鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『決別・前編』

其の弐

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凶賽きょうさい親分! 一体、どうなさったんです!」
 明けて十六日午前。北区三町を横切る大河の、勢至門町せいしもんちょう船着場。
 そこへ降り立った、襤褸蓬髪らんるほうはつ、血まみれの凶賽と、傷だらけの子分二人を見るなり、門附人もんぷにん宗瑞茅そうみずち》は、思わず素っ頓狂な声を発した。老船頭の古びた猪牙船ちょきぶねからは、こもにつつまれ異臭を放つ、不気味な屍骸も引き上げられる。
「おお、これは瑞茅の旦那! お出迎えくださるたぁ、うれしいねぇ。実はあんたに土産があるんだよ。まぁ、あまり見栄えはよくねぇ品だが……なにかの役に立つかと思ってねぇ」
 そう云って、凶賽が菰をめくったと同時、集まった見物人は、けたたましい悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすが如く八方四散した。
「うっ……こ、これは……まさか!?」
 一度は顔をそむけた瑞茅も、凶賽の土産を再び検分し、恐ろしい事実に気づいた。
「そう……この黒地道服、玉佩五条ぎょくはいごじょう、それに腕輪の玉璽ぎょくじは、まちがいなく門附人の証。しかも見つかった場所は、旧釈迦門きゅうしゃかもんの中洲だぜ」
「では、この人は……釈迦門町の《寂光瑠じゃくこうりゅう》殿! ああ、そうだ! この、首筋の青痣は……彼にまちがいない! 南方増長区ぞうちょうく文殊門町もんじゅもんちょうで、門附人がまた失踪したと、騒ぎになったばかりなのに! 誰がなんの目的で、こんなむごいこと……あまりにも、非道すぎる!」
 瑞茅はワナワナと、船着場にくずおれてしまった。
「殺されたのは、一昨日の十四日だろう。昨日と二日続けて六斎日ろくさいにちだし、鬼灯夜ほおずきやも今月は長い。これまでの門附人失踪事件と、符合する点が多いぜ。と、するとだ、旦那。酷いことを云うようだが、消えた門附人たちも、こいつと同じ運命をたどったと、考えるのが妥当じゃねぇかい? 多分、こいつの場合……犯人側に、なんらかの不手際が生じて、遺骸が上がっちまったんだなぁ。永久に消し去るつもりが、しくじったのさ」と、顎に手を当て考えこみ、推測する凶賽親分だ。子分二人も、うなずいている。
「何故だ……【鬼凪座きなぎざ】は何故、光瑠殿を助けてくれなかった! 新米の私に、色々とご教示くださって、とても、親切な先輩だったのに……斯様な姿に、なってしまうなんて!」
 瑞茅は、悔しさに唇を噛みしめ、何度も床板を拳で殴りつけた。
 その瞳から、ポロポロと泪があふれ出す。赤毛の強面こわもて侠客は、見た目に似合わぬ甲斐甲斐しさで、新任門附人の傷心をいたわり、小柄で細い彼の体を、そっと支えてやった。
「なぁ、瑞茅の旦那……その【鬼凪座】って奴ら、本当に依頼を受ける気が、あったのかなぁ? もしかするとよぅ、金だけ取って、あとは知らぬ存ぜぬで、通すつもりだったんじゃねぇのかい? つまりさ、あんた騙されたんだよ。まったく……旦那は人が好いからねぇ。裏家業の人間なんてなぁ、大体において、信用できねぇモンなんだぜ? まぁ、俺たちが云うのもナンなんだが……そう気を落とすなって、旦那! 俺たちが、役立たずな【鬼凪座】とやらに代わって、事件を調べてやるよ!」
 頼もしく、胸を叩く凶賽親分であった。瑞茅は、泪をぬぐって侠客三人に深謝した。
【鬼凪座】についても、今一度、考えなおした。
「ありがとう、親分……でも、劫初内ごうしょだいの役人や、六官巡察使ろくかんじゅんさつし密偵も、秘密裏に動いているだろうに、尻尾がつかめない犯人だ。きっと【鬼凪座】も、調査に苦労しているのだろう。軽率に悪口を、云うべきじゃなかった。私は彼らを信じるよ」
 凶賽は、瑞茅の人好しさに、ヤレヤレと苦笑いした。その腫れた口から、血がにじむ。
「ああ、それより、親分! 早く怪我の手当てを! 私のために、骨を折ってくれたんだね? 本当に、申しわけない……感謝します! 痴八おこはちさんと、敦莫とんまくさんも、門司社もじしゃへ来てください! 光瑠殿の亡骸は、他の番人に運ばせますから……さぁ!」
 心配性の瑞茅に促され、勢至門町を仕切る顔役三人は、門司社へ向けて歩き出した。
 猪牙船の老船頭は、そんな四人を莞爾かんじと見送り、やがて勢至門町船着場から『夜盗市やとういち』へつながる大河を、ゆっくりと漕ぎ出した。


