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『五悪趣面』
其の壱
しおりを挟む急啓 狐火の真志保殿
此度の六斎日を持ちまして、我が主人の命日も十回忌を迎えます。生前一方ならぬ宿縁を頂戴致しました貴女にも何卒、法要への御列席を賜りたく、いささか不調法とは思いつつも、筆を執らせて頂きました次第。光陰矢の如しとは申しますが、巧みな小手先使いで偸盗を生業にしていた貴女が、今や老舗呉服問屋の後添えに納まり、女将の手腕をふるうさまを見るにつけ、世の無情を感じずにはいられません。我が主人も草葉の陰で臍を噛み、さぞや怨嗟に赤く染まった血の泪をぬぐっていることでしょう。我が主人の心おきない成仏には、貴女の真摯な御供養こそ欠かせません。御多忙とは存じますが、今後の商いさらなる御発展のため、是非とも六斎日三更丑ノ刻、広目区普賢門町・安生宿の魄船山閻魔堂まで足を御運びください。一同、心より御待ち申し上げ候。
貴女の過去帳を知る冥界十王の使者より 草々
戊辰暦十三年、長月。天には赤々と、熟れた鬼灯が揺らぎ、凶兆を告げていた。
そんな、晩夏と初秋の境目、朱と白が、複雑に入りまじる季節。
肌寒い夜風を受けながら、寂寞と人気のない細道を往く、御高祖頭巾の女が一人。
供も連れず、無印の弓張提灯をたずさえて、暗い森陰の参道を登る女は、三十がらみの婀娜っぽい年増である。全身から、自然と匂い立つ白檀香は、彼女が【檀族(生来より白檀の香気をまとう種族)】だと示している。
楚々とした藤色の襦裙、二藍の袖衫で身をつつみ、商家の妻女風に化けてはいるが、元は芸妓かこの女……所作や白面美貌の端々に、狡い性根が透けて見える前科者の女狐だった。
〈畜生、どこで嗅ぎつけたか知らないが、こんな真似してただじゃすまないよ! 女だと見くびりやがって! この狐火の姐さんから、ビタ一文でも強請り盗れると思ったら大まちがいだ! 莫迦面拝んだら隙を見て、懐の九寸五分をズブリとお見舞いして殺る!〉
妖艶な年増女は、名を《真志保》という。
狐火の通り名を持し、昔は遊郭にも身をおいた、鉄火肌の元女掏摸である。
それも十年前に足を洗うや、色町育ちの手練手管で、老舗呉服問屋の因業店主を誑しこみ、まんまと後妻の座に納まった悪女なのだ。
十年かけてならした呉服屋女将の上品な恵比須顔を、今また元の蓮っ葉な狐目に吊り上げて、真志保が向かう先は、魄船山閻魔堂である。届いたその日に破棄したものの、忌々しい脅迫文を送りつけてきた怪士への憤りで、体を火照らせ、懐に短刀を忍ばせる真志保。
心の中でつぶやくのは、閻魔堂で待ち受ける謎の脅迫者に向けた怨言ばかり。
恐怖など、微塵も感じていない様子だ。蛇の道はヘビである。
脛に傷持つ悪女にとって、危険な綱渡りの算段はお手の物。さらに美貌の真志保には、女の武器もある。色も相手の目的なら、上手く利用してやろうと、すでに覚悟は決めていた。
とにかく、女将の身分や贅沢な暮らしを守るためなら、どんな手段を用いてでも脅迫者の口をふさぎ、過去帳を消す必要があった。
閻魔堂へ続く深奥な山道は、いよいよ最後の難所、二百六十二段にも及ぶ急な石段である。モヤがかって頂上の見えぬ石段を仰ぎ、真志保が幾分のためらいを覚えた途端、馬の背の参道沿いに点々と並ぶ石燈篭が、突如、青白い鬼火を灯した。
癇症の女狐も、さすがにギョッとして怖気づき、歩を止めた。
鬱蒼と静まり返る闇夜。風もないのにざわめく芒。
木々を飛びかう鵺の奇声。苔生す石段でうごめく孤影。
女一人勢いづいて、こんな山奥まで出張って来てしまった軽率さを、真志保は今更ながら後悔した。昔馴染みに助勢を頼むべきだったか。しかしその仲間こそ、脅迫者の正体だったら……長い石段下で、頭をひねり、逡巡する真志保。
そこへ、横合いからいきなり現れた人影が、手燭で真志保の白面を照らし出した。
「だっ、誰だい! 巫山戯た脅迫文を、送りつけてきたのは……あ、あんたなのかい!」
目がくらみ、相手の顔が正視できず、真志保は手をかざしたまま、刺々しい怒声を放った。
