鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『食女鬼・後編』

其の参 ★

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 本物の朱牙天狗しゅがてんぐとの交合では、常に相手を篭絡するため、ニセ芝居を演じて来た菊花大夫きっかたいふだ。それが今、ニセ修験者の手で、ほんの少し触れられただけで、菊花大夫は早くも善がり声を発しそうになった。唇を噛んで必死にこらえる。
「うぅんっ、んくっ……嫌あぁあっ!」
 おぞましい正体不明の【穢忌族えみぞく】に、些細な愛撫で転がされるなんて、菊花大夫の自尊心が許さない。だが男も、我慢を許さない。
「菊花大夫……いや、氷薙ひなぎさんよ。俺は触覚術【刑部ぎょうぶ】の使い手でなぁ……この手にかかりゃあ、どんな女も呆気なく堕ちるぜ。目障りな【蔓草つるくさ】どもも、こいつで一掃した。ホレ、気持ちいいだろ? 『肌理繰きめくわざ』とも呼ぶんだ。俺の魔手にかかったが最期……すべて俺次第で、相手に快楽と苦痛を与えられるのさ。愉悦の極致で狂い死ぬか……あるいは、劇症の生き地獄を味わうか……どちらがいいか選びな!」
 淫蕩なセリフを吐きながら、菊花大夫の豊満な乳房を、思いきりわしづかんだ直後、ジュッと音を立てて、男の手が火照った。
「ぎゃああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあっ!」
 熱気をおびた魔手は、たちまち大夫の乳房を焼き、ジュウジュウと嫌な音を立て続けた。
「こいつで、ホトン中ぁかき回したら、どうなるか……哈哈ハハ、ヤってみせようか、大夫殿!」
「嫌あぁっ、それだけは、許してぇぇぇっ!」
 調子づいて嗤う天狗面男の魔手が、彼女の秘処へ届く直前……バンッと、背後の板唐戸いたからどが蹴破られた。男たちが続々と乱入して来る。
 それはなんと、美男人形使い【夜飛白よがすり一座】の面々だった。
 いや、空虚な玻璃玉はりだまの瞳、陶器にも似た冷たい表情は、まるで生き人形だ。
「高名な祈祷師《朱牙天狗》に化けた、鬼畜外道め! 今すぐ、菊花大夫さまを放さぬか!」
 すかさず先頭へ躍り出て、大音声だいおんじょうを放った男は、誰あろう……なんと、神祇府じんぎふの密偵道士《蒐杏しゅうあん》と《蒐々しゅうしゅう》兄弟であった。驚倒する菊花大夫、彼女以上に仰天する朱牙天狗。
「人形使い【夜飛白一座】は、我らが配下! 後宮菊花殿の、〝鬼憑き〟騒動を捜査するため、皆で貴様の行状を見張っておったのだ! だが貴様は、私の旧友《朱牙天狗》ではなかった! 本物をどこかへ監禁、まんまとなりすまし、後宮監吏官や、菊花大夫さままで騙すとは、言語道断! 挙句、修験者ぶって後宮女御にょうごに呪法をかけ、散々淫行をかさねるとは、許しがたい罪科だ! 名誉を穢された本人のためにも、貴様にはここで死んでもらうぞ! 泥梨ないりの【食女鬼うかめおに】め! 覚悟致せよ! 全員、捕縛用意!」
 例によって、長広舌で天狗面を罵倒し、合図の指麾幡さしずばたを振りかざしたのは、蒐杏道士だ。
 これに応じて、実は神祇府密偵の捕り方だった【夜飛白座】十四名の美男座員が、一斉に経文字だらけの天狗面怪士あやかしへと襲いかかる。
「畜生がぁ! バレちまっちゃあ、しようがねぇな! せめて、これが最期なら……あんたを、無茶苦茶に犯したかったぜ! 菊花大夫殿!」
 天狗面の凶悪な【穢忌族】は、恐ろしいセリフをわめき散らすや、捕り方相手に発奮した。凄まじい跳躍で、男たちの頭上を飛び越えると、瞬時に中庭へ着地。
 足疾鬼そくしつきの如く俊敏に石橋を駆け、深池みいけへ飛びこんでしまったのだ。
 池畔に殺到し、深みをのぞきこむ追手は呆然自失。水面は、怪士の遺影を写している。
 水鏡の忌月いみづきが、赤く細波さざなみ立ったかと思えば、黒い瘴気しょうき泡沫うたかたが噴出……やがて、不気味な天狗面だけを浮上させ――鬼難きなんは去ったようだ。
「クソッ、食女鬼め! 泥梨へ、逃がしたか!」
 悔しまぎれに石塊いしくれを投じ、蒐杏が憤激する。
 蒐々も、わずかにのぞく藍眼あいがん睫毛まつげを、不安げに震わせ、水底を一心に見やる。
 捕り方十四名の覇気も、完全に殺がれた。戦意喪失だ。
 一方、騒ぎを聞きつけ、朱牙天狗の仮住まいへ集まって来た寮部りょうぶ閹官えんかん、侍従長などは室内の様相と、くずおれる二人の美姫びきに戦慄した。
 白髪のそう寮部と、新入りしゅく閹官が、慌てて菊花大夫を介抱する。
 彼女は内心、問題の《夙閹官》が登場したことで、かなりうろたえていた。
 当の夙閹官は、彼女の杞憂など気づくはずもなく……露出された豊満な胸に、痛々しい熱傷痕や、にじんだ血を見ては、顔をしかめた。
「おおっ、菊花大夫殿! 大太々た―たいたいさま! なんたることじゃあ! おいたわしい……早く、お怪我の治療をせねば……これ! 侍女連やぁ!」
 しゃがれ声で大騒ぎする宋寮部に、大夫をまかせ、夙閹官は胡蝶こちょうの元に向かった。
 こちらは重症だ。
「胡蝶の君は……おおっ、これは酷い! どうやら、あの鬼畜に犯されたあとのようですぞ!」
 鬼子を流したのち、ぐったりと項垂れ、呪難にうなされる胡蝶の血まみれ裸体。
 夙閹官は、思わず声を引っくり返した。
 呼ばれた侍女たちが、菊花大夫と胡蝶の君を、うやうやしく看護する。
 そこへ、朱牙天狗に化けた【食女鬼】捕縛を到頭、しくじってしまった追手……神祇府道士十六名が、落胆いちじるしい表情で戻って来た。
「道士さまがた……例の、ニセ修験者は!?」
 蒐杏が、黙然と首を振る。
 重いため息ひとつ。
かえでさまの居室も、大変な騒ぎじゃった! あれも多分……今の、鬼畜が所業じゃろう!」
 興奮気味に叫んだ宋寮部の言葉で、菊花大夫は目をむいた。
 激痛も忘れ、しわ首に取りすがる。
「楓が……一体、どうなったと!?」
「大夫さま! 落ち着いてくだされ! 傷に障りますじゃ!」と、なだめるも、菊花大夫の激昂は収まらない。宋寮部を揺さぶり、詰問する。
「楓が、どうなったかと聞いておるのじゃ! よもや鬼畜が……く答えよ、宋寮部!」
 白髪寮部は肩を落とし、小声で答えた。
「実は楓姫さまも、再び【鬼胎きたい】を受けたらしく、それはもう、正視に堪えぬもだえようでして……ただ今、典薬廟の奥医師や、こちらの神祇府【鬼道術師きどうじゅつし】さまが、看病に……」
「な、なんと……それは、まことかぁ!?」
 瞠目どうもくする菊花大夫。蒐杏道士はうなずいた。
「お可哀そうに……【食女鬼】は、その名が示す通り、女体へ喰らいこみ、精気を吸い尽くす悪鬼です。しかも相当の面食いで、瀕死の女体へ憑依し、屍を乗っ取ることもあるらしいですな。多分、朱牙天狗に化けた鬼畜は、菊花殿の絢爛豪華な、上臈じょうろう姫さまが色香に惑わされ、どこぞ泥梨と通じた鬼道を抜け、さまよい出したものと推察致します。ですが、もう心配ご無用ですぞ、大夫殿! 我らの手で、成敗叶わなかったのは唯一心残りですが、【食女鬼】が泥梨へ帰還するさまを、確かに見届けました。我らも、もうしばらくここへ滞在致しますゆえ、取り急ぎ中庭の深池を埋め、泥梨鬼道をふさいでしまいましょう。さすれば、二度と再び例の鬼畜が、菊花殿へ舞い戻ることもありますまい。監吏官御一同さま、その辺はよろしくお取り図りください。とにかく、お二方ふたかたの怪我の手当てを。鬼の傷はのちのち、重篤に到る場合もございますゆえ……板戸で担架をこしらえ、霊廟へ運べ!」
 長広舌の末尾に、部下への指令を発し、蒐杏道士は蒐々道士と、室内の検分を開始した。
 その間、菊花大夫は袖で顔をおおい、細身をかすかに震わせていた。
 侍女や寮部閹官は、彼女が泣いているものと思ったが……そうでなかった。
 彼女は、笑いを噛み殺していたのだ。
〈楓も、ついに堕ちたか! 実に愉快じゃ!〉
 元々、禁忌の【鬼胎呪法】まで用いて、陥落させんと目論んだ相手である。
 その楓もまた、鬼難に犯され、生き地獄を味わったと聞くや、猛烈な可笑しみがこみ上げて、顔をおおったわけだ。いくらなんでも凶事の最中、笑みを見せては不審を招く。
 ただ、先刻《朱牙天狗》が見せた豹変ぶりには、彼女も度肝を抜かれていた。
〈彼奴は、朱牙天狗ではなかった……確かに、あの経文字は、【穢忌族】の禍々しい鬼業を秘めた別人のものじゃった……これは一体、どうしたワケじゃ!? いつの間に、本物とすり変わったのじゃ!? 彼奴の正体も気がかりじゃが、突然しゃしゃり出て来た、この神祇府道士とやら……目障りな蝿が、増え出したぞえ!〉
 悪辣あくらつな思惑など、おくびにも出さず、清楚で心根優しい菊花大夫は……侍従連中の手を借り、ひとまず己の居室へ引き上げることとなった。
〈とにかく……邪魔な寵妃は、あまさず堕胎させた。帝の御胤と、朱牙天狗の精気で、吾子あこは充分育った。次の手筈を、早急に練らねばなるまい。我が腹より、〝夫〟が誕生する七夕まで、残り五日……すでに、恋火月れんかづきも満ちた!〉
 菊花大夫のしなやかな細身が、実は出産間近な孕み腹とは、誰知ろう。
【食女鬼】の妊娠期間は、わずか〝四十九日忌〟なのだ。
 恐ろしい鬼業の種は、《菊花大夫》が入水した四十九日前から、つまり皐月の小満頃から、彼女の……いや、【食女鬼】に〝影〟を喰われた、憐れな空蝉の胎内で、脈々と息づき、生餌を喰らい生育し、現世へ産み落とされる瞬間を、今か今かと待ちかまえていた。
 己の腹を大切そうにいたわり、渡殿わたどのを遠ざかる上臈女御。
 その影が、禍々しい鬼業きごうで朱色に染められて往く。当然、普通の人間の目では、看破できない。
 菊花大夫へ宿った仮初かりそめたまは、傍仕えの宋寮部や、閹官、侍女連でさえ、見事に騙し続けている。【食女鬼】は、喰った女の過去や苦悩までも、餌にするのだ。
 唯一人、皮膚病で口も利けぬはずの、小柄な《蒐々道士》だけが、菊花大夫の後ろ姿を見やり、わずかにのぞく藍眼を暗くかげらせ、つぶやいた。
「鬼女め……必ず、角を出させてやる」
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