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独立編
第四十話「最嘉と本懐」前編(改訂版)
しおりを挟む第四十話「最嘉と本懐」前編
――”久鷹 雪白”改め”久井瀬” 雪白”
それが白金の姫騎士、雪白の臨海での……いや、これからの名前になった。
”久井瀬”とは”株”……つまり”切り株”のことである。
”守株待兎”の故事からの命名であるのだが、これには幾分か雪白に対する皮肉が内包されていた。
”守株待兎”つまり……”切り株を守りて兎を待つ”の故事。
ある日、農夫が野良仕事をしていたら一羽の兎が駆けてきて切り株にぶつかって倒れた。
”ラッキー!”と労せずしてご馳走を捕獲した農夫は大喜びし、次の日から畑仕事で汗水を流すのはアホらしいと本来の畑仕事はやめて、来る日も来る日も切り株のそばで兎をまつようになったとか。
だが、兎が勝手にやって来て切り株につまずくなんて滅多に有るわけでなし、農夫の畑は結局荒れ放題になってしまったという顛末だ。
だから”株”……いいや”久井瀬”とは……
自分からは動かない圧倒的受け身の人間、自他楽な落後者。
――つまりはそういう底意地の悪い意味合いを孕んだ名前であった。
「”久鷹 雪白”様改め”久井瀬 雪白”様はどうでがすかぁ?……”久井瀬”!しろぉいお嬢様にはとぉーってもお似合いの素敵無敵なお名前ですにゃーー!!」
珍妙な風体の男、幾万 目貫なる人物は包帯から覗く両の目をグリグリ動かし、プラチナブロンドの美少女、雪白の顔色を露骨に物色する。
「……」
しかし不気味な男の巫山戯た口調にも、彼女のいつも通りのポーカーフェイスは変わらない。
「”守株待兎”……白秋か?それとも……」
俺は相手の事など全く気にもとめない珍妙な男と、殆ど他人に興味を抱かない天然白色美少女、雪白の会話が成立する訳もないと判断し、割って入って代弁する。
「は、白秋って確か、ど、童謡で……”まちぼうけ、まちぼうけ、ある日せっせと野良稼ぎ……っていう……あ、あれですか?」
さらに花房 清奈が、俺の言葉に対してその意味を確認してくる。
「ああ、救いようのない”受け身男”の愚話…………だがなっ!」
俺は清奈に答えつつ、包帯男の爛々と光る目を見据える。
「……」
「だがにゃぁ?」
――確かに他力本願……いや、自らの境遇を諦めて心を閉ざし、ただ流されていた雪白に対する皮肉にはピッタリだが……
”守株待兎”の出典を白秋でなくその更に原本として解釈するなら……
それが更に別の意味を含んでいることも考えられる!
「にゃぁぁ?」
――ちっ!
俺の視線による圧力など何処吹く風と緊張感の無いままの男に俺は更に踏み込むことにした。
「自らを”五蠹”と称するつもりか?幾万 目貫!?」
俺の目は真剣だ。
なぜなら……
――此奴はともすれば国家の根幹を揺るがす奸物かもしれない存在だったからだ!
「……」
俺は睨む……
射殺すほどに睨み付けるが、対して当の包帯男はというと……
「ぷっ!くふふふぅぅ!」
――笑ってやがる……
「ひっ……はひぃ……」
花房 清奈と給仕女性達は怯えてるってのにな……
ていうか……一般人である給仕女性達はともかく、その上司の七山 奈々子や雪白が落ち着いているのにこの中で一番付き合いが長くて、立場的に俺の参謀に該当する清奈さんが一番ビビってどうする?
「……」
「”韓非子”ですかぁー?ぷぷっ、最嘉様は心配性デスにゃー」
――っ!?
