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第七章 愛の名は執着
愛の名は執着(それを愛と言わずして)
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佐藤宅から、ゲラゲラと笑い声が聞こえる。若い女の声だ。それが佐藤律子の声であろうことは、安易に予測できた。まったく、無用心で頭の軽い女だ。
鈴木太郎は、佐藤の家を見上げながら、ほくそ笑んだ。通り魔コスチュームではなく、普段着だ。サングラスは外しているし、無論獣耳のついたコートもない。落ち着いたデザインのジャケットに、無地のシャツを着ている。ズボンもどこにでもあるジーンズだ。おそらく、被害者ですらこの男と通り魔の接点を見出すことは困難だろう。遠巻きからなら、弟もわからない――鈴木太郎にはそのくらいの自信があった。
あれだけ特徴的な格好を定着させておけば、普段の人物像はつかみにくいだろう。
「佐藤律子……この俺に与えた屈辱、どう晴らしてくれよう」
煙草をくゆらせながら、一週間前のことを思い出す。はらわたが煮えくり返る想いだ。絶対にこの女だけは、どんな手を使ってでも追い詰めてやる。追い詰めて額に人格否定としてのバツ印を描き込むのだ。
佐藤の家を調べるのはそれほど難しくはなかった。まず、実家に電話して弟の住所を教えてもらう。両親は行方不明の自分のことを心底心配していて、なんて親不孝なことをしているのだろうと心情がぐらつきかけたが、ここで引き返すわけには行かない。適当に今の生活をでっち上げて、話を次郎のほうに持っていく。弟は一応実家に連絡は取っているらしかった。これで住所はつかめる。あとは弟のアパート付近で張っていればいい。案の定、張り込み一日目にして佐藤は現れた。かなり頻繁に訪れているらしかった。アパートを出た佐藤をストーキングすることで、芋づる式に彼女の住処も判明する。
しかし、佐藤の所在がわかったからといって、いきなり襲撃するのは性急だ。外で襲撃するにも佐藤は当分人気のない場所には近づかないだろう。もう少し様子を見て、決定的な隙をつかなければならない。
この前のことが警察に通報された可能性はないだろう。太郎は、弟の性格を把握している。弟は人に騒がれたり注目されたりすることを何よりも疎んじた。自分のことを警察に話せば、弟ということでマスコミに追い回されるだろう。そんなマネをあの弟がするはずがなかった。太郎が逮捕されればどの道、騒がれるだろうが、逮捕前と逮捕後では前者のほうが盛り上がる。事件が収束すればやがて忘れ去られていくだけだからだ。
無論、兄を警察に逮捕してもらいたいとは思っているだろう。しかし、警察に垂れ込みたくはない。
――次郎のやつ、佐藤律子をおとりにする気だな。
太郎が佐藤を襲うのを待ち、現行犯で警察に突き出す。やるならそれが一番だろう。あいつには次に通り魔が誰を狙うかがはっきりとわかっているのだから。
――いいだろう。受けて立とうじゃねえか。思い通りに捕まったりはしないがな。お前は兄貴を舐めすぎなんだよ。
と、人の来る気配を感じる。太郎は佐藤宅から目を逸らした。中年女性が三人ほどで、世間話をしながら歩いてくる。
「……最近は通り魔が大人しいね」
「あの、額にバツ印を描いていくのでしょ。いやねえ」
「『愛しているから』って、わけがわかんない」
「ホントよねえ」
おばさんたちは、太郎には目もくれずに通り過ぎた。彼女らが角を曲がったところで、太郎はフッと笑う。
「お前らには一生わからねえだろうな」
煙草を地面に捨て、足でもみ消す。
「いつ警察に捕まるかもしれない、そんな危険を冒してまでも執拗に追いかける――これを『愛』と言わずして、いったい何と言うんだよ」
鈴木太郎は、佐藤の家を見上げながら、ほくそ笑んだ。通り魔コスチュームではなく、普段着だ。サングラスは外しているし、無論獣耳のついたコートもない。落ち着いたデザインのジャケットに、無地のシャツを着ている。ズボンもどこにでもあるジーンズだ。おそらく、被害者ですらこの男と通り魔の接点を見出すことは困難だろう。遠巻きからなら、弟もわからない――鈴木太郎にはそのくらいの自信があった。
あれだけ特徴的な格好を定着させておけば、普段の人物像はつかみにくいだろう。
「佐藤律子……この俺に与えた屈辱、どう晴らしてくれよう」
煙草をくゆらせながら、一週間前のことを思い出す。はらわたが煮えくり返る想いだ。絶対にこの女だけは、どんな手を使ってでも追い詰めてやる。追い詰めて額に人格否定としてのバツ印を描き込むのだ。
佐藤の家を調べるのはそれほど難しくはなかった。まず、実家に電話して弟の住所を教えてもらう。両親は行方不明の自分のことを心底心配していて、なんて親不孝なことをしているのだろうと心情がぐらつきかけたが、ここで引き返すわけには行かない。適当に今の生活をでっち上げて、話を次郎のほうに持っていく。弟は一応実家に連絡は取っているらしかった。これで住所はつかめる。あとは弟のアパート付近で張っていればいい。案の定、張り込み一日目にして佐藤は現れた。かなり頻繁に訪れているらしかった。アパートを出た佐藤をストーキングすることで、芋づる式に彼女の住処も判明する。
しかし、佐藤の所在がわかったからといって、いきなり襲撃するのは性急だ。外で襲撃するにも佐藤は当分人気のない場所には近づかないだろう。もう少し様子を見て、決定的な隙をつかなければならない。
この前のことが警察に通報された可能性はないだろう。太郎は、弟の性格を把握している。弟は人に騒がれたり注目されたりすることを何よりも疎んじた。自分のことを警察に話せば、弟ということでマスコミに追い回されるだろう。そんなマネをあの弟がするはずがなかった。太郎が逮捕されればどの道、騒がれるだろうが、逮捕前と逮捕後では前者のほうが盛り上がる。事件が収束すればやがて忘れ去られていくだけだからだ。
無論、兄を警察に逮捕してもらいたいとは思っているだろう。しかし、警察に垂れ込みたくはない。
――次郎のやつ、佐藤律子をおとりにする気だな。
太郎が佐藤を襲うのを待ち、現行犯で警察に突き出す。やるならそれが一番だろう。あいつには次に通り魔が誰を狙うかがはっきりとわかっているのだから。
――いいだろう。受けて立とうじゃねえか。思い通りに捕まったりはしないがな。お前は兄貴を舐めすぎなんだよ。
と、人の来る気配を感じる。太郎は佐藤宅から目を逸らした。中年女性が三人ほどで、世間話をしながら歩いてくる。
「……最近は通り魔が大人しいね」
「あの、額にバツ印を描いていくのでしょ。いやねえ」
「『愛しているから』って、わけがわかんない」
「ホントよねえ」
おばさんたちは、太郎には目もくれずに通り過ぎた。彼女らが角を曲がったところで、太郎はフッと笑う。
「お前らには一生わからねえだろうな」
煙草を地面に捨て、足でもみ消す。
「いつ警察に捕まるかもしれない、そんな危険を冒してまでも執拗に追いかける――これを『愛』と言わずして、いったい何と言うんだよ」
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