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第九章 働いたら負けかなと思っている
働いたら負けかなと思っている(喧嘩)
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幼い頃の佐藤は、姉にべったりだった。年が離れていたこともあり、大人っぽくて憧れていたのを覚えている。姉は佐藤にとって自慢であり憧れであった。
実際、姉はよく出来ていた。顔は綺麗だし、勉強が出来るし、いつもそつがない。礼儀正しく、大人たちにも誉められていた。やんちゃでよく叱られた自分とは大違いだ。
しかし、姉には姉の悩みがあったらしい。
姉は周囲に異常なほど気を配っていた。そのせいで一人でストレスを溜め込んでいたのだ。高校になると、それが肌荒れとして表面化した。ニキビのせいでせっかくの美人が台無しになる。彼女はそれがいやでいやで仕方がなかったが、我慢して気にしていないよう振舞った。学校でもいつも笑顔でいたという。
しかし、それがあだとなった。
佐藤が小学校から帰宅すると、玄関に姉の靴がある。普段、姉は佐藤よりも帰りが遅いので、軽い違和感を覚えた。
「あれ、お母さん、お姉ちゃんもう帰ってるの?」
母も困っている様子だった。
「それが、お昼に早退してきたって……泣きながら部屋に入って、出てこないのよ」
それは姉を妄信していた佐藤にとって衝撃的な出来事だった。
二階に駆け上がり、姉の部屋のノブを回す。が、動かない。鍵を掛けられているようだった。仕方がなく、ドアを叩きながら叫んだ。
「お姉ちゃん、どうしたの? お姉ちゃん!」
姉からは何の反応もなかった。
その後、家を訪ねてきた姉の同級生から、事のあらましを聞いた。
昼休憩、お弁当を食べながら他愛ない会話をしていた。ある冗談を聞いて、姉が顔いっぱいで笑ったのだという。それがおかしくて、友達は茶化したくなった。
「ちょっと花ちゃん、笑顔キモいー」
「ホントだ、花ちゃんの顔のほうが受ける!」
友達としては、ほんの冗談のつもりだった。しかし、姉にとっては冗談では済まされなかった。呆然とし、教室から飛び出したのだという。
佐藤はそのことを姉に教えようと、もう一度姉の部屋へ向かった。今度は出来るだけ明るく話しかける。
「お姉ちゃん、話、聞いたよ。気にしすぎなんだって。友達も、さっき謝りに来ていたんだよ。みんな、悪気はなかったって、ほんの冗談のつもりだったんだって」
暫時、沈黙が続く。そして開錠される音が響いたと思ったら、扉が開かれた。目を赤くし、泣き腫らした姉が出てくる。鬼のような形相に、佐藤はわずかに恐怖を覚えた。
鼓膜が破れんばかりの叫びを上げる。佐藤の心拍数が一気に上昇した。
――こんなお姉ちゃん、見たことない。
「りっちゃんにわかるわけないよね! いつも、元気で、明るくて、誰からも好かれて! 可愛がられて! 何の努力だってしていないのに。私は、私は周囲に認めてもらうためにどれほどの努力をしたことか! わかるわけないよ! 名前だって、りっちゃんは立派な意味があってさ。私とは違うよ。りっちゃんはいいよね、いいよね! りっちゃんはいいよねっ!」
佐藤の思考が真っ白になった。
「その時初めて気付いたんだ。お姉ちゃんを追い詰めてたのは、私だったんだって」
佐藤は、いつになく思いつめた顔をしていた。そんな彼女に鈴木は一言、
「それは明らかに佐藤さんのせいだね」
「あんたには慰めるという選択肢はないの?」
怒りを通り越して呆れが来る。
佐藤は腰に手を当て、握り拳を作る。
「私は、お姉ちゃんに社会復帰して欲しい。もう一度、外に出る勇気と自信を持って欲しいの。だから、ファッションデザイナーになって、綺麗な服を作るの。お姉ちゃんに私のデザインした服を着て、外に出てもらいたい。お姉ちゃん、もともとの造作はすごくいいから、おしゃれしたら絶対に美人になると思うの。自分に自信が持てたら、昔のトラウマなんて忘れられる。だから、ファッションデザイナーになる。それが私の夢」
言ってから、佐藤は、自分のけなげさを賞賛したくさえなった。なんて素晴らしい目標なのだろう。きっと鈴木も感動したに違いない。
しかし、彼の反応は冷淡なものだった。
「それってさ、本当に佐藤さんの夢なの?」
一瞬、言葉に詰まる。鈴木の言うことがわからない。
鈴木は淡々と続けた。
「お姉さんのためなのか、自分のためなのか、はっきりさせといたほうがいいんじゃない? お姉さんを社会復帰させたいがためにデザイナーになるんだったら、自分のやりたいこととは言えないよね。やりたいことがわからないっていうのは、俺も佐藤さんも同じだよ」
全身に稲妻が走った。腕がわなわなと震える。
――何が、何が、何が、何が!
