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独立編
第二十話「最嘉と大昔の暗殺者」(改訂版)
しおりを挟む第二十話「最嘉と大昔の暗殺者」
――京極 陽子
それは俺にとって忘れられない名前だ。
「最嘉、貴方の望むものはなに?」
腰まで届く降ろされた緑の黒髪はゆるやかにウェーブがかかって輝き、白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇が俺に向けて言葉を紡ぐ。
大国天都原の王弟、京極 隆章が第三子である彼女、京極 陽子がまだ紫梗宮と呼ばれる前の話。
臨海領での先の戦いで手柄を立てた、当時十五歳の俺は、論功行賞の場に居た。
そして、そこで俺の目に映ったひとりの少女……
同盟国の領主やそれに類する賓客を招く場所で目に留まった賓客中の賓客。
同盟国といっても我が臨海にとっての盟主国たる大国”天都原”
彼の国の王弟、京極 隆章公の息女。
大勢の人間達の中に在っても、俺にとって全く埋もれることの無かった少女は、闇黒色の膝丈ゴシック調ドレスに薄手のレースのケープを纏いこちらを見ていた。
――運命……
脳裏にそんな在り来たりな、でも最もシックリとくる言葉が浮かぶ……
「……くすっ」
「!」
その運命は、類い希なる美少女の姿で、俺に向けて軽やかに微笑みを浮かべたのだ。
「……」
――それが京極 陽子との邂逅だった
――
―
「俺の……望むもの?」
俺は彼女の美貌に見蕩つつも、質問内容を確認する。
「ええ、貴方、欲しいものがあるのでしょう?それは何のため?」
「……」
彼女のいきなりな言葉を受けて、俺は自身の心の中を探る。
――俺の欲しいもの……?
俺は次期臨海領主だ。
だが、俺が望んでいるのはそんなものじゃない……はず……
――そうだ、そんな程度のものじゃない!
鈴原の呪いは終わっていない。
嘉深とのあの出来事を経ても……
いや、正確には鈴原では無く、この世界の……不条理。
俺はこの死を死とも思わない戦国世界側が許容できない。
――世界が……許せない
――それはつまり……世界の……へ……
「……!」
俺の思考は突然引き戻された!
目の前の美姫が思考に熱中する俺の手を取っていたのだ。
「……は、陽子……さま?」
自身の白く繊細な両手で……
俺の掌を包み込むように……
「……最嘉、貴方はすごく遠い目をするのね……遠くて、何処までも挑む者の瞳」
「?」
暗黒の美姫が俺を見上げる瞳は、どこかうっとりとした様に思えた。
「それはきっと困難なもの……誰もが越えようとするのを考え至らないような高すぎる壁……」
――!!
次の瞬間、俺は正直息が止まった。
止まりそうになったのでは無くて……キッカリ三秒は止まっただろう。
「……」
勿論それは思い当たる事があったからだ。
この時点では誰にも話していない、いや、俺自身漠然として形になっていないもの……
――この少女は何故?
――何故、俺自身より俺の事を……識っているんだ?
「でも……貴方の瞳の光は決してそれを不可能なものと捉えていない。それを現実的な障害と認識している」
「お、俺は……」
――えっ!
それが具体的に何なのか。
俺がそれを初めて言葉に形作ろうとしたとき、彼女はそれを阻んでいた。
「はる……こ……さま?」
いつの間にか俺の唇に当てられた白い人差し指……
「やっぱり今は……いいわ……だって今の私がそれを聞いても対処出来そうにないもの」
そう言って彼女は紅い唇を無邪気に綻ばせる。
「……」
その時の俺は……
拍子抜けしたような、でもホッとしたような……
そんな感情が入り乱れた複雑な顔で彼女を見ていただろう。
「私の望みはね最嘉、取りあえずこの天都原の支配権……それから……」
「……」
なんか今、すごくアッサリととんでもない事を言った……この美少女。
大国天都原、王位継承権第六位、紫梗宮、京極 陽子。
彼女なら確かにその可能性はある……あるけど、それは中々平坦では無い道だ。
上位の継承権保持者を退ける事は勿論、この天都原の王位は本来代々男子だけに認められてきたという伝統という名の歴史がある。
そう言う意味では、今日、女性である彼女が王位継承候補に選ばれたのは、彼女の類い希なる才能と運。
そう奇跡とも言える運……といわれている。
つまり、実際ここから先の道は……
それに彼女は宮廷内に敵も多い。
出る杭は打たれるのが何時の時代、どの場所でも必定だ。
何にしても……
当時の彼女は未だ、紫梗宮と呼ばれていなかった。
王族ではあっても、王位継承権は所持しておらず、正式な立場はただの王弟の息女。
そう、ただのお姫様だったのだ。
その陽子が天都原の支配権?
