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下天の幻器(うつわ)編
第十五話「目つきの悪い蛇と気さくな偽眼鏡」(改訂版)
しおりを挟む第十五話「目つきの悪い蛇と気さくな偽眼鏡」
「子細はわかった、以降の作戦方針は追って指示する」
守る旺帝軍と攻める正統・旺帝軍、そして我が臨海軍が睨み合う旺帝領、那古葉の領都”境会”に張られた自陣にて――
俺は努めて冷静な口調でそう言った。
「鈴原君、あの……最善は尽くしたんだけど、その……」
座する俺の前に立った、眼鏡をかけて少し小太りした男は終始落ち着き無く俺の顔色を覗っている様子だが……
バサリッ!
「いつも通り簡潔で要点が良く纏められた報告書だ、後事は俺が対処する」
座ったままの俺は提出された紙束を雑に振り翳し、男に退出するよう促す。
「うっ……あ……はい」
俺が那古葉攻略戦の参謀に指名した内谷 高史は恐縮のあまりビクリと一瞬背筋を正したが……なんてことは無い。
――そう、俺は至って冷静だ
冷静成ればこそ、広小路砦攻略戦での惨敗を新たに計算に組み込み、内谷 高史の提出した報告書の内容をよく吟味し、
そして早急に次策の立案に入らなければならないことを知っている。
「す、鈴原君が意外と落ち着いててよかったよぉ……」
小太りした参謀は思わずだろう、退出間際に聞こえないくらいの声でそう呟いてから去った。
「…………」
――落ち着いて?
そりゃそうだ。
俺は年端もいかない頃から長く戦場を味わってきた。
弱小国の王として剣ヶ峰に立ったのも一度や二度じゃ無い。
――いいや……
なんなら俺の戦歴は勝ち戦より負け戦の方が多いくらいだ。
「…………」
――だからこそ
ガッ!
だからこそ!”鈴原 最嘉”は負けた時、先ず何を成さねば成らぬのか身に染みている!
堂々と組織の頂点に立ち、多くの人民の命を預かるというのはそう言う事だ。
「…………」
ガッ!ガッ!
――現状把握、味方被害状況と士気、敵戦力の詳細な把握、それに……
「さ、最嘉さま」
坐して考えこんでいた俺に、恐る恐ると言った少女の声がかけられる。
ガッ!ガッ!
「……なんだ?」
俺は坐した椅子の肘掛けに頬杖をついたまま、俺の傍に控えて立つ少女に応える。
ガッ!ガッ!
「最嘉……さま……あの」
臨時で設営されたテントの中に残った俺以外唯一の人物である、側近の鈴原 真琴の声は遠慮がちで、そして俺の足元をチラリチラリと……
「…………」
――ああ、そうか
俺は真琴の視線で初めて気づく。
ガッ!ガッ!
俺は……さっきからずっと、こうして踵を鳴らしていたのだ。
「最嘉さま……」
「…………」
不機嫌に……ずっと……
「…………真琴、俺は少し今後の策を練りたいから独りにしてくれ」
冷静?堂々と組織の頂点に立ち?
何のことは無い。
俺は……苛ついているのだ。
感情を抑えるには青く、態度を隠すことも出来ない未熟者……
そして、いつもは俺の命令に二つ返事で応じる黒髪ショートカットの美少女は、そう言った俺の言葉に従わず未だ躊躇しているようだった。
「だ、大丈夫ですか……あの……最嘉さま……」
チャーミングな大きめの黒い瞳を不安に揺らせたこの少女は一体なにを憂慮しているのだろうか?