よれよれのパーカーにつかみかかる。胸倉を持ったままゆすりまくった。
「やめたまえ、暴力はよくない」
鈴木は椅子から立ち上がって逃げようとする。その拍子に派手な音が響いた。二人の動きが止まる。
音の先には、床に落ちたパソコンがあった。
鈴木が叫んだ。ベイダーの真似をしているときとは違う、本気の叫びだった。
「俺の中学時代からの相棒が」
画面の黒くなったパソコンにすがる。佐藤は首を振った。
「わ、私じゃないわよ、あんたが足、ひっかけたんだから!」
鈴木が無音になる。ゆっくりと首が動く。
振り返り切るのを待たずに、佐藤は後ろを向く。
鞄を手に取り、出て行こうとする。
「待てよ」
あからさまな怒りを含んだ彼の声を、初めて聞いた。佐藤は振り返る。
その目には、光るものがあった。
鈴木はそれ以上何も言わなかった。
実際、姉はよく出来ていた。顔は綺麗だし、勉強が出来るし、いつもそつがない。礼儀正しく、大人たちにも誉められていた。やんちゃでよく叱られた自分とは大違いだ。
しかし、姉には姉の悩みがあったらしい。
姉は周囲に異常なほど気を配っていた。そのせいで一人でストレスを溜め込んでいたのだ。高校になると、それが肌荒れとして表面化した。ニキビのせいでせっかくの美人が台無しになる。彼女はそれがいやでいやで仕方がなかったが、我慢して気にしていないよう振舞った。学校でもいつも笑顔でいたという。
しかし、それがあだとなった。
佐藤が小学校から帰宅すると、玄関に姉の靴がある。普段、姉は佐藤よりも帰りが遅いので、軽い違和感を覚えた。
「あれ、お母さん、お姉ちゃんもう帰ってるの?」
母も困っている様子だった。
「それが、お昼に早退してきたって……泣きながら部屋に入って、出てこないのよ」
それは姉を妄信していた佐藤にとって衝撃的な出来事だった。
二階に駆け上がり、姉の部屋のノブを回す。が、動かない。鍵を掛けられているようだった。仕方がなく、ドアを叩きながら叫んだ。
「お姉ちゃん、どうしたの? お姉ちゃん!」
姉からは何の反応もなかった。
その後、家を訪ねてきた姉の同級生から、事のあらましを聞いた。
昼休憩、お弁当を食べながら他愛ない会話をしていた。ある冗談を聞いて、姉が顔いっぱいで笑ったのだという。それがおかしくて、友達は茶化したくなった。
「ちょっと花ちゃん、笑顔キモいー」
「ホントだ、花ちゃんの顔のほうが受ける!」
友達としては、ほんの冗談のつもりだった。しかし、姉にとっては冗談では済まされなかった。呆然とし、教室から飛び出したのだという。
佐藤はそのことを姉に教えようと、もう一度姉の部屋へ向かった。今度は出来るだけ明るく話しかける。
「お姉ちゃん、話、聞いたよ。気にしすぎなんだって。友達も、さっき謝りに来ていたんだよ。みんな、悪気はなかったって、ほんの冗談のつもりだったんだって」
暫時、沈黙が続く。そして開錠される音が響いたと思ったら、扉が開かれた。目を赤くし、泣き腫らした姉が出てくる。鬼のような形相に、佐藤はわずかに恐怖を覚えた。
鼓膜が破れんばかりの叫びを上げる。佐藤の心拍数が一気に上昇した。
――こんなお姉ちゃん、見たことない。
「りっちゃんにわかるわけないよね! いつも、元気で、明るくて、誰からも好かれて! 可愛がられて! 何の努力だってしていないのに。私は、私は周囲に認めてもらうためにどれほどの努力をしたことか! わかるわけないよ! 名前だって、りっちゃんは立派な意味があってさ。私とは違うよ。りっちゃんはいいよね、いいよね! りっちゃんはいいよねっ!」
佐藤の思考が真っ白になった。
「その時初めて気付いたんだ。お姉ちゃんを追い詰めてたのは、私だったんだって」
佐藤は、いつになく思いつめた顔をしていた。そんな彼女に鈴木は一言、
「それは明らかに佐藤さんのせいだね」
「あんたには慰めるという選択肢はないの?」
怒りを通り越して呆れが来る。
佐藤は腰に手を当て、握り拳を作る。
「私は、お姉ちゃんに社会復帰して欲しい。もう一度、外に出る勇気と自信を持って欲しいの。だから、ファッションデザイナーになって、綺麗な服を作るの。お姉ちゃんに私のデザインした服を着て、外に出てもらいたい。お姉ちゃん、もともとの造作はすごくいいから、おしゃれしたら絶対に美人になると思うの。自分に自信が持てたら、昔のトラウマなんて忘れられる。だから、ファッションデザイナーになる。それが私の夢」
言ってから、佐藤は、自分のけなげさを賞賛したくさえなった。なんて素晴らしい目標なのだろう。きっと鈴木も感動したに違いない。
しかし、彼の反応は冷淡なものだった。
「それってさ、本当に佐藤さんの夢なの?」
一瞬、言葉に詰まる。鈴木の言うことがわからない。
鈴木は淡々と続けた。
「お姉さんのためなのか、自分のためなのか、はっきりさせといたほうがいいんじゃない? お姉さんを社会復帰させたいがためにデザイナーになるんだったら、自分のやりたいこととは言えないよね。やりたいことがわからないっていうのは、俺も佐藤さんも同じだよ」
全身に稲妻が走った。腕がわなわなと震える。
――何が、何が、何が、何が!
よれよれのパーカーにつかみかかる。胸倉を持ったままゆすりまくった。
「やめたまえ、暴力はよくない」
鈴木は椅子から立ち上がって逃げようとする。その拍子に派手な音が響いた。二人の動きが止まる。
音の先には、床に落ちたパソコンがあった。
鈴木が叫んだ。ベイダーの真似をしているときとは違う、本気の叫びだった。
「俺の中学時代からの相棒が」
画面の黒くなったパソコンにすがる。佐藤は首を振った。
「わ、私じゃないわよ、あんたが足、ひっかけたんだから!」
鈴木が無音になる。ゆっくりと首が動く。
振り返り切るのを待たずに、佐藤は後ろを向く。
鞄を手に取り、出て行こうとする。
「待てよ」
あからさまな怒りを含んだ彼の声を、初めて聞いた。佐藤は振り返る。
その目には、光るものがあった。
鈴木はそれ以上何も言わなかった。
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