鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『決別・後編』

其の九

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 六尺等間隔で、正確な五角形を描く怪士あやかしの視線は、如風じょふうを隙なく見すえていた。
 そこへ、仲人長屋ちゅうにんながやから、またまた四つの人影が、駆け寄って来たのだ。
「皆さま! 大丈夫ですかぁ!」と、息せききって問いかけるのは、もう一人の宗瑞茅そうみずちだ。
「上手く犯人を捕りこんだなぁ!」と、興奮して声を上ずらせるのは、赤毛の凶賽きょうさい親分だ。
あにさんがた、やるじゃねぇか!」と、喜悦満面で手ばたきするのは、侠客子分の敦莫とんまくだ。
「なんとも、見事なお手並みじゃのう!」と、感歎して目を見開くのは、門司もじ庚仙和尚こうせんおしょうだ。
 円陣の五人組は、ニヤリと嗤って、観客たちを歓待する。
 紫烟しえんをくゆらせ、ニセ瑞茅がうそぶく。
「これで役者は出そろったな」
「いよいよ種明かしだぜ、座長」
「今宵はだいぶ、趣向を凝らしましたね」
「うむ……」
『いい表情だ。これを見るのが愉しみでな』
 驚倒し、目をむく如風に、彼を包囲する五人組は、一人ずつその正体を明かし始めた。
「逝く前に、教えてやろう。俺たちぁ、奇術絡繰からくり専門の【鬼凪座きなぎざ】ってモンだ。裏家業の仕置き人さ。扮装や詐術が得意な、役者一座でねぇ。此度は、あそこにいらっしゃる、本物の《宗瑞茅》殿より依頼を受け、秘密裏に暗躍してたってワケさ。よう、瑞茅の旦那に、凶賽親分。あんたたちまで騙して、悪かったねぇ。庚仙和尚、怪我までさせて、すまなかったな。敵をあざむき、油断させるにゃあ、まず味方からだ。勘弁しろよ」
 鬼業きごうの脅威【手根刀しゅこんとう】の魔手を操る怪士、ニセ《宗瑞茅》は軽口を叩き、扮装を解いた。
 現れたのは、左半身が爛れた悪相琥珀眼こはくがんの男である。
 普段の、黒地腹掛け股引に藍染め単衣ひとえ、派手な大ぶり継半纏つぎはんてんを着こんだ座長は、悠々煙管キセルを吹かしつつ、己の役どころを語り聞かせる。
「最初は侠客子分の痴八おこはちに化け、侠客一家と情報収集。次は一人芝居で痴八を殺し、血の言伝を書いた殺人犯のニセ者。続いては酒場で、あんたの耳に入るよう嘘の噂話を流した酔漢。そして今宵は宗瑞茅と、四役演じ分けた俺は、【鬼凪座】の座長《癋見べしみ朴澣ほおかん》てぇ者だ。よろしくな」
 悪相男は慇懃にお辞儀し、呆気に取られる凶賽親分へ向けて、さらにこうもつけ加えた。
「すまねぇな、凶賽親分。そう云うワケで、谷川へ落ちた痴八も俺さ。瑞茅になり代わるため、痴八を一旦、消さにゃあならんかったモンで、ああいう筋書きに、せざるを得なかったのさ。本物は別の場所で、ちゃんと生きてるぜ。だから敦莫兄ぃも安心しな。まぁ皆さん、どうぞ終幕まで、じっくり観覧しててくんなよ」
 さすがの凶賽も、言葉にならない衝撃だった。
 敦莫は狐につままれたような表情で、ぽかんと口を開けている。
 瑞茅と庚仙和尚も然り。
 彼らが【鬼凪座】の正体と、千秋楽の大仕掛けを知らされたのも、つい一刻前なのだ。
 半信半疑のまま、指図通りに動いた彼らも、詳細を聞くのはこの場が初めてなのだから、犯人以上に戸惑い呆れるのも、当然のことだった。
 ところが、円陣内で切羽詰まった如風は、皆がグルだと思いこみ、敵視して猛烈に吠え立てた。
哈哈哈ハハハ……俺は釈迦しゃかてのひらで、まんまともてあそばれた猿にすぎなかったワケだ! 貴様ら、全員で俺を罠に嵌めたのだな!? 卑怯者どもめぇ!」
