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王覇の道編
第五十四話「撃破」 後編(改訂版)
しおりを挟む第五十四話「撃破」 後編
「ぐ……はっ……」
――まんまとしてやられた
今から思えば、態と幅の小さい垂直刃の刺突で俺を懐に誘い込み、動きを制した後に外しようのない状況で背後から狙う……そういう作戦だったのかも知れない。
「ぐ……」
「見事だ、鈴木 燦太郎!」
「ぐ……う……」
「あの距離、あの一瞬でよくもよくも防いだっ!」
「ふ……せい……だだと?……ぐはっ……押さえ込んで威力を……へら……すのが……関の山……だった……がはっ……」
青息吐息で返す俺の背は散々な状態だ。
「其れでも尚だ!!其れ無くしては貴様の胴体は今頃二つに分かたれていただろう!」
「……」
想像もしたくないが……
伊武 兵衛の言うとおりだろう。
「そうかよ……だが……なっ!」
「むっ?」
俺は背中から広がる痛覚を飲み干し……
――ぐ、ぐぐぐぅぅ!!
奴の背後で役立たずに垂れ下がった、サボリ魔の我が右腕に力を込めてゆく。
「なに?」
「ぐ……はっ……ぬぅぅ」
脊髄を縦に通り抜ける激痛と手先まで伝わる痺れ……
それに抗いながら、五本の指に神経を通わせて、愛刀”小烏丸”の柄をしっかりと握り直す!
「この期に及んで何をかを?……だが、成る程、それも戦場の在るべき姿だ!ならば我とて貴様が死するまで微塵も弛めぬぞっ!」
――ぐぐっ!
「噴っ!」
バキバキィッ!
「がはっ!」
これは……所謂、”熊式鯖折り”ってやつだ。
愛しい女を抱きしめるかの如き熱烈な抱擁は、背骨を砕き昇天させる死の抱擁。
況して俺の背は肉が抉れた手負いの状態……
俺の背骨はバキリッバキリッと枯れ木を踏みしめる様な音を連続して発し、直接触れられ圧を加えられている背中の刃傷からはドバドバと大サービスで血が溢れた。
――伊武 兵衛は流石だ……
この状況下でさえ、油断なく、怠りなく、俺を殺しにかかる。
既に役割を終えた槍から手を放し、今度は両手を俺の背後でガッシリと組んで、一気に引き寄せて締め上げるっ!
「ぐっはぁぁっ!」
……ガランッ!
所持者が疾うの昔に放棄した十文字槍を未だ抱えていた俺の左脇からそれが地面に落ち、俺の身体は魔人の抱擁に仰け反って逆の”くの字”に撓る……
「死ねい!鬼子よっ!」
バキィバキィバキィィッ!
「がはっ!」
そして奴の背中越しで握り続けていた僅かな望みを託していた愛刀……
小烏丸から俺の指が……
ズルッ……
――離れた
「噴っ!!」
バキバキィッ!
”トドメ”とばかりに渾身の力で背骨の破壊にくる伊武 兵衛に意識が遠のく俺は……
――
ドシュッ!
「な……んだと!?」
俺は……
俺の右手は……
奴の背に刃を深々と突き立てていたのだった。
「がっ……はぁぁっ!」
グッグググッ……
十字傷の顔面を苦悶に歪める伊武 兵衛の背中に突き立った小烏丸を、更にねじ込む……俺。
「こ、小僧……どうやって?……その刀では到底……」
「……」
――その小烏丸では?
――到底?
刀を握った俺の右手は奴の背中越し……
そしてその腕は奴の脇で挟まれ締め上げられている。
謂わばこれは”死に体”だ。
例え渾身の力を込めようと、刀の刃渡りから考えるとこの距離では刺すことも斬ることも出来ない。
肘を押さえられ、可動域を制限された俺の右腕では僅かに角度をつけられる肘と手首だけで作る半径では刀の刃を相手の背中に突き立てるには距離が足りないのだ。
グリッ……
「ぐはっ!」
今度は伊武 兵衛が悲鳴を上げ、そして吐血する。
「ふ……ふん……刀が長すぎるのなら短くすれば良い……だけだろ?」
俺は出血と背骨へのダメージで青い顔になりながらも、ここぞとばかりに言い返す。
「ぬぅぅ……小僧ぉぉ……」
伊武 兵衛の負傷は背中に突き立った小烏丸の刃。
斬り口は一刀のみだが、角度良く背中から心臓に達する寸前だろう。
――つまり致命傷だ!!
