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『決別・後編』
其の八
しおりを挟むそして迎えた十二月三十日、今年最後の六斎日である。
不穏な天模様に、赤くぼやける鬼灯夜の初更……また、雪が降り始めた。
「唵縛鶏淡納莫……唵縛鶏淡納莫」
巡礼装の一団が、六字陀羅尼を唱和しつつ、門前市場を通り過ぎる。
それっきり、勢至門『施無尽物社』近辺の、人足は途絶えた。
勢至門、別名『不如帰門』の荘厳な楼閣は、切灯台に百匁蝋燭を立て、神秘的な雰囲気につつまれていた。桐円の首も片づけられ、須弥壇には銅鏡と閼伽を満たした酒盃が並ぶ。
その数十二。死んだ門附人の数と拮抗する。
ちなみに崔桐円の遺体は、弥勒門の船着場近くの河川敷で発見されたが、これは後日談である。
「唵縛鶏淡納莫……唵縛鶏淡納莫」
その須弥壇前に一人降魔坐し、六字陀羅尼を唱える男は、勢至門附人《宗瑞茅》だった。
壁に記された血の言伝通り、彼はこの楼閣で犯人と対峙するため、待ち続けていたのだ。
六官琉蹟や隋申忠隊、凶賽親分率いる侠客一家、庚仙和尚や、門司社番人たちの姿はない……にもかかわらず、瑞茅の静謐な瞳に、おびえの影は見えなかった。
端整な白面は、穏やかな微笑すらたたえ、不思議なほど、澄みきっていた。
高殿の回廊から侵入した男は、まず門附人《宗瑞茅》の無防備な態度に当惑。
楼閣内部を隅々までうかがい、板張広間へ慎重に歩を進めた。
他に人の気配はない。罠も仕掛けもない。
とある酒場で、人伝に聞いた噂――《宗瑞茅》は、毎年最後の六斎日、楼門で一人参篭する――は、あながち嘘でもなかったらしい。男は得心した。
そして彼一人だと確認ののち、男はようやく声をかけた。
「大した度胸だな。他の門附人とは、まったくちがう」
唐突な呼び声にも、瑞茅は驚かなかった。ゆっくりと声の主を振り返る。
回廊欄干にもたれ、口の端をゆがめる男は、職人風の藍染め小袖に革背子、裾細袴と黒合羽をまとい、肩までの縮毛を布で巻いていた。
色白く眦は朱、切れ長の瞳、とがった鼻が【掌酒族】の特徴である。
弓籠手では、赤い針先が冷光を放っている。
「あなたが、《忌告げの如風》殿か……今宵は、お逢いできてよかった。あなたには色々と、お訊ねしたいことがあったのです。まずは一献」
瑞茅は少しも動じず、白磁の瓶子をかたむけた。
だが生憎と、瓶子は空である。瑞茅は緞帳の下から、なめらかな酒瓢箪を取り出し、あらためて朱塗りの酒盃へ、悠々と閼伽を注ぎ始めた。
瑞茅は流し目で、艶然と微笑する。
男にしては、麗美で婀娜っぽい瑞茅の所作に、如風は気を呑まれた。
しかし、それも一瞬のこと。
「話をするヒマなどないぞ、宗瑞茅。お前に、直接的な恨みはないが、死んだ妹の供養がためだ……鬼畜の如き兄の身代わりに、黄泉路へ赴いてもらおうか……それは、末期の酒だ。一人で愉しむがよい」
如風は、弓籠手から、五寸針を一本抜いた。
「桐円殿も含めて十二……今宵、すべての門附人が、闇に葬り去られるわけですね。【降魔十二道士】を騙り、大罪を犯した国賊となれば、どうあっても抹殺せよと、【劫初内】は裁定したわけか。暗殺方の中でも、如風殿を選んだのは、妹君の復讐心をあおり、巧妙に利用せんがため……当然、賢明なあなたなら、すでにお気づきのはずだが、哈哈哈。操り人形の、憐れな生涯か……兄上の邪恋と、異常なまでの執着心に翻弄され、死地へ赴いた七生殿も、これではまったく浮かばれまいに……可哀そうな御人だ」
真相をことごとく云い当てられ、面喰らう如風を尻目に、瑞茅はグッと酒盃を開けた。
わけ知り顔で飄々と語る瑞茅に、如風はイラ立った。
「呑んだな……では、お別れだ!」
如風は、針先を向けて、瑞茅に接近した。
ところが須弥壇上の銅鏡に、女の白面が映し出され、如風は瞠目した。
その顔は、十年前に死んだ《七生》と、そっくりだったのだ。
「そんな……まさか……七生!?」
驚愕し、振り返った如風の目前には、いつの間にやら喪服姿の美女が、密やかに佇んでいた。『黒姫狂女』である。
いや、如風の実妹《七生》にまちがいない……はずだった。
《……黄泉月浮かぶ勢至門、
十二夜の夢は不如帰……》
「お前、何者だ!? どうやってここに!?」
例の数え唄を唄いながら、出現した見知らぬ白痴女の姿に、如風はたじろいだ。
七生に面差しが似てはいるが、別人である。
事態が急展開を見せたのは、まさにその瞬間だった。
狂言回しが、ついに正体を現したのだ。
「つまりここは俺たちが用意した、あんたのための死舞台さ。もう終幕だぜ、如風さんよ」
邪悪な笑みを浮かべ、煙管を吹かす瑞茅である。いや、彼ではあり得ない。
声がちがう、低すぎる。態度がちがう、傲慢すぎる。さらに――、
「お兄さま、少しおいたがすぎましたわね! 莫迦な兄貴のせいでまた、七生が泣くぜ!」
雄々しい男声で毒づくのは、なんと『黒姫狂女』である。
刹那、瑞茅の長袍左袖から、凄まじい勢いで、枯枝状の触手が噴射された。
「ぐわあぁぁあぁぁぁぁあっ!」
如風は、信じがたい光景に悲鳴を上げた。
幾重にも折りかさなり、襲来する【手根刀】の猛威を、紙一重でかわしたものの、如風は圧倒され、回廊欄干ごと門下へ落ちてしまった。幸い積雪のお陰で、固い石畳への激突をまぬがれ、白い敷布の上に転がった如風は、そのまま、勢至門から走り去ろうとした。
それを、謎の虚無僧が阻んだ。
「如風! 好い加減、あきらめんかぁ!」
天蓋を外した素顔は、頭頂部から鋭い一角を突き出す、【巫丁族】の破戒僧であった。
「熨阿弥!? まだ生きてたのか! どけぇ!」
雪まみれで、屍毒針片手に、破戒僧を恫喝する如風の前へ、次なる邪魔者が割り入った。
「どうあがいても、逃げられませんよ!」
六官琉蹟だ。破戒僧に立ち並び叱責する。
門戸をふさぐ破戒僧と六官に、如風は成す術もなく佇立……そうこうする間にも、苛烈な舞台転換は進行する。如風は、めまいを覚えた。
『そうだ! 貴様は所詮、殺人鬼! 地獄詣での黄泉巡礼は、避けられぬ宿命と心得よ! 泥梨の同朋が、今度こそ送ってやろうぞ!』
あとずさる如風を居すくませたのは、奇怪な皮膚病人《朔茂》だ。
彼が包帯をむしり取った瞬間、如風はまたしても、魂消る雄叫びを放った。
「あの夜の、鬼……ぎゃああぁぁぁあっ!」
身の丈八尺まで膨張した巨躯は、黒光る獣毛におおわれ、柘榴状の複眼を持す、おぞましい鬼畜の姿であった。
旧釈迦門楼閣で、如風の脇腹をえぐった化け物に、相違なかった。
「死門はそっちじゃねぇよ、如風!」
「往生際が悪ぃ野郎だなぁ!」
半狂乱で、無闇に駆け出す如風の往く手を、次々さえぎる二つの影は、勢至門楼閣よりヒラリと飛び降りた《宗瑞茅》に『黒姫狂女』である。
総勢五人の怪士一味が、斎庭で造る円陣。内部に捕りこまれ、ぐるぐる廻る殺人鬼。
徐々に間合を詰められ、如風は焦燥した。
瑞茅、狂女、琉蹟、鬼畜、熨阿弥が踏む死の円舞。
恐怖と困窮の挙句、前後不覚で常軌を逸した如風は、辺りかまわずわめき散らした。
「き、貴様ら……一体、何者なんだぁ!」
不意に、五人の足が止まった。
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