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王覇の道編
第四十六話「狂人の交渉場(テリトリー)弐」後編(改訂版)
しおりを挟む第四十六話「狂人の交渉場 弐」後編
ズズズ……
「……」
更に左手の高度を下げる俺、
「……」
俺の顔を見据えたままの焔姫。
ズズズ……
俺は更に下げる。
機械のように、無感情に……刃の突き刺さった掌を徐々に下げ続ける。
「も、もうこれ以上は……」
「うっ!ぐ……」
長州門の”白き砦”ことアルトォーヌ・サレン=ロアノフは堪らず白い顔ごと”それ”から逸らし、人相の悪い坊主、安芸国 慧景は禿げ頭に脂汗を浮かべ顔を歪めていた。
「……」
――無理も無い
戦場で血には馴れた強者共も、”平和な世界での”こういった趣向には耐性が無いだろう。
これは謂わば自身による拷問。
極悪な挑発とか脅迫と言った類いの邪道で、普通の神経なら見るに堪えないのが当たり前の光景だ。
――だが……
「…………」
血に濡れた小刀を握る紅蓮の姫は……動じない。
紅蓮い双瞳も、石榴の唇も、
微塵も揺らぐ事無く真正面から”鈴原 最嘉”を見ていた。
ズズズズ……
開いた掌に鉄の異物がめり込み、肉の内を裂いて進む……
この時、刻まれる腕越しに、握った小刀越しに、肉を切り裂いて伝わる鈍い振動は俺と覇王姫、共通の感覚だろう。
「……」
「……」
――ブシュッ!!
やがて僅かな抵抗と供に赤黒を纏った金属の切っ先は、侵入した反対側から姿を現す。
手の甲から封を切ったシャンパンの様に、特に”めでたく”もない飛沫が一、二度噴き出し、その直後に下方へと更に朱を注いでゆく。
「…………」
思わず息をのむ程の美女の眼差し、
魅つめる悉くを焼き尽くしそうなほど赤く紅く紅蓮く燃える紅玉石の双瞳。
――ペリカ・ルシアノ=ニトゥ
”紅蓮の焔姫”と呼称される長州門が覇王姫が紅蓮の双瞳が奥に、炎の”紅蓮”が揺らめき、
最早、血塗れの白い手には大気に触れて変色したそれの上から更に”なみなみ”と注がれる流血の”朱い滝”
「……」
――そう、これは”狂気”だ
「……」
――覚悟という名の”狂気”
そして”狂気”は、時にしてあらゆる交渉術に勝る事を俺は幾つかの経験から思い識らされていた。
「鈴原……最嘉……」
紅蓮の姫が俺の名を呟いた。
「……」
俺は返事を返さない。
今や”串刺し状態”で、それでも更に下方へ向けスライドする俺の掌は……その五指は……
――
ビクリッ!ビクリッ!と痙攣するが
「…………」
俺の表情は一切の鉄面皮だった。
ズズズ……
――判断を誤れば全てが終わる戦場において忌みされる行動がある
無謀な行動、浅慮な行為、無意味な虚仮威し……
――愚行の極致だ。自己をして他者に誇るだけの愚者の蛮勇!
ズズズ……
――だが、それが唯一存在感を発揮する希なる瞬間は……
「……さい……か……」
百戦錬磨、鬼神も避ける覇王姫……ペリカ・ルシアノ・ニトゥの紅蓮の双瞳に初めて陰が過った。
「……」
相変わらずの鉄面皮が下で、俺の口端が捻上がる心象。
――そう、そういう希なる瞬間は……確かにある
ズズズ……
貫かれて小刻みに痙攣する五指、掌を下降させ、遂に到達した最下層で……
ググッ!
「…………ぁ」
小刀の鍔部分に刺さる”封書”越しに……
僅かな厚みの鍔越しに……
不細工な旋律を奏でる様に不揃いに跳ねる俺の指は、どうしようも無く朱に塗れた柄を握る”ペリカ”の血まみれの指先に触れ、紅蓮い女は、まるで幼い少女のように初く”小声”を上げた。
「……」
俺の血に犯された白い指先を、生臭い朱に塗れた異物越しに握りしめる!