「お、お互い背中が甘い……な……オッサン……」
顧みて俺は……
背中に受けた十文字槍の刃傷……
これは結構深いが、咄嗟に左脇で押さえて威力を半減させたから致命傷とまではいかない。
”熊式鯖折り”に締め上げられた背骨も……
これも途中で反撃する事により致命傷は回避したから、精々背骨を少々傷めて肋骨に何本かヒビが入った程度だろう。
後は……右手の平?
俺からは相手の体で遮られて見えない右手は少し切れて血が滲んでいるだろう。
――何故?
それは単純な理由だ。
手首を返して一度、宙に小烏丸を浮かせ、柄から刃の中頃を掴み直した事により出来た斬り傷……それがその傷だった。
「ぐぅぅ……無茶をしよる……小僧ぉ……ぐっ……指が飛ぶとは……思わなんだか?」
そう、俺は締め上げられて苦しさから小烏丸を手放したんじゃ無い。
態と放り出して握り直し、刀を短剣に変えたのだ!
斬れる長さの刀剣に変化させたのだ!
「”刀刃”ってのはなぁ……オッサン、宛がって引いて、初めて斬れるんだよ!」
どんな鋭利な刀も……そういう造りだ。
躊躇無く握り、後は握力で微動だにしないように固定する。
「……」
――とはいえ、完璧にとは中々いかないものだ
俺は見えぬ右手の傷が疼くのを感じながら、そう思っていた。
――まぁな……だがこの状況でなら多少、掌を切ったくらいは必要経費だろう
「く……ははっ」
そして笑う俺と、
「がはっ!ぐほぉっ!……は……はっ……」
再び血を吐く旺帝の魔人。
奴は大きく肩を上下し、鮮血の混じった息を出し入れしながらも……
俺を掴んだ両腕は放さない。
「致命傷だぞ?足掻かぬ方が……幾分楽に死ねると思うが?」
俺の問いかけに、顔面に大きく十字傷を刻んだ男の厚い唇は朱に塗れたまま口角を上げた。
「これほどの男が無名だと!?……は……くははっ!……ぬはははっ!!」
グッ!
そして背中から斜め上に突き上げるように突き立った一撃を意に介すること無く、再び俺の背骨を圧迫して締め上げる!
バキバキィッ!
「ぐはっ!……しょ、正気か?オッサン……その体で……常識ってモノが欠落……」
「其れはお互い様であろう……ぐっ……はっ……戦場では……命尽きるまで足掻くものだ……ぐおぉぉっ!」
ギリギリと……俺の脊髄を圧迫する怪力は致命傷を受けても全く揺らぐことが無い。
「……くっ……この……魔人」
俺は意識が何度か遠のき、刃を握る五指に力が抜け……
――てのっ!
「ぬっ!」
俺は魔人に連結された部位を起点に逆の”くの字”に、背面へと反り返り、粉砕の憂き目に遭う脊髄の存在は忘れることにした。
――上等だってのっ!
この瞬間、俺の意識が存在するのは魔人の背中越しにある五指だけだ!
例え”己”に刃を宛がわれても、成すべきは”己”以外に刃をねじ込むだけ!
ズッ……ズズズ……
お互いに切っ先を突き刺してしまえば……
それは即ち”度胸比べ”だ!
バキバキィッ!
ズッ……ズズズ……
「ぬっぐぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ぐっおおおぉぉぉぉっ!」
――但し、壁に脳髄をぶちまけて突き抜ける事を厭わない馬鹿者が勝利するなぁっ!!
――
―
獣を越えた雄叫びが応酬され、それはただの意地の張り合いとなる。
資質や才能など微塵も必要無い。
技や経験も関係無い。
それはただの意地の産物。
命を賭した意地の極致。
――
―
何時しか周りで展開されていた両軍兵士達の戦は全て静寂へと移行し、
俺達二人の原始的な殺し合いに固唾を呑むばかりになっていた。
「ぬぅぐおぉぉっーー!!」
「くぅぅっ!!」
手負いの背中をガッシリと握られた男の両腕に締め上げられ、開いた刃傷から血だけで無く肉が抉り出され、内部ではベキベキと背骨が悲鳴をあげて限界まで撓る……
――あ……案外と砕けないモノだなぁ……人体?
