28 / 82
軍議
しおりを挟む
義信が武田家の新たな当主に就任すると、領内各地を結ぶ街道の敷設が始まった。
これまでは戦時に敵に利用されるのを防ぐべく、道の整備はわざと怠っていたのだが、武田家が大きくなった以上、そうも言ってられない事情があった。
大きな領土があるということは、それだけ素早い連絡網が必要ということであり、兵の迅速な手配が求められていた。
かくいう信玄も、義信に命じられ街道の敷設から橋架を行なっていた。
「まったく、ご隠居様をこき使われるとは、お館様も人使いが荒い……。そうは思いませぬか」
家臣が愚痴をこぼすと、信玄が笑った。
「さてな……。しかし、今ならば父上の気持ちがわかる気がする……。頼もしき後継者に跡を継がせるというのは、こうも心が軽くなるものなのだな……」
疲労を見せる家臣たちを尻目に、信玄は街道の敷設に務めるのだった。
領地の統治を進める傍ら、義信は織田信長の治める美濃、尾張を手中に収めるべく、侵攻計画を練り上げていた。
武田領の甲信東海と濃尾の入った地図を広げると、長坂昌国が信濃から美濃へ指をなぞった。
「織田領へ攻めるのなら、中山道を抜け、信濃衆を連れて美濃へ侵攻するのがよろしいかと」
「山道が多くなっては、兵糧の補給に難が出よう。……その点、東海道を抜ければ平地が続くゆえ、軍の展開もたやすく、兵站の維持も容易になろうというもの……」
真田昌幸が反対すると、曽根虎盛が難しい顔をした。
「待て。東海道を抜けるとあらば、桶狭間を通ることになろう。……かの地は義元公がお討ち死にされた地……。いささか縁起が悪いのではないか?」
ああでもない、こうでもないと議論する家臣たちを尻目に、筆頭家老の飯富虎昌が義信の様子をうかがった。
「お館様、いかがなさいますか」
「中山道を通れば信濃、上野から迅速に兵を送ることができるが、山道が多い。
東海道を通れば、三河、遠江、駿河、甲斐から兵を送りやすく、平地が多いため行軍が容易だな」
「では、東海道ということに……」
「いや、両方採用しよう」
義信の決定に飯富虎昌が目を剥いた。
「り、両方、にございますか……!?」
「しかし、軍を二つに割いては、織田方に兵数で劣ってしまいましょう」
「第一、二つの行軍路を用いるのでは、兵站を維持するのも容易ではありますまい」
中山道と東海道。どちらの道も採用するのなら、単純に二回分の遠征の用意をしなくてはならない。
さらには兵を分けることになるため、織田軍に各個撃破される恐れがあった。
義信が家臣たちを見回し、
「……誰が二つに分けると言った?」
家臣たちに動揺が走った。
主要街道である中山道と東海道以外に、侵攻路などあるはずがない。
あるとすれば駿河水軍を用いて海から上陸するくらいだが、その場合は伊勢湾を根城にする熊野水軍を倒し、兵站が寸断される危険を背負って軍を進めなければならないだろう。
そんな危険を冒すくらいなら、素直に東海道を通った方がいい。
それが家臣たちの共通認識だった。
「東海道、中山道、そして──」
義信が美濃の北を指さした。
「──飛騨。この3ヶ所から美濃に侵攻する」
義信の言葉に家臣たちが異を唱えた。
「お待ちください! 飛騨から攻めるとなれば、中山道を通る以上に兵站の維持が難しくなりましょう!」
「長坂殿のおっしゃる通りです! さらにこちらの兵を割かねばならない分、織田につけ入る隙を与えてしまいましょう!」
「問題ない。そのために街道の整備を進めてきたのだ」
義信の命令で領内各地の街道を整備していたおかげで、領内で素早く軍を展開できるようになっていた。
同じように、飛騨にも街道を整備すれば、同様に迅速な行軍ができるかもしれない。
だが、うまくいくだろうか……。
家臣たちが顔を見合わせる中、義信が静かに立ち上がった。
「では、飛騨を獲りにいくぞ」
永禄12年(1569年)5月。義信率いる武田軍1万が飛騨に向けて出陣するのだった。
これまでは戦時に敵に利用されるのを防ぐべく、道の整備はわざと怠っていたのだが、武田家が大きくなった以上、そうも言ってられない事情があった。
大きな領土があるということは、それだけ素早い連絡網が必要ということであり、兵の迅速な手配が求められていた。
かくいう信玄も、義信に命じられ街道の敷設から橋架を行なっていた。
「まったく、ご隠居様をこき使われるとは、お館様も人使いが荒い……。そうは思いませぬか」
