鬼凪座暗躍記

緑青あい

文字の大きさ
上 下
1 / 125
『鬼憑き』

其の壱

しおりを挟む

……えぇ、そうでございます。都人の噂にたがわず、美甘姫みかもひめさまの美しさといったら、それはもう……疑う余地なく宮中随一。いいえ、住劫楽土じゅうこうらくど広しといえども、二人といない麗しさでしょう。しかも神祇大臣じんぎだいじん聖戒王せいかいおう》君のご息女であられ、今をときめく禁裏近衛府きんりこのえふ羽曳里中将はびきりちゅうじょうさまと、ご婚約なさったばかり。中将さまは左右衛大臣そうえだいじん憲武王けんぶおう》君のご子息で、家柄も申し分なく、なにより絶世の美姫びきに見劣りせぬ、評判のお美しい殿方で……私は後宮百花苑こうきゅうひゃっかえんで催された園遊会に、料理人としてお呼び頂きました際、お二人おそろいのところを、遠目ながらも拝見致しましたが、内裏雛だいりびなの如き美男美女。仲むつまじく、本当にお似合いでございました。ただひとつ、惜しむらくは……いや、これはお話しすべきでありませんな……はぁ、悪い噂? すでにご存知でしたか。そうなのです。残念なことに、その噂は真実でした。なに不自由ない高家に生まれ、乳母日傘おんばひがさでワガママ放題、美貌と栄華、人もうらやむ良縁にめぐまれ、すべての幸福を手にした聖なる姫君。けれど惜しむらくは、その心根の病。物心ついた頃から美甘姫さまは、気狂いの性質たちなのでございます……


住劫楽土じゅうこうらくど】の首都『天凱府てんがいふ』は、四方区十二門町六十四宿しほうくじゅうにもんちょうろくじゅうよしゅく
 国政の中枢機関【劫初内ごうしょだい】を、内堀四門・外堀八門が、花弁状に堅守する。
 建国の祖【劫族こうぞく(首都人口の大多数を占める黒髪黒瞳こくどうの一般的種族、支配階級は『劫貴族こうきぞく』と尊称)】を主体に発展した巨大な城塞都市は、整然と秩序立って美しく、東方津陽とうほうつばる西方汰汀せいほうたいてい南方燦皓なんぽうさんこう北方玖乃ほっぽうくだい四方州しほうしゅう各地からも、さまざまな他種族が流入。
 いろどり豊かな文化伝統が交雑し、さらなる成長をとげた一方、時に犯罪も多発する。
 とくに千歳帝せんざいてい阿沙陀あしゃだ》統治下の戊辰暦は、乱れに乱れた。
 緊縮政策や、悪法『百鬼狩り令』の再発布、大臣高官の相次ぐ薨去こうきょ、たびかさなる不祥事、【真諦教しんたいきょう(天帝てんてい摩伽大神まきゃだいしん》を信仰する一神教)】霊峰『冥加火山みょうがかざん』が、百年目の活動周期に入り、【百鬼夜行(神山噴火による大災害、最悪の鬼難きなん)】を迎えたことで、ますます災厄に拍車をかけた凶年である。四方州でも天災や飢饉が猛威をふるい、日照り続きで人心は荒み、不可思議で妖しい鬼騒動が、頻発した三十三年間だ。
 そして、天に真っ赤な忌月いみづき浮かぶ、六斎日ろくさいにち鬼灯夜ほおずきや
 東方持国区とうほうじこくく弥陀門町みだもんちょうの『茂埋宿もたりじゅく』外れで見つかった、元宮廷料理人の惨殺死体が、至極ありふれた「通り魔事件」として、簡単に処理された戊辰暦十三年、水無月の同日。
 天凱府と劫初内を舞台に、国家を揺るがす怪事件の序幕は、静かに開けられたのだ。


 その夜、唐久賀からくがは、なかなか寝つけなかった。
 過労のせいで、気が昂ぶっているのかもしれない。国家の礎【十王太傳じゅうおうたいふ】の一人、神祇大臣《聖戒王》として、日々重責を全うしている六十なかばの老体には、無理もない。
 唐久賀は眠りをあきらめ、臥処ふしどを抜けて文机ふづくえに向かった。
 そして、どれほど時が経っただろう。
 灯火の薄明で、経典『真諦書しんたいしょ』に目を徹していた唐久賀は、ふと異変に気づき閨房けいぼうを見渡した。八帖の居室に漂う妖しい気配……モヤがかったような部屋は、甘ったるい香烟こうえんを満たし、不気味に仄めく。すると風もないのに突然、灯火がかき消えて、文机が面する花頭窓かとうまどへ何者かの影が映った。朱色にゆがむ影だ。唐久賀はあとずさり、驚愕して叫んだ。
「そこにいるのは誰だ! 姿を見せろ!」
 唐久賀が息を詰めて見守る中、障子紙から差しこまれた太い指が、ゆっくりと桟に沿った一枚分を裂き、表の怪士あやかしの顔をのぞかせた。その顔、人でない。
 赤黒い肌に金色の凶眼、鋭い牙をむいた醜貌は、まさしく鬼である。
 薄い障子紙を透かして、彎曲わんきょくした二本角と蓬髪ほうはつの影が、ザワザワと揺らぎ、うごめく。
「貴様……怪士の分際で、なにを血迷ったか! ここは神祇大臣聖戒王の館! 忌まわしい邪鬼の、さまよい出るところでない! く去らねば、容赦なく成敗してくれるぞ!」
 唐久賀は激昂し、床の間の御神刀をつかんで、斬りかかろうとした。
 ところが、何故か体に力が入らない。立ちくらみ、大刀をついてくずおれる。
 鬼は含み嗤い、地鳴りの如き重厚なうなり声で、唐久賀に恐るべき凶事を告げた。

