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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第一話「出藍の誉れ」前編
しおりを挟む第一話「出藍の誉れ」前編
三軍に分かれて電撃進軍した臨海軍であったが――
その奇襲は看破され、既に新政・天都原軍は三カ所で迎撃準備を整えていた。
そしてそのひとつ、北上して香賀美領の香賀城突破を目指していた臨海第二軍は……
「香賀美北の海岸線は海兵力に対する防御のために港は閉ざされ警備も厳重だ。敵の索敵範囲もそれなりに広い故、くれぐれも北上し過ぎずに進まれよ」
新政・天都原軍が籠もる香賀城到着を前に、その数十キロ手前にて臨海第二軍を任された将軍、加藤 正成は念を押す。
「承知していますとも。此方は少数、上手く山野に紛れて行動できるでしょう」
そしてそれを受けた立派な髭の部将、有馬 道己は加藤 正成に頷いてから右手を差し出す。
「うむ。しかし今更ながら……少数精鋭が必須とはいえ、この頭数でこの先の作業は少々酷な感じではあるが……」
握手に応じ頷きながらも不安を見せる加藤 正成に、有馬 道己は年若い主君に向き直ってから目配せする。
「い、いや……や、”闇刀”の……神反 陽之亮殿が先んじて用意、ご助力頂くみたいですし、だ、大丈夫です」
その合図の意図を理解し、まだ”あどけなさ”を残す少年、伊馬狩 猪親は精一杯に胸を張って威勢を示す。
「そうでしたな、なにより”領王閣下”直々のご指名だ。失礼した」
歴戦の猛将による、若輩も若輩の少年相手だからとの侮り……
それに対する、少女と見まがう美少年の内なる気概に、強者たる”元”赤目の猛将は素直に非を認めた。
「いえ、若輩は事実ですし……この伊馬狩 猪親、加藤殿のご教授、肝に銘じます」
「……」
――成長した
――この若武者は少しずつだが着実に……
立派な髭の武将は、それを隣で目を細めて見守っていた。
――
「いや……だから……隊長……」
「だいじょうぶ、覚えてるから……ええと、ううんと……」
そんな忠臣、有馬 道己が主君に対する感慨深さに浸るという美しい情景を横目に……
「いや、流石に非道いですよ隊長!わざわざ南阿から駆けつけて再会したのに……副隊長は何年も隊長を補佐して助けてきたんですよ?」
「う……だから覚えてる……あれ……あれだよ」
少し離れた位置では絶世の美少女が美しい眉を顰めて頭をフル回転させ、そしてその周りには呆れ顔の男二人が、落ち込んだ一人の男を同情の視線で見ながら抗議していた。
「も、もういい!伊蔵、伸太郎……別に俺はこんな些細な事でショックなど……」
自分の代わりに抗議する部下を平静を装って抑える男。
「補佐?……助けてきた?……ああっ!?タケッチ!!タケッチ参上!?」
「うっ!?す、助っ人参上っ!みたいに呼ぶなっ!!安易すぎだろ!!連想ゲームかよっ!!」
同情する仲間二人に向けていた言葉とは裏腹に……その男は涙目だった。
「た、武知さん……」
「仕方ないです……武知さん、この女は昔からこんな感じで他人に全く興味がない」
「く……伊蔵、伸太郎……そ、そうだな……うぅ」
そんな二人の慰めに、長年同じ釜の飯を食った仲で死線を掻い潜ってきたはずの上官に、名前さえすっかり忘れられた悲しき副隊長の男は……
目尻を拭いながらもキッと少女を睨んだ。
「武知 半兵!遅ればせながら雪白の白閃隊を引き連れて合流した。今後はアンタの指揮下で働けと臨海王からも許しを……って聞いてるのかよ!?」
気を取り直して相対するも、だが肝心の美少女は既に飽きたのだろう、上の空で雲を見ていたのだ。
「ん?聞いてる……よ、昔の……部下、武知 半兵。なんとなく覚えてるから問題ないわ」
――いや、それは問題在り過ぎるよぉ、久井瀬さん……
そんな不毛なやり取りを、我関せずと分隊の準備作業を続けるフリをして誤魔化していた雪白の現参謀の内谷 高史は……
他人事ながらも、初対面である男の痛々しさに心を痛めて目を逸らす。
「くぅぅぅーー!!」
「た、武知さん!抑えて!!」
「この女っ!!”剣の工房”から同期の俺たちを”なんとなく”!?”なんとなく”ってぇぇ!!うわぁぁーーん!!」
「う……武知さん」
白閃隊の中に在っても徹底した現実主義者である武知 半兵……
そこには、薄情なほど合理的であると恐れられた冷徹な副隊長の姿は欠片も無かった。
――
「…………」
「猪親様?」
いつの間にか呆けたようにその馬鹿げたやり取りを眺めている若き主君に、立派な髭の家臣は不思議そうな視線を向ける。
「あれが久鷹……久井瀬 雪白……なんて綺麗な……こんな美しい女性だったなんて……」
日に蕩けるように輝く白金の髪を一つの三つ編みに束ねた、白い陶器の肌と桜色の可愛い唇の希なる美少女。
その少女の特筆するべきその双眸は輝く銀河を再現したような白金の瞳……
それはまるで幾万の星の大河の瞳。
「こんな……綺麗な女性がこの世にいるなんて……」
「……様!」
「…………」
「猪親様!!」
「うっ!?ああ……そ、そうだな!」
部下の一括に、伊馬狩 猪親は正気を取り戻す。
「か、加藤将軍もご武運を!……ええと、それではゆくぞ!!」
こうして伊馬狩 猪親が率いる別働隊は、香賀美領の香賀城目前で白閃隊を含む兵数五百に満たない数を引き連れ、第二軍を離れたのだった。
