恋とレシーブと

古葉レイ

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恋とレシーブと11

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「私、下手だから」
「そんな事ないって」

 掻いた汗が制服の間を滑り落ちていく。体育館のコートの端で、私は自らを卑下するように思いを述べた。止まらない頬の汗をタオルで拭きながら、カッターシャツを腕まくりした体育会系少年、葉山君は首を横に振った。

 私は唇を噛み締める。そうなのかな、そう思ってしまう私は必死に自分に活を入れ、絶対下手だからと、揺らぐ決心を引き締めた。

 葉山君は誰かに『下手だ』なんて絶対に言わない。彼がそういう男子だという事は、この数日でみんなが知っている。全員が一致団結した授業の日から毎日の昼休み、私はいつも彼に教えを請い、バレーの練習をし続けた。

 少し話す程度でもわかる葉山君の性格は、逞しくて温厚で、何より頼りがいのある兄貴肌だった。それでいて笑顔が良く似合う、とても清々しい男子だった。

 でも私の感覚では、自分のバレーの上手さは最初の頃からあまり上達していない。足はもたつくし、ボールに手を伸ばすのも一歩が遅い。葉山君は何かある度に褒めてくれるけれど、私は間違いなく下手なのだ。他のみんなは最初の頃に比べて驚くほどに上手くなったのが分かる。

 だからこそ、私は自分の下手さを噛み締めていた。試合には正直出たくない。それくらいに、私はバレーが下手だった。

「本当の事を言って。私、抜けた方がいいよね?」
「いいや、抜けないで欲しい」
「でもさ」
「大丈夫だって。球技大会なんだから気楽にいこうよ」

 私の物言いに、葉山君はあくまで笑いながら諭してくれる。そうなのだ、これは球技大会なのだから、負けてもいいんだ。そう思う反面、私にはどうしても納得しきれない気持ちがあった。

 今、周囲には誰も居なかった。今なら聞けるかもしれない。そう思うと、私の唇は自然と、この数日の質問をぶちまけた。

「葉山君は別に、勝たなくていいと思って練習してるの?」

 それは半ば、私たちに、そして葉山君に対する侮辱とも取れる言葉だったに違いない。全員が一生懸命に練習している。それを見ている葉山君が、実は球技大会なんてどうでもいいとか、思っていたら辛い。

 だから聞きたくなかったけれど、今はどうしても、それを聞かずにはいられなかった。私の問いに、葉山君は笑顔を崩した。あるのは少し、不愉快げな顔だった。

 だって私が居たら勝てないじゃない。そう思う私を見透かすような視線が、そこにあった。

「勝たなくていい、と思ってやる試合はない」
「……ですよね」

 昼休みもあと十分を切っていた。体育館の端っこで、ボールを片付けながら告げた葉山君の一言は当たり前で、私の呻きを上書きした。今まであまり自分の意思を見せてこなかった彼が、ふと見せた本音に、私の肩に緊張が走る。

「勝ちたいよ。やるからには、当然」

 それは私を気遣わない、葉山君の言葉だった。

「試合に勝つと、次の試合が出来るからな。試合はたくさんしたい。いつまでもコートに居たい。だからこそ、俺は試合には勝ちたい」

 初めて彼が気持ちを零した。いつも飄々としているけれど、やっぱり試合には勝ちたいのだ。わかっていた。知っていた。真剣な彼だからこそ、誰もが理解していた。だからこそ練習しているんだろうけれど、だからこそ、私は自分の参加を断念すべきだと確信した。

「私、他の子と交代したい。ダメ?」
「……んー……そうだな……だめ」

 私の半ばお願いのような問いに、葉山君は少し考えた様子で、腕組み少し悩んだ様子で、本当に苦悩しながら、ダメと言った。言われてしまった。

 葉山君の言葉が、私の胸の中にほわりと届く。ここでもし、交代して欲しいと言われていたら、私はたぶん、滂沱の如く涙を流していた。

 葉山君はしかし、私を理解してくれていたらしい。交代したいという私の想いと、したくないという、もう一人の私の想いを、彼は気付いてくれた。

「でも、下手だから」
「ストップ。その前に安藤さん、バレー嫌い?」

 ぐさと直球が来て、私は言葉に詰まる。そうまともに言われると、私は何とも答えに詰まる。てっきりやんわり問われると思っていた。そんな事ないよ、と言わなきゃ。そう思いながら葉山君の顔を見ると、そこにあるのはやっぱり笑顔だった。
 でも目が本気だった。

「私、迷惑かけるからバレーしたくない」

 私は葉山君にだからこそ、正直に心を告げた。一生懸命な彼にこそ、ちゃんと言わなきゃいけないと思った。
 私の言葉に、けれど彼は「迷惑ねぇ」と少し不満げな顔を見せる。笑顔以外の表情を見たのは、あるいはこれが初めてかもしれない。それくらいに、彼は常に笑顔だったと改めて気付いた。

「いまここで辞められる方が迷惑、って言ったら?」
「他の上手い子と交代するから、それじゃダメ?」
「交代は、病気か怪我の時だけしか許さん。っていうか、嫌」

 きっぱりと、彼は気持ちを私に告げた。

 彼らしくない物言いで、彼は静かに「許さない」と言った。

 はい?
 いま、許さないって言った?

 嫌だと、許さないと、葉山君は自分の意見を告げた。私は彼に対して言い訳のような言葉を、一瞬にして全部失った。嫌って、何。

「俺が嫌だ。安藤さんと試合に出たいから、ダメ」

 名指しで言われてしまうと尻込みする。どうして? 私である必要なんてないのに。「下手だよ、私」と言ってしまう自分が情けない。

「私、迷惑かけるから。絶対、試合でミスするから」
「いやいや、迷惑ってナニ? 俺はこのメンバーで試合したいの。我がままだけど、このチームで試合したいんだ。で、実は勝ちたい。せっかく仲間になったんだろ。迷惑なんてかけりゃいいじゃないか」

 葉山君はそう言ってくれるけれど、他のメンバーがどう思うかが分からない。私だってできればバレーがしたい。たまにボールが返ると嬉しい。でもやっぱり試合で負けると悔しいし、私がミスして負けると情けない。

「別に安藤さん下手じゃないよ? ちょっと緊張しているだけだから。身体が動かないだけだから。レシーブうまいよ? 本当に」

 そこでふと、葉山君は予想外の事を言った。

「緊張、してるよ?」
「そう。安藤はいつも緊張してるだろ? 試合って怖いもんな」

 葉山君が言ってくれた言葉を頭の中で反芻する。確かに練習ではちゃんと上がるようになってきたけれど、試合だと失敗率が格段に上がる。
 それはなぜか。彼の言う通り、試合だと思うと緊張して足が動かないからだ。そこでふと、葉山君の言葉に違和感を覚えた。はて?

「うん。私のところにボールが来たら、怖い」
「じゃあ、怖くなくなればいいだけだ。大したことじゃない。安藤は姿勢もいいし、目もいい。とっさに動ける時の安藤って、けっこう良い」

 葉山君に『良い』と言われると悪い気はしなかった。けれどやっぱり納得はいかない。下手な下手だ。私である必要はきっとない。

「レシーブってさ、練習するしかないんだよ。上達の早道なんてないんだ。だから、練習できる奴が上手くなる」

 葉山君は断言して、私の方に手を伸ばしてくる。手首を掴まれて、くると回された。止める間もなく、私の二の腕が引き寄せられる。痛みに、歯を食いしばる。

「この腕、家でも練習してるだろ?」
「だって下手、だから」

 葉山君に腕を掴まれ、咄嗟に隠そうとしたけれどダメだった。腕の内側が青紫になっていて、ちょっと女の子の腕にしては痛々しい。

 でもそうでもしないと上手くならないと思ったから、私は試合に出ると決めた日から、家で一人、練習をし続けている。馬鹿みたいに、青春をしちゃっているのだ。

「球技大会とはいえ試合がしたい。試合である以上は勝ちたい。今のメンバーで、勝ちたいって思うよ。適当にするやつだったら、俺は止めたりしない。好きにしたらいいって思うだろうな。うん、安藤じゃなきゃ、止めなかったかもな。滝でも、止めないかも」

 葉山君が少し苛立つように言葉を重ねる。

「俺はでも、安藤が止める事だけは許せない」

 それは誰かに怒っている、そんな風だった。

《続く》
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