死に際を共に行く

古葉レイ

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死に際を共に行く1

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「ぁっ、あぅっ」

 甘く零れ落ちる吐息は砂糖菓子のようにほろほろと溶けていく。
 男の肌と乙女の肌が合わさって、汗ばんだ笑顔の花が咲く。部屋に籠る色香の猛毒が、ベッドの上で寝そべる男の思考を麻痺させた。

 ぎし、ぎしと男の上を女が上下する。陰部を晒し甘い笑みを浮かばせた女が、ふるふると身体を震わせる。男の唇の端から唾液が零れ、遅れて身を震わせた。

「ああ、素晴らしい……あぁ」
「……なら」

 剥げた頭の男の呟きを拾うように、女は顔を寄り添わせて呟いた。射精を終えた男は、虚ろな瞳で女を見上げる。膨らむ乳房に手を伸ばして、わしりと掴みながら唇を開く。

「なん、だい?」

 胸に顔を埋めて男が問う。女は男の頭を抱きかかえて、耳元に唇を寄せた。

「さようなら」

 ぱんと乾いた音がした。贅肉まみれの男の身がびくんと震えて、女の身に一物を埋め込んだまま、一人の一生が呆気なく終えた。

 〇〇〇

「人斬りの依頼か」

 静かな室内に、彼の中性的な声が響く。男の声にしてはやや高く、女にしては低いその声色を携える彼は、手にした盃を傾ける。徳利から注がれた透明な液体がきらきらと光っている。杯に注がれた透明な液体は水である。

「そうだよ。嫌?」
「別に」

 頭上から照る橙色の照明は、落ち着きのある色合いを醸している。聖十字学園の制服を着こんだ彼、全身濃紺尽くめの彼の名を、安部清十郎(あべせいじゅうろう)と言う。

 腰帯に差す鞘と刀は『十字瑕(じゅうじきず)』と銘打たれ、完全なオーダーメイド品である。刀匠は無名だが、刀に特性を込められる男が打った、業物である。

 部屋に座する彼の前にはもう一人、桃色髪の少女が居た。彼と彼女の前には拵えの雑なテーブルがあり、足元のフローリングもみしぎしと音が鳴る。彼女もまた、同じく聖十字学園の生徒であり、こちらはスカートを携えた女子である。
 
 名を安寿院(あんじゅいん)リリィと言う。半分ほど異国の血を引いており、健康的な肌と笑顔が彼女らしさを魅せている。清十郎の体躯がしなやかな豹とすれば、彼女は悪戯猫と言った雰囲気を醸していた。

 彼女は胡坐を掻き、清十郎と共にグラスを傾けている。彼女の杯に注がれているのは葡萄色の液体だ。ワインではない。彼の部屋に酒はなく、なので葡萄ジュースであり、彼女がやや不満げな面持ちを浮かばせる理由である。

「お酒が良かったなぁ」
「未成年が酒を飲んでどうする」

 清十郎は自他共に認める生真面目な男である。対局の不真面目生徒であるリリィは首を竦め、杯をぺろりと舐める。彼女の目線が清十郎を睨むが、彼はわれ関せずと杯を傾け続けている。彼が何より下戸である事を、彼女はちゃんと理解している。

 そのうえで酒を所望しているので、会話はただの社交辞令である。彼の腰元にある刀を一瞥し、リリィは空中に指先を向けた。人差し指を右へ、左へと動かすと、光が空に舞い、清十郎の眼前に、無数の光の文字と線が浮かんだ。

 清十郎の瞳が光の文字を捉える。しばしの沈黙に、リリィの鼻歌だけが部屋に響く。

「隠密暗殺か?」
「あい。出来る限り一瞬で斬れ。だって」

 リリィの口調がわずかに硬くなり、誰かの真似をしているらしいが、清十郎にはどうでもいい。男の視線が女を見据える。

「一瞬とは?」
「相手に斬られたと気付かせない程の速さで斬れってことだね。一刀で百万だってさ。凄いね、時給何円ですかって話だよ」
「百万だろう?」
「羨ましい話だねえ」
「ならばお前が受ければいい」

 清十郎の至極真面目な台詞に、リリィは頬を膨らませる。「受けれないから持ってきてるのに」と呟くのは独り言である。清十郎は静かに箸を持ち、眼前の刺身を抓む。白湯で刺身を食す彼を眺めながら、リリィは愉快気に笑う。

「水と魚って合うの?」
「天然水らしいが、美味い」

 そんな日常と非日常が混ざり合う二人の会話はいつもの流れである。

「難易度はクラスA。車がすれ違う際の一瞬で斬るんだって。清十郎が受けない場合は別の要因を用意しろと言われているけれど……できる?」
「愚問だな。しかしこの所、妙な依頼が多い」

 清十郎は静かに箸を置くと、緩やかに立ち上がり、黒塗りの鞘から愛刀を抜いた。片刃は緩やかに反りがあり、乱れ刃の刀身に曇りはない。照明の光を受けて仄かに光る『十字瑕』を眼前に掲げて、地面と垂直に立てて静止する。ぴたと止まった静の構えから、目にもとまらぬ速さで刀身が位置を変え、地面と水平に変わる。

 燐と音が響き、目の前にあった光の文字が切断され霧散し宙に溶けていく。清十郎の身体から湯気が立ち、リリィの喉がこくりと鳴る。

「ああ、僕の依頼文が消されちゃった」
「読んだら捨てる。鉄則だろう?」

 清十郎は何事もなく行った行動は、人では成せぬ所業である。彼は木製の床から足元にあるであろう地脈の気を無理矢理受け入れ、足裏から腰へ、そして腕から刀へと通して解き放ったのだ。その行為は抜刀の類で、しかし本来、物理での干渉は不可能とされる光魔術の文字を、描き主であるリリィの意思ごと掻き消したのだ。

 霊刀『十字瑕』はあらゆる万物の気を断ち切る妖刀の類であり、清十郎はその魔の刀を自らの一部として扱う変人である。
 リリィが振るったとして、何も起きないどころか生命力を吸われて失神するのは経験済である。

「二人きりで誰が見ているっていうの?」
「少なくとももう一人の視線は感じるが?」

 清十郎が至極当然と告げてきて、リリィは首を傾げる。

 次いでしゅんと、清十郎の腕が揺れ、刃が空気を斬る。音までもが静かに斬れて、リリィと清十郎達を監視していた魔術の視線も切り捨てられた。
 
 リリィの耳に雑音が起こり、微かに聞こえていた依頼主からの通信が完全に消えた。リリィは軽く肩を竦めて、目の前の清十郎に笑顔を向けた。

「電波を切るとか意味不明」
「俺には『見られている』としか感じなかったが?」

 清十郎は機械音痴である。どうでもいいかとリリィは思考を停止、これで正式に二人きりである。

 リリィはくすくすと笑い、行儀悪く刺身を手で摘まんで食べる。生臭く、それでいて何とも嵌る。

 癖があり、もう一つ、もう一つと食べてしまう。まるで目の前の男のようだと、リリィは意味不明な感想を浮かばせた。

《続く》
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