家臣が愚痴をこぼすと、信玄が笑った。
「さてな……。しかし、今ならば父上の気持ちがわかる気がする……。頼もしき後継者に跡を継がせるというのは、こうも心が軽くなるものなのだな……」
疲労を見せる家臣たちを尻目に、信玄は街道の敷設に務めるのだった。
領地の統治を進める傍ら、義信は織田信長の治める美濃、尾張を手中に収めるべく、侵攻計画を練り上げていた。
武田領の甲信東海と濃尾の入った地図を広げると、長坂昌国が信濃から美濃へ指をなぞった。
「織田領へ攻めるのなら、中山道を抜け、信濃衆を連れて美濃へ侵攻するのがよろしいかと」
「山道が多くなっては、兵糧の補給に難が出よう。……その点、東海道を抜ければ平地が続くゆえ、軍の展開もたやすく、兵站の維持も容易になろうというもの……」
真田昌幸が反対すると、曽根虎盛が難しい顔をした。
「待て。東海道を抜けるとあらば、桶狭間を通ることになろう。……かの地は義元公がお討ち死にされた地……。いささか縁起が悪いのではないか?」
ああでもない、こうでもないと議論する家臣たちを尻目に、筆頭家老の飯富虎昌が義信の様子をうかがった。
「お館様、いかがなさいますか」
「中山道を通れば信濃、上野から迅速に兵を送ることができるが、山道が多い。
東海道を通れば、三河、遠江、駿河、甲斐から兵を送りやすく、平地が多いため行軍が容易だな」
「では、東海道ということに……」
「いや、両方採用しよう」
義信の決定に飯富虎昌が目を剥いた。
「り、両方、にございますか……!?」
「しかし、軍を二つに割いては、織田方に兵数で劣ってしまいましょう」
「第一、二つの行軍路を用いるのでは、兵站を維持するのも容易ではありますまい」
中山道と東海道。どちらの道も採用するのなら、単純に二回分の遠征の用意をしなくてはならない。
さらには兵を分けることになるため、織田軍に各個撃破される恐れがあった。
義信が家臣たちを見回し、
「……誰が二つに分けると言った?」
家臣たちに動揺が走った。
主要街道である中山道と東海道以外に、侵攻路などあるはずがない。
あるとすれば駿河水軍を用いて海から上陸するくらいだが、その場合は伊勢湾を根城にする熊野水軍を倒し、兵站が寸断される危険を背負って軍を進めなければならないだろう。
そんな危険を冒すくらいなら、素直に東海道を通った方がいい。
それが家臣たちの共通認識だった。
「東海道、中山道、そして──」
義信が美濃の北を指さした。
「──飛騨。この3ヶ所から美濃に侵攻する」
義信の言葉に家臣たちが異を唱えた。
「お待ちください! 飛騨から攻めるとなれば、中山道を通る以上に兵站の維持が難しくなりましょう!」
「長坂殿のおっしゃる通りです! さらにこちらの兵を割かねばならない分、織田につけ入る隙を与えてしまいましょう!」
「問題ない。そのために街道の整備を進めてきたのだ」
義信の命令で領内各地の街道を整備していたおかげで、領内で素早く軍を展開できるようになっていた。
同じように、飛騨にも街道を整備すれば、同様に迅速な行軍ができるかもしれない。
だが、うまくいくだろうか……。
家臣たちが顔を見合わせる中、義信が静かに立ち上がった。
「では、飛騨を獲りにいくぞ」
永禄12年(1569年)5月。義信率いる武田軍1万が飛騨に向けて出陣するのだった。
1
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説


滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
1333
干支ピリカ
歴史・時代
鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。
(現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)
鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。
主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。
ご興味を持たれた方は是非どうぞ!
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる