21 / 26
第十章 浦島次郎
浦島次郎(厭世と牛乳)
しおりを挟む
目の前の扉を、不信感たっぷりに見つめる。
――エリア五×一号室。
こんな落書きをして、管理人からクレームが来ないのかと、疑問を抱く。
前髪を指で透かし、額が見えないように改めて整える。格好は緑の寝巻きだが、隣なんだから服装に気を使う必要もない。
吉村は、極めて平然を装いながら、扉を開ける。
「こんにちはー……うっ」
部屋の中を見て、思わず喉が詰まる。何だここは。
吉村に言わせれば、そこは人間の住む場所ではない。ゴミ溜めである。ほのかに漂う異臭、入り口にまとめられたゴミ袋、散乱する意味不明の物体。壁一面のポスター、角に置かれた銃器類、プラスチックの棒、ヒーローものの仮面、ビデオ、望遠鏡、衣類、木刀、書籍、巨大な恐竜の骨。ここまで物を溜め込んでいることにある種の感銘すら受ける。
「何すかこの汚い部屋。あー、やだやだ」
ゴミ袋をまたぎながら、図々しく中に入り込む。椅子に座る鈴木は少しこちらを見ただけで、とがめる様子はなかった。
冷蔵庫を開けて、目当てのものを確認する。
「コンビニ行くの、めんどいから牛乳分けてください」
「二百円ね」
やっと鈴木が口を開いた。吉村はいかにも不満げなため息をついた。
「ケチだなあ、そんなんだから友達できないんですよ」
だいいち、低脂肪乳で二百円はぼったくり過ぎだ。
不満はあったが、ポケットから硬貨を出して流し台に置く。
「最近、佐藤さんお見舞いに来てくれないんですよね」
「俺のところにも来てないよ」
「だからこんなに部屋が汚いんだ。……忙しいんですかね、佐藤さん」
「単に来たくないだけだと思うな」
吉村の動きが止まった。冷蔵庫を閉めてから、鈴木の顔を見る。いつもながら厭世的だ。
「もしかして、喧嘩でもしたんですか」
「べつに……あっちが勝手に怒ってんだけど」
見る見るうちに、吉村の顔がにやけていった。なんていい気味だ。そして好機だ。
「ふうーん、喧嘩したんすか。そうかそうかあ」
扉を後ろ手に開けながら、わざとらしく言う。
「佐藤さん来ないし、学校行こうかな」
「…………」
呆れたような鈴木を残して、吉村は自室へ帰っていった。
○
柳瀬ファッション専門学校。
佐藤は教室への階段を上っていた。どうも、あまりやる気が出ない。だからといって学校を休むわけにもいかない。沈んだ面持ちのまま一段一段踏みしめていく。
ふわふわした栗色の髪が視界を覆う。友達に顔を覗き込まれたのだ。
「何か、律子沈んでへん?」
「うん……ちょっとね……」
目をそらす。
いつもの柔らかい関西なまりで、友達は続ける。
「うち、笑ってる律子が好きやで」
心に痛みが走る。柔肌を針でつつかれたかのような感覚。
律子は小さくうなずくことしかできなかった。
教室のドアを開けた。いつもと同じ風景のはずだ。
しかし、そこにはちょっとしたサプライズがあった。
「おはよう佐藤さん」
「吉村じゃん!」
懐かしい、爽やかな笑顔を浮かべている。机に腰掛け、たくさんの生徒に囲まれていた。佐藤もすぐにその輪に入る。
「何、もう元気になったの?」
「はい、傷も大分わからなくなりましたし」
前髪をあげて、額を指差す。傷跡は薄っすらとなり、それと知らなければわからないほどだった。
「よかったあ」
佐藤は心から言った。女友達が背中を叩く。
「何や、律子のテンション低かったのってもしかして吉村いなかったから?」
「まー、それもちょっとあったかなあ」
周囲から冷やかしの声があがる。そんなものは今の佐藤にはどうでもよかった。だた、吉村が立ち直ってくれたことが嬉しかったのだ。
「はいはい静かにー」
教師が出席簿を叩きながら現れる、いつもの光景。
――吉村も戻ってきたし、狼も出ない。こうやって少しずつ平穏な毎日が再び始まる。それでいい。
そう、自分に言い聞かせつつも、心のもやはとれなかった。
――エリア五×一号室。
こんな落書きをして、管理人からクレームが来ないのかと、疑問を抱く。
前髪を指で透かし、額が見えないように改めて整える。格好は緑の寝巻きだが、隣なんだから服装に気を使う必要もない。
吉村は、極めて平然を装いながら、扉を開ける。
「こんにちはー……うっ」
部屋の中を見て、思わず喉が詰まる。何だここは。