「聞こえなかったか?俺は独りで策を練りたいから……」
「さ、最嘉さま!私がっ!最嘉さまにはこの鈴原 真琴がおります!どんな状況だろうと、どのような死地であろうと!真琴が最嘉さまのお側にずっと……」
「真琴っ!」
「っ!?」
俺は怒鳴っていた。
これまでどんな時も俺を支えてくれた彼女が……
今は……
今回だけは、何故かどうしようも無く煩わしかった。
「…………」
そして――
「………………すみません…………失礼致します」
結局、終始真面に視線も合わせず……
独りで考えこむ体を装い通した俺の理不尽な怒声に、黒髪ショートカットの少女は悲しそうな瞳のまま一礼し、天幕を後にトボトボと歩き出す。
「…………」
――頂点に立つ人間は如何なる時も冷静で無くては成らない
――それが戦の最中ならば言わずもがなだ
「…………」
――だから俺は冷静で無くては……
「………………真琴」
俺は去る寸前であった少女を引き留めた。
「はいっ!」
振り向いた真琴の瞳は一瞬、希望の光りを灯すが、
「誰も暫くは誰も入れるな…………独りになりたい」
そういう俺の命令を聞いた直後、入口付近で立ち止まった少女は再び落胆に染まった瞳に、そして頭を深々と下げてから改めて天幕を後にしたのだった。
――
―
――那古葉に設営された臨海軍本陣の……
最嘉さまが残られた天幕へと続く入口付近に配備された守備兵を下がらせ、
私はそこで我が君の新たな命令を待つために待機していた。
「……」
――少し……時間が必要なの
そう、ただそれだけ。
――私の最嘉さまはこんな事では決して挫けない!
今までだってずっとそうだった。
若き臨海王の側近たる鈴原 真琴は、忠犬の如くそこに立ったまま独り想う。
――こんな……
――久井瀬 雪白!
――あんな女がいなくなったくらいで……
最嘉さまにはこの鈴原 真琴がいるのだからと、何度も自身に繰り返す。
念仏のように。
そうあるはずだと!
そうあって欲しいと……
「…………」
――ウソだ
だが少女はそれが欺瞞であると知っている。
自分を欺く都合の良い考え。
鈴原 真琴は鈴原 最嘉を誰よりも近くで見て、誰よりも良く識ってしまっているが故に……
――わかってる、最嘉さまは決してそんな冷たい男性じゃない!
――私の最嘉さまはどんな時も!どんな状況でも!仲間を決して見捨てない!
――仲間となった者達の為に自ら危険を冒す事も厭わない!
――現在の鈴原 最嘉はそこから始まっているのだから……
鈴原 最嘉という男の半生をずっと近くで見てきた少女はそれ故に苛立っていた。
「あのバカ……久井瀬 雪白……こんな下手を打つなんて……」
それはつい最近、同じような理由で同じ様に……
”坂居湊”にて失敗した真琴だからこそ、久井瀬 雪白の失敗が良く理解出来る。
だがひとつ違うのは、真琴は無事で雪白は失われたこと。
――私が心から尊敬し、敬愛する最嘉さまの悲しみ……
「いいえ!久井瀬 雪白だからじゃ……ない」
真琴は独り呟きながら拳を握る。
――最嘉さまばお優しいから、特別な女性だからじゃないのよ……
「……」
そして彼女は再び黙り込んだ。
沈痛な顔で……
――苦しんでいる最嘉さまを見て、私も心が潰れそうになっているのは事実なのに……
そう、鈴原 真琴はこんな時に……
こんな時だから、久井瀬 雪白だから……
――こんなにも醜い嫉妬を抱いている!
その事実が彼女をより複雑な心情へと追いやっていたのだ。
「…………………………さいてい」
独り佇んでいた黒髪ショートカットの美少女は、自己嫌悪から小さく心の内を吐き出す。
――
そして汚れた心を切り替えるようにそっと顔を上げた。
「っ!?」
そこには――
「よう!ええと……真琴さんだっけ?”奥泉”から鈴原、帰ったんだってな?」
前方数メートルほどの距離にまで歩み寄る人物達の姿があった。
「……」
――不覚……
――門番も熟せないなんて!
