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恋文に告ぐ6
しおりを挟む君とたくさん話をしたいと思う。それで嫌われるかもしれない。でも好きになって貰えるかもしれない。
誰だって最初は怖いし、僕だって怖い。でもそれでも、君が居る電車の中で、君が気になる、そんな自分は幸せだなって思います。いつか君に話しかけて、この手紙を渡せる日を夢見ています。
手紙を受け取ってくれるかはわからないけれど、この手紙がもし捨てられず、君の視界に入っているとしたら、これだけは伝えたいと思っていました。
ありがとう。
「九十九点かな。いいね」
「わ、凄い! おおお、もう少しだ!」
公園の端にある屋根の下で私は彼に成績を告げた。私らが知り合って三ヶ月が経とうとしていた。
ほぼ毎日会っていたと言ってもいい。
そして私は、日野の電話番号を暗記した。
その日は雨が降っていた。
小雨よりやや強い雨に、差した傘は二つ。寒い中、外に居る私らは少し馬鹿で、けれどお金がないのでしょうがない。日野はカッターシャツ一枚で、彼の学ランは私の肩に掛かっていた。
私は日野の上着を肩に掛け、椅子に座って彼を眺めていた。少し背が高くなった彼が私を見降ろしている。私は椅子に座り、彼を見上げている。前より凛々しい顔つきになった。たった三ヶ月で、私は彼の優しさを知った。
温かい上着を肩に寄せながら、私はくっくと笑う。
「よく頑張った。うん、先生も褒めたげる」
「ありがとう、春さん。次こそは百点取れるかな」
日野の呟きに、私は足を組んで唇の端を緩ませる。きっとそう、もうすぐ彼は百点を取る。きっと今の彼なら、電車の彼女にラブレターを送っても捨てられはしないだろう。彼女の事を毎日考えて、彼女の為に紡ぎ続けた文は、洗練され素敵な言葉に満ちていた。
幸せだろうな。
雨音を聴きながら、私は軽く背伸びする。上着から彼の匂いがする。幸せな結末になればいいなと思う。日野にここまで想われている彼女を、私は当然、同じ電車なので何度も見た事がある。
至って普通の、ちょっと可愛いかな、くらいの女の子だ。私とどっちが可愛いかと言われれば、まああっちかな、くらい。
ふと気持ちに陰が過る。
私だって落としたラブレターを渡したんだけどな。そう思う自分が居た。
日野が想う彼女は、電車に置き忘れた傘に気づいて、慌てて追いかけてくれたそうだ。でもそれだったら、私だって同じことしたんだけど。こっちは、ラブレターだけどさ。
そう思う時がたまにある。どうして私がそう思うのか。そう考えて不満に思うのか。その先は、私にもよくわからない。
「明日、頑張るよ」
「あ、うん。明日こそは百点頑張れ」
日野が笑い、私も当然笑って返す。私の肩に掛かる日野の学ランは、ついさっきまで彼が着ていたせいか温かかった。小雨で濡れた私を見た彼は何も言わず上着を脱いで、「また風邪引くと困るから着ててよ、先生」と言って渡された。「えー、日野こそ寒いじゃん」と言いつつ、私も素直にお礼を言って受け取った。
不快さはなかった。
彼の行為に不自然さはない。三か月の付き合いだ。日野の上着だと思えば恥ずかしいとか思わなかった。ただ肩に掛けた学ランは温かくて、日野の気持ちは嬉しかった。
さんきゅう、くらいにしか思わなくて、想われる事を当たり前だと思っている自分に苦笑う。彼と私の距離はもう本当に近くにあって、何て言うか毎日会い続けたせいか意思疎通も完璧に近かった。ほぼ毎日、私は彼に会っている。土曜日も日曜日も、結局のところ手紙を受け取るだけの為に会っているのだ。
本当に彼との付き合いは長い気がした。そのせいだろうか、私はあっさりとした決断をしてしまった。
ほんの一週間前、クラスの男子に告白されたのだけれど、悩む間もなく私は断ってしまった。結構格好良かったんだけれど、日野と比べて、ああ、日野の方がいいなと思ったから断った。
その後、もちろん日野に会った。私は少しも悔やまなかった。家に帰ってお風呂に入って、もう少し悩んだ方がよかったかなと、日野の手紙の内容を思い出すついでに、考えたくらいだ。
そしてもうすぐ、日野は百点を取るだろう。
日野の素敵な恋が実るといいな。
そう思う私の心が、最近揺らぎ始めていた。
雨の音よりも、日野の声の方がよく通る。今の彼なら、文でなくとも告白くらい楽勝だろう。そう思いながら首を振る。
彼の気持ちは文にこそよく現れる。字は恐ろしく綺麗になった。話だけでは彼の全てを語れない。彼の中にある優しい部分は、きっとあの文章の中にこそ折り込まれている。
彼は優しくて、素敵な男子だ。肩に掛かった上着を胸元に引き寄せる。温かい。本当に温かくて気持ちいい。
でも。
私はもう、いらないなぁ。
そう思うと悲しくてしょうがない。分かっていたというのに、この三か月が楽しすぎて、私は考えないようにしていたのだ。
今の私は、むしろ彼の、邪魔だ。
「日野」
「うん?」
雨足が強くなってきた。降りしきる雨の中で、私は小さく被りを振った。無防備な日野の手を握る。日野が少しだけ驚いた顔をして、けれど私の手を振りほどかない。
日野の目が私を見るのは、これで最後かもしれない。淡い期待もある。振られたらそうだな、慰めるなりに何かがあるかもしれない。そう思いながら、しかし目の前の彼が本気でしたためたラブレターを受け取って、断れる子がいるだろうかと思う。
失礼にならない気持ちの籠った、ずっと想われていたと知った彼女が、はたしてどう思うか。少なくとも嫌とは思わないだろう。日野は別に気持ち悪い部類の男子でもないし、すがすがしくて柔らかい。そもそも見てくれも悪くないのだ。
いい匂いもする。今時滅多にいない、一途なくせに大胆という、素敵な男子なのだ。もったいないのだ。
こんな純粋で素敵な彼を求める女子はきっと居る。
私は肩を竦めて、「訂正するよ」と告げた。日野が首を捻る。本当の事を言おう。私は既に三度、彼のラブレターに百点を付けていた。これで、四度目だ。
「ごめん。さっきの九十九点は嘘よ。本当はうん、百点」
だからもう、終わりだね。
その言葉は飲み込んで、変わりに告げたのは、小さく囁くような「おめでとう」だった。驚くでもなく嬉しがるでもない日野に、私は呟いた。
「えっと、あれ、百点だった?」
「うん、百点。だから頑張れ、告白」
三ヶ月。長いようで短かった。怒涛の三ヶ月。全ては私が引き延ばした。それを謝罪するような、手向けの言葉を、彼に送った。
《続く》
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