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第一章 東京エリア51
東京エリア51(秘密基地)
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名前プレートには「鈴木次郎」と書かれている。部屋番号は「五○一」。なぜか「○」の部分だけ油性ペンで斜線が引かれている。ついでに横には「エリア」と付け足されていた。
以前、どういう意味なのか尋ねたことがあった。
「エリア51というのは、ロスアンゼルスにあるアメリカ軍の秘密基地で、宇宙人と交信しているらしいよ」
聞いたところで、佐藤にはおよそ理解できるわけもない話だ。
ちなみに、このアパートは「四」は「死」につながり縁起が悪いという古き日本の伝統に従い、四階は「五」から始まるのだそうだ。
それよりも今は、部屋の中から聞こえる不穏な音のほうが気になる。
目前まで来たことで、大分はっきり聞こえるようになった。しかし、やはりうめき声でることには変わりない。
ノオオオオ……ノオオオオ……
「ノー」。そう聞こえる。佐藤は意を決してドアノブに手をかけた。一気に扉を開く。
「ノオオオォォッ!」
目の前に広がる光景に、金縛りにあう。
男が入り口に立ちはだかり、おぞましい声をあげている。顔を覆う黒いヘルメットは、一般に普及しない奇怪な形をしていた。この筆舌尽くしがたい物体をあえて形容するならば、鎧兜が近未来化した、とでも言うしかない。
「……何をしているの?」
とりあえず、声をかける。叫び声がやんだ。そしてヘルメットに手をかけ、ゆっくりと脱ぐ。
ぼさぼさの黒髪が覗く。不健康な肌色に、深い隈。目つきは怪しげで、口元はにやけている。腹の立つくらい普段と変わらない鈴木の顔だった。
鈴木は感情の読み取り難い、平坦な声を出す。
「パドメが死んでショックを受けているダースベ○ダーごっこ」
「すんなあっ! 外まで響いてんのよ、気持ちが悪い」
一喝してから、鈴木を押しのける。相変わらず汚い部屋だった。初めて訪れた時、本当にここは日本なのか、アリスになって違う世界に迷い込んだのではないだろうかと、しばし呆然としたことを覚えている。
「あんたさあ、朝起きたら普通カーテン開けるでしょ」
麗らかな春の日差しを、閉められたままのカーテンが悲しくシャットダウンしている。
「いちいち開け閉めするの面倒じゃない?」
「あらそうですか」
言っても無駄なので、説教はやめておくとする。
入り口付近には捨てられていないゴミ袋がまとめられていた。まるで侵入者を拒むかのようだ。他にも床には、紙くずや空になったペットボトル、潰された箱などが落ちていた。生ゴミが放置されていないだけましではある。散乱しているのはゴミだけではない。圧倒的な量を誇るのが、「人形」である。
実社会では遭遇したことのない奇天烈な形をした生物の人形が、埋め尽くすように並んでいる。中には、亀や猫など、割と親近感の持てるものも存在するが、背筋に悪寒が走るような気味の悪いものも多い。鈴木曰く、「人形」ではなく「フィギュア」というらしいが、そんなことは佐藤にはどうでもよかった。
加えて、先ほどの近未来兜に代表される、装着アイテムも保持されていた。部屋の片隅にさりげなく置かれた機関銃らしきものが実に猟奇的だ。
――こんなものの、何がそんなに好きなんだろう。
壁に貼られたポスターも胡散くさい。『メカキングジュニアの暴走』? 『月光戦士シルバームーン』? 見ているだけで頭がおかしくなりそうなイラストが添えられている。中にいくらか混じる美人の写真が健全に見えるが、……それ全て「高峰天弓」である。
このカオス世界を見ていると、苛立ちを抑えられなくなる。
佐藤は、玄関棚を開け、ゴミ袋を引っ張り出す。どこに何がしまってあるかはだいたい把握していた。
「これもいらない、これもいらない」
散らばるゴミを次々と袋に入れていく。玄関から部屋まで、佐藤の後に道が出来る。鈴木はその様子を突っ立ったまま見ていた。特に手伝う気はないらしい。よれた作業ズボンの裾を足先でいじくっている。