気配の察知を怠っていた自分、公私の混同をつけられぬ自分を鈴原 真琴は深く恥じていた。
「真琴さん?ええと、まさか忘れたわけじゃないよな?俺は正統・旺帝の……」
真琴の前に立つのは、眼鏡の男と小柄で目つきの悪い少女の二人。
眼鏡の奥にある右目の光りが僅かに鈍い……
義眼の男は無防備な笑顔で気安く声を掛けてくる。
恐らく目元に付いた小さな傷を誤魔化す為だろう、”偽眼鏡”を装着した、曾て旺帝の”独眼竜”と呼ばれた男。
――”穂邑 鋼”
この”那古葉領攻略共同作戦”のために事前に何度も顔合わせした。
我が臨海と同盟関係にある正統・旺帝側の重要人物だ。
「…………」
私はそんな、結構な大物で在りながら全くそう感じさせない気さくな男を無言で睨んでいた。
――そうだ……有り体に言って私はこの穂邑 鋼という男があまり好きじゃ無い
それは、この男自身と言うより彼の主君、燐堂 雅彌が関係している。
「居るんだろ、鈴原?ちょっと火急の用件があって……」
「…………」
――”燐堂 雅彌”
この偽眼鏡男の主君は旺帝の王族で、”黄金竜姫”と称えられる賢君で、
なにより”あの女”の従姉……
「ええと?鈴原 真琴さん?おーーい?」
「…………聞こえています」
私はバレない様に小さくため息を吐いてから応える。
――そう、私がこの世で一番嫌いな”暗黒女”
この男の主君が、新政・天都原の代表、京極 陽子の関係者だからだ!!
「我が主君は、ただいま新たな策を考案中です。その間、誰も通すなとの命令ですので」
私はそんな胸中を成る丈抑え、素っ気なく応えた。
「そうなのか?けど、こっちも火急の用件だから」
「……」
しかし穂邑 鋼は私の応えをサラリと受け流し、平然と横を通り過ぎようとする。
――この偽眼鏡男……
シャキン!
私は無言で腰に装着した二本の特殊短剣のうちの一振り、”前鬼”を抜き放つ。
「如何な同盟国の人間でも、我が主の命令を無視するなら唯では済ませませ…………っ!!」
シュルルルーーーーッ!!
その瞬間!
私の視界を”なにか”が横切った!
「くっ!」
キィン!
響く甲高い金属音!
私の”前鬼”は火花を散らして押し込まれ、それを握る私の手は痺れていた。
――な、なに!?
咄嗟に後方へと数歩……
飛び退いた私はそのままもう一振りの特殊短剣”後鬼”を左手で引き抜き、両手に都合二本の刃を構えていた。
「……」
「……」
数メートルの距離を取り、鈴原 真琴と対峙しているのは偽眼鏡男では無くて目つきの悪い少女の方。
――確か……
「ダメだ穂邑 鋼……この女、手強い。手加減面倒臭いから殺すぞ!」
巫山戯たことを口走る小娘の名は確か”吾田 真那”
前髪をキッチリと眉毛の所でそろえたショートバングの髪型で、小柄であどけなさの残る顔立ちの少女は客観的に見て可愛らしい部類に入るはずだが……
重度の近眼の様に眉間に皺を寄せた表情のおかげでそれとは対照的な無愛想で目つきの悪い少女という印象が強烈に残る……
――情報では”黄金竜姫”燐堂 雅彌の護衛も兼ねた侍女だと聞いていたけど
「……」
私は油断なく両手の刃を構え、体勢を低く取った。
――あの距離から、あの自在な軌道
多分、”鞭”……否、前鬼で受けた衝撃から推量るに”鉄鎖”だろうか?
――いいえ!この私が初撃で見極められなかったということは、”鎖”よりもっと細い”なにか”だろう……
私は最大限の警戒を維持しつつ、敵の射程と威力を推測する。
「ダメに決まってるだろうが、吾田 真那。同盟国だぞ……たく、足止めだけしてくれ」
対峙する私達を尻目に、偽眼鏡男は平然と奥に進もうとしていた。
「っ!!その先は通さないと……っ!?」
シュルルルッ!!