そして、散々笑い尽くした後のミイラ男による切り返しに唖然とする周囲。
無理も無い、こんな巫山戯た男にそんな知識があるとは……
皆はそういう意表を突かれたのだろうが、俺には織り込み済みだ。
「”五蠹”つまり五匹の害虫……お前はさしあたり”学者”か”雄弁家”ってとこか?」
此奴は見た目通りで無い。
いや、ある意味見た目通りの得体の知れない相手だ。
俺はそういった偽装には簡単には誤魔化されない。
この男にはなにか引っかかるモノがある……
なにかとてつもない……なにか……
――”守株待兎”
そもそもこの寓話は、濡れ手に粟の戒めと取られることが多いが、元々の作者である韓非子の言で受け取るなら……
”古くさい慣例やしきたりに捕らわれて進歩の道を閉ざした愚か者”ということにもなる。
そしてその”韓非子”といえば……
"政“に対する警鐘……
つまりは韓非子の唱える五蠹。
国家を木にたとえるなら、その木を蝕み弱体化させ、やがて亡国へと導く五匹の害虫を指す言葉。
そのひとつ、口先だけの外交で国家の利益を損なう国家の害虫……それが”学者”か”雄弁家”といった手合いになる。
「はぁ?……我が輩がぁ、がくしゃやゆうべんかぁですきゃぁ?」
「……」
――いや、そんな回りくどい事より……
俺は終始巫山戯るつかみ所の無いミイラ男相手に苛立っていた。
――単純にだ……何故、雪白の事情を部外者の此奴が知っているのか?
――その一点に置いても”ミイラ男”は十分不審者だ!
交渉事で不安定な感情の起伏や不要な苛立ちは厳禁だ。
それを知らない俺でも無いのに……
この時の俺は……
この初対面であるはずの”幾万 目貫”という奇妙な男を前にした俺は……
謎の不安と原因不明の記憶の混乱を抱え、正常な判断を出来きる状態に無かったのだろう。
「なぁんのことやらぁ……」
「……ちっ!」
やがて俺の苛立ちは頂点に……
「いいよ」
――!?
「ゆき……しろ?」
目前のミイラ男を威圧するこの場の絶対権力者たる俺と、それでも平然とそこに存在する幾万 目貫。
誰もが重苦しい空気に動きがとれないような状況で、それを破ったのは話題の中心……雪白本人だった。
「雪白……おまえ……」
驚く俺の顔を見た白金の瞳の少女は、コクリと白い顎を縦に一度動かす。
「けど、お前……」
「いいよ、それでいい、救いようのない受け身なひとのお話?なんだよね、うん、それでいいよ」
「……」
俺は納得がいかなかった。
いかなかったが……
しかし……結局、本人が承諾した以上、いつまでも難癖をつける訳にもいかず。
また、間を置かずに花房 清奈には別件の用が入ったため、その日の話は打ち切られたのだった。
そして今日のこのお披露目……
結局、それから彼女の気持ちは変わることは無く、雪白は久鷹では無い”久井瀬 雪白”として、臨海の面々へのお披露目となったのだった。
――
―
「あ、あの……その……えっと王様、雪白ちゃんの……久井瀬さんの名字変更っていうのはもしかしてあの時の……」
そんな中、とても戦争などと縁がなさそうな可愛らしい女性、花房 清奈がおどおどとした態度ながら、俺に問いかけて来る。
「そう!その辺だよっ!それを話したかったんだっ!清奈さんエライっ!」
やっと本題に入れた俺は、”ビシリッ”と女性を指さす。
「……あ、ありがとう……ございます……王様」
彼女はビクリと小動物のように縮こまって消え入るような声で応えた。
あの時、この話を一度打ち切った後、残った二人での会話も……
あれだ……ああいう風にちょっと……微妙にややこしい事になった訳だが……
雪白の紹介の場は、あの後に改めて本人と話し合って、本日この場で発表と相成った。
「久井瀬……」
名付けの経緯を知る清奈さんは眉を顰めて、少し複雑な顔になっていた。
――俺も未だ同じような心情だが、既に決まったことだ……なにより本人の意志だ
俺はそういう風に割り切って、そして高らかに伝達する。
「ああ、そう決まった。久井瀬 雪白には鈴原本家直轄地である”布由野”の地を分け与えて”久井瀬家”とし、新たな臨海の臣下の列に加える!」
「おぉぉーーっ!!」
そしてそれを聞いた家臣達から歓声が上がった。
俺はチラリと雪白を見てみるが、既に彼女はいつも通りすまし顔だった。
「……」
――まぁいいさ、雪白が良いなら……名前くらい
今度こそ、そう割り切った俺だが、それでも……
――”久井瀬、久井瀬……良い名でがすです!この方が別世界との調整も楽になってピッタンコ!切株が久井瀬でクイーゼル!楽ちんラクチン最高ですにゃー!”
――”別世界”?
――”調整”?
――”クイーゼル”?
それでも俺の頭には、去り際の幾万 目貫の意味不明の言葉が残っていて、雪白の晴れの臨海デビュー日であるにも拘わらず、俺の心は雲一つ無い快晴とまではいかなかったのだった。
第四十話「最嘉と本懐」前編 END
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