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恋文に想う4
しおりを挟むラブレターと、普通の手紙。
日野から渡された手紙は、いつの間にか二通になっていた。最初に恋文の方を読んで、それから自分宛ての手紙を読んだ。
そんな私は大事なものを後回しにする派である。
先にラブレターの採点をして、それから私宛の文を読むのが日課だった。でなければ寂しくなったから、というのは今思えばこそだ。
女々しくも頼もしい日野の事を知っていった私は、自分の中に宿ってしまった一つの気持ちに気付いて、少なからず混乱した。
驚きはしなかった。日野という男は恥ずかしい奴だ、なんて最初から分かっていたし、好きになったのだからしょうがないと思った。そうなる過程は踏んでいるという自覚もあった。
一緒に居たから好きになったわけじゃない。
好きだから一緒に居ただけだ。そう思えたのだ。納得して認めると楽になれた。
他の男子からの告白すらどうでも良かった。日野との時間の方が百倍も大切だった。毎日の事である癖に、だ。
そういえば昔、日野以外からラブレターを貰った事があったけれど、申し訳ないけれどそれは読み切らずに捨てた。何せ便箋の中の文字はパソコンで書かれていて、内容は陳腐にも程があった。
訂正させようとすら思わない程の、時間を掛けていない感見え見えの手紙に、私は鼻で笑って捨てた。
それ程に、私にとって彼と一緒に居る時間は素敵だったのだ。ただ彼には、好きな人が居たというだけだった。そこが私の些細で最大な悩みだった。
他人の恋文で恋をしたというのは情けない話だ。
私はでも当時、それで良かったと思っていた。学校帰り、公園で会っては手紙を受け取って、前の日の添削結果を渡す時間を、私はとても楽しんでいた。それで充分だったんだ。
私にとって日野との時間こそが青春だった。手紙を読む時間、レクチャーの時間、全て私たちの時間だった。
そうして私は、彼に百点を出した。
つまり合格だ。告白して来いという私の太鼓判だ。そして私は、彼が好きと確信した時点で、満点を付けた時点で、二人の時間の終わりが確定した。
私の採点の満点は、二人の関係を清算する為の決意だった。
そして訪れたのは、彼の、愛しの人への告白というステージ。愛情たっぷりしたためられた、数ヶ月分の想いが詰まった手紙は、今もきっと、その人の手元にあるに違いない。
私が出した百点だ。最後の点数を付けた日、私は帰って泣いた。言うんじゃなかったと、満点になんてするんじゃなかったと思いながら、帰り道で、子供みたいに泣きじゃくった。
そして私らの最後の日。
あの日は大粒の雨が降っていて……。
○○○
「日野は自分勝手だよな」
手紙交換の日々から十年が経った今、私らは引っ越しに向けて、片付けの最中の話だ。
いきなり吐き出した私の啖呵に、日野は深々と頷いて「ですよね」と納得した。おい、そんな事ないとか言えよ。ちなみに私はクッション座布団の上でちまちまと片付け、日野は次々と段ボールに中身を詰めている。
「その代り、春さんと一緒に居る間は人生の全てを君に捧げるって誓ったからねぇ。もちろん君がそう簡単に僕を置いて死ぬとは思ってないけれど」
欠伸でもしそうな程の声色で、日野が間抜けた事を平然と言ってくる。私、失笑。「お前はしぶといもんな」「僕を置いて死ぬくらいなら一緒に、っていうのが春さんだよね」と続ける馬鹿に、噛みついてやりたくなるのは私だけか。
そりゃそうだろう。
一人で死ぬとか、私が寂しいじゃないか。だから一緒にこい、だ。何か文句あるか。
「まあ、実際はさっぱりしているかもしれないけどね。反面僕は、春さんに心底惚れているから、間違いなく危険だねえ。君が僕をフったらストーカーになりそうだもの」
「日野きもーい。日野きらーい」
日野の唇は自信満々にふざけた事を言う。私は当然そんな彼を馬鹿にするけれど、なるだろうと思うのでフラないでおいた。彼を犯罪者にするのは忍びないしね。それでも「私を見ないでくださいー、きゃー」と棒読みながらに女々しく言ってみると、さすがの日野もむすっと不機嫌になった。ざまーみろ。
それから、彼の笑み。ぞわりと私の背に寒気。
「『日野とし過ぎて君以外のち○ぽ以外受け付けない』って言ったの誰だっけ?」
「ううわああ!?」
「『お尻もお口も産毛の先まで日野のだ』って泣きながら言ったのは誰?」
「どぁあああああああ?! 言うなあああ!」
ぶわと、日野の暴露発言に冷や汗が浮く。うわうわうわ。日野の零した私の失態言葉ワースト三位の一つである。やめてくれ。私の動悸が激しくなる。苦しさで目が眩む中、日野の笑みに強みが増した。とてもイヤラシイ、男臭い笑みが私を見ている。
やばい、ちょっと気持ち悪い。
「産毛の先までって凄いよね」
「そっ、それはし過ぎた勢いで……っ、そんな、卑怯だぞそれ言うのっ!」
「あ、勢いなんだ?」
いきなりしゅんと落ち込む日野は卑怯の極みだ。ああもうそんな悲しい顔するなよ! 私が悪かったというか! クッションを投げつけたい衝動を必死に堪えて、私は何とか、言葉を探す。良い言い訳は、出てこなかった。くそう。