「だ、大丈夫でしょうか?あの若者で……いかにも若すぎですし」
それを見送る部下の感想に、立派な太刀を背中に背負った将は笑う。
「なに、別働隊はあくまで最悪の場合の保険だ。それに我が第二軍も万が一にも敵に事前察知され迎撃準備を済まされていたならば、香賀城は無視して尾宇美を目指せと言われている」
「確かに……ですがその場合は、香賀城から出た敵軍に後背を突かれる可能性がありますが?」
部下の懸念にも歴戦の猛将は笑う。
「この電撃作戦に急遽対応した手腕は、流石噂に高き”無垢なる深淵”と言えるが、それ故に香賀城に籠もる兵力は間に合わせの五千ほどだろう?俺の第二軍は総勢二万だ。釣り出て来て野戦になるならば、虚を突かれない限りは圧勝だ。それを見越しての領王閣下によるこの作戦指示だからな」
加藤 正成は全ては対策済みと部下を納得させると、暫し休憩していた自軍に命令する。
「このまま我が軍は川沿いを南下し、尾宇美を目指す!!最優先は領王閣下の第一軍との合流だ!!ここまで多少の修正はあったが我が領王閣下の策は万全!だが後方の注意は怠るなよ!!」
――
―
「どうやら敵さんは、この香賀城を無理に攻略せずに南下するみたいやね」
クリクリとした毛質のショートカットに特にこれといった特徴の無い目鼻立ち、全体的にそこそこ整った顔立ちではあるが、特徴の無さから地味な美人といった表現が適当だろう女が、斥候兵からの情報を聞いてそう呟いた。
「先手を取ったつもりが取られた。その状況にも対策を用意済みなんて……”王覇の英雄”……ふふ、やはり面白いわ」
対して、
長い巻髪で色白の、如何にも高飛車そうな女の赤い口元がゆっくりと嗜虐的に綻ぶ。
「そう余裕もあらへんけど?姫様の尾宇美城へ向かわれて合流されたら事やわ」
――王族特別親衛隊、五枚目の五味 五美
「それはそうね。とはいえ、白兵戦は数の上からも私達が不利でしょうし?」
――同じく王族特別親衛隊が九枚目、九波 九久里
当初の戦術目標をこうもアッサリと捨てて、この香賀城攻略を放棄するとは……
城を活用した時間稼ぎを目的としていた香賀城の新政・天都原軍としては少々困った事態になっていたのだ。
「……で、どうするん?」
「そうね……」
話していた二人の王族特別親衛隊が視線を向けた先には――
「先生……いえ、臨海王、鈴原 最嘉ならば、確かにそれくらいの臨機応変さはあるでしょう。お二人の懸念される通り、定石通りの追撃は愚策です」
応えたのは、くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな顔立ちの少女だ。
叡智を秘めた瞳……
可能性の瞳を輝かせる少女、
「また今回、実際に部隊を率いているという加藤 正成将軍は、正統派といえる型の良将ですが、忍である赤目の出自でもあります。それ故に空中戦も熟せる、小細工も見落とさない戦術眼を所持するかなり手強い相手でもあります」
王族特別親衛隊の八枚目、八十神 八月は重ねて説明する。
「なら尚更、下手な手は打てないと言う事ね」
八月の分析を聞いて出た九波 九久里の結論に、しかしその説明をした本人が首を横に振った。
「いいえ、ここはその小細工を弄しましょう」
「は?」
「なんで?」
自らの言とは全く違う結論を口にする後輩に、二人の王族特別親衛隊は不可解だと顔を見合わせていた。
「戦場では”目端が利く”からこそ、逆に引っ掛かり易いという事もあります。それに”加藤 正成”……人選的にも今回はちょうどピッタリですから」
純朴な作りのそばかす少女の顔が、したたかに微笑む。
「……」
「……」
二人の女は互いに懐疑的な視線を絡めたままだったが、それでも同時にこう考えていた。
――知恵や素質はあっても柔軟さに欠け、それ故に実績乏しく、終始自信無さげだったこの少女が……
「どうでしょうか?五美さん、九久里さん」
――”こうも”変わるのかと!
”士別れて三日なれば刮目して相対すべし”
とは云うが、それを目前で見ることになるとは……
――
二人の女は無言で頷き合ってから後輩に向き直る。
「良いわ、八月の考えた策を言ってみなさい」
「そやね、参謀は八月ちゃんやから異議ないわ」
その自信に満ちた双眸に、九久里と五美はその場で納得したのだ。
「はい、五美さんは三百ほどの部隊を率いて、尾宇美まで流れる川沿いを上って下さい。あ……ええと、敵には微妙に見つからない様にお願いします」
八月の指示に、五美は一瞬考えるような顔をしてから”ああ!”と大きく頷く。
「微妙にって事は……なるほど相手はやり手の”忍”出身者やもんなぁ、なるほど、なるほど」
「そして九久里さんは、兵三千を引き連れて密かに”ここ”へ……」
続いて九久里にも指示を出す八月が指さした地図の場所は――
「…………私は伏兵……いいえ、狩人ってことね。ふふ、面白いわ」
その場所を視線で追った九久里の嗜虐的な赤い唇が歪んで上がる。
「少数になる五美さんのフォローも、九久里さんの部隊移動の隠蔽工作も、残った私の部隊が行いますのでご心配なく!」
そして二人の先輩を完全に納得させた策士の少女は、される方にとっては厄介極まりない迷惑な作戦とは対照的な……
彼女の純朴さを前面に押し出した眩しい笑顔にてこの場を締め括ったのだった。
第一話「出藍の誉れ」前編 END
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