お嬢様のただの世迷い言、そうとしか取れない笑えない冗談だ。
「……それから?」
しかしその時の俺は気になっていた。
ただでさえ困難な王位よりも……彼女の言った”それから”の先……
「くすっ」
俺の問いかけに彼女は麗しい唇を綻ばせる。
「最嘉は識りたがりね……そうね、それから……」
「……」
悪戯っぽく微笑む少女に、思わずゴクリと生唾を飲み込む俺。
「それから……私は統べるわ」
「統べる?」
「ええ、天都原を、暁を、世界を……統べるの」
「……」
またとんでもない事を……
王、領主といえども自分の領地だけで手一杯の輩が大多数の世の中で、とんでもない規模の野望を語る、この時……僅か十五歳のただのお姫様。
「……」
俺は言葉にならない、ならなかった。
それは彼女の見ている規模が……大きすぎるからだろうか?
「ふふ、驚くことはないでしょう?最嘉はもっと凄いものを……きっと私なんかよりずっと困難で、手に入れ難いものを欲してるだろうから」
「!?」
しかしそれはその彼女の、京極 陽子の言葉で直ぐに否定される。
「解るのよ、貴方を初めて見たときから……感じる、それが何かは解らないけど……最嘉の瞳が……そう言ってる」
――そうか、そうだな……
確かに俺の真に望むものは……
世界の統一よりも……大きいのかも知れない。
「……」
「ふふ、素敵よ……最嘉」
俺の前で突如、クルリと廻る少女。
ドレスの裾がフワリと空気を抱き、僅かに持ち上がったかと思うと静かにもとにもどる。
「ふふっ」
愉しそうに無邪気にはしゃぐその姿は、その瞬間だけは彼女を年相応の少女に見せていた。
「私ね……最嘉のこと、多分好きだわ」
「え……」
「貴方みたいなひと、初めて会ったもの……好ましく思ってる……だから……」
「……だ、だから?」
突然の告白?に、俺はドギマギとしていた。
「だから、あなたは私の所有物にするわ」
「……」
けど、これってどういうことだ?
――”私の所有物”
それは……臣下?下僕?
それとも本当に言葉通り所有物……ただの物。
どっちにしても、友達とか、ましてや恋人なんて洒落た代物では無いだろう。
「ねぇ、良いでしょ?最嘉、あなたは今日から私のもの……それは……私が最嘉の所有物でもあるということ」
――また意味不明の理屈を……
「俺は物じゃない」
「物よ、京極 陽子の所有物……光栄でしょう?」
「光栄じゃない!」
「くすっ、光栄なのよ……最嘉はまだ解ってないだけ」
――なんなんだ、この美少女!
ちょっと異常者なのか?
それとも、お嬢様特有の我が儘っぷりなのか?
いや、この際どっちでもいい……
ちょっと心に残って、ちょっと可愛いなとかドキドキして……
ちょっとばかりお近づきになれたらなぁとか考えて……
身分も弁えず声をかけてしまったけど……
もういい……
俺は変な美少女に付き合ってやるほど暇じゃ無い!
「……」
――俺は上を目指すんだ……
「ねぇ、最嘉」
「ちがっ……」
俺は現在此所でハッキリと京極 陽子に否定を……
「だって私は最嘉の所有物になれて光栄だもの」
「なっ!?」
完全に不意打ちの表情。
今までの雰囲気とは一転、透き通る様な白い頬を朱に染め、恥じらう可憐な美少女。
――っ!?
そして次の瞬間、不意に俺の懐に潜り込んで来る、黒い装いの少女……
俺は……
特に武術を嗜んでいるわけでも無い普通の少女の、そんな素人に簡単に懐に入られていた。
「……」
そして至近距離から俺の顔を見上げる奈落の双瞳。
「……っ」
――彼女が敵で、彼女に殺意があって、これが実戦なら殺されていた……
俺の四肢が油ぎれの古機械のようにギシギシと軋んで固まっている。
それはまるで関節が上手く噛み合っていないようだった。
「ふふっ」
緊張で木偶になった俺の周囲に、一瞬遅れて彼女の黒いゴシック調のドレスの裾がフワリと空気を軽くかき回した後の甘い香りが漂っていた。
「それで……何の用だったの?最嘉」
混乱する俺の頭に追い打ちをかけるように情報を錯綜させる彼女。
急に最初の……
俺が彼女に声をかけた時点に戻る陽子。
「……ぅ」
「……」
そして答えを待つ彼女は、類い希なる美貌に微笑みは常備しているものの……
明らかに雰囲気が変わっていた。
――これは……まるで戦場……
命を賭した戦いの緊張感。
「……そ……れは……」
――息が……苦しい
「…………その……あ……」
「…………」
「……ふふっ」
俺の懐に収まった美少女は、そっと両手の白い指を俺の胸に沿わせた。
「っ!?」
「声をかけてきたのは貴方の方でしょう?私……興味あるわ」
腰まで届く降ろされた緑の黒髪はゆるやかにウェーブがかかって輝き、白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇が愉しそうに……言葉を紡ぐ。
――類い希なる美少女
その真に希なる美貌の少女の極めつけは漆黒の双瞳だった。
対峙する物を尽く虜にするのでは無いかと思わせる美しい眼差しでありながら、それは一言で言うなら”純粋なる闇”。
恐ろしいまでに他人を惹きつける……”奈落”の双瞳だ。
「……で、出来れば友達になりたいと……」
俺はとびきり可愛くて、少し意地悪な美少女に魅入られながらも、なんとか言葉を返す。
「お友達?」
「い、いや……お近づきにっていうか……」
「そう……解ったわ」
「……」
――なんて馬鹿正直に答えてんだ?俺……
彼女に魅つめられて……
この……漆黒の双瞳に至近距離で見据えられて……
「無理ね、身分が違うわ」
「……」
――え……と?…………てか、おい!なんなんだ、これは……
いや、”身分違い”はそうだろうけど……
本当のところは解ってはいたけど……
――じゃあ、さっきの件は何だったんだ?