「いや、じ、じつ、だけど……えっち中以外でそんな話するなよ。この変態ッ!」
「ふふ」
日野の笑み。私は手にしたクッションを投擲。日野が受け止め、更に笑み。「変態!」を連呼する私を、馬鹿は嬉しそうに見てきて辛い。日野はうんうんと頷いているので、自分で自分を変態扱いだ。全くどうなっているのか。こんなのと一生一緒に居るとか思うと反吐が出るかもしれない。
自分の決断は間違ったかもしれない。そんな事すら思えてきて、身勝手な日野を睨み付けて、とふいに彼の面持ちに陰りが差した。
「あはは。でもさ」
そこでふと落ちたテンションに、私の気持ちがざわついた。あ、やば。
「前に興味本位で別の人とご飯食べに行って、ホテルに誘われた時、毛先にも欲情しなかったって言っていたのは、嬉しかったけど少し寂しかったなあ」
ぐさっ。日野の漏らした言葉が、不意打ちに私の心臓を貫いた。し、死ぬ。こいつ今日、何で私を苛めるんだ。あわあわと狼狽える私に、日野の落胆は止まらない。
「寂しかったねえ」
「それはっ、ごめん。あのっ、だからごめんって、だって……」
死ぬ、日野が死ぬ。比喩だけれど、辛そうな顔をして誰か助けてやって……あ、私が助けるしかないんだ、あわわ。錯乱する私に落胆する日野はわざとらしいが見ていて辛い。それは鋭い棘の一つで、忘れ去りたい過去の一つだ。日野が大げさに落胆して、何か不良が煙草を吸っているような大便座り状態で私をちら見して、更に落ち込んでくる。ああもう。
そうだ。そうなのだ。日野の言葉はとても正しい。
私はそう、過去に一度、浮気しかけたのだ。
と、ここで最初に言っておく。
私は浮気をしていない。気持ち的には全然その気はなくて、事実として、結果的にしそうになっただけである。
「私、日野以外知らないから、だからだな、他の人を知っておくべきなのかなって、思ったというかだな」
「思ったんでしょう? ご飯食べに行こうって、大学の先輩の言葉に乗ったんでしょう?」
だあああ。こいつマジで面倒くさい。
「だから違うんだって! 蒸し返すなよっ! そしたら、誰かとしたいとかじゃなくて、日野としたいとしか思わなかったというか、むしろ何も思わなかったというか!」
私の必死の言い訳に、聞く側の日野は悲しむ素振りを、いつの間にか撤回していた。怒るでもなくむしろ笑っているので、始末に悪い。彼はそもそも、この一件を最初から怒らず聞き、受け止めた男なのだ。今回の蒸し返しは、半ば私へのあてつけだ。
くそう、悔しいけどそうなのだ。
こんな馬鹿が、私は好きなのだ。日野が怒る時は私が辛い思いをした時くらいで、自分が何かされても、こいつは絶対に怒らない。少なくとも、私の前では怒る素振りも見せない。
ただすぐ悲しむ。そんな馬鹿が日野なのだ。非常に気持ち悪い。けれど好きなのだ。こいつが、私は好きなのだ。
「いい加減忘れろよ! それか怒れ! 中途半端に許すとか止めろ!」
「やめろって言われてもねぇ。だって春さんってば、僕に会った瞬間に泣きだして、隠すどころか全部喋っちゃったからなあ。しかも挙句の果てに朝までホテルでエッチし続けたものねえ? まさかお尻までしてみたいとか言われると思わなかったけど」
「だって日野で全部経験しなきゃって思ってだな! 何かあっても最初に日野としてたら、何とかなるって思ったんだ!」
「うん、あれは凄かった」
日野が間髪入れず私を貶めるので、辛すぎて頭を殴りたくなってきた。出来ればグーで頬を殴って、そのまま首を絞めて息の根を止めたい。クッションを奪って顔を覆えば殺せる。やばい、殺したい。
「日野が私を全部知っておけばいいんだって思ったんだって。私以上に!」
「おかげで僕、春さんマスターだよ。お尻でも感じてくれる春さんは、僕のせいだろうけれどエッチになっちゃったしね。僕も体力つける為に必死だった」
くっくと笑う日野は相当に意地悪だ。昔はもう少し純粋だったぞ。そう思いながら、しかし手紙に見え隠れしていた意地悪さ加減も、私は知っている。
こいつは最初から助平で、真摯で優しいのだ。くそう、悔しい。好き過ぎる自分が辛い。あれこれと過ごしたこの十年。私らはいつもこんな感じだ。
「あ、照れた。怒られると思ったのに」
「ちっ、これだから日野は! ああ、ヤな奴に惚れたもんだ!」
彼は変わったようで、本質は変わってなどいないのだ。私も、そんな彼を好きで居続けている。もちろん毎日好きで居続けているわけじゃない。
彼の腕の中で、不安になった事だってある。
この腕がもし私の元から去る時が来たら、私はどうなってしまうのか。彼が居ないと生きていけないかもしれない。そんな頼りきっていいのか。それでいいのだろうかと不安になった事もあった。
でも考えるまでもないのだ。
今、こいつが欲しい。
私はそれでいいのだと、日野の手紙で知っているのだ。
《続く》
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