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あきらめようとは思わないんだな
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夕方の生徒会室の窓は半分ほど開かれており、絶え間なく心地よい風が入ってくる。ひらりと一枚、文化祭の模擬店や舞台の使用承諾書を取りまとめた用紙が風に乗って床に落ちた。
拾いに席を立つと、
「鷺沼生徒会長、どうぞ」
そう言って落ちた用紙を差し出してくる。
拾ってくれたのは書記の速水くんだ。
先日、共通の話題である兄のことを話すようになってから、時々私的な会話をするようになった。
「ありがとう」
にっこりと微笑めば、速水くんもにっこりと微笑む。
しかし、生徒会室は殺伐としていた。
文化祭が近づくにつれ、細かい数字の計算や、生徒会が率先して主催する模擬店の手配も併せて、やらなければならないことが多くなってくる。遅くまで残る生徒の見回りも教師ではなく生徒会の役員が交代で担っていた。
だから、帰りは必然的に遅くなる。
「今日の見回りは、交代したんですか? 鷺沼生徒会長、昨日も当番で見回りしてましたよね」
「うん。副会長の小林さんが家の都合で参加ができなくなったんだ。だから代わりに、僕が見回ることになったんだよ」
「それ、俺も見回りに参加してもいいですか?」
「車で送ってもらえるけど、帰るのは遅くなるよ?」
帰りは居残り当番の教師に、直接家に車で送ってもらえるので、帰宅途中のトラブルに巻き込まれる心配はない。
『うちのクソ兄のことでお話したいことがありまして、そのついでです』
こそっと耳打ちをするように、顔を寄せられる。サラサラとした茶色い髪が頬に当たってくすぐったい。
すぐに離れてにっこりと速水くんは微笑んだ。
なるほど。速水くんもお兄さんには苦労をしているのかもしれない。この間、相談にのってもらったこともあるので、わかったと頷く。
あとで、速水くんの見回り申請を提出しよう。
最後に覗いた教室は、一人しか残っていなかった。気をつけて帰るように声をかけて、今日の見回りはおしまいだ。途中で教師に声をかけて、車を回してもらう時間を伝える。
「残っていた生徒には声をかけ終わりましたね」
速水くんはそう言って、一緒に並びながら鞄の置いてある生徒会室へ向かう。
「うん。明日も授業があるし、無理して残る必要もないから、皆帰り支度は早かったね。僕たちにはやる事が山積みだけど、今日はもう帰ろう」
「はい。やる事は多いですよね。ただ、生徒会主催の模擬店が早い段階で決まって良かったです。すぐに取り掛かれたので、日数的にも余裕がありますし。鷺沼生徒会長のお兄さんはいらっしゃるんですか?」
生徒会役員は、クラスの模擬店に参加はせず、生徒会の主催する模擬店を運営することで文化祭に参加となる。
運営と言っても自分たちが動力源だ。頭脳労働も肉体労働も、生徒会役員がこなさなければならない。
クラス参加ではないので、そこは少し寂しい気持ちもあるが、生徒会の役員が主催する模擬店は特に人気があってクラスの皆からも、「絶対に行くからチケットをくれ」と迫られている。
人気がありすぎて、生徒会が発行するチケットがないと入れない決まりだ。対応する人数が少ないので、多すぎても捌けるとは思えない。
ちなみに、生徒会が主催し運営する模擬店は、
『童話カフェ』
である。
童話をモチーフにした衣装を来てお菓子やお茶を提供する可愛い店の予定で、女性である小林さんからの提案で、考えるのを面倒がった僕を含む男たちは二つ返事で了承した。
「たぶん……僕の兄は忙しいからこないんじゃないかな」
「そうなんですね。俺のクソ兄は来なくていいのに来るんですよ……それで、聞いてもらいたいことがありまして」
「そういえば、お兄さんのことだったね。どうしたの?」
「そのことなんですけど、最近の兄は男が好きになってしまったようなんです」
「へぇ」
最近ということは、以前はそんな事は無かったということだろう。恋愛の対象って変わるものなのか。
「あ、この言い方だと語弊を招くかも知れませんので弁解させていただきますが、男全般というのではなく、好きになった相手がたまたま男だったということです」
「なるほど?」
それだと、性の対象が変わったということではなく、特別枠という事だろうか。
「その相手は仕事先の方で、会社に打撃を与えるような重大な失敗をしてしまった兄を、神がかったフォローで窮地から救ってくれたそうなんです。そのことがきっかけで好きになったと、言っていました」
「そうなんだ」
「異性同士ならよくあるシチュエーションだと思うんですけど、同性という事で気持ちを伝えることが、相手の迷惑になるかもと悩んでいました」
「速水くんのお兄さんは真面目なんだね。相手の心配が先なんだから。同性を好きになったことについては気にしないんだ?」
「はい。同性を好きになったことをおかしいと考えたり、忌諱しているような感じはありませんね。むしろ人を好きになれたことに感動を覚えているようです。チャラい人生を送ってきたアホな兄なので、ちゃんと人間を好きになれる感性が残っていて良かったと思います」
「人を好きになれる感性か……」
告白をしたその先に未来があるかは本人たち次第だが、芽生えた感性が失われることはないはずだ。
きっと人を慕う気持ちや愛を知ることで、さらに魅力的な人間になるのだろう。
僕の兄は、どうなのだろうか。
速水くんのお兄さんのように、人としての新たな精神的な領域を拡張するような奇跡は起こりうるのだろうか。
兄は根源的な感情を失っているのか、僕の前では基本無表情でいる。
あの兄が人として、人を好きになる?
