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『闇舞台』
其の壱
しおりを挟む……清けし月の面にも
写す九献の面にも……
戊辰暦十五年、初夏の涼やかな宵口。
天凱府の南方増長区文殊門町、名主宿では、六斎日恒例の夜神楽が開かれていた。夏至から冬至にかけて、門司『安立正見社』斎庭で執り行われる、邪鬼祓いの神事である。
今年は舞楽で鳴らした【花菱座】が招請を受けて、斎庭の一角に興行用の天幕を設けていた。
……雄蝶雌蝶が明衣に揺れて
箜篌や鞨鼓の音色に舞えば……
四間四方の黒光る鶯張り舞台の上で、深紅の婚礼衣装に身をつつんだ【明衣妓/舞姫】が、片刃の太刀を閃かせ、勇壮な舞踏を演じる。
口には魔除けの樒葉をくわえ、手足を飾る瓔珞をシャラシャラと鳴らしながら、白面美貌の舞姫は、一心不乱に舞い続ける。
毛先に往くほど赤く変じる長髪が、優雅な沙羅香を漂わす。
……現人神も弥栄張って
此の合巹に言寿ぞ生す……
周囲の桟敷席からは、観客の惜しみない拍手喝采が巻き起こる。
舞台上、ところせましと剣舞する【唯族(毛先だけ髪が赤い夜盲症の種族、昼間は人心まで見抜く心眼の持ち主が多い)】少女。敵役の朱漠王とからみ合い、真剣を紙一重でかわす華麗な舞姫の瞳が、盲目だとは誰知ろう。
……二世の契りに弥栄張って
此の合巹に言寿ぞ生す……
「素晴らしい……噂以上だな」
「ああ、美しさも申し分ない」
「しかも【唯族】とは……あんな逸材は二人といまい。決まりだな。早速、交渉しよう」
夜神楽に詰めかけた見物客の人ごみに、怪しい【緇蓮族(黒衣で隠した素顔を、他族に見られたら、相手を殺すか伴侶にせねばならぬ『鉄の掟』を持す種族)】の三人組がいた。
露台上の舞姫を、喰い入るように見つめるこの三人……彼らが一座に大金を投じ、舞姫を呼び寄せたのが、同夜の四更半だった。夜間はまったく視界の利かぬ舞姫《迦楼羅》は、相手の正体も知らされぬまま、従僕《夜守璽》に伴われ、宿場外れの六角堂へと向かった。
人里離れた深山、丘陵地帯の闇間を、弓張り提灯の明かりだけがチラチラと瞬いている。
「夜守爺、寂しいところなのね? 虫の声や、鳥の羽音しか聞こえて来ない……不安だわ」
「へい、確かに……周囲に人家はありませんし、不気味なほど、静かな場所ですな。儂も、いささか心配になってきましたよ……引き返しましょうか、御嬢」と、提灯片手にかたわらの迦楼羅をいたわる、心優しい従僕だ。しかし他の座員では、こうはいかない。とくに頑固一徹な座長の意思にそむけば、どんな折檻を受けるか。
迦楼羅はゾクッと身震いした。
「それはダメよ。座長に叱られるわ。ここまで来たら腹をすえなきゃね。高位出身の色客には、舞々風情とさげすまれ……酷い仕打ちを受けることも、幾度となくあったわ。だからなにが起きても、戻って座長に折檻されるよりは幾分マシよ……そうでしょ、夜守爺?」
左腕に寄り添う、十七歳の美少女。
その、ひた向きな健気さが、老僕は憐れでならなかった。
「御嬢、弱気になって申しわけありません。大丈夫ですよ。儂が必ず、御嬢を守ります」
夜守爺は、いよいよ目前に迫った指定場所を睨み、決意を新たにした。
彼女が四つの頃から、親代わりに世話してきた、純朴な男である。
迦楼羅は、老僕の力強い至心に胸を打たれ、不安を消し去り、六角堂へと近づいた。
放逐されてから長い年月を経たとおぼしき境内は、荒れ放題で草木が生い茂り、陰鬱だ。
だが六角堂の荘厳な造詣は見事で、本堂と厨らしき寺社が、立派な渡殿で結ばれていた。
慎重に石畳を伝い、階段を登り、六角堂をのぞきこむ夜守爺。
すると御堂内部から、流麗な歌曲の美旋律が、もれ聞こえて来た。
……我が胸で啼く 迦陵頻伽
君恋うる宵 月影儚き夏の夢……
「なんて綺麗な音色……誰が弾いてるの?」