佐藤のかかとに痛みが走った。思わず飛びのき、床を見る。頭にとげのついた、恐竜に似た怪獣が落ちている。もう一度踏みつけて壊したい衝動を抑えるのに苦労した。短気なのは自分の欠点だと自覚している。深呼吸をして、心を落ち着けると、それを拾い上げる。
「これもいらな……」
「ダメだっ」
急な叫びに、佐藤の手が止まる。いつの間にか鈴木が隣に移動している。怪獣をもぎ取ろうとするので、佐藤もムキになって引っ張り返す。
「何よ、埃まみれで放置されてるじゃない」
「君にヘプラの命を奪う資格があるのか、居場所を奪う資格があるのか!」
「ああもうわかったわよ。この特撮オタク!」
鈴木は趣味のことになると人が変わる。普段は何事にも無関心・無干渉・無気力・無感情な人間だが(少なくとも佐藤にはそう見える)、佐藤が部屋のコレクションに害を加えようとすれば過剰反応をとるのだ。血色が悪いので険悪な表情になると、とんでもなく凶悪に見える。人形を奪い取ったり、大声を出したりの実力行使に出るのもこのときだけだ。
また、怪獣映画やSF映画について語るときは、目を輝かせて少年の顔になる。
佐藤がヘプラを床に戻したのを確認すると、鈴木は大人しくなった。手を下ろし、いつもの陰気な微笑を浮かべる。
「そういや、今日は何の用だっけ?」
「そうそう、ちょっと買い物に付き合ってほしくてさ」
まとめたゴミを鈴木に持たせて、さっさと部屋を出る。この男はこまめに捨てればよいものを、いっぱいになるまでゴミを溜め込むのだ。カラスが後生大事に拾ったゴミを巣に蓄えるのに似ている。だから週に一度はゴミ掃除に来てやらなければならないというわけだ。ついでに、自分の用事に付き合わせることもできる。
建物のすぐ横にある、集積場に来る。
「はい、ゴミを収集箱に入れて」
「うちのアパート、生ものでなければゴミの日にこだわる必要ないんだよね」
「いいのよ、そんなことはどうでも。曜日を決めといたほうがわかりやすいでしょ?」
収集箱のふたを開ける。二つあるうちの一つ目の箱はすでにいっぱいだったので、二つ目に袋を詰める。ゴミを収集する日は決まっているが、腐るものでなければ特に時間の指定はないということだった。それでも、収集車が来る前日か当日の朝に出すほうがよいに決まっている。
「じゃ、行くよ」
佐藤は鈴木の手を引いて小走りする。鈴木は素足にサンダルを引っ掛けたままやる気なさげに身を任せる。
以前、どういう意味なのか尋ねたことがあった。
「エリア51というのは、ロスアンゼルスにあるアメリカ軍の秘密基地で、宇宙人と交信しているらしいよ」
聞いたところで、佐藤にはおよそ理解できるわけもない話だ。
ちなみに、このアパートは「四」は「死」につながり縁起が悪いという古き日本の伝統に従い、四階は「五」から始まるのだそうだ。
それよりも今は、部屋の中から聞こえる不穏な音のほうが気になる。
目前まで来たことで、大分はっきり聞こえるようになった。しかし、やはりうめき声でることには変わりない。
ノオオオオ……ノオオオオ……
「ノー」。そう聞こえる。佐藤は意を決してドアノブに手をかけた。一気に扉を開く。
「ノオオオォォッ!」
目の前に広がる光景に、金縛りにあう。
男が入り口に立ちはだかり、おぞましい声をあげている。顔を覆う黒いヘルメットは、一般に普及しない奇怪な形をしていた。この筆舌尽くしがたい物体をあえて形容するならば、鎧兜が近未来化した、とでも言うしかない。
「……何をしているの?」
とりあえず、声をかける。叫び声がやんだ。そしてヘルメットに手をかけ、ゆっくりと脱ぐ。
ぼさぼさの黒髪が覗く。不健康な肌色に、深い隈。目つきは怪しげで、口元はにやけている。腹の立つくらい普段と変わらない鈴木の顔だった。
鈴木は感情の読み取り難い、平坦な声を出す。
「パドメが死んでショックを受けているダースベ○ダーごっこ」
「すんなあっ! 外まで響いてんのよ、気持ちが悪い」
一喝してから、鈴木を押しのける。相変わらず汚い部屋だった。初めて訪れた時、本当にここは日本なのか、アリスになって違う世界に迷い込んだのではないだろうかと、しばし呆然としたことを覚えている。
「あんたさあ、朝起きたら普通カーテン開けるでしょ」
麗らかな春の日差しを、閉められたままのカーテンが悲しくシャットダウンしている。
「いちいち開け閉めするの面倒じゃない?」
「あらそうですか」
言っても無駄なので、説教はやめておくとする。
入り口付近には捨てられていないゴミ袋がまとめられていた。まるで侵入者を拒むかのようだ。他にも床には、紙くずや空になったペットボトル、潰された箱などが落ちていた。生ゴミが放置されていないだけましではある。散乱しているのはゴミだけではない。圧倒的な量を誇るのが、「人形」である。
実社会では遭遇したことのない奇天烈な形をした生物の人形が、埋め尽くすように並んでいる。中には、亀や猫など、割と親近感の持てるものも存在するが、背筋に悪寒が走るような気味の悪いものも多い。鈴木曰く、「人形」ではなく「フィギュア」というらしいが、そんなことは佐藤にはどうでもよかった。
加えて、先ほどの近未来兜に代表される、装着アイテムも保持されていた。部屋の片隅にさりげなく置かれた機関銃らしきものが実に猟奇的だ。
――こんなものの、何がそんなに好きなんだろう。
壁に貼られたポスターも胡散くさい。『メカキングジュニアの暴走』? 『月光戦士シルバームーン』? 見ているだけで頭がおかしくなりそうなイラストが添えられている。中にいくらか混じる美人の写真が健全に見えるが、……それ全て「高峰天弓」である。
このカオス世界を見ていると、苛立ちを抑えられなくなる。
佐藤は、玄関棚を開け、ゴミ袋を引っ張り出す。どこに何がしまってあるかはだいたい把握していた。
「これもいらない、これもいらない」
散らばるゴミを次々と袋に入れていく。玄関から部屋まで、佐藤の後に道が出来る。鈴木はその様子を突っ立ったまま見ていた。特に手伝う気はないらしい。よれた作業ズボンの裾を足先でいじくっている。
佐藤のかかとに痛みが走った。思わず飛びのき、床を見る。頭にとげのついた、恐竜に似た怪獣が落ちている。もう一度踏みつけて壊したい衝動を抑えるのに苦労した。短気なのは自分の欠点だと自覚している。深呼吸をして、心を落ち着けると、それを拾い上げる。
「これもいらな……」
「ダメだっ」
急な叫びに、佐藤の手が止まる。いつの間にか鈴木が隣に移動している。怪獣をもぎ取ろうとするので、佐藤もムキになって引っ張り返す。
「何よ、埃まみれで放置されてるじゃない」
「君にヘプラの命を奪う資格があるのか、居場所を奪う資格があるのか!」
「ああもうわかったわよ。この特撮オタク!」
鈴木は趣味のことになると人が変わる。普段は何事にも無関心・無干渉・無気力・無感情な人間だが(少なくとも佐藤にはそう見える)、佐藤が部屋のコレクションに害を加えようとすれば過剰反応をとるのだ。血色が悪いので険悪な表情になると、とんでもなく凶悪に見える。人形を奪い取ったり、大声を出したりの実力行使に出るのもこのときだけだ。
また、怪獣映画やSF映画について語るときは、目を輝かせて少年の顔になる。
佐藤がヘプラを床に戻したのを確認すると、鈴木は大人しくなった。手を下ろし、いつもの陰気な微笑を浮かべる。
「そういや、今日は何の用だっけ?」
「そうそう、ちょっと買い物に付き合ってほしくてさ」
まとめたゴミを鈴木に持たせて、さっさと部屋を出る。この男はこまめに捨てればよいものを、いっぱいになるまでゴミを溜め込むのだ。カラスが後生大事に拾ったゴミを巣に蓄えるのに似ている。だから週に一度はゴミ掃除に来てやらなければならないというわけだ。ついでに、自分の用事に付き合わせることもできる。
建物のすぐ横にある、集積場に来る。
「はい、ゴミを収集箱に入れて」
「うちのアパート、生ものでなければゴミの日にこだわる必要ないんだよね」
「いいのよ、そんなことはどうでも。曜日を決めといたほうがわかりやすいでしょ?」
収集箱のふたを開ける。二つあるうちの一つ目の箱はすでにいっぱいだったので、二つ目に袋を詰める。ゴミを収集する日は決まっているが、腐るものでなければ特に時間の指定はないということだった。それでも、収集車が来る前日か当日の朝に出すほうがよいに決まっている。
「じゃ、行くよ」
佐藤は鈴木の手を引いて小走りする。鈴木は素足にサンダルを引っ掛けたままやる気なさげに身を任せる。
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