完璧主義のロボだが、選ぶ相手は同じような完璧な女性なのかどうかまではわからない。
僕の股間を無表情で弄ぶような兄が──恋人を連れてくる?
まったくピンとこないし、胸のあたりがモヤモヤする感じだ。
「鷺沼生徒会長? 眉間が寄ってますよ? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。お兄さんは速水くんに、このことを相談しているのかな?」
眉間のシワを人差し指で押さえて揉んだ。
「相談というよりは、聞いて欲しいという感じですかね。動画の時にもお話をしましたが、知ってもらいたい欲求や共有あたりでしょう。言葉にすることで、兄も心の内を整理しているのだと思います。俺も鷺沼生徒会長とは共有したかったですし、この話に対してどういうお考えを持っているのか知りたくてご相談させていただきました」
「そうなんだ。僕と共有をしたいだなんて嬉しいな。考えというか、恋をしている人にできる事って、応援することくらいだよね」
生徒会の扉の前まで来た僕たちだが、ピタリと速水くんは足を止める。
「応援……そう、ですね。応援かぁ」
難しそうな表情の速水くんは、顎に手をあてて目を閉じた。
応援の仕方について、考えているのかもしれない。
速水くんのお兄さんは、僕の兄と同じ成人した大人だ。余計なことはされたくないだろうと思う。
それに、速水くんのお兄さんだって、告白をするか悩むくらいだから、解決策はすでに模索しているはずだ。
人がアドバイスをしたところで見識を広げることはできても、結局は正しい答えなんてないんだから自分で決断するしかない。
だけど。
──あきらめようとは思わないんだな。
心の中にはモヤモヤとした気持ちだけが残った。
拾いに席を立つと、
「鷺沼生徒会長、どうぞ」
そう言って落ちた用紙を差し出してくる。
拾ってくれたのは書記の速水くんだ。
先日、共通の話題である兄のことを話すようになってから、時々私的な会話をするようになった。
「ありがとう」
にっこりと微笑めば、速水くんもにっこりと微笑む。
しかし、生徒会室は殺伐としていた。
文化祭が近づくにつれ、細かい数字の計算や、生徒会が率先して主催する模擬店の手配も併せて、やらなければならないことが多くなってくる。遅くまで残る生徒の見回りも教師ではなく生徒会の役員が交代で担っていた。
だから、帰りは必然的に遅くなる。
「今日の見回りは、交代したんですか? 鷺沼生徒会長、昨日も当番で見回りしてましたよね」
「うん。副会長の小林さんが家の都合で参加ができなくなったんだ。だから代わりに、僕が見回ることになったんだよ」
「それ、俺も見回りに参加してもいいですか?」
「車で送ってもらえるけど、帰るのは遅くなるよ?」
帰りは居残り当番の教師に、直接家に車で送ってもらえるので、帰宅途中のトラブルに巻き込まれる心配はない。
『うちのクソ兄のことでお話したいことがありまして、そのついでです』
こそっと耳打ちをするように、顔を寄せられる。サラサラとした茶色い髪が頬に当たってくすぐったい。
すぐに離れてにっこりと速水くんは微笑んだ。
なるほど。速水くんもお兄さんには苦労をしているのかもしれない。この間、相談にのってもらったこともあるので、わかったと頷く。
あとで、速水くんの見回り申請を提出しよう。
最後に覗いた教室は、一人しか残っていなかった。気をつけて帰るように声をかけて、今日の見回りはおしまいだ。途中で教師に声をかけて、車を回してもらう時間を伝える。
「残っていた生徒には声をかけ終わりましたね」
速水くんはそう言って、一緒に並びながら鞄の置いてある生徒会室へ向かう。
「うん。明日も授業があるし、無理して残る必要もないから、皆帰り支度は早かったね。僕たちにはやる事が山積みだけど、今日はもう帰ろう」
「はい。やる事は多いですよね。ただ、生徒会主催の模擬店が早い段階で決まって良かったです。すぐに取り掛かれたので、日数的にも余裕がありますし。鷺沼生徒会長のお兄さんはいらっしゃるんですか?」
生徒会役員は、クラスの模擬店に参加はせず、生徒会の主催する模擬店を運営することで文化祭に参加となる。
運営と言っても自分たちが動力源だ。頭脳労働も肉体労働も、生徒会役員がこなさなければならない。
クラス参加ではないので、そこは少し寂しい気持ちもあるが、生徒会の役員が主催する模擬店は特に人気があってクラスの皆からも、「絶対に行くからチケットをくれ」と迫られている。
