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第38話 帝国騎士団の元副団長

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 最前線に立たされたライゼルが覇気(カチュアの操る魔道具)の力で敵を吹き飛ばし、空いた空間に軍を滑り込ませることで、どうにか安全を確保する。

 これならば完全に包囲されることなく戦うことができるのだが、こちらの体力もカチュアの魔力も無限ではない。

 なにより、戦いが長引くほど、精強なライゼル軍の唯一にして最大の弱点であるライゼルの身が危険に晒されてしまう。

「なあ、アニエス。そろそろ……」

 ライゼルの催促を受け、アニエスが頷いた。

「ええ。おかげさまである程度分析できました。……どうやら、敵はこちらの想像以上に冷静なようですね。……これだけ荒らしても、隊列がほとんど乱れていない」

 そういうことは聞いてねぇよ。

 と思いつつ、アニエスの機嫌を損ねないよう遠回しに進言する。

「なあ、そろそろいいんじゃないのか?」

「……そうですね。小手調べは終わりです。……本番といきましょう」

(なんでそうなるんだよ!)

 ライゼルの心の声も虚しく、目を爛々と輝かせたアニエスがさらに前進を命じる。

 戦いが乱戦気味になってくると、ライゼルの元に迫る兵も増えてくる。

 「……っ!」

 雑兵に斬りつけられる寸前、カチュアとアニエスがそれを阻む。

「ぼっちゃま!」

「お怪我はございませんか?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

 冷や汗を拭いライゼルが息をつく。

 まったく、驚かせやがって。

「ライゼル様を傷つけたくば、まずはこの私を倒してからにしてもらおう!」

 周囲の兵に向けアニエスが威嚇する。

「そうだそうだ。アニエスがついている限り、この俺に指一本傷つけられると思うなよ!」

 完全にアニエスの威を借る形となったが、周囲の兵たちがたじろぐ。

 アニエスの強さは本物だ。

 指揮官としても兵としての強さも群を抜いている。

 経緯はどうあれ、バラギットとの戦いの前に配下に加えられたのは、僥倖と言っていいだろう。

 あらためてアニエスの価値を再確認するライゼルなのだった。





 バラギット軍の本陣では、迫るライゼル軍に肉壁で対抗しながら、防戦を続けていた。

 そんな中、ふと聞き覚えのある名前が飛び込んでくる。

「アニエス……? まさか……そうか! たしか帝国騎士団の元副団長の……」

「……なんだと?」

 ローガインがつぶやくと、バラギットが耳を疑った。

 いま、こいつは何と言った?