 雪を蹴散らし、怒り心頭に発した凶相である。
「黙って聞けよ。次の役者が、正体見せる番だぜ。此度は、序幕から終幕まで出突っ張り。見事『黒姫狂女くろひめきょうじょ』を演じきった女形おやまは、【穢忌族えみぞく】の天才美男役者と誉れ高い、《夜戯よざれの那咤霧なたぎり》さまだぜ! 以前、崔桐円さいどうえんを追いつめた船着場でも、あんたは俺とすれちがってんだが……そんなこと、覚えちゃいねぇか! 哈哈哈!」
 人目もはばからず喪服を脱ぎ捨て、これでもかと、全身経文字だらけの、忌まわしい男体を見せつけた美青年は、平然といつもの喝食装かっしきそうに着替える。
「そんな……嘘だろぉ!?」
 またも激震が走り、凶賽と敦莫の腰はヘナヘナ。脱力して、雪の上に尻もちをついた。
「初めから、架空の人物だったなんて!」
 瑞茅も卒倒しそうだ。
 呪われた【穢忌族】の登場に、庚仙和尚はおののき、念仏を唱える。
おい、和尚! 申しワケねぇな! 俺を助けようと、怪我までしてくれたのに、がっかりさせちまったよなぁ! けど、あんたをブン殴ったのは、こっちの莫迦ばかデカい鬼瓦だぜ? その点じゃ、俺ぁ文句は受けつけねぇよ!」
 喝食女形が指差す鬼畜の、狂猛獰悪きょうもうどうあくな姿に、和尚はますます震え上がる。
 諷経ふぎんの声音も、一段と大きくなった。
「噂の『黒姫狂女』は……貴様の企みだったのか!? 存在しない幻だったワケか! 市井しせいの民まで、騙しきるとは……なんて奴だ!」
 如風は、元『黒姫狂女』を睨めつけ、悔しげに歯軋りした。
 外側で見守る門司社一同の驚きようも、那咤霧には最高の賛辞である。
 だが観客心理を揺るがす震天動地は、次の役者紹介でも同様……いや、それ以上だった。
夜盗市やとういち老船頭に始まって、六官ろくかん探索方《趙琉蹟ちょうりゅうせき》に化けた私は、《夜叉面冠者やしゃめんかじゃ》と申す面打ち師です。ご覧の通り、鬼面から生前の形骸模写までこなす『幻魔鏡げんまきょう』の主。座長のかぶった痴八面や、ただいまの琉蹟面も私の作品です。また、『惑乱香粉わくらんこうふん』を用いる、幻術師でもありましてね、皆さまの心理を、巧みに操らせて頂きましたよ。ご自身、そんな覚えはないでしょうが……ちなみに『隋申忠隊ずいしんちゅうたい』のメンツは、夜盗市で幻術に陥れた傀儡かいらいにすぎません。用済みとなったので、すでにつつがなく散会させました」
 六官の黒地道服だけはそのままに、面を外し、髪振り乱した男は、醜悪な赤毛鬼面へと早変わりした。彎曲わんきょくした二本の角まで突出する。
 胸には、楼閣の須弥壇上しゅみだんじょうに飾られていた、奇異な銅鏡が提げられていた。
「まさか……琉蹟殿まで、座員のかただったとは……畏れ入りました!」と、驚嘆のあまり低頭する瑞茅を、思わず怒鳴るのは凶賽だ。
「俺たちぁ騙されてたんだぜ!? 頭なんか下げる必要はねぇよ、旦那! てめぇ、よくも同族相手に、イカサマ打ってくれたなぁ! その醜い鬼面引っぺがし、あとで一発ブン殴ってやるぜ! 覚えとけよ、こん畜生めっ!」
 剛毅なにぎり拳を振りかざす、凶賽親分の怒気に、素顔が見えぬ【死口夜叉しにくちやしゃ】の息子は含み笑いした。如風の反応は、もっと過激である。
「朝廷側の暗殺依頼もあって動いてた俺を、六官が邪魔するとは……道理で、おかしいと思ったぜ! 結局、隋申忠隊もすべて、貴様の虚構だったワケか! とんだ茶番劇だな!」
 如風は、血まじりの激しい憤怒を唾棄した。
 ハテさて、なんにせよ次なる役者こそ、一番の曲者だろう。
 瑞茅や庚仙和尚、敦莫は、直視することもできず、凶賽でさえ怖気立つ怪物だ。