吉村に言わせれば、そこは人間の住む場所ではない。ゴミ溜めである。ほのかに漂う異臭、入り口にまとめられたゴミ袋、散乱する意味不明の物体。壁一面のポスター、角に置かれた銃器類、プラスチックの棒、ヒーローものの仮面、ビデオ、望遠鏡、衣類、木刀、書籍、巨大な恐竜の骨。ここまで物を溜め込んでいることにある種の感銘すら受ける。
「何すかこの汚い部屋。あー、やだやだ」
ゴミ袋をまたぎながら、図々しく中に入り込む。椅子に座る鈴木は少しこちらを見ただけで、とがめる様子はなかった。
冷蔵庫を開けて、目当てのものを確認する。
「コンビニ行くの、めんどいから牛乳分けてください」
「二百円ね」
やっと鈴木が口を開いた。吉村はいかにも不満げなため息をついた。
「ケチだなあ、そんなんだから友達できないんですよ」
だいいち、低脂肪乳で二百円はぼったくり過ぎだ。
不満はあったが、ポケットから硬貨を出して流し台に置く。
「最近、佐藤さんお見舞いに来てくれないんですよね」
「俺のところにも来てないよ」
「だからこんなに部屋が汚いんだ。……忙しいんですかね、佐藤さん」
「単に来たくないだけだと思うな」
吉村の動きが止まった。冷蔵庫を閉めてから、鈴木の顔を見る。いつもながら厭世的だ。
「もしかして、喧嘩でもしたんですか」
「べつに……あっちが勝手に怒ってんだけど」
見る見るうちに、吉村の顔がにやけていった。なんていい気味だ。そして好機だ。
「ふうーん、喧嘩したんすか。そうかそうかあ」
扉を後ろ手に開けながら、わざとらしく言う。
「佐藤さん来ないし、学校行こうかな」
「…………」
呆れたような鈴木を残して、吉村は自室へ帰っていった。
○
柳瀬ファッション専門学校。
佐藤は教室への階段を上っていた。どうも、あまりやる気が出ない。だからといって学校を休むわけにもいかない。沈んだ面持ちのまま一段一段踏みしめていく。
ふわふわした栗色の髪が視界を覆う。友達に顔を覗き込まれたのだ。
「何か、律子沈んでへん?」
「うん……ちょっとね……」
目をそらす。
いつもの柔らかい関西なまりで、友達は続ける。
「うち、笑ってる律子が好きやで」
心に痛みが走る。柔肌を針でつつかれたかのような感覚。
律子は小さくうなずくことしかできなかった。
教室のドアを開けた。いつもと同じ風景のはずだ。
しかし、そこにはちょっとしたサプライズがあった。
「おはよう佐藤さん」
「吉村じゃん!」
懐かしい、爽やかな笑顔を浮かべている。机に腰掛け、たくさんの生徒に囲まれていた。佐藤もすぐにその輪に入る。
「何、もう元気になったの?」
「はい、傷も大分わからなくなりましたし」
前髪をあげて、額を指差す。傷跡は薄っすらとなり、それと知らなければわからないほどだった。
「よかったあ」
佐藤は心から言った。女友達が背中を叩く。
「何や、律子のテンション低かったのってもしかして吉村いなかったから?」
「まー、それもちょっとあったかなあ」
周囲から冷やかしの声があがる。そんなものは今の佐藤にはどうでもよかった。だた、吉村が立ち直ってくれたことが嬉しかったのだ。
「はいはい静かにー」
教師が出席簿を叩きながら現れる、いつもの光景。
――吉村も戻ってきたし、狼も出ない。こうやって少しずつ平穏な毎日が再び始まる。それでいい。
そう、自分に言い聞かせつつも、心のもやはとれなかった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。

椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
【完結】生贄娘と呪われ神の契約婚
乙原ゆん
キャラ文芸
生け贄として崖に身を投じた少女は、呪われし神の伴侶となる――。
二年前から不作が続く村のため、自ら志願し生け贄となった香世。
しかし、守り神の姿は言い伝えられているものとは違い、黒い子犬の姿だった。
生け贄など不要という子犬――白麗は、香世に、残念ながら今の自分に村を救う力はないと告げる。
それでも諦められない香世に、白麗は契約結婚を提案するが――。
これは、契約で神の妻となった香世が、亡き父に教わった薬草茶で夫となった神を救い、本当の意味で夫婦となる物語。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる