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武田と織田

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 高遠城を出た義信率いる武田軍1000が長篠城に到着すると、すぐに攻城戦が始まった。

 配下の曽根虎盛率いる250騎が強攻をかけるのを横目に、義信は飯富虎昌に詰め寄られていた。

「よろしいのですか!?」

「なんのことだ」

「此度の三河侵攻にございます。お館様から許しを得てはいないのでしょう? このままでは、どのような罰を受けるか……」

 心配する飯富虎昌をよそに、義信の顔には笑みが浮かんでいた。

じい……お主も父上のことをよくわかっておらぬようだな」

「……といいますと?」

「父上は私情よりもお家のことを第一に考える。
 それゆえ、私がとった行動が武田に利をもたらすのなら、父上はなんであれ認めざるを得ないだろう。たとえそれが、自分の意に反するものであったとしてもな……」

「なるほど……」

 義信の知る信玄は、いつだって私情よりお家を優先させてきた。

 ゆえに、今回の軍事行動が武田に利をもたらすと説き伏せることができれば、信玄とて納得するはずだ。

(もっとも、私が攻め込んだ以上、後には引けなくなったわけだが……)

 義信とて、今川のために無策で徳川を攻めたわけではない。

 今川よりも徳川を攻める方が利があると踏んだからこそ、徳川攻めに踏み切ったのだ。

 仮に織田と手を組み徳川と今川領分割の秘密協定を結べば、事実上今川との同盟破棄となり、甲相駿三国同盟は破綻。
 今川どころか北条も敵に回り、武田は三方が敵に囲まれることとなる。

 だが、徳川へ攻め込むとなれば、話は変わってくる。
 今川家にしてみれば、徳川家康に奪われた旧領を武田にかすめ取られることになるが、外交関係は破綻しない。
 今川との関係は不信で済み、北条との関係も維持できる。

 内陸に位置しており、四方を大名に囲まれた武田家が一番やってはならないことは、すべての周辺勢力と手切れになることである。

 そのため、義信はかねてより婚姻関係にあった今川、北条との関係に注力することにした。

 たとえそれが、信玄の意に反するものであったとしても……。

 飯富虎昌がううむと首を傾げた。

「しかし、徳川を攻めては、同盟相手の織田が黙っていますまい……」

「なればこそ、根回しをしておいたのではないか」

 虎昌の言葉に、義信がニヤリと笑みを浮かべるのだった。





 尾張、清須城。

 尾張統一を果たした織田信長の元に、小姓が駆け寄ってきた。

「武田の若君より文が届きました。なんでも、三河へ侵攻するゆえ、徳川を見殺しにしてほしいと……」

「なんと……」

「徳川を見捨てろというのは……」

 重臣たちに動揺が走る。

 織田としては、徳川と同盟を結ぶことで後顧の憂いをなくすことで、美濃侵攻の方策を練ることができたのだ。

 その徳川が滅ぶのでは、今後の戦略の見直しを余儀なくされるのは明らかであった。

「ですが、いま武田を敵に回すのは得策ではありませぬ」

「どうしたものか……」

 柴田勝家を始め、頭を悩ませる重臣たちに、信長が口を開いた。

「おれバカだから難しいことわかんねぇんだけどさ~。三河を見捨てて武田と組んだ方が得なんじゃねぇの?」

「しかし、それでは当家と同盟を結んだ徳川を見捨てることに……」

「思い出せ、権六。なぜ当家が徳川と同盟を結んだのか」

「織田が西を、徳川が東を固めることで、互いの背を守り領地の拡大を……」

「そう、それだよ。うちとしては、東を固める同盟相手が居ればそれでいい。
 ……組む相手が徳川から武田に変わるだけのことだ」

「では、武田が徳川と共に今川領を分割するというのは……」

「最初から家康を油断させるための罠だったんだろ。……だからこそ、当家には本当のことを教えた」

 違うか? と信長が視線を向ける。

「な、なるほど……」

「一理ありますな……」

 信長に言い包められ、勝家や林秀貞が頷く。

 そんな中、一人の若武者が声を上げた。

「それがしはそうは思いませぬ」

 重臣たちの視線が若武者に集まる。

 低い身分ながら大名に意見する肝の太さ。
 重臣たちの前でも億せず発言する豪胆さ。

 不機嫌になる重臣たちを横目に、その若武者の顔には余裕すら感じさせる笑みが浮かんでいた。

 信長がニッと顔をほころばせる。

「サル、申してみよ」

「武田が三河を獲れば、次に来るは美濃か尾張……。そうなれば、織田家は今川に続き再び大国と相まみえることとなりましょう」

 サルと呼ばれた若武者──木下秀吉の意見に、重臣たちが「なるほど」と頷いた。

「斎藤龍興ごとき、殿ならいつでも降せましょう。しかし、相手が武田となれば、苦戦を強いられるは明らか……」

「……では、徳川を助け三河を守ってやれと申すのか?」

「ははっ!」

 頭を下げる秀吉を放って、信長は勝家に向き直った。

「権六、三河一国はだいたい何万石だ?」

「……およそ29万石かと」

「では、美濃一国は?」

「およそ54万石にございますな」

「武田が三河を平らげたとて、29万石の加増。その間に我らが美濃を平らげれば、54万石の加増だ。……武田との戦力差はむしろ縮まるだろ」

 それに対し、徳川を守っていては、美濃攻略が遅れるばかりか、下手をすれば徳川と共倒れになりかねない。

 また、あくまで同盟相手を守る戦いとなるため、三河を守ったところで三河の税収や兵が使えるわけでもないというのも大きい。

「得るものがなく、それどころか武田と敵対関係になるのを覚悟して徳川を守るか。
 徳川を切り捨て、その間に美濃を獲るか。
 ……そんなの考えるまでもないだろ」

「な、なるほど……」

 柴田勝家が合点がいったといった様子で頷く。

 その後ろで、口ごたえをした当人である木下秀吉が目を剥いた。

「さすがは殿! それがしには思いもよらぬお考え……。この秀吉、感服いたしました!」

 わざとらしく驚く秀吉に、信長はニヤリと笑った。

(サルめ……。武田との戦に備え、美濃を獲る利を説くため、わざと口ごたえしたな……)

 武田が西進するのであれば、遅かれ早かれ織田との衝突は避けられない。

 そこまで見越して意見するとは、やはりこのサル、目端が利く。

 それにしても、と思う。

 信長の目算では、武田は三国同盟の破綻に伴い今川を攻めるものと思っていた。

 それが、どうしてこうも急に外交方針を転換させたのだろう。

(武田義信……コイツが武田の実権を握っているのか? あるいは、今川を守るため、信玄に無断で攻め込んだのか……?)

 いずれにせよ、この男とはそう遠くないうちに相まみえることとなりそうだ。

 信長は密かに決意を固めるのだった。
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