「ローガイン、今何と……」

「思い出しました。中央に居た頃、謀反の罪で流刑に処された帝国騎士団の元副団長がいたことを……。よもや、こんなところでお目にかかろうとは……」

「なっ……」

 中央の噂はある程度耳に入ってはいたが、そんな大物を配下に加えていたとは思いもしなかった。

 彼女が指揮するのなら、なるほど、ライゼル軍の精強ぶりも頷ける。

 動揺するバラギットに、ローガインが静かに告げた。

「ご武運が開けましたな、閣下」

「……どういうことだ?」

「大罪人アニエスを擁するということは、ライゼルもまた皇帝陛下に対する叛意は明らか! ……すなわち、こちらがお家を簒奪する正統性を得られたのです」

「!!!」

 これまではバラギットがバルタザール家を継承する大義名分が弱かったため、中央の官僚に賄賂を贈り、せっせと政治工作をしてきた。

 しかし、ローガインの話を信じるのなら、そのようなことをせずともバルタザール家を乗っ取る大義名分が整ったということになる。

 ライゼルが生きた爆弾を抱えていたとは、なるほど、たしかに武運が開けたと言っていい。

「……生け捕りと討ち死に、どっちがいいかな?」

「生け捕り、にございましょうな。……相手は皇帝陛下より流刑を賜った身……それを閣下が葬られては、なにかと面倒ですゆえ」

 仮にアニエスを討ち取ってしまえば、帝国の面目を潰してしまい、不要な諍いを生んでしまう。

 しかし、生け捕りであれば、帝国に身柄を引き渡すことで帝国に貸しが作ることができる。

「……決まりだ」

 にやりと唇を吊り上げると、バラギットは兵たちに向け声を張り上げた。

「聞いたか! ライゼルは帝国の大罪人、アニエス・シルヴァリアを擁している! ……すなわち、ライゼルこそ皇帝陛下に弓引く反逆者なのだ!」

 バラギットの檄に兵たちの士気が徐々に回復していく。

「正義は我らにあり!」

「「「うおおおおお!!!!」」」

 先ほどとは一転、完全に勢いを取り戻したバラギットの兵たちがライゼル軍に群がり始めるのだった。





 勢いを盛り返したバラギット軍に押され、ライゼル軍は次第に包囲され始めていた。

「すみません。私が至らぬばかりに、ライゼル様にはご迷惑を……」

「いや、アニエスは悪くない。名前を出したのは俺だ」

 つい名前を出してしまったが、そうか。敵には中央の官僚、ローガインという男がついていた。

 なるほど、さしものこの男であればアニエスのことに気がつくのも無理はない。

 とはいえ、敵が勢いを盛り返した今、こちらは窮地に陥ってしまったわけだが……

「……なるほど。ここでこのカードを切るのか……。考えたっすね、ボス」

「えっ!?」

「……いわば、アニエスは生きた大義名分。正体が知れれば、敵も身柄を狙ってくる……。ボスの首におまけまでついちゃったら、そりゃあ多少無理してでも攻めた方がお得。……こっちの目的はあくまで囮っすから、エサは多いに越したことはないってことっすからね」

「そう! そのとおり!」

 ライゼル自身、そこまで考えていなかったのだが、アナザの分析に全力で乗っからせてもらう。

「なるほど……」

「そこまで考えておられたとは……」

 カチュアとアニエスが驚き交じりに感心する。

 敵が釣れた以上、ここらが潮時だろう。

 辺りを見回し、アニエスが兵たちに指示を出した。

「……退きます! 撤退してください!」

 アニエスが号令を出すと、ライゼルの兵たちが撤退を始める。

 半ば包囲されている状態ではあるが、これぐらいの窮地であればグランバルトで経験済みだ。

 また、カチュアとアニエスとアナザがいれば、乗り切れるだろう。

「アニエス」

「はい?」

「俺の命、お前に預けたぞ」

「!!!」

 アニエスが喜びと驚きの混じった表情で目を見開く。

「はっ! この身に代えましても!」

 礼の代わりに胸に手を当てるアニエス。

「アナザ」

「はいはい。ボスの命、預かるっす――」

「殿は任せたぞ」

「えっ!?」

 予想と違う檄にアナザが面食らう。

「俺だけ扱い酷くにないっすか?」

「お前ならこのくらい平気だろ。……せっかく手柄を立てる機会をやったんだ。帰ったら報酬は弾むからな」

「その言葉を待ってたっすよ!」

 アナザは両手に剣を構えると、嬉々として剣を振るうのだった。





 退却するライゼル軍に対し、バラギット軍は追撃を始めていた。

 グランバルトでの戦いでは前線に立っていたライゼルだったが、今回はついぞ戦うことはなかった。

 と、撤退を始めるライゼル軍の後方に、見慣れた鎧姿があった。

 あれは……

「ライゼル……」

 あろうことか、ライゼル自ら殿となって退却を支援しているではないか。

 ……なるほど。なぜライゼル自身が戦わないのか不思議だったが、退却に必要な体力を温存していたというわけか。

「やはり一筋縄ではいかない相手だな……」

 とはいえ、今度はグランバルトでの戦いとは違い全力の追撃だ。

 ライゼルの首を挙げるのも時間の問題だろう。

 バラギットは追撃の手を強めるのだった。
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