恋文に告ぐ

古葉レイ

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恋文に想う9

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「とりあえず準備は出来たかな。危なかった、あと一時間で終電か」
「最後の方はどこに何入れられたかわからないや」

 引っ越し前日の夜、積み上げられた段ボールの山を前に、私と日野は腰に手を当てて頷き合った。私の発言に、にやにやと笑う日野の下賎な笑みがイヤラシイ。

「エッチの話?」
「違う、荷物の話」

 真顔で返す私に日野は笑い続けている。はいはい、可笑しいね。と、日野が歩み、部屋の端にあった鞄から何かを取りだした。見間違えるはずもない、見慣れた彼の手紙だ。彼はその紙片を、何も言わず私に渡してくる。

 その封筒は、私らが付き合うきっかけの、別れの日の一通と同じものだった。芸が細かいな、相変わらず。とりあえず、ボケてみる。

「落ちてた? これいつの?」
「はいはい、新品です、でもラストです。榎本春江さん宛ての、最後の手紙」

 日野に真顔でそう言われて、私は深く息を吸う。そうか、これが最後か。片手で受け取ろうとして、震える手で取り落しそうになり、両手に変えた。日野は笑わない。

「今、ここで読んで」
「わかった」

 私は頷いてそれを受け取った。シールはされていなかった。私はそれを開いて、本人の前でじっと、その活字を読んだ。綺麗な字だな、相変わらず。一度読んで、二度読んで、唇を噛み締める。

 やばい、泣きそうだ。

 日野は黙って私を待っている。今、ここで言えと無言で要求してくる。だから私は、わかったよと首を振り「うん」と短く、頷いた。

「百点だよっ、馬鹿」
「やったね! 十年の成果だ!」

 私の採点に、日野が無邪気に喜んだ。それから静かに、笑いながら「ありがとう」と涙を流した。つられて私も涙を流した。「こちらこそ」と言って、嗚咽を漏らす。抱き合ってハグして、私らは二人で一緒に、涙を流した。




 あなたと巡り合えた事に、僕は心から感謝しています。

 君が僕の気持ちを、文字通り見つけてくれたから、今があると思っています。君を大切に想うからこそ、これで良かったのかなと思ったりもしました。

 別れた方が良いのかもしれないと、何度か決断しようとした事もあったけれど、それは逆だと気付いて、結婚を申し込もうと決めました。春さんに断られるとは微塵にも思っていなかったから、僕が結婚を言えば、春さんはうんと言ってくれるはずだ、そう思えて、悩みました。君に言って貰うまで待つべきか、悩んだ。

 でもそれは卑怯だと気付いた。僕が言うかどうかで、君の未来が変わると思うと、恐ろしくてしょうがなかったから、それを君に委ねる、という選択肢もダメだと思った。

 旅行中、君と一緒に居て分かったんだ。

 考えるだけ無駄なんだなと。好きな人が居て、結婚を申し込む事に何を恐れているのだろうと思って、決めました。もう一度、今度は手紙でしたためます。

 この手紙の点数がもし百点だったら。

 僕と結婚して下さい。
                                   』

「明日から苗字、変わるもんな」
「うん。そうだね。長かったような、そうでもないような」

 私らは明日、入籍する。明日で二人は一つになり、日野は私を春さんと呼ぶだろうが、私は日野と呼べなくなるのだろうか? はて。しばらくはいいかなと思うけれど、困ったな。

「日野の、電車の初恋の子宛てのラブレターを拾って、添削して、点数付けて」

 思い出が昨日の事のように浮かんでくる。それはとても素敵な物語。今考えても不思議な日常だった。日野に出会えてよかったと思う。私は、幸せ者だ。

「気が付いたら好きになって、春さんにも手紙を出すようになってね。春さんが僕を好きになったのはいつだろうね?」
「日野は?」
「春さんが僕の書いた別の人宛てのラブレターで照れている顔を真横で見てたもげ」

 畜生、馬鹿はいつまでも馬鹿のままだ。首を締めながら、それでも私はいいと思う。なあ、日野。そう思いながら、しばらくは日野か、ダーリンとでも呼ぼう、と思う。

 ダーリンか。悪くない

 そんな私の旦那様は、どんな名前だろうが、奥様に弄られていればいいのだ。

「あんたこの10年で性格かなり悪くなったよね」
「そうかな。会社では『どんな時でも笑顔な人』で通ってるけど? へらへらしてるだけともいう」

 そう言えば昔、日野とデート中に一度、会社の先輩とやらに出会った事がある。あの時の日野と先輩さんとの会話は難しい話だったけれど、先輩さんが彼をどれほど信頼しているか、仲が良いかは窺い知れた。
 嫉妬したくらいだもんな。私の知らない日野が居て。

「怒られている時も笑顔なんだろ?」
「あ、それ言われた事ある。少しは反省した顔しろって。嘘でもいいから」

 手紙でも読んだ事がある。この人、苦しい時も笑顔だからなあ。

「心の奥底はお花畑なのにね」
「みんなは知らないんだよ、僕が本当は、とても女々しくてロマンチストでヘタレだって」
「あと凄いエッチ」
「それは春さんしか知らなくていいです」

 確かに他の女がそれを知っているのは許せない。というか明日からはそれはNGになるのでしめしめだ。はて。今日の夜なら、まだセーフという事だろうか? 何かふつふつと不安が心に沸いてくる。最後の最後で、浮気されたりして?

「僕の本当を知っているのは春さんだけですから。それで充分ですから」

 日野が私の肩を抱いて来て、私は頭を垂れた。別に心配してないけど、不安という程不安でもないけれど。

「もうこんな時間だね。そろそろ帰らないと」
「ねぇ、日野?」

 私はそんな風に、自分に言い訳をした。浮気させたくないから、しょうがないって。もじもじと手を背に寄せて、身をくねらせる自分が変過ぎる。けれどこれも私なのだ。今なら、日野の前なら平気なのだ。全部、愛されるのだから。

「今日、泊まって行かない?」
「ん? どうしたの?」

 日野が驚いた顔をしている。あれ、喜ぶと思ったのに。

「独身最後の夜は、一人でのんびりしたい、って春さん言ってたよ?」

 ぐ、馬鹿な私。日野の言葉は概ね正しい。けれど誤算がある。私は天邪鬼なのだ。いや、それを日野がわかっていないはずもないか。とりあえず、言うだけ言う。

「意地悪言わないで泊まっていきなさい。晩御飯らしいご飯食べてないから、夜食作ろうと思ったけど、実際それすら作る気ないから何か食べに行く? 誰かとあれしたせいで飯も作れない、ごめんねえ?」
「僕こそごめんなさい」

 もちろん私も同意したのだし、彼の責任では断じてない。けれど彼は負けてくれて、私は偉そうにすることが出来る。甘えられて、偉そうにできて、でも優しくされる。彼は最強だ。私は幸せだ。

「もっと抱きしめて」
「うん」

 日野の温かい腕の中で、私は静かに抱擁される。涙を流して、私はもう一度、自分の幸せを実感した。

《続く》
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