われは《顰篭しかみごめの宿喪すくも》だ。これが本来の姿だが、人鬼交わり産まれ出た忌子ゆえ、時に体質が変化するのだ。そこを上手く利用し、此度の舞台では皮膚病人《朔茂さくも》にも変化した。無論、貴様はあずかり知らぬ幕。時に、如風とやら。旧釈迦門楼閣きゅうしゃかもんろうかくでの、襲撃夜以来だな。だいぶ、傷も痛むようだ。引導渡す潮時と見たが、如何いかが
 二重に響く恐ろしい獣声じゅうせいでのたまう鬼畜は、脇腹を押さえる如風の寿命を、容赦なく削った。
 強烈な鬼業禍力かりきを浴びて、如風はいちじるしい体調不良に見舞われた。
 身をかがめ、吐血する。
 門司社一同においては、戦慄で言葉も出せず、恐々円陣から遠ざかるのが精一杯だ。
 だが、禍々しい顔触れの中で、最も如風を激震させたのは、序幕より素顔で登場《一角坊いっかくぼう》の存在であった。滅相が表れ始めた蒼白顔を強張らせ、如風は昔馴染みを見つめている。常に饒舌な呑助が、今宵ばかりは口数少なく所在なげだ。
 座長に投げ返された【造酒鬼瓢箪さかつきびょうたん】を持って、唇を真一文字に引き結ぶ。
熨阿弥のしあみ……では、お前も……やはり、ニセ者なのか? そうだ……彼奴が、生きているはずがない! 貴様は一体……何者なのだ!」
巫丁族かんなぎひのとぞく】破戒僧は口の端をゆがめ、どこか寂しげに笑った。瓢箪の鬼去酒きこしゅを一口あおる。
「看破されては、仕方ないな。そう、確かに私は《熨阿弥》に似せたニセ者で《一角坊》と申す別人。奇術絡繰【鬼凪座】の、役者が一人に相違ない。如風殿の死んだ昔馴染みになり変わり、凶行を止めようと近づいたが無駄骨だったな。終幕まで役立たずだったよ」
 一角坊は何故か、普段とはかけ離れた正調言葉を使い、淡々と己の素性を騙り続けた。
「あなたは、もしや昨晩の虚無僧!?」
 瑞茅には、聞き覚えのある声だった。
 彼は……犯人の伝文を斎庭ゆにわに届け、ニセ六官琉蹟が操る傀儡部隊に、呆気なく捕縛された謎の虚無僧……あの男にまちがいなかった。
 同時に瑞茅は、初めて【鬼凪座】と邂逅した、今秋鬼灯夜ほおずきやのことを思い出し、破戒僧が発したセリフに、わずかな矛盾を感じた。しかし、座員四名の間に流れる、暗くよどんだ空気に、それ以上口を開くのははばかられた。
 だが如風は、一角坊の嘘に得心していた。
「ふふ、ふ、哈哈哈哈哈ァ! 暗殺方『陰徳社いんとくしゃ』で、過酷な苦行を積んで来た俺が、すっかり嵌められたぜ! 噂には聞き及んでいたが、そうか! 貴様らが、悪名高い裏家業の殺手さって【鬼凪座】か! けれど、勝負は……まだ、終わっちゃいない! 俺は絶対に、あきらめんぞ! 朝廷の密命など、最早どうだっていいことだ! 十二使鬼の首、あとひとつ、是が非でも討ち取らねば……俺は……七生ななおの元へ、逝けんのだぁあっ!」
 如風は、最期の気焔を吐いた。
 弓籠手ゆごて屍毒針しどくばりを、五本抜き取って、怪士一味へ飛散させたのだ。空を斬り閃く殺意が、朴澣の首、那咤霧の肩、夜叉面の肢、宿喪の腕、一角坊の頭を、的確に狙い定め来襲する。
 五人がこれを、紙一重でかわす内、如風は雪花を巻き上げた。
 白くかすんだ視界の中心点を突き、さらに六本目が、無防備な瑞茅めがけて投じられる。
「危ねぇ、瑞茅!」
 凶賽が赤毛をひるがえし、瑞茅の前へ飛び出した。
 目前に迫った赤い針先が、凶賽の巨体でさえぎられる。
 彼の捨身行為に、瑞茅は凍りついた。
「凶賽親分っ! 嫌あぁぁぁぁあっ!」
 斎庭に瑞茅の絶叫がとどろき、真白き雪の上へ、ポタ、ポタ、と鮮血がしたたり落ちた。
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