 北方多聞区たもんくで最も広大な勢至門町は、六つの宿場をかかえている。
 中心部八椚宿やくぬぎじゅくは、一昔前まで『八椚罪人街』と渾名あだなされ、治安の悪い地域だったが、近年だいぶ、様相が変わった。門司の英断、前任者の功績、新たな顔役の選出、現門附人の努力など、すべてが実を結んだお陰で、ようやく叶った平和な町造りである。
 町の象徴たる勢至門、別名『不如帰門かえらずもん』をくぐると、しきみの垣根で区切られた四町四方の広域な神奈備斎庭かんなびゆにわ施無尽物社せむじんぶつしゃ】が現れる。勢至菩薩せいしぼさつを祀った奥の院、門司社本殿、書院に会堂、典薬廟てんやくびょう、神楽舞台、門附屋敷もんぷやしきに鐘楼台、御霊舎みたまやなどが、どっしりと荘厳にかまえ、左側《忌部方いんべがた仲人ちゅうにん長屋六軒棚、右側《斎部方いんべがた》仲人長屋六軒棚が、訪問者を出迎える。
 つまりここは、寺社仏閣であり、市役所であり、病院であり、警察消防であり、法律相談所であり、職業安定所であり、結婚相談所であり、学校であり、図書館であり、公民館であり、祭場であり……あらゆる民間の相談事を引き受ける、便利な公共施設なのだ。
 門附人は【劫初内(国政中枢機関)】出身の役人で、仲人は民間出身の世話役、そして門司社警護に当たる番人を顔役、と呼び分ける。
 閑話休題。そんな、立派な楼閣造りの勢至門を抜け、【施無尽物社】に到着した瑞茅と侠客三人を待っていたのは、不可解な数え唄だった。

《……魄布施たまぶせ捧ぐ大威徳門だいいとくもん
      四夜は泡沫うたかたかぎろふ命、
      不知火しらぬい揺れる普賢門ふげんもん
      五夜には送り火明けがらす
      閼伽凪あかなぎ酔わす大日門だいにちもん
      六夜にぬえは啼きもせず……》
 
「おや、この唄は……もしや!」
 これに興奮した痴八は、瞳を輝かせ、痛みも忘れて斎庭へとひた走った。先駆ける子分を見やり、凶賽親分は呆れ気味の長嘆息をもらす。赤い眉宇を寄せ、瑞茅を振り返った。
「もう、六斎日は過ぎたってぇのに……あの気狂い女、まだここにいやがるのかい?」
「実は、彼女も怪我をしていましてね。昨日の宵口、無理に帰ろうとするのを、私たちが引き止めたのですよ。かなりの深傷ふかででしたから」
「ホント、人が好いよなぁ、瑞茅の旦那は! 前任の兄上だったら、こうはいかないぜ?」
 敦莫が、苦笑しながら肩をすくめる。
 斎庭の右端、仲人長屋玄関で、奇異な数え歌を唄う女は、例の『黒姫狂女くろひめきょうじょ』であった。
 上がりがまちに座って、包帯巻きの右足を、童女の如くにブラつかせている。
 そこへひざまずいた痴八が、熱心に何事かをささやきかけているのだ。
「痴八の野郎、仕様がねぇなぁ! あんなやまいの女にうつつを抜かすたぁ……おんや?」
 唇をとがらす凶賽も、よくよく女の容姿を見て、目を丸くした。
 敦莫も感歎の声を上げる。
「いつもの喪服じゃないっすねぇ……今日はまた、随分と小綺麗な身形みなりしてんな! こりゃあ、見ちがえたぜ! 大した別嬪べっぴんじゃねぇか!」
 この日の『黒姫狂女』は、ボロけた喪服姿でなく、巫女用の練絹水干ねりぎぬすいかんに、墨染め衣をはおった上品な結髪で、侠客どもを驚かせたのだ。
「怪我をした際、喪服も裂けてしまったようなので……洗ってつくろいなおすまで、古着ですが替えさせたのです」と、説明しながら瑞茅は、門司社の黒地道服を脱ぎ、烏帽子と玉佩五条、玉璽腕輪も外し、ともに丸めて小脇へはさんだ。
 下は自前の薄手白長袍しろちょうほう、一枚である。
 薄雪を刷いた境内は、かなり肌寒かったが致し方ない。
 理由を知る凶賽は、瑞茅の優しい心づかいに感服し、己も紅殻染べんがらぞ半纏はんてんを脱いだ。
「汚れ物で悪いがねぇ、風邪を引くよりゃマシでしょうぜ、旦那」と、顔役代々の御紋ごもん半纏をかぶせてやり、凶賽は瑞茅の背を叩いた。
「あ、親分!」
 大切な物だけに、瑞茅はすぐ返そうとしたが、凶賽は治療のため、敦莫を伴い、奥の典薬廟へ入って往ってしまった。瑞茅は義侠の親分へ一礼し、『黒姫狂女』の元へ向かった。
「あんた、本当に綺麗だなぁ……けど俺は、ちゃんと見抜いてたぜ? みがけば光る玉だって。皆、信じちゃくれなかったが、宿場町の奴ら驚くぜ。こんな別嬪じゃ『黒姫狂女』なんて呼べねぇや。『黒姫天女』だぜ、ねえさん!」
 打撲や裂傷など、なんのその。
 熱視線で女を賛美し、懇々と口説く、長身勇み肌の痴八だ。
「痴八さん、お願いですから、先に怪我の手当てをして来てください」と、瑞茅に再三すすめられ、名残惜しそうに振り返り振り返りしながら、ようやく痴八も去った。
 瑞茅は、残された『黒姫狂女』の隣へ腰を降ろし、なるべく静かに語りかけた。
「いつも気にかかってたんだが、その数え唄。変わっているねぇ。誰に教わったんだい?」
 框の下へ道服を隠し、瑞茅は柔和に微笑んだ。女は空ろな瞳で微笑み返すが、無反応だ。
 透けるような白皙はくせきまなじりの朱、素のままで鮮烈な紅唇、魅惑的な黒瞳こくどう、艶やかな結髪はゆるく波打って、あえかな色気を漂わす女である。
〈彼女はもしや、【掌酒族さかびとぞく】の女性ではないだろうか? 確か、男尊女卑の種族ゆえ、女性は『泪麻族るいまぞく』と、蔑称されているはず……〉
 瑞茅は、簡単な沐浴もくよくと着替えだけで、見ちがえるように美しく変身した『黒姫狂女』を見て、そう推察した。如何いかんせん会話が成立しないので、確認の仕様もないが……いや、確認する方法は、ひとつだけある。泣かせてみればいいのだ。
【掌酒族】女性が『泪麻』と呼ばれる所以ゆえんは、流す泪に含まれる、麻薬成分によるのだ。
〈だからこそ【掌酒族】は、妻や娘を決して表に出さぬらしい。『泪麻』と蠱惑的美貌が相まって、悪党に誘拐されたり、異国へ売り飛ばされる危険も生じる。では彼女も、そういう悲惨な事件に巻きこまれた結果、斯様な狂れ病に? だとしたら、なんと憐れなひとだろう……酷すぎる! 相次ぐ門附人の失踪事件や、光瑠殿の殺害事件にしろ、今の天凱府てんがいふでは、あまりにも酷い仕打ちが横行しすぎる!〉
 弱冠の若さと熱意、正義感にあふれる新任門附人は、強烈な憤りと悔しさを覚えた。そんな瑞茅の横で、彼の懊悩などなにも知らぬ『黒姫狂女』は、また数え唄を唄い始めた。
 
《……血飛白ちがすり染める虚空蔵門こくうぞうもん
      七夜は赤い玉飾り、
      闇供華やみくげ散らす地蔵門じぞうもん
      八夜に見るは黒暗女こくあんにょ
      屍神楽しかぐら踊る文殊門もんじゅもん
      九夜に往くがかれかし……》

「文殊門……九夜?」
 瑞茅は、ハッと息を呑んだ。この数え唄には、いつも十二門の名前が登場するのだ。
 その上、一夜、二夜、三夜……と、唄い継ぐ数も、消えた門附人たちの順番と合致。
 しかも、最初の『血飛白、闇供華、屍神楽』とは――、
「道士名だ! 以前、聞いたことがあるぞ! これは【降魔教がまきょう】十二道士の名前なんだ!」
 瑞茅は愕然と、『黒姫狂女』を見つめた。
 初見の夜を思い出す……彼女は、瑞茅を見て悲鳴を上げたのだ。普段は大人しい狂女が、非道く取り乱し、わめき散らし、勢至門の人々をてこずらせたので、今でも鮮烈に覚えていた。結局、彼女は瑞茅にでなく、彼が着ていた黒地道服に、過剰反応したのだと判明。
 瑞茅が慌てて道服烏帽子を脱ぎ、物影へ隠すと、彼女は元通り、大人しくなった。
 朝廷から弾圧される邪教【降魔教】の、幹部級使徒【降魔十二道士ごうまじゅうにどうし】は、門司社制服と似た黒地道服、烏帽子姿で、布教活動を行うという。
 そして、十二道士の戒名は、【泥梨十二使鬼ないりじゅうにしき】の諡号しごうから、名づけられているとも聞く。

《……牙舎利げしゃりを弔う旧釈迦門、
      十夜に及ぶ鬼騒動、
      卒塔婆そとばを手折る弥勒門みろくもん
      十一夜続けば夢現、
      黄泉月よみづき浮かぶ勢至門、
      十二夜の夢は不如帰ほととぎす……》

「旧釈迦門だって!? 今、確かに『旧釈迦門』と唄ったね!? どうして、旧門が唄に出る!? あなた……一体、何者なんだ! 教えてくれ!」
 瑞茅は彼女の肩をつかみ、思わず乱暴に揺さぶってしまった。
 狂女はおびえ、悲鳴を上げた。
「きゃああぁぁぁぁあっ!」
「どうしたんだ、姐さん!」
 すぐに痴八が飛んで来て、瑞茅もハタと我に返った。
 彼が手を放すや、『黒姫狂女』は、夢中で斎庭へ駆け出した。
 包帯に血のにじむ右足を引きずって、それでも狂女は必死に走る。ついには、制止する痴八をも振り切って、勢至門社殿から、脱兎の如く逃げ去ってしまったのだ。
おい! 一体全体、なんの騒ぎだぁ!?」
 奥の院から駆けつけた凶賽の詰問に、瑞茅はただ、呆然と立ち尽くすばかりだった。
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