「…………さい……か……」
血に塗れ……
更に下方にある床にさえ血溜まりが出来るほどの生臭さの中で、
俺を見上げる紅蓮い双瞳は……瞬間、この時は……
まるで熱に浮かされた乙女が微熱の瞳。
「…………」
苦痛に抗えるのは精神力や忍耐力では無い。
そんな”モノ”では常軌を逸した苦痛に抗うことは到底適わない。
「果実は危険極まりない刃の向こう側……だったか?だが、鈴原 最嘉には収穫は造作も無い」
「……!」
小さく声を上げた女の紅蓮の双瞳が間近で大きく見開かれ、
そして俺は”其所”に達しようとしていた。
「さ……い……か……」
「…………」
――痛覚制御……
それは人智の外にある外道の業だ。
掌は人体の中でも最も神経の密集する部位のひとつ。
なればこそ、そこは他の部位に比べ類を見ないほどの痛点の密集地帯である。
日々の激しい訓練で痛みに馴れた兵士でも、戦闘で傷つけられる事が希なその部分を切り刻まれれば発狂し、昏倒する。
――因って……
効率よく拷問するには、掌や指先を痛めつけるのは非常に有効な手段だろう。
そんな基本的な事は此所に集った誰もが承知だ。
だからこそ俺は……
俺はそういう箇所に”自ら”緩り緩りと、痛みを与え続けた。
ズブズブと異物が肉を切り開く感触。
ズキリ、ズキリと掌から肘へ、”こめかみ”へ走る発狂レベルの激痛。
度を超えた痛みは、腕の腱だけでなく背骨にさえ到達し脊髄を何往復も貫き続ける……
その衝撃は痛みを越え、最早激しい熱となって体中を駆け巡っているようであった。
「……」
――そんな中、俺は”其所”に沈め続けた
掌を、左腕を……意識を……精神を……
――深い深い水の底……”其所”へ
否や、水というのには違和感があるだろう。
それは……
そうだ、まるで恐怖から逃れようとする意識を拒む弾力のある海。
人が”痛覚”から逃れることを認めない”理”のような抵抗の海。
――俺は”其所”に沈ませる、精神を、存在を……
鈴原 最嘉を”拒む海”に……
手に足に胸に肺の中に……ズシリと魂にさえ纏わり付く抵抗の海底へ……沈め続ける。
――そう、それは真実に”水銀の海”
人を断固として拒む”銀の世界”
――
―
「もう……いいわ」
遙か遠くで……
女の声が響いた気がした。
「……」
――なんだ?
――まだ俺は本当の意味で達していないだろうに?
俺は……
深い深い”銀の世界”から、
”其所”から帰還させられた事に大いに不満だった。
「……わかった……から……少し時間を置いてから……”再交渉”しましょう」
大いに興ざめだった。
紅蓮い髪の女は……
悉くを焼き尽くしそうなほど赤く紅く紅蓮く燃える紅玉石の双瞳の女は……
俺に視線を合わすこと無く言い捨てて、臨海側の答えを聞く前に既に退出しようとする。
「……」
――この”覇王姫”には大いに失望し……!?
すっかり血塗れになった小刀の柄から、鍔越しの俺の指先から自身の白い手を遠ざけて離れた覇王姫、ペリカ・ルシアノ・ニトゥの背中を呆けた様に眺めていた俺は我に返る。
――俺は……いったい!?
そう、俺は一体、何に失望を?
「……アルト」
去り際、立ち尽くしたままの自身の側近に声をかけるペリカ。
――俺は元々、交渉のためにこんな賭に出たはず……だのに、いつの間にか……
「え、えぇ……では……一時間後に交渉の再開を……」
未だ白い顔で……は元々だったか?
いいや、明らかにそれとは違う蒼白さの残る顔で突っ立っていた長州門の覇王姫、ペリカ・ルシアノ・ニトゥの懐刀、”白き砦”のアルトォーヌ・サレン=ロアノフは、主の声に気を持ち直し、その意を汲み取って俺達にそう確認した。
「は、はい、解りました……あの……」
それに花房 清奈が応え、俺に目配せをする。
「……」
俺は……コクリと頷く。
――まぁ、上々だ……
俺は己の内に燻っている蟠りを一時は忘れ、本来の目的は達したろうと自分自身を納得させる。
”再開”と言うことは、交渉を続けると言うことは、長州門は臨海との取引に応じる用意があると言う事だろうからな。
「そう……なら、私は少し休ませて頂くわ」
俺の返事を聞き届けた後、若干付かれた顔色をしつつもペリカは態と俺の居る方へ、
未だ左手を小刀に串刺されたままの俺が立つ、惨状現場を横切る様に歩いて来る。
遠回りして、俺達臨海が予め用意した控え室へと移動して行く。
「……」
「……」
そして……平然とした表情で、紅蓮い姫は作った”すまし顔”で俺とすれ違う。
――はは……
なんて負けず嫌いだ、気の強い女だなぁ
俺はそれが妙に可笑しくて……
何故かいじらしく感じて……
ズキリズキリと激痛に疼く左手をそのままに、
すれ違い様の紅蓮い女に対して、
よせば良いのにこう言ってしまった。
「意外と可愛いとこ、あるのな……焔姫」
「っ!!」
ギィィーー
バタンッ!!
その時の、無言で去って行く紅蓮の焔姫の整った顔は……
彼女の瞳に劣らぬほど赤く染まっていたのだった。
第四十六話「狂人の交渉場 弐」後編 END
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