シュルルルルルルルッ!!
ほんの一瞬!
穂邑 鋼に目をやった瞬間に、私の耳には聞き慣れない風切り音が二重に響く!
ギギィィン!!
「くぅっ!!」
ガキィィーーン!!
「っ!?……ちっ!!」
――左前方中段に一撃!
――右後上……否!下段に一撃!
間近でのたうつ蛇のように着弾地点を変化させ!自由すぎる角度から飛来する”なにか”を撃ち落とした私の前鬼、後鬼は激しい火花を散らし――
タッ!タタッ!!
二重の威力に押された私は更に二歩ほど、押し退かされ跳んでいた。
「…………これは……鉄糸線?」
容易に断ち切れない極細の軌跡……
凶器には先端部に金属製の刃を仕込んであるのだろうが、それにしてもこの戦国世界で鉄糸線?
――いいえ!ピアノ線どころか絹の細糸と見紛うしなやかさは普通の鉄糸線ではない!
「受けきったぞ!?この女っ!……私の”双頭蛇牙”をっ!?」
あからさまに不機嫌な顔で、そう叫ぶ吾田 真那。
「そりゃ受けるだろうよ、臨海三羽烏の鈴原 真琴だぞ……たく、くれぐれも穏便に足止めだけヨ・ロ・シ・ク!」
だが当の穂邑 鋼は軽く振り返っただけで、そうあしらうと先へと歩を進めていた。
「このっ!通さないと言ったでしょう!独眼竜!!」
私は即座にその男の後を……
シュルルルルルルルッ!!
「っ!」
――く……また、邪魔な!!
背を向けた私を再び吾田 真那の”双頭蛇牙”とやらが襲う!
――双頭蛇牙!!
――双頭の蛇……蛇……
――蛇で”吾田”……吾田 真那……”県の真女児”?
「なんて安直な名前なのよっ!」
両手に一本ずつ、計二本の手先だけで自在に操れる極細鉄糸線?の遠隔攻撃武器……
”戦国世界”では”近代国家世界”での技術はどうやっても成立しない。
以前、最嘉さまに、穂邑 鋼はこの”戦国世界”で独自の技術体系を構築した化け物だとお聞きしていたけれど……
――多分、この異質な武器もっ!!
ガキィィーーン!
先行して襲い来る蛇一匹の頭を叩いた私は、そのまま低く低く……
ダッ!
超低空飛行の”戦闘機”宜しく、敵の懐に突進する!!
「わっ!わわっ!!やっぱりダメだ穂邑 鋼ぇっ!!手加減できる相手じゃ無い!こ、殺すからなっ?なっ?」
無様に叫びながらも、もう一本の蛇を……
左の指先を忙しなく動かす目つきの悪い少女!
「ああ?ムリムリ、吾田 真那じゃ無理だって……てことで、足止めだけヨロシク!」
「にゃっ!?にゃにぃぃっ!!」
ズバッ!
「おおっ!?」
顔を真っ赤にして怒る目つきの悪い少女を斬り付けた私の後鬼は空を斬り、吾田 真那は辛うじてバックステップを踏んでそれを回避していた。
「ちっ!」
思わず舌打ちする鈴原 真琴。
「あ、そうだ!おーい真琴さん、心配しなくても……」
結構な闘いを繰り広げる私達二人を遠巻きに眺めて、先を進む穂邑 鋼なる男は場違いにもニッコリ笑った。
「鈴原 最嘉のことは俺に任せておけ、俺にも似た経験があるんだよ」
――っ!?
「…………」
その時、私は――
「おいっ!」
「…………」
私は――
「どこ向いて惚けてるんだ!臨海の”なんとかカラス”!!」
「…………」
不覚にもその根拠の無い笑顔が、
――我が君……
最嘉さまに何処か似ていると思ってしまったのだった。
第十五話「目つきの悪い蛇と気さくな偽眼鏡」END
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