「……私の所有物にって……言っただろ」
「ええ、言ったわ」
納得いかない俺の問いに、この美少女はあっさりと……
「でも、それと恋仲みたいな関係はちょっと違うと思うの、どう?」
「どう?と言われても……」
俺にはサッパリだ。
「それに貴方は所有物を断ったでしょう」
「…………」
それは確かにそうだ。
それを言われればその通りだ。
しかし……この話の流れから、本当にそうなのか?
「まぁね、良いのよそれは……最嘉が断るとか断らないとかはあまり重要では無い事だから」
「最初からそんな気は無かったって事か?」
俺はただ単にからかわれただけなのか?
お嬢様の暇つぶしに……
「最初から最嘉の意見は聞いていないってことよ」
――っ!
「ふふ、変な顔……そうね、陳腐な表現をすれば運命かしら?」
あまりに勝手な……傍若無人な振る舞いの少女にどう反応したら良いのか、彼女の言うところの“変な顔”で固まってしまった俺は……
――”運命”だと?
驚いていた……
それは最初に、あの論功行賞の場で陽子を見つけた時……俺も感じた感覚だからだ。
なんとも言えぬ高揚感。
不可思議な意識をこの少女と共有できたなんとも表現しきれぬ嬉しさ……
「俺には理解できない……」
だが、変な意地を張った俺の口からは別の言葉が発せられていた。
「良いのよ、私が理解できていれば……ね、最嘉」
しかし敵は、既に俺の手に負える相手ではない事は明白。
全く動じない顔の少女は、両方の白い手、繊細な一級工芸品の様な指を俺の胸に沿わせたままの体勢でそのまま俺に身を寄せる。
「……は、陽子……さま」
「……」
彼女は特に応えずに俺の胸に埋もれたままだ。
「……うっ」
そして俺はと言うと……
頭が”ぼぅっ”とするような甘い香りと、じんわり暖かくて柔らかい陽子の身体の感覚にとても抵抗でき無いまま、暫しそのまま、成されるがままで過ごしたのだった。
――
―
臨海高校の屋上で、スマートフォンを持ったまま固まった俺。
「最嘉、貴方は日乃をどうするつもりなの?」
通話用のスピーカーから聞こえる京極 陽子の穏やかな口調の問いかけに……
「俺のものにする」
そう簡潔に答えていた。
「それは京極 陽子と敵対すると言う事?」
「…………」
「……そうね、電話でその話はいいわ」
応えを返さない俺に彼女はそう言う。
「陽……俺は俺の望む事のために動いている、それだけだ」
「……そう、そうね最嘉……ふふっ…………風蕭蕭として易水寒し……」
陽子はなにか納得したように軽く笑うと、一転、何かの詩を紡ぐ。
「……壮士ひとたび去りてまた還らず……決別の言葉か?」
俺はそれを受けて続きを詠み、彼女の意味を推量っていた。
「ふふっ……どうとって貰っても結構よ」
無論、京極 陽子なる唯我独尊の美少女様は意図を口の端に乗せる様な無粋はしない。
「……解った」
――プッ
――ツーツー
それを承知している俺に、通話の向こうで悪戯っぽく微笑む姿がハッキリ脳裏に浮かぶ暗黒の美姫は、そのまま未練無く通話を切った。
「……」
俺はスマートフォンをポケットに仕舞い、そして、いつの間にか俺の傍らまで近づいて来ていた二人の少女を続けて見る。
「最嘉さま……あの……京極 陽子はなんと?」
真琴が控えめに尋ねてくる。
「そうし?決別?さいか……」
もう必要も無いだろうに、スカートの裾をしっかり押さえながら、まだ少し頬を赤らめた雪白が疑問を口にした。
「荊軻さ、荊軻が詠んだ歌だ」
「それは……」
「けいか?」
俺の答えに二人が同時に呟く。
「大昔のな、暗殺者だよ」
――びゅうぅぅぅぅ
臨海高校の屋上で肌に突き刺さる風は……
既に過ごしやすい季節が終えている事を告げていたのだった。
第二十話「最嘉と大昔の暗殺者」END
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