人気がありすぎて、生徒会が発行するチケットがないと入れない決まりだ。対応する人数が少ないので、多すぎても捌けるとは思えない。
ちなみに、生徒会が主催し運営する模擬店は、
『童話カフェ』
である。
童話をモチーフにした衣装を来てお菓子やお茶を提供する可愛い店の予定で、女性である小林さんからの提案で、考えるのを面倒がった僕を含む男たちは二つ返事で了承した。
「たぶん……僕の兄は忙しいからこないんじゃないかな」
「そうなんですね。俺のクソ兄は来なくていいのに来るんですよ……それで、聞いてもらいたいことがありまして」
「そういえば、お兄さんのことだったね。どうしたの?」
「そのことなんですけど、最近の兄は男が好きになってしまったようなんです」
「へぇ」
最近ということは、以前はそんな事は無かったということだろう。恋愛の対象って変わるものなのか。
「あ、この言い方だと語弊を招くかも知れませんので弁解させていただきますが、男全般というのではなく、好きになった相手がたまたま男だったということです」
「なるほど?」
それだと、性の対象が変わったということではなく、特別枠という事だろうか。
「その相手は仕事先の方で、会社に打撃を与えるような重大な失敗をしてしまった兄を、神がかったフォローで窮地から救ってくれたそうなんです。そのことがきっかけで好きになったと、言っていました」
「そうなんだ」
「異性同士ならよくあるシチュエーションだと思うんですけど、同性という事で気持ちを伝えることが、相手の迷惑になるかもと悩んでいました」
「速水くんのお兄さんは真面目なんだね。相手の心配が先なんだから。同性を好きになったことについては気にしないんだ?」
「はい。同性を好きになったことをおかしいと考えたり、忌諱しているような感じはありませんね。むしろ人を好きになれたことに感動を覚えているようです。チャラい人生を送ってきたアホな兄なので、ちゃんと人間を好きになれる感性が残っていて良かったと思います」
「人を好きになれる感性か……」
告白をしたその先に未来があるかは本人たち次第だが、芽生えた感性が失われることはないはずだ。
きっと人を慕う気持ちや愛を知ることで、さらに魅力的な人間になるのだろう。
僕の兄は、どうなのだろうか。
速水くんのお兄さんのように、人としての新たな精神的な領域を拡張するような奇跡は起こりうるのだろうか。
兄は根源的な感情を失っているのか、僕の前では基本無表情でいる。
あの兄が人として、人を好きになる?
完璧主義のロボだが、選ぶ相手は同じような完璧な女性なのかどうかまではわからない。
僕の股間を無表情で弄ぶような兄が──恋人を連れてくる?
まったくピンとこないし、胸のあたりがモヤモヤする感じだ。
「鷺沼生徒会長? 眉間が寄ってますよ? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。お兄さんは速水くんに、このことを相談しているのかな?」
眉間のシワを人差し指で押さえて揉んだ。
「相談というよりは、聞いて欲しいという感じですかね。動画の時にもお話をしましたが、知ってもらいたい欲求や共有あたりでしょう。言葉にすることで、兄も心の内を整理しているのだと思います。俺も鷺沼生徒会長とは共有したかったですし、この話に対してどういうお考えを持っているのか知りたくてご相談させていただきました」
「そうなんだ。僕と共有をしたいだなんて嬉しいな。考えというか、恋をしている人にできる事って、応援することくらいだよね」
生徒会の扉の前まで来た僕たちだが、ピタリと速水くんは足を止める。
「応援……そう、ですね。応援かぁ」
難しそうな表情の速水くんは、顎に手をあてて目を閉じた。
応援の仕方について、考えているのかもしれない。
速水くんのお兄さんは、僕の兄と同じ成人した大人だ。余計なことはされたくないだろうと思う。
それに、速水くんのお兄さんだって、告白をするか悩むくらいだから、解決策はすでに模索しているはずだ。
人がアドバイスをしたところで見識を広げることはできても、結局は正しい答えなんてないんだから自分で決断するしかない。
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