迦楼羅に問われ、花頭窓の隙間を広げた夜守爺だが、衝立に隠れて、相手の姿はうかがえない。夜守爺は、思いきって板戸を押し開いた。
衝立から人影が飛び出し、ハッと息を呑む夜守爺。迦楼羅をかばい、あとずさる。
そこで歌曲を演奏していた黒尽くめ三人組は、【緇蓮族】に相違なかった。
ところが、目の見えない迦楼羅は、琵琶・簫・鞨鼓の三位一体、妙なる響きに陶酔して、うっとりと聞き惚れていたのだ。
「そこにおられるのは、楽師さまがたですね?」
「御嬢、いけません! こやつらは……しれ」
夜守爺が危急を報せるより早く、三人組は楽器を置いて立ち上がり、緇衣を脱ぎ捨てた。
慌てふためき迦楼羅を抱いて、ギュッと目をつむる夜守爺だ。
迦楼羅はわけが判らず、老僕の腕の中できょとんとしている。
恐れを知らぬその表情がまた、なんとも云えず愛らしかった。
「夜守爺とやら、心配ご無用。我らの姿を見てください。決して、貴殿を殺したりはせぬ」
「そうです。我らは【緇蓮族】では、ありません。ただ、人目を避けるには、緇衣で隠すのが好都合だったと、それだけのことですよ」
「おびえずに、見れば判るはずです。何故、我らが正体を隠す必要があったか……そして今宵、迦楼羅殿をお呼びした理由が、なんなのかも」
敵意のない、穏やかな口調だった。迦楼羅にも再三、促された挙句、夜守爺はついに覚悟を決めて、緇衣を脱いだ楽師たちを視認した。
「ああっ! あなたたちは……まさか!?」
三人の姿に瞠目する夜守爺。彼らは、昨今都を沸かせる、高名な楽聖《吉祥参楽天》の面々だった。三年ほど前、どこからともなくやって来て、雅楽の才を発揮。見る見る頭角を表すや、あっと云う間に『天凱府一の楽聖』と賞賛されるようになった、有名人である。
「夜守爺、誰なの? 早く教えて頂戴な!」
迦楼羅にせっつかれ、夜守爺は感動で声を上ずらせながらも、目前の三人を紹介した。
「吉祥参楽天の皆さまです! 琵琶の名手《十望》さま、簫の名手《恕雲斎》さま、それに鞨鼓の名手《瑞寵》さまです! まがうかたき正真正銘、本物でございますよ、御嬢!」
興奮する夜守爺の言葉に仰天し、迦楼羅も見えぬ目を瞠った。
吉祥参楽天は莞爾として、驚き醒めやらぬ迦楼羅に、手を差し伸べる。
「私が琵琶楽師の十望です。先刻、あなたの夜神楽を拝見させて頂きました。実に見事な明衣舞……感動しました。お逢いできて光栄です」と、【劫貴族】の端整な十望が微笑む。
「私は恕雲斎。無作法な招待に、さぞや気を悪くされたことだろう。なにぶん面が割れていると、大っぴらな行動をはばからねばならない。それで緇蓮族に扮していたのだが、そのせいで御老人を、だいぶ驚かせてしまったようだね。平にご容赦を」と、【聖真如族】の柔和な恕雲斎が、迦楼羅の右手に軽く口づけする。
「私は瑞寵と申します。まずは斯様な僻地まで、足をお運び頂いたことに、心より感謝致します。我らはいかにしても、あなたと懇意になりたかった。あなたは素晴らしい。まさに迦陵頻伽だ」と、【掌酒族】の精悍な瑞寵が、迦楼羅の手を力強くにぎる。
「そんな……私の方こそ、高名な楽聖さまにお呼び頂きまして、光栄至極でございます」
迦楼羅は、恥ずかしそうに三人と手をたずさえ、紅潮した顔をうつむけている。
夜守爺も、ホッと安堵の息を吐く。
わりと広い御堂内部は、迦楼羅を迎えるために華飾され、円座で囲む壇上には、贅沢な酒肴料理が用意されていた。質素な外観からは想像できぬ、煌びやか内観だ。
迦楼羅と夜守爺は楽聖三人に手招かれ、上座に腰を落ち着けた。
沈水香が御堂に満ちて、迦楼羅はまだ夢見心地であった。
だがこの夜の、《吉祥参楽天》との邂逅が、のちにおぞましい生き地獄と化すことなど、豪勢な接待を無邪気に喜ぶ迦楼羅には、思いも寄らなかったのだ。
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