「これは失礼。私はここの小坊主で、蝉丸と申す者。今宵、閻魔堂で開かれる忌日法要の列席者を、案内するようにと座主から頼まれ、あなたさまを、お待ちしていたのです」と、慌てて手燭を下げたのは、剃髪したての頭が初々しい、十五、六の青道心だった。
山法師に似ず、上品で怜悧な顔立ち。ひなにはまれな美童である。
「驚いたわ……随分と身綺麗な若沙弥だこと! こんな山ン中の閻魔堂には、おおよそ似つかわしくないわねぇ……まぁ、いいわ! その〝座主〟って奴が黒幕なのね? 誰なのか、ハッキリ云いなさい! あんたが悪党の仲間とは思えないし、どういう経緯かすべて話してくれたら、私が色々力になってあげる。悪いようにはしないからさ……ねぇ、坊や!」
真志保は、若沙弥の邪念なき晴眼を見つめ、熱心な芝居で情報を引き出そうと目論んだ。
「あの、そうは申されましても、私はただ、座主から頼まれただけですので……その座主も、今日はここに来ておりませんし、確かめようもありません。ですが、皆さまもうおそろいで、あとはあなたさまの到着を待つばかり。刻限まで残りわずかですし、事情なら私でなく、お集まりの皆さまにお聞きした方が早いかと存じます」
若沙弥は脅迫者と無関係らしく、威圧的な真志保の詰問にも、困惑した表情を浮かべるだけだ。ここで押問答を続けても埒が明かぬと悟り、イラ立つ真志保は辛辣に吐き捨てた。
「判ったわよ! さっさと案内して頂戴!」
穏やかに微笑む若沙弥に続き、真志保はようやく石段を登り始めた。だが強がってはみても、虎穴に飛びこむ前に、敵情を探っておきたいのが本音である。
真志保は口調を優しく抑え、先導する若沙弥の背中へ質問を続けた。
「ねぇ、小坊主さん。これだけは教えて頂戴。閻魔堂に案内した先客はどんな奴らだったの? 頭数は何人かしら? くわしく聞かせて欲しいのよ。それくらい、いいでしょう?」
真志保の声が届かなかったのか、若沙弥は振り向きもせず、なれた足取りで登って往く。
真志保も懸命に追いすがるが、息切れのせいで、話すらままならない。
すでに四分の一ほど石段を先んじる若沙弥は、長柄の手燭で、真志保の足元を照らしつつも、まったく立ち止まる気配がない。
「ちょっと、待ちなさいよ! もう少し、ゆっくり、歩きながら……話を聞かせてよ!」
肩で息する真志保は、またも勝気な素地を露にし、若沙弥を怒鳴りつけたが、かなりの距離が空いてしまっていた。結局、真志保はついて往くのが精一杯で、なにも聞き出せぬ内、二百六十二段を必死の思いで登りきっていた。
最初の威勢はどこへやら……苦しげにあえぐ年増女は、汗ばむ体から、強烈な白檀香を放ち、疲労に膝を震わせて、紅潮した顔を正面へと向ける。若沙弥の姿は疾うにない。
真志保は怪訝そうに周囲を見回し、あらためて閻魔堂を睨んだ。高床式の寂れた本堂は、風雨に晒され朱塗りははがれ、かなり老朽化が進んでいた。それでも、堅固な方形造りの五角堂は、回廊欄干に百匁蝋燭の切灯台を設け、幻惑的な薄明を、赤々と揺らしていた。
呼吸を整えた真志保は、己の弓張提灯を吹き消し、床下礎石に隠すと、恐る恐る高欄を踏み、閻魔堂へと近づいた。花頭窓からもれるのは、御灯と複数の男声だ。
軋む羽目板に息を殺し、懐の短刀をしかとにぎりしめ……真志保は、ついに意を決して、閻魔堂の板唐戸を押し開いた。
「だっ、誰だ!」
「やっと現れたな、黒幕め!」
「お前が、謎の座主か!」
「待て、女だぞ!」
真志保の登場で、一斉に身がまえた閻魔堂の先客。そこに集まっていたのは、身形も年齢も血統も階級も、てんでバラバラな四人の男たちだった。
新たに真志保を迎え、しばし睨み合う五人。強張った表情で、互いを牽制する。
「あ、あんたたちが、脅迫文の贈り主? 大の男が四人もそろって、か弱い女を喰い物にするつもりね! とんでもない外道だわ!」と、負けん気で毒づく真志保だが、恐怖で声が上ずってしまう。ところが壮年髭面のいかめしい官吏風男が、すぐに憤然と反論した。
「莫迦を云え! この私が女を強請って喰い物にするだと!? そんな下品で不埒な真似を、誰がするか! 勘ちがいもはなはだしい!」
