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浅井攻めの準備
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旧織田領の統治が一段落つくと、信長に味方をした浅井家を滅ぼすべく、義信は軍備を進めていた。
「浅井長政……」
長政は若くして浅井家を立て直し、六角と対等以上に渡り合った実力者だ。
また、近江は豊富な水源を持ち、古くから商工業の発達してきた土地ということもあり、日ノ本で有数の強国だ。
単純な石高以上の力を持っていることは疑いの余地がない。
それだけに、織田征伐の時と同じく万全の備えをした上で浅井討伐を敢行する必要があった。
そんな折、岐阜城にて戦支度をする義信の元に小姓がやってきた。
「朝倉様より使者が参りました」
義信の元に使者を通すと、挨拶もそこそこに、使者が口を開いた。
「当家と浅井家は長年に渡る盟友。互いに持ちつ持たれつで今日まで手を携えて参りました。……その浅井家が窮地に陥っているとあらば、助けるのが道理というもの……。
此度は当家の顔を立て、どうか兵を退いてはいただけませぬか」
なるほど、浅井を守るために撤兵せよと言ってきたか。
「それはできぬ」
義信が断ると、案の定、使者の顔色が曇った。
「なっ……当家の顔に泥を塗るおつもりか!」
「さにあらず。聞けば朝倉義景殿は上杉殿と織田領に攻め入った際、さしたる戦果も挙げず。……それどころか浅井との戦いを傍観していたというではないか」
「あれは……殿にも立場というものがあります。敵方の浅井様も盟友なれど、味方の上杉様も盟友。敵味方で板挟みとなった殿の苦悩、どうかお察しいただきたい」
「しかし、結果としては浅井にも上杉にも味方をせず、ただ戦を眺めていただけではないか。……敵か味方かもわからぬ者の顔色を覗うなど、こちらに何の益があろうか」
理路整然と詰められ言葉を失う使者に、義信が続ける。
「朝倉殿に伝えておけ。『当家とて、朝倉殿とコトを構えたくはない。我らが越前に迎えに行く前に、小谷城まで参られませ』とな」
越前、一乗谷。
義信からの返答を聞いて、朝倉義景は激怒した。
「義信……儂を挑発しておるのか……!?」
返答が記された文を握りしめる義景を、家臣が宥める。
「落ち着いてくだされ。武田様は殿と矛を交えぬために、小谷攻めに参陣しろとおっしゃっているのではありませぬか」
「左様。ここは先の戦で失った信を取り戻すべく、浅井攻めに力を貸すべきでは……」
日和見な意見が多く出る中、義景は家臣たちを睨みつけた。
「何を悠長なことを……。義信は浅井の次には当家に攻め入らんとしておるのだろうが!」
義信からの文には、『我らが越前に迎えに行く前に、小谷城まで参られませ』と記されていた。
これは『小谷城攻めに参陣しなければ越前を攻める』と脅しているに他ならず、それだけ武田家にとって朝倉家の存在が軽くなっていることを意味していた。
「義信め……儂を侮ったらどうなるか、見せてくれるわ……」
朝倉の要請を断って数日後。
岐阜城下に不穏な噂が漂っていた。
「……なに? 朝倉義景が浅井の味方をしようとしている?」
「はっ、越前一乗谷より小谷城に兵糧を運び込んでいるとのこと。朝倉義景の造反は明らかかと」
「……………………」
今さら朝倉義景が浅井に味方をしたとて負ける気はしないが、これにより上杉が浅井攻めに躊躇する可能性が出てきた。
「また面倒なことを……」
長坂昌国がぽつりとつぶやく。
織田征伐の時と同じく今回の戦いで上杉から援軍を貰えば、朝倉家が浅井方についているのを理由に戦列を離れるか、ともすれば朝倉との和睦を提案してくるかもしれない。
そうなれば、越前の豊かな土地を手に入れることも叶わなくなり、畿内のすぐ近くに50万石あまりの巨大勢力の存在を許すことになってしまう。
表情を曇らせる家臣たちを前に、義信が口を開いた。
「いや、此度は上杉から援軍を貰わぬ」
「は!?」
「此度は上杉には参陣させぬのですか!?」
「あまり上杉に戦果を出させては、恩賞が面倒だろ」
先の織田征伐では神保長職が戦死したのをいいことに、越中を恩賞として与えたが、今回はそうもいかいない。
浅井と朝倉を滅ぼせば北近江と越前が手に入る。
順当にいけば越前か、少なくとも敦賀を取られそうな気がするだけに、上杉の参戦はどう考えても武田に利するものではなかった。
「北近江も越前も当家がいただく。浅井を滅ぼしたら、その次は朝倉だ」
元亀元年(1570年)11月。
織田家に味方をした浅井家を追討するべく、武田軍5万が浅井領北近江に侵攻を開始するのだった。
あとがき
今の武田家の石高は300万石ちょいくらいあります。
