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まず話を聞こうか

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 館に入ると、重臣たちが会議に使う部屋に通された。

 信玄が義信を睨みつける。

「……伊那の地を拝領する際、自分が何と言ったか覚えておるか?」

「はっ、私が今川を滅ぼしてみせる、と……」

「では、なぜ徳川を攻めたのだ。……知ってのとおり、当家は徳川と同盟を結び、今川を挟撃する手筈となっていた……これでは、当家の信用は地に落ちるではないか!」

 信玄の語気に怒りが滲み出る。

「今川を滅ぼすとの言葉……よもや戯言であったとは言うまいな……!」

 返答によっては、たとえ嫡男でも容赦しない。

 そんな気配を漂わせ、じっと義信を睨みつける。

 重苦しい空気の中、曽根虎盛が静かに祈った。

(若様、とにかくここはお館様のお怒りを鎮めてください……。決して火に油を注ぐようなことは……)

 虎盛をよそに、義信が不敵な笑みを浮かべた。

「約束を違えた当家の信用が地に落ちるなどと……。父上がそれをおっしゃいますか? 婚姻を結んでいた今川を滅ぼすおつもりだった父上が……」

「やはり、お主……!」

 案の定、信玄の目が般若のごとくつり上がった。

 怒りを顕にする信玄をよそに、義信が曽根虎盛に向き直る。

「虎盛、いま今川が早急に片付けなければならない問題があるが……わかるか?」

 突然話を振られ、曽根の背中から汗が吹き出た。

「はっ……義元公がお亡くなりになり、動揺する家臣団を治めること。義元公の仇討ちに織田信長の首を挙げること。今川から独立を宣言した三河の徳川の乱を鎮めることにございます」

「そうだ」

 義信が信玄に向き直る。

「このうち、私は長篠城を奪い三河制圧に王手をかけました。このまま三河を奪い取り、信長の首を挙げます。……さすれば、動揺する今川家臣は容易く当家になびきましょう」

 ここに至って、ようやく義信の意図が読めた。

 信玄の目がカッと見開かれる。

「お主……今川を乗っ取るつもりか!」

「すでに岡部殿や朝比奈殿をはじめ、今川の重臣たちから内応の約束を取り付けてございます。こちらの用意が整い次第、いつでも今川家当主の席を獲りにいけます」

 義信は懐に手を伸ばすと、内応の約束が取り付けられた書状を見せた。

 そこには、岡部元信や朝比奈泰朝をはじめ、今川重臣たちの名が記されている。

「なんと……!」

 書状を見て、信玄が考え込んだ。

 義信は甲相駿三国同盟の折に今川義元の娘を娶っている。
 そのため、理論上は義信の子が今川の跡を継ぐことも不可能ではない。

 だが、それには大きな問題があった。

「そのようなことをしては、今川の妖怪が黙ってはいまい。なにより、当家が今川を吸収するなど、北条が許すはずがなかろう」

 武田が三河、駿河、遠江を取れば、北条との力関係に大きく差がつく。

 それがわかりきってる以上、北条は今川が吸収されるのを黙って見ているとは思えなかった。

「氏康は厄介な男じゃ……お主ごときの策、容易くひっくり返してしまおうぞ」

「ご心配なく。父上の助力があれば、北条は手も足も出せなくなりましょう」

「…………なに?」





 上杉家の本拠地である春日山城に、文を携えた僧侶が現れた。

 渡された書状を読み、謙信が嘆息する。

「北条が軍を集めているゆえ、至急援軍を送られたし、か……」

「殿、いかがなさいますか?」

 柿崎景家が尋ねると、謙信がゆっくりと立ち上がった。

「出陣する。……相模の獅子よ、我が正義の刃を味わわせてくれようぞ」






 ニセの文を持たせた間者を送り込んで一月後のこと。
 上杉謙信が越後を発ったとの報告が舞い込んだ。

 信玄がううむと唸る。

「相模の獅子には越後の龍をぶつける、か……」

「これも、父上の築いた諜報網があってのこと……ご助力、感謝いたします」

 義信が頭を下げると、信玄が釈然としない面持ちで頷く。

「氏康の目が北に向いた以上、少なくとも冬までは北条も今川に手を出せますまい。……その隙に、今川を乗っ取るのです」

「ふむ……」

「また、上杉という敵がいる以上、北条も我らに強くは言えますまい。……万が一、我らと敵対してしまっては、北関東のみならず南関東も危うくなりますからな」

「……………………」

 義信の読みはもっともであった。

 武田としては北条が敵に回ることを恐れているが、逆に北条も武田が敵に回ることを恐れているはずだ。

 今回、上杉軍の出陣を誘発したのも、上杉という共通の敵を顕にすると共に、武田が北条にとってなくてはならない同盟相手なのだと再認識させる狙いがあるのだ。

 信玄は思った。

 そこまで狙って上杉を動かすとは……。
 義信は自分を上回る大器かもしれない、と。



あとがき
上杉謙信は何度も名前を変えていますが、本作での表記は上杉謙信に統一しようと思います
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