エリア51戦線~リカバリー~

島田つき

文字の大きさ
上 下
2 / 26
プロローグ 未知との遭遇

プロローグ 未知との遭遇(引きこもりの女)

しおりを挟む
 アスファルトの路面が、朱色から薄紫に変化していく。
 毎日繰り返される日没の光景を彼女は眺めていた。その目から、ごく自然に涙がこぼれる。こぼれた涙は頬を伝い、カーテンに染みを作る。布を握る手に力が入り、細い肩が震えた。
 薄暗い部屋の中の自分と、黄昏色の世界が交わることは決してない。ガラス窓一枚の隔たりがなんと大きなことか。
 彼女は、自分が人間の底辺にいるということを自覚していた。
 世間との関わりを失って十年、誰もいない城で一人過ごしてきた。失った――いいや違う。彼女は自ら切ったのだ。自分とその他を結んでいた、すべての糸を。ガラスの壁を作ったのは自分自身だった。
 ――私は顔面障害者だ。
 彼女は、自分が女の底辺にいるということを自覚していた。
 背は可愛いというほど低くもないし、格好いいといってもらえるほど高くもない。体型も、運動をしていないから筋力が落ちて腹がたるんでいる。顔は論外。近視のために黒縁の分厚い眼鏡を手放すことはできないし、何よりも肌あれがひどい。ニキビだらけで、他人が見れば衝撃を受けるほどだ。顔に触ると、常に毛穴からおぞましい粘液が吹き出るような感覚に襲われる。髪の毛も綺麗な黒ではなく、焦茶が入っている。そのうえ癖毛だ。
 それと比べて妹は。
 彼女はカーテンの合間から外を見て、毎日泣いていた。玄関を出て行く妹の姿は、年々綺麗になっていく。元気いっぱいに笑いながら、出かけていく。歩く姿にも生気がみなぎっている。
 昔は、お姉ちゃん、お姉ちゃんといいながら自分の後を付いてきていた妹。でも妹の中に自分はもういない。誰からも必要とされない。自分がガラクタ同然に思えて、また泣いた。
「――――」
 ふとした拍子に浮き上がる記憶。彼女はおぞましさに身震いした。
 高校一年生の時の話だ。自分も子供だったし、相手も子供だった。しかし、だからといって相手を許すことはできない。友達の心無い仕打ちが自分の人生をめちゃくちゃにしたのだ。
 友達の放ったある言葉に、彼女は教室を飛び出した。
 夕方になって、家まで謝りに来た。あれはただほんの少しからかっただけで、決して悪意はなかったのだと。まさかそこまで気にするとは思わなかったと。
 ――嘘だ。
 みんな、自分のことをずっと見下していたんだ。蔑んでいたんだ。
 それがふとした瞬間に露呈したのだ。謝りに来たのは本心ではない、学校での言葉こそが本心だ。
 部屋に篭り、断固無視することを決めた。正直に言えば、顔を合わせることが怖かった。無断早退したのだから、騒ぎになっただろう。そのことで友達は担任にとがめられたのではないだろうか。そうに違いない。表面上は謝罪に来ているが、内心では怒っている。蔑んでいる。そうに違いない。そんな友達に会うのは、誰だって怖い。
 窓から外を見ていると、友達が帰っていく姿が目に入る。
 ――あんなに仲がよかったのにな。
 悲しみとも悔しさとも取れない感情が渦を巻いた。唇を強くかみ締める。
 次の日も、その次の日も、友達は家に来た。会えないとわかると、電話もかけてきた。メールも送られてきた。しかし、そのすべてを彼女は拒絶した。三ヶ月も過ぎれば、そんな日々も終わり、待っていたのは孤独だけ。以来十年、誰からの連絡もありはしない。同級生の中での彼女はすでに過去の人だった。
 家族の言葉にも反応をせず、十年間に渡り誰とも口を利いていない。もう、喋り方すら覚えているのか怪しいものだった。働きもせず、両親に養ってもらっているだけの、世間のお荷物。申し訳ないとは本心から思っている。
 だからといって、外に出るような勇気はない。
 つくづく駄目人間。
 じわりと滲む視界の端に、動くものが入った。それに気付き、彼女は涙をぬぐう。
 ――やっぱり。今日も来た。
 うっとうしい前髪を掻き分け、男を凝視する。肩ほどにかかる黒い髪。歳は若い。多く見積もっても三十はいかないだろう。数日前から現れ、家を観察している男の存在は、彼女に心境の変化をもたらしていた。
 夕暮れの中で静かに佇み、我が家を見ている。ちょうど、彼女の部屋から覗くことのできる位置。男は、彼女の視線には気がついていない様子だった。
 常識で考えれば、怪しいことこの上ない。何が目的なのかもわからない。しかし、そんなことはどうでもよかった。
 下の部屋から、妹の笑い声が聞こえる。テレビでも見ているのだろうか。
 男のすぐ後ろを、買い物帰りの主婦たちが通り過ぎる。
 その時、ふっと、男が笑った。煙草を吐き捨て、足で踏み消す――丁寧なことにすぐ拾っていた――背を向けると、夕闇の中を歩き出した。その直前に、唇が動いたように思う。しかし、どんな独り言だったのかは、彼女にはおよそ察しがつかない。
 彼女の視界から、男の姿が消失した。魔法でもかけられたように止まっていた彼女の時が、再び動き出した。
 太陽は完璧に没し、辺りはスモークブルーに包まれていた。
 分厚いレンズに阻まれた瞳が、数年ぶりに輝いている。
「……あの人、格好いい……」
 彼女は無意識に呟いていた。 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。 架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

OL 万千湖さんのささやかなる日常

菱沼あゆ
キャラ文芸
万千湖たちのその後のお話です。

【完結】生贄娘と呪われ神の契約婚

乙原ゆん
キャラ文芸
生け贄として崖に身を投じた少女は、呪われし神の伴侶となる――。 二年前から不作が続く村のため、自ら志願し生け贄となった香世。 しかし、守り神の姿は言い伝えられているものとは違い、黒い子犬の姿だった。 生け贄など不要という子犬――白麗は、香世に、残念ながら今の自分に村を救う力はないと告げる。 それでも諦められない香世に、白麗は契約結婚を提案するが――。 これは、契約で神の妻となった香世が、亡き父に教わった薬草茶で夫となった神を救い、本当の意味で夫婦となる物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...