日本全体が1800万石だとして、およそ1/6を武田家が占めていることになりますね。
「浅井長政……」
長政は若くして浅井家を立て直し、六角と対等以上に渡り合った実力者だ。
また、近江は豊富な水源を持ち、古くから商工業の発達してきた土地ということもあり、日ノ本で有数の強国だ。
単純な石高以上の力を持っていることは疑いの余地がない。
それだけに、織田征伐の時と同じく万全の備えをした上で浅井討伐を敢行する必要があった。
そんな折、岐阜城にて戦支度をする義信の元に小姓がやってきた。
「朝倉様より使者が参りました」
義信の元に使者を通すと、挨拶もそこそこに、使者が口を開いた。
「当家と浅井家は長年に渡る盟友。互いに持ちつ持たれつで今日まで手を携えて参りました。……その浅井家が窮地に陥っているとあらば、助けるのが道理というもの……。
此度は当家の顔を立て、どうか兵を退いてはいただけませぬか」
なるほど、浅井を守るために撤兵せよと言ってきたか。
「それはできぬ」
義信が断ると、案の定、使者の顔色が曇った。
「なっ……当家の顔に泥を塗るおつもりか!」
「さにあらず。聞けば朝倉義景殿は上杉殿と織田領に攻め入った際、さしたる戦果も挙げず。……それどころか浅井との戦いを傍観していたというではないか」
「あれは……殿にも立場というものがあります。敵方の浅井様も盟友なれど、味方の上杉様も盟友。敵味方で板挟みとなった殿の苦悩、どうかお察しいただきたい」
「しかし、結果としては浅井にも上杉にも味方をせず、ただ戦を眺めていただけではないか。……敵か味方かもわからぬ者の顔色を覗うなど、こちらに何の益があろうか」
理路整然と詰められ言葉を失う使者に、義信が続ける。
「朝倉殿に伝えておけ。『当家とて、朝倉殿とコトを構えたくはない。我らが越前に迎えに行く前に、小谷城まで参られませ』とな」
越前、一乗谷。
義信からの返答を聞いて、朝倉義景は激怒した。
「義信……儂を挑発しておるのか……!?」
返答が記された文を握りしめる義景を、家臣が宥める。
「落ち着いてくだされ。武田様は殿と矛を交えぬために、小谷攻めに参陣しろとおっしゃっているのではありませぬか」
「左様。ここは先の戦で失った信を取り戻すべく、浅井攻めに力を貸すべきでは……」
日和見な意見が多く出る中、義景は家臣たちを睨みつけた。
「何を悠長なことを……。義信は浅井の次には当家に攻め入らんとしておるのだろうが!」
義信からの文には、『我らが越前に迎えに行く前に、小谷城まで参られませ』と記されていた。
これは『小谷城攻めに参陣しなければ越前を攻める』と脅しているに他ならず、それだけ武田家にとって朝倉家の存在が軽くなっていることを意味していた。
「義信め……儂を侮ったらどうなるか、見せてくれるわ……」
朝倉の要請を断って数日後。
岐阜城下に不穏な噂が漂っていた。
「……なに? 朝倉義景が浅井の味方をしようとしている?」
「はっ、越前一乗谷より小谷城に兵糧を運び込んでいるとのこと。朝倉義景の造反は明らかかと」
「……………………」
今さら朝倉義景が浅井に味方をしたとて負ける気はしないが、これにより上杉が浅井攻めに躊躇する可能性が出てきた。
「また面倒なことを……」
長坂昌国がぽつりとつぶやく。
織田征伐の時と同じく今回の戦いで上杉から援軍を貰えば、朝倉家が浅井方についているのを理由に戦列を離れるか、ともすれば朝倉との和睦を提案してくるかもしれない。
そうなれば、越前の豊かな土地を手に入れることも叶わなくなり、畿内のすぐ近くに50万石あまりの巨大勢力の存在を許すことになってしまう。
表情を曇らせる家臣たちを前に、義信が口を開いた。
「いや、此度は上杉から援軍を貰わぬ」
「は!?」
「此度は上杉には参陣させぬのですか!?」
「あまり上杉に戦果を出させては、恩賞が面倒だろ」
先の織田征伐では神保長職が戦死したのをいいことに、越中を恩賞として与えたが、今回はそうもいかいない。
浅井と朝倉を滅ぼせば北近江と越前が手に入る。
順当にいけば越前か、少なくとも敦賀を取られそうな気がするだけに、上杉の参戦はどう考えても武田に利するものではなかった。
「北近江も越前も当家がいただく。浅井を滅ぼしたら、その次は朝倉だ」
元亀元年(1570年)11月。
織田家に味方をした浅井家を追討するべく、武田軍5万が浅井領北近江に侵攻を開始するのだった。
あとがき
今の武田家の石高は300万石ちょいくらいあります。
日本全体が1800万石だとして、およそ1/6を武田家が占めていることになりますね。
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