ふたりの気持ち

古葉レイ

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ふたりの気持ち<6>

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「んっ……」

 二人きりの図書室に、小さな吐息が零れる。
 床に尻餅をつく姿勢から、幼馴染の暴挙のような口付けに、さすがの僕も限界だった。

 頭は冷静になり、思考が状況を理解して、身体が正常な反応を持って異常を来す。

 曰く、つまり。

「いいっ、かげんにしろっ!」

 羞恥と不安から、僕は安海の身体をぐいと押しのけ、上半身を無理やり起こす。幾度目かの口撃を終えた安海が、一息つくように吐息を漏らし、僕の上から床に下りる。

 互いの視線が合う。無言が、二人の間に挟まる。そして安海の、視線が右下に向く。

「安海……さん?」
「……あー。うん」

 安海が納得した。目が怖い。全身の汗腺が開き冷や汗が伝う。じっと視線を固定させる先を、追って知る。
 安海が見る先は、僕のズボンの膨らみのそれだった。

 ひぃいいいいい。

「しょうがないだろオトコなんだからっ!?」
「それとも、最後までしなきゃダメかな」

 気恥ずかしさからの小声の呻きを、安海の意見が上書きする。がたと、僕の身が後ろの棚にぶつかる。安海の手が、僕の手に触れる。ひんやりとした手の感触。

 安海との、ずぶ濡れの行為が脳裏に過り、びくと、下半身の膨張が更に増す。安海は頬を赤らめて照れた様子で、そっと手を伸ばして、膨らみに顔を寄せていく。マテ、待て待て待て。
 僕の中の、本性を理性が斬る。叩き斬る。理性の勝利、僕は慌てて、安海の肩を掴み、止める。

「アユ、早まるな! って正気に戻れ!」
「え、だって異世界でしょ? えっちしなきゃ」
「違う、そんなわけない。あってたまるか。なんでえっちになる!?」

 安海の思考が娼婦じみている。現実が恐ろしい。意味不明、と思いかけて、思考が停止。

 台詞が、行動がデジャブを覚える。違う。見た。
 これはそう、最近見た小説でこんな展開があったような気がする。何だった、そうだ異世界転生アストレアだ。

 頭が卑猥から趣味の世界、自分の世界に移行する。そう、あれは確かにちょっといやかなりエッチで、原作も持ってますがお前読んでたのかと突込みたくなるのを堪えて、安海の両手を握り止める。

「何で、お前、アストレア読んでる、んだよ」
「や、だからするんでしょ?」

 安海はしかし、ぐいぐいと僕の方に近寄ってくる。
 安海の行動が暴走している。思い込みが激しいのは今に始まった事じゃないが、高校になっておとなしくなったんじゃなかったのか。いや、なってないのか?

「お前、急にどうしたんだよ」
「えー、アユはいつものアユでしょ。みーくんが変なんじゃない? ほら、早く元の世界に戻る儀式をしないと」

 安海が真剣に言ってきて、そうそうそういう展開だよなってこのあとアストレアでは第三者の女の子が入ってくるが、僕らにそんな登場人物はいない。違う、違うのだ。

 安海の手を握り、目の前の幼馴染を押し止めながら、考える。違うのだと。
 違うのはたぶん、僕の感覚だ。

 歯車がずれていたのは、あるいはこういうところなのか。

 安海は思っていたよりも、まだまだ子供で、ちゃんとヲタクだったのか。だとしたら下手に大人を目指そうとした僕は、一人だけ早まったんじゃないのか?

「は、な、し、てっ」
「や、め、ろっ」

 安海が必死に僕の腕を振り解こうとする。つかみ合いの喧嘩をしたのは何か月ぶりだ。高校の受験勉強の時にも確かした。何度もした。もっとも酷かったのは、いつだった?

 受験の一週間前、安海は急に怒りだして、僕に枕を投げつけてきた。意味不明で理不尽に殴り掛かられて、組み伏せられて、首や腕を噛み付かれた。あの時は確か、最後に……。

 安海が僕の方に傾いできて、ズボンのベルトに手を掛けようとして、近づいてきた安海の横顔に顔を寄せる。前より明らかに野獣化しとる。

 えええい、なるようになれ。
 僕は覚悟を決めた。いざとなれば土下座だ。
 自分にそう言い聞かせて、僕は目の前にまできた形良い耳に、唇を寄せる。

 そして。

 舌を、伸ばす。

「ひやあぁ?」

 その一瞬で、安海の身体が僕の傍から離れごろごろと転がった。ああ制服が汚れる。そんな心配もむなしく、安海は舐められた耳を押さえ、「ぬああああ」と、床の上を悶え打つ。

「ふっ、やっぱり耳弱いのな」
「い、いきなり、みみ、舐めないでよおおお」

 安海はそう、耳が弱いのだ。それを知ったのはたまたまだったが、それで安海は冷静になった過去がある。二度目で確信した。

 五個目の弱点、発見。

「お前、頭冷やせ。ここは異世界じゃない。いや異世界だったとしても戻ってこれた、うん、戻ったの」

 安海に言い聞かせながら、僕は必死に呼吸を整える。意識を落ち着かせて、興奮している下半身よ静まれ早く。下半身を肥大化させた状態で真面目な事を言っても意味はない。
 耳を押さえ顔を赤らめる安海を見ないようにして、頭の中で必死に妄想、回想をする。

 安海の泣き真似と同様、これもまた経験の技。

 思い出すのはアニメの戦闘シーン。主人公は満身創痍。鎧は壊れ刀も折れ、敵に囲まれ万事休す。空を見上げて微かに笑う。仲間に裏切られ世界で一人、何もかも信じられない。獣の牙が主人公の喉に向かい、死を覚悟する。それでも折れた刀は放さない。
 瞬間に影。一騎当千の如き鬼神の一人が、群がる野獣を縦横無尽に蹴散らす。旗は敵軍。巨大な背が、主人公の前に踊り立つ。

 どうしてお前が。
 敵の長、宿敵の背に、主人公が驚く。背は語る。背は笑う。

 オレを否定したいなら、強くなれ。

 胸中に熱が浮く。ああ、あの背に、僕は……俺は憧れたんだ。そんな少年の心を思い出して、その隣にあったのは、いつだってこいつだと思い出す。

 しばらく黙ると、下半身の疼きは収まっている。心がすっきりとした。久々に思い出した記憶は、小学校の頃に見たアニメの一つ。あれを見て、俺は育ったと言ってもいい。そんなアニメを一緒に見たのは、唯一ただ一人だけ。

「みっ、あんたが変態なんじゃない? 耳とか、舐める? うわあ、やだぁ」

 目の前に居る安海が……違和感、違うと首を振る。

 俺の、傍にはアユが居た。

 アユは床にぺたんと座り込んで、今にも泣きそうだった。ああ、何やってんだろうなと自分の馬鹿さに笑ってしまう。何だ、変わってないんじゃないか。
 そう思うと、歯車がかちりと、噛み合った。

「耳、やだって言ったじゃない! みーくんのえっち!」
「否定はしないが煩い。黙れ」
「っ?」

 俺の一言に、アユの表情の曇りが晴れた。

 誰も居ない図書室に、二人の間に何かの風が吹いた気がした。窓は開いておらず、気のせいだとわかっていても、俺らはたぶん、ずれていた別の世界から、たぶん元の、二人が居るべき世界へと舞い戻った。

「ちょっと黙れ、アユ」

 少し声を低く、優しさの欠片もない声でそう告げる。アユの頭に手を置きながら、ぽん、ぽんと叩く。

「……はい」

 急に大人しくなったアユが、小さな声で頷いた。

<続く>
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