大仰に広げた右掌に、聖なる『唵』字が垣間見え、男が聖真如族の神祇官だと推察できた。
質素な丸首袍衫姿だが、横柄な物腰からしても、高位出身者であることはまちがいない。
「俺たちぁ、別につるんでるワケじゃねぇぜ! こいつらと会うのだって、今日が初めてだ!」と、さも不愉快そうに吐き捨てたのは、長身赤毛の蓬髪男……【緋幣族(赤毛で好戦的な吸血長命種族)】の破落戸である。歳は一番若く二十七、八。
この男も脛に傷持つ小悪党だろうと、真志保は同類の勘で察知した。だが流暢な達筆で悪意を封じた、あの脅迫文を書き綴れるほど、学があるとも思えぬ三品だ。
「お嬢ちゃん。儂らもあんた同様、脅迫文を受け取って、のこのこ出張って来た口じゃよ。『貴殿の過去帳を知る冥界十王の使者』とやらに、まんまとたばかられて喃……哈哈」と、真志保を見上げ、空ろな瞳でつぶやくのは、酒瓶をかかえた腰折れしわみ顔の老爺である。
赤い鼻先、白髪の縮毛、いかにも【掌酒族(縮毛と還暦から赤らむ高い鼻が特徴の杜氏種族)】の呑んだくれで、自堕落な物乞い風情だった。
「ジジィ! 余計な口を利くな! 俺はなにも知らんぞ! あんな物、根も葉もない中傷だ! しかし役職上、斯様にくだらん真似をする不届き者を、のさばらせておくワケにも往かんから、ワザワザ脅迫に応じたフリをして、足を運んでやったのだ! 俺は貴様らとちがうのだ!」と、額に青筋浮かべて激昂するのは、高慢で気難しそうな三十五、六の劫貴族高官である。話ぶりから鑑みても、判官所の役人だろう。
「それじゃ、あんたたちも、脅迫文を受け取ってここへ来たってワケ? まさかグルになって私を騙し、手玉に取ろうなんて善からぬこと、示し合わせてやしないでしょうね!」
せまい閻魔堂に会した五人中、唯一人女の身である真志保は、彼らの云い分を鵜呑みにはできなかった。懐の短刀に手をかけたまま、慎重に四人からあとずさった瞬間。
バタンと板唐戸が閉まり、須弥壇の万灯が一気にかき消された。
闇に沈む閻魔堂の中、うろたえ恐慌を来たす五人。
疑心暗鬼で逼迫すれば、脅威は増大するばかり。緊張感は、一気に最高潮へ達した。
「誰だ、畜生! やっぱりこの中にいるんだろう!? 卑怯者の脅迫者がぁ! さっさと正体を現せよ! 一体、なにが狙いなんだぁ!」
「やめろ、私に近づくな! 斬り殺すぞ!」
「ぎゃあ……莫迦者め! 無闇に抜刀するなぁ! こんな薄汚い荒れ寺で、破落戸相手に無駄死にするなんぞ、まっぴら御免だぁ!」
「嫌ぁ! こっちに来ないでぇぇ! 何故なのよぉぉ! たかが女掏摸、ここまでされるほどの、恨みを買った覚えはないわぁぁ!」
「それは儂とて同じじゃあ! 静かに余生を送りたいだけなのに……酒呑み爺を殺したところで、一文の徳もないはずじゃぞぉぉ!」
破砕音、倒壊音、空を斬る刃音、怒号と悲鳴が交錯し、閻魔堂は阿鼻叫喚の修羅場と化した。だがまたも突然、切灯台の蝋燭が点火し、閻魔堂内部の惨状を皓々と照らし出した。
疲弊して、ぐったりと座りこむ五人。髪は乱れ、衣服はボロボロ、手足や頬には血がにじみ、気息奄々……と、腑抜けた無様な体たらく。
須弥壇上の曲彔に座す、冥界十王の一判官《閻魔大王》が、そんな五人の醜態を、侮蔑的な眼光で睥睨していた。一呼吸おいて、やっと我に返った五人は、ふと異様な気配に悪寒を覚え、閻魔大王の顔を振り仰いだ。五人が五人、ハッと息を呑む。
板張三間のせまい五角堂には、いささか大きすぎる〝座主〟。
その顔は、道服姿の圧倒的な巨躯とはあまりにかけ離れた、優雅な美青年の面をつけていた。中将面に似た上品な青年の眼差しからは、激烈な怒気が満ちあふれ、宿怨の仇を睨めつけるが如く、五人の愚者を見下ろしていた。
そして五人がひた隠す過去帳には、怪しい青年閻魔の凶相を見るや、慄き震撼するだけの、やましい記憶があったのだ。面識のない五人をつなぎ、閻魔堂へと導き、今宵邂逅させた座主の正体は、皆を恐怖の底に陥れた。慄然と閻魔大王の面を見上げながら、受け取った脅迫文の内容を、おのおのがあらためて思い返していた。
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