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恋文に想う5
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『ねえ、春さん』
『なんだよ』
日野が無理して休みを取って、訪れた旅行は楽しかった。一泊二日の旅路、旅館の部屋で、彼は呟いた。今より一年前の話だ。
部屋の横にある一人用ソファーに互いに座ったまま、私は冷えたビールを飲んでいた。隣に居る浴衣姿の日野は素敵で、エッチも楽しかった。横目にある布団の乱れは一つ。当然である。もう一つが使われる事はないだろう。それはさておき。
そんな夜、一戦を終えた後、喉を潤す二人はいつもらしく、少し緊張感があった。何かあるんだろうなと思っていた。
外を眺めながら、言ったんだ。
「もし、世界が滅ぶとしたらさ」
唐突に沸いたそれは比喩で、けれど馬鹿の言葉だったから聞き流して、私はちびちびとビールを飲む。ツマミの漬物は美味しくて、彼の言葉にはかりこりと不釣り合いなBGMが付いた。雪が深々と降っていた。二人きりの世界で、彼は言った。
「春さんと一緒がいいな」
そう告げられても、いつもと同じ言葉なので気にしなかった。そうして差し出されたのは一つの箱だった。目が点になり、漬物を拭き出そうになり、ビールを飲んで口の中を空にしてから、私は日野の顔を見た。
それは開けるまでもなく、聞くまでもない、選択肢のアイテムだった。どう見ても婚約指だった。おお、ここで出すのか。いきなりすぎて、心臓が止まりそうだった。
「君は、僕で平気?」
日野は私を見ていなかった。気障ったらしく足を組み、窓の外の景色を見ていた。あえてこちらを見ずに言うあたり、恥ずかしいのだろう。私も手が震えて止まらなかった。いつかは来るだろうと思っていた。わざわざ旅行に行こうとか言うから、何事だろうと疑った。
これかよ。そう思った。
「私は」
「ノーとは言わせないけどね」
どう言って受け止めようか。そう思った矢先に、日野は言った。ぎしと椅子を鳴らして立ち上がった彼は、私の前で膝を付いて、深く頭を下げてきた。浴衣姿の騎士は、私を姫のように扱い、私の手を自分の手の平に置いた。そして、言った。
「僕を選んで。お願いします」
ごくんと喉が鳴る。彼は真顔だった。
「結婚しませんか?」
明らかに、完膚なきまでに恰好悪かった。こいつを選んで良いのだろうか。そんな不安すら起こしそうなセリフの数々が、けれど静かに、胸に染み込んでいった。
人の真顔が崩れる。訪れたのは、いつもの笑顔と、僅かな涙だった。
その瞳を見返した瞬間、無理だなと思った。
世界が滅ぶなら、その瞬間に一緒に居たいのは、日野以外は無理だろう。こいつと一緒なら、例えば空から落ちてくる隕石を、ちゃんと最後まで見て居られるに違いない。
私は。
お前がいいな。
「お前らしいプロポーズだな」
「ええ。春さんにしか利かないと思うよ。こんな台詞」
日野が笑い、私の傍に寄ってきた。香水の匂いがした。日野の汗の匂いもした。緊張しているのが手に取って分かった。それが嬉しかった。
「しょうがないな。私が面倒見ようじゃないか」
そして私は偉そうに、彼に向かってそう言ったんだ。
○○○
「これは洋室で良いんだっけ?」
「ごみ箱でもいいよ」
「春さんの意地悪」
片付けはなおも続いていた。見渡す限り、部屋は段ボールでごった返している。けれど部屋を見ればまだあちこちに荷物は散らばっていて、段ボールへの収納が間に合っていない。
正直、日野が来てくれていなければ間違いなく間に合っていないだろう。自分でやりきれなかった事に落胆しつつ、当然のように来てくれた日野を嬉しく思う。反面、心配にも思う。
彼は結構、忙しい人なのだ。
「仕事、大変なんだろ? 今日、休んで大丈夫だったのか?」
「社員が一日休んだくらいで困るような会社なんて潰れてしまえー、でしょ? これは素面で言われた気がする」
日野の呟きに、私はまたも苦しくなる。だって本当の事じゃないか。そう思いながら、日野が必要と思われている事が嬉しいので、どうしたものか。これから先、日野と一緒に悩んでいかないといけない事なのだろう。
「段ボール何箱あるんだろう?」
「数える気も起きないくらい。女一人で引っ越しの荷造りは大変だったな」
「だから手伝うって言ったのにさ。ぎりぎりまで『お前は来るな』とか言うから」
日野が呆れたように呟くけれど、手は止めず淡々と作業をこなしていく。力仕事もさることながら、この手際の良さが頼もしい。私はどうも、何かをする度に思い出に浸り、遅くなる。
「……ったんだよ」
「うん?」
だからこそ、頼りたかった。けれど頼れなかったんだよっ。私は半ば自棄になり、日野の尻を軽く蹴った。もちろん痛くなどない、軽い蹴りだ。ついでにその尻を三度ほど撫でておくのも忘れない。そして、
「手紙、見られたくなかったんだよ」
彼にそう独白する。日野の口元が緩んでいる。畜生、やっぱり笑われた。
《続く》
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