俺は自分でも意外なほど他人事に……
我が人体の神秘なる、学童図書のような題材に感心を寄せていた。
「ぐぬぅぅおぉぉっ!!鬼子めっ!」
吼える魔人に擂り潰された状況の俺は嗤う。
「……で?……お前の神秘はどんな程度だよ?伊武 兵衛ぇっ!!」
ズブゥゥッ!!
――そして……
俺が目下興味津々の”人体の神秘”巻の弐……
”魔人(オッサン)編”を無邪気に探求する。
「ぐっ!がはぁぁっっーーーー!!」
一息に突き上げられた小烏丸の切っ先は、より深く人体へ刀身を沈め……
――
――心臓へと到達した
今度こそ……
今度こそ致命傷だ。
「……」
これでこの戦はお終い。
旺帝軍は団体戦で大敗し、個人戦でも無惨に散った。
「ぐっ……ぬぅ……うぅぅ…………」
俺の背を圧迫していた”両腕”がビクンと大きく痙攣した後、それはズルリとずり下がる。
「…………鬼……子……が……やりおる……」
そして、自身で体勢を維持できない男は、抱き合う俺にズッシリと体重を分け与えて来る。
「旺帝八竜、”魔人”、伊武 兵衛……大した化物だったけど」
ブシュ!
俺は”体”の背から刃を引き抜き、空いた左手で”トンッ”っと軽く突き離す。
グラリ……
伊武 兵衛の”死にたて”の骸は無抵抗に馬上から後方へ仰け反って倒れ……
「生憎、俺に男色の趣味は無いんでな……」
――チャッ
ザシュッ!
馬上から崩れ落ち行く敵将の首を一閃……
俺は握り直した小烏丸で、魔人の”首級”を討ち取っていた。
――これも……武人の本願かよ、伊武 兵衛
――
―
オ……オオオオォォォォッッーーーー!!
ワァァァァツーーーーー!!
途端に周囲を埋め尽くす程の、敵味方からの歓声と悲鳴が響き渡り、
それは三百六十度のサラウンドの波で俺を包み込む。
「鈴原……鈴木 燦太郎様っ!ご無事で!? 」
急いで駆け寄る一騎の馬には、銀縁眼鏡のキリッとした美女……
「……」
俺は力なく左手を挙げてそれに応える。
「燦太郎様、お乗り下さい!陣営までお連れ致しますので……」
落ち着いた十三子には珍しく慌てた声だ。
「……」
だが……まぁな、それだけ俺が見た目から重傷と言うことだろう。
俺は秘書風の美女が駆る馬に”二人乗り”も良いかと思いつつも、最後の仕上げを忘れる訳には行かないと……
――それが戦場での勝者のケジメだと……
最後に一度だけ、命のやり取りを演じた相手に視線をやって周りを見渡す。
「旺帝八竜、”魔人”、伊武 兵衛は天都原軍、京極 陽子様が臣、この鈴木 燦太郎が討ち取った!これ以上無益な戦を継続すると言うならば、我が軍は尽くを血に染め上げるだろうっ!」
サッと右手に握った愛刀”小烏丸”の血に濡れた刀身を掲げて、高らかに戦場へと口上したのだった。
――
―
こうして……
旺帝領土”香賀美領”攻略の戦い、香賀城前平原の合戦は幕を閉じた。
実際、楽な戦とは言い難かった……
少なくとも戦っていた兵士達はそう感じたろうが、全体的には……
朝遅くに始まった一連の戦いは昼過ぎには終結。
旺帝陣営の総指揮官、絶対的な猛将、伊武 兵衛の死と軍全体の損害が凡そ八割という散々な事実。
対する天都原軍の損害は一割強という……
京極 陽子麾下の天都原軍による結構な短期決着、及び、圧倒的勝利で幕を下ろしたのだった。
第五十四話「撃破」 後編 END
応援ありがとうございます!
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