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『決別・後編』
其の六
しおりを挟む深々と降り積もった雪。
吹き荒ぶ寒風に舞い散る六花。
師走の夜空に浮かぶのは、赤々と満ちた凶兆の忌月、別名『鬼灯夜』である。
戊辰暦十三年も、残り二日となった十二月二十九日。
時刻は三更なかば、運命の六斎日だ。
暮れも押し迫った勢至門町【施無尽物社】は、一通りの神事や、鬼祓いなどの儀式を終えて、人足も減り、今や閑散と静まり返っていた。
斎庭の参道に並ぶ石灯篭も、最後の御神火を消した。
そんな境内の一隅に建つ、小さな鐘楼台で、座禅を組み瞑想する、経帷子の青年……勢至門附人《宗瑞茅》であった。雪の上に菰を布き、結跏趺坐して、光明真言を看経する。
降り注ぐ雪片、どこからか流れ来る琵琶の連綿たる音色、女声がつむぐ物悲しい数え唄。
《……卒塔婆を手折る弥勒門、
十一夜続けば夢現……》
そこへ、雪を踏みしめ、歩み寄る孤影。天蓋をかぶった、虚無僧姿の怪しい男である。
〈ついに来たか! 落ち着け、しくじるなよ!〉
瑞茅は跳ね上がる心臓を抑え、動揺をひた隠し、きわめて平静を装った。
周囲で炯々とうかがう監視眼――気焔をくゆらす武士団の闘志――門司社に張り廻らされた哨戒網――徐々に高まる緊迫感。
「そこな御仁……《宗瑞茅》殿と、お見受けする」
謎の虚無僧は濁声で問いかけ、さらに瑞茅へ接近する。サク、サク、サク、サク、サク、
〈慌てるなよ、瑞茅! 充分、引きつけるまで動くな! 逃げ出してはいけない!〉
瑞茅は、逸る心をなだめ、自分に何度も云い聞かせた。サク、サク、サク、サク、サク、
《……黄泉月浮かぶ勢至門、
十二夜の夢は不如帰……》
「これを貴殿に渡せと、預かって来たのじゃ」
サク、サク……サク。男の歩が止まった。
「え……?」
思わず目を開け、振り仰ぐ瑞茅へ、意外にも虚無僧は文だけ手渡し、踵を返した。遠ざかる虚無僧の後ろ姿を見送り、恐る恐る中身を確かめた瑞茅は、愕然と目を見開いた。
そこには血文字で、こう書かれていたのだ。
――今すぐ、不如帰門楼閣へ上がれ――
途端に、呼子の笛が鳴り響き、周回の垣根から、物々しい武士団が飛び出して来た。
圧倒的なその数五十余名。鉄柄の槍矛、長刀、弓矢、縛縄が、虚無僧を完全包囲する。
「貴様、門附人連続殺人犯の仲間だな!? 逃がさんぞ! 六官隋申忠隊が捕縛する!」
凶賽親分率いる侠客連中十数名も、一斉に駆けつけた。先陣争いは、痴八と敦莫である。
「瑞茅の旦那ぁ! ご無事ですかぁ!?」
「怪我ぁ、ねぇですかい!? まったく旦那は、六官野郎の無茶な提案を、やすやす呑んじまうんだから! 俺たちぁ、生きた心地がしなかったですぜぇ!」
武士団が犯人の捕縛、侠客一家が瑞茅の警護と、完全に役割分担していたのだ。
瑞茅は、捕縛された虚無僧の姿に安堵して、ホッと胸をなで下ろした。
緊張がゆるんだせいか、今になって、恐怖がこみ上げて来る。
「瑞茅の旦那! もう、囮なんて損な役回りは、二度と引き受けないでくれよ! とにかく、何事もなくすんで、本当によかったぜ!」
強面の侠客連中が見せる笑顔、凶賽親分の優しい泪目に感動を覚え、瑞茅は頭を垂れた。
「凶賽親分……皆さんも、本当にありがとう」
「なぁに、旦那のためなら、これくらい、お安い御用さね!」
「おう! なんでも相談してくんなよ!」
