悲鳴を上げている少年がいた。
あぁ、鬼の伴侶だ。下層の鬼か。と理解した。
それと同時にどうにも様子がおかしい事に気づく…
助けるはずの庇護鬼がいないのだ。
しかも、状況からして合意の上でもなさそうだ。
さらに目を凝らしてみると、噛み跡だけで紋章はない。
伴侶の中でも嫁の方らしい事が分かった。
「やめてぇっ…」と絶叫して泣いているが下層の鬼どもは品の欠片もなく罵倒し、嘲笑い少年を乱暴にひっくり返して後ろから挿入しようとした。
そこまで、だった。そこで俺の中で何かがキレた。
一瞬だった。結構な鈍い音を立てて鬼が崩れ落ちたのは…
挿れようとした鬼は先ず最初に俺が地に沈めたので挿入なんて出来なかったんだけど…
少年は何が起きたのか分からないような顔をして俺を見ると、コイツらの仲間だとでも思ったのか、取り乱して「来ないで」とか「いやー!」などと泣き叫んで錯乱している。
羽織っていた上着を脱ぎ、その少年の身体を隠して「大丈夫だから」と言って背中を擦ってやると少年は恐怖からなのかは分からないが震えながら気絶した。
痛ましい状態である…
少年の様子を見つつ慎重に抱き上げると思っていたよりも凄く軽い…その事実に内心舌打ちをして下層の鬼どもに向き直った。
この鬼どもはどちらが上かをしっかりと理解しているらしい…膝から崩れ落ち、血の気が引いた顔をしてこちらを見上げている。
「お前らは庇護鬼か?」と問う。
その怒りで震えている。
俺の声を聞き、さらに血の気をなくす鬼たちの様子に…どうやら正解らしいと確信した。
「この子の鬼は?」
さらに低い声で立て続けにそう問うと息を飲んで首を振る。『俺じゃない』という意思表示らしい。
ここには居ないという事か?と思い視線を走らせるとバチリと目があった鬼がいた…
この鬼は先ほど突っ込んでいた奴とは別に、華奢な身体を無情にも押さえつけて罵倒していた鬼だ。
不自然に視線が游いでいることからコイツが、この子に噛み跡を残した鬼なのだと推測できた。
胸ぐらをつかんで、引き倒すと、この子がされていたよりも強いであろう力で押さえ付けた後、踏みつけて詰問した。
聞けばこの子の発情にあてられており、気づけば噛んでいたのだと…俺は被害者だと宣う。
睨め付けると黙りこんで震えている。
しかし、この鬼の庇護鬼だろう鬼の数名かは失禁した。
相当、恐ろしかったらしい。耐えられなかったようだ。汚い奴らだ。
どこぞの鬼の所業で『神木』が動く事態となり、鬼の規則も少し変わったのだと聞いた。
こういう下衆に対する規則が増えた。
上層や下層に拘わらず、全ての鬼に対してではあるが、発情にあてられた場合、適切に対処できるように、そのΩを襲わないよう訓練を受ける事が義務づけられている。
もしそれを破ったら処罰がある。
さらに締め上げそうになっていた所に「は~い、そこまで~」という間の抜けた声がした。
倉庫の入口から堂々と現れたのは俺の弟の1人である三男の義輝だ。
「これ以上は兄さんの立場が悪くなるからねぇ…君たちを助けたわけじゃないから―…勘違いしないでね?」と言ってニッコリとそれはもう良い笑顔を向けた。
腰を抜かして完全に立てなくなっている事を確認して義輝を見やると、困ったような表情を浮かべて口を開いた。
「ほ~ら、そんな怖い顔してたらこの子が起きた時に怖がっちゃうでしょ?」笑顔、笑顔。なんて言って喰えない笑みを浮かべている。
俺の様子を観察しつつ、襲ってこない事を確認してから手袋を履いてサッと腕の中にいる少年を診察していく。
普段がアレでもこういう時に『あ~そういえば医師だったな』と思う。
「ふむ。骨に異常はなし…臓器にも異常は―…うん。見られないね!でも、孔の入口が傷ついているね…塗り薬も必要かな…首の噛み跡はついさっき付けられているようだし、消毒して化膿止めの薬を処方しておくから…熱が出たら解熱剤も飲ませてあげてね。抑制剤と化膿止めは一緒に服用してくれても大丈夫だけど、解熱剤は6時間は時間をあけてから飲ませてあげてね~。番なら6時間もあけなくて大丈夫だけど、この子嫁みたいだから念のためだよ?」
「わかった。」
「今、応急措置で噛み跡に消毒はしておくけど、早めに身体を清めてあげてね。それから、この軟膏を孔の傷ついている部分に塗ってね。噛み跡の所は包帯を巻いて薬で様子を見てくれる?」
「わかった。」
「それと、重ね重ねになるけど―…この鬼たちは俺に任せてくれる?」
などと言いながら手際よく噛み跡に消毒を施し、鞄の中を漁り幾つかの錠剤やら軟膏を取り出すとポリ袋に次々と入れていき必要な情報をペンで書き記し俺の手に持たせた。
「でも―…」
「珍しい事に今、冷静さを欠いてるでしょ?今後の処分とかどうなったかはまた連絡するから」
「……………わかった。」
「ま、気になってる事もあるんだろうけど…それも後で答えてあげるから…俺が答える必要もないと思うけどね~」
と言われて薬を持たされ半ばムリヤリ送り出された。
★
言われた通り早めに身体を清めてあげようと思い慎重に抱っこしている位置を調節し、身体にこれ以上負担がかからないようにして歩き出す。
マンションへ戻りエレベーターホールへ向かうと、そこに義輝の双子の兄である樹輝が紙袋を持って立って居た。
「部屋に行っても?」
「用事?」
「あ~うん。そんなところ…」
樹輝の口振りからこの子に関する事だろうという事が予想できる…
頷き返して樹輝が後ろからついてきているのを確認してからエレベーターに乗り込み、部屋のある階のボタンを押す。
エレベーターの電子音と共に扉が開くと降り、迷うことなく部屋へと続く廊下を歩いた。
部屋の施錠を解除すると先に樹輝を入れる。
用件は聞くが、後だ。先ずはこの子の身体を綺麗にする。樹輝はそれに異論はないらしく浴室へ押し込まれた。
あの鬼どもの噛み跡以外の痕跡を全て消し去るように丁寧に洗い流し、出来るだけ優しく身体を拭き、傷口に薬を塗り無惨に破かれた服は捨てて、大きいが俺の服を着せてやる。
下着は樹輝が持っていた紙袋になぜか入っていた物を貰って履かせた。
サイズは少し大きめだったので少し安心した。ピッタリだったら笑えない…
全ての処置を施した俺は意識を失ったままの少年を寝室へと運びベッドに寝かせ掛け布団を掛けると樹輝を待たせているリビングへ向かった。
「少しは冷静になったみたいだな」
「ん~まぁ、そうだね。聞きたい事はいろいろとあるんだけど?」
「あ~…兄貴には一応連絡してたんだけど…折り返しの電話もなかったから義輝と話し合って直接来たんだ」
その口振りからあの着信は樹輝もしくは義輝からだったらしいと知る。
「いつもの番号じゃないのは?」
「あー…仕事用のヤツだから」
「ふーん。そっか、あの着信は樹輝からだったんだね。」
「うん。このマンションに着いたときタイミングよく兄貴が出てきてくれたから近づこうとしたわけ…
そしたら、珍しくこっちに気づきもせずに歩き始めて、いつもと様子が違ったからマンションに1人が残り、もう1人は兄貴を尾行する事にした。
まぁ、あの少年の詳細は義輝が電話で生実況してくれていたから大体の事は分かる。
電話の内容から着替えが要る事も分かったけどサイズまでは分からなかったから…無難な下着だけを購入しておいたわけ…」
「ふーん。偶然、ね……なら、本来の用件は?」と聞くと呆れたような落胆した声音で「マジか、自覚なし…かよ…」と呟く…
何の事だと首を傾げると「何でもない」と苦笑いで返される。
そして、いつもの表情に変わった樹輝は口を開いた。
「兄貴が責任者だろ?あのプロジェクト」
「あ~…樹輝が契約した会社との共同プロジェクトの事?」
「うん。それ…先鋒じゃ話にならないから直接、話を詰めようと思って…あのプロジェクトって義輝が居る病院とも連携とってるし…」
「そうだったね。義輝はかなり乗り気だったと記憶してるけど?」
「そうだったな。嫌な予感しかしないけど今は見守っとくわ」
そう、何か巡り巡って気がつけば兄弟3人が同じプロジェクトメンバーの中に居た。
俺の会社は人間の会社ではあるが、鬼寄りの会社。後の2人に関してはガッツリ鬼関係の社会に居る。
このプロジェクトも鬼関係であり、番に関係してくる事で、さらに応用を利かせれば合法ギリギリの事まで出来てしまうかもしれないという錠剤の開発…
使い方によっては違法にならなくもない…
その人体実験に近いようなソレに乗り気はしなかったが…上の命令なので、一社員の俺がどうこう言う権利もない。
「けど、今はそれどころじゃなくなったみたいだから―…帰るわ。義輝に適当に食材買ってくるように言ってあるから、届けてくれると思う。」
「何で分かったの?俺が買い物行こうとしてたって…」
「あ~、兄貴たちが風呂に入ってる間に冷蔵庫開けたら空だったから…」
我が家の如く好き勝手にするのは誰の血なのか…まぁ、いつもの事だから今さら怒りとかはわいてこなかった。
「はぁ…そうだよね…」そういう子たちだよね。と溜め息が出た。
★
あの後、樹輝が言っていた通り義輝は買い物袋を持って俺の部屋に現れた。
樹輝は俺の部屋を出た後、さらにこの部屋であった事の顛末を義輝に話していたようで特に何かを言う事もなく、俺が頼んだ通りに、これからこの子に必要になるであろう書類一式を揃えて持ってきていた。
書類を手渡してくるときに「樹輝の言った通りだね…まさか、ここまでとは…」なんて溜め息混じりに一言付け加えられた。言われた意味が分からず首を傾げると、さらに盛大に溜め息をついてあの鬼たちの事を話し始める。
聞けば、強姦していたあの鬼たちは更正施設へと入れられる事となり、数十年は出てこないらしい。
噛み跡を残した鬼は去勢され、上層部の監視のもと暮らす事になり死ぬまで自由は無い、という事らしい。
この決定には義輝が絡んでいるようだった。
自分が思っていたよりもかなり重い処罰だったので疑問に思い、問い詰めると「兄さん的配慮と神木的配慮が加わった」との事…
「俺的配慮?」と聞き返せば、驚き呆れた雰囲気を隠しもせず「兄さん…それマジで聞いてるの?ある意味、当然の結果だと思うけど?これは―…ヤバいね…うん、ヤバい。薬を服用しているとはいえ―…これは無いね」と言いながら半目で見られたのは記憶に新しい…
その他にはこの子の事も鬼の事もどんな生活をして、どう育ってきたなど、この短時間で難なく詳細に調べてきたようで流石としか言いようがない…
その後は大変だった。あんな事があったんだ仕方ないとは思う…が、である。
錯乱して手当たり次第に物を投げ付けられたのは困ったが…俺は難なく避けれるし大丈夫なんだが…枕元にあった目覚まし時計が飛んだ時は思わず掴んだ。
誕生日プレゼントに貰った物だからだ…
このままではヤバいと思い、少々強引ではあったが近づいて抱き締めるとおさまったのには思いの外ビックリした。
最初からこうすれば良かったと思ったほどである…
何はともあれ、この子に今後の事を話し、施設への入居手続きが完了するまでの間、俺の部屋で面倒を見る事になったのだった。
*
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