「瑞茅の旦那は、俺たちの親分が誰より大切にしてる御人だ! いくらでも力になるぜ!」
凶悪な面がまえには、おおよそ似合わぬ照れ笑いを浮かべ、瑞茅をねぎらう侠客連中だった。
「おや……これは、なんですかい?」
すると痴八、瑞茅が持つ文に気づき、不審そうに訊ねた。敦莫が、慌てて叩き落とす。
「莫迦、危ねぇって! 相手は【毒熟し】だぜ! 屍毒が、塗ってあるかもしれねぇよ!」
その時、役人どもに縛められ、勢至門から連行される虚無僧が、こんなことをわめいた。
「儂は、頼まれて文を届けただけじゃ! 何故、斯様な縄目の辱めを、受けねばならん! 恩を仇で返しおって! 疾く放さんかぁ!」
役人どもは有無を云わさず、強引に虚無僧を連れ去ってしまった。
琉蹟一人だけが、斎庭へ戻って来て、問題の文の内容を確認した。
「ふむ、不如帰門楼閣へ上がれ、とな? この血は一体……どうも、嫌な予感がする」
琉蹟が、顎をこすって思案する内にも、瑞茅は意を決し、楼閣へ向けて歩き出した。
「とにかく、往って見ましょう!」
「お、喂! 瑞茅の旦那! 待てって!」
「一人じゃ危ねぇ! 俺たちも一緒に往くよ!」
「痴八、敦莫! お前ら二人、ついて来い!」
「「合点承知!!」」
旧釈迦門より新しいが、それでもだいぶ痛んだ木造の楼閣だ。大人数での移動は厳しい。
よって、文に従い楼閣へ上がったのは、六官琉蹟と侠客三人、そして瑞茅だけだった。
副官以下十数名の隊員は、此度も門下で待機する。
「まさか、犯人が待ちかまえてて、いきなり毒針でブスリ、なんてこたぁ……ないよな?」
「それは充分に考えられる。この文を書いたのが、本当に犯人なら、善からぬ企みあってのことだろう……瑞茅殿、私のそばを離れるな」
声をひそめる侠客たち、先行する琉蹟は、不安で一杯の瑞茅を振り返り、あらためて念を押した。手甲の紐をしめなおし、長刀の鯉口を切る。
凶賽も偃月刀をかまえ、痴八と敦莫は、得意の鎖鎌と大槍を手に、戦々恐々階段を昇る。
ところが楼閣で彼らを待っていたのは、犯人でなく……残酷かつ酸鼻な置き土産だった。
「ぎゃはっ! また、生首だぁ!」
「もう、勘弁してくれよぉ!」
「なんてことだ! 犯人は、いつの間に!?」
勢至門楼閣、須弥壇の上にも、旧釈迦門の凄惨な獄門首が、再現されていたのだ。
但し今度はひとつだけ。
だが、瑞茅が受けた衝撃の度合いは、これまでで一番大きかった。
凶賽は瑞茅を気づかい、慌てて巨体でさえぎる。
「旦那、見ちゃいけねぇ! 戻るんだ!」
「桐円殿……ああっ!」
瑞茅は気が遠くなった。貧血を起こし、凶賽の腕に抱き止められ、辛うじて立っている。
赤毛侠客の巨体から垣間見たのは、確かに弥勒門附人《崔桐円》の、凄惨な生首だった。
「旦那! しっかりしてくれ! 喂、瑞茅!」
髪はザンバラ、皮膚は膨張し土気色、目は真っ赤に充血し、口からはまだ血泡を吹いている。殺されて間もないらしい。壇上は血の海だ。
しかも、その血で壁一面に、犯人の挑戦状ともいえる文言が、書き殴られていたのだ。
――明晩は囮でなく、本物一人がここで待て――
多分、文の血文字も、桐円の物が使われたのだろう。琉蹟は、険悪な表情で舌打ちした。
けれど、凶変はそれだけに止まらなかった。
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