……我は、【壊劫穢土えこうえど(地獄、または泥梨ないりとも)】よりつかわされた五殺鬼ごさつきが一鬼《嬲夜叉うわなりやしゃ》なるぞ。そなたの娘《美甘みかも》を、【冥帝めいてい】への捧げ者にするため、参上したのだ……

 面妖な鬼の呪禁じゅごんで、唐久賀の全身から血の気が引いた。顔面蒼白で小刻みに震え出す。
 しかし、それも束の間。すぐに、こみ上げる憤怒で顔を紅潮させ、唐久賀は大喝した。
莫迦ばかを申すな! 云うにこと欠いて、誇り高き【聖真如族せいしんにょぞく】直系《聖戒王》の娘を、地獄の鬼神の妻にだと? 笑止千万! ここまで愚弄されては最早、生かしておけぬ……そこへなおれ! 我が鬼切おにきりの名刀で、今度こそ斬り捨ててくれるわ! 覚悟はよいか、外道!」
 唐久賀は力を振りしぼり、立ち上がろうとした。だが、またも激しい動悸とめまいに襲われ、果たせなかった。
 使鬼しきは、いよいよ高らかに嗤う。

……美甘は幼年、我らが領域……鬼の『忌地いみち』を穢したことが、あったであろう。その時、我らが同朋より受けた【卍巴まんじどもえ】の鬼業きごうが祟り、いずれかくなる運命だったのだ……

 窓越しに放言する使鬼。
 唐久賀に激震が走った。
「なんだと? それでは……美甘が、右掌みぎてのひらから『おん』字を失い、代わりに忌まわしい呪印じゅいんを受け、やまいとなったのは……あの時の、鬼業に依ると申すのか! なんという……」
 確かに愛娘・美甘には幼い頃、御殿を抜け出し、鬼の忌地で保護された過去があった。
 不浄の左掌に呪印を受け、気狂いが発症したのも、その後、間もなくだったと記憶する。
 衝撃のあまり、唐久賀の頭は白く麻痺した。
 なえた体は、片膝立ちもやっとの有様だった。
 しかし、遠のきそうな意識の中、必死でたぐる記憶の向こう側に、無邪気な愛娘の笑顔を見つけた際……唐久賀の瞳からは、ポロポロと大粒の泪があふれ出していた。
 
……次に鬼灯が満ちる夜、我ら五殺鬼は再び参上する。唐久賀よ……娘をどこに隠しても無駄ぞ。すでに美甘には、別の使鬼が憑いておるゆえのう鬼籍きせきの嫁入りまであと四日……さて、今宵は泥梨式結納ないりしきゆいのうにのっとり、生娘を三人ばかり頂戴して逝こうか……
 
 障子の向こうで、鬼面は蓬髪を爬虫の如くざわめかせ、耳障りな濁声だくせいで嘲嗤う。途端に破れ目から、おびただしい桜の花弁が吹きこんで、唐久賀の全身へまとわりついた。
 必死に花弁を払い、消え逝く鬼の妖気を追う唐久賀だったが、いきなりとどろき渡った激しい雷鳴と閃光で、彼の視界は真っ白になった。 
 唐久賀はついに力尽き、意識を失った。
 そして夜が白む頃……寝汗の冷たさで、ようやく目覚めた唐久賀は、まだ気だるさの残る体を慌てて起こし、部屋中を見渡した。だが奇妙なことに、多数あまたの花弁は跡形もなく消え、障子の破れ目も元通りになっている。昨夜の《嬲夜叉》来訪が、まるで嘘だったかのように、そこはいつもの静謐せいひつな居室だ。けれど使鬼は、文机に置かれた真諦書に確かな証を残していた。閉じられた革張り表紙へ、はっきり刻印された左旋卍巴させんまんじどもえの模様。
 それは、聖なる右旋卍巴うせんまんじどもえの【神璽しんじ】と対極にあり、鬼業を示す【逆神璽ぎゃくしんじ】の忌諱印きいいんだ。
 唐久賀は絶句し、慄然とその場にくずおれた。
 聖戒王家として代々神祇職に就く【聖真如族】は、空劫浄土くうこうじょうどの民【天生あもう/天使】の末裔。
 誇り高き天帝の血族として、支配階級【劫貴族】にも尊重され、高位に肩を並べてきた。
そして生来、直系〝聖貴族せいきぞく〟だけが、右掌に『唵』の一字を戴いている。
 これこそ、聖真如族が持す神通力、清廉な純血の証なのだ。
 当然、唐久賀の右掌にも刻まれている。
 愛娘の美甘にも確かにあった。彼女の右掌から『唵』字が消え、代わりに不浄の左掌へ【卍巴鬼業印まんじどもえきごういん】が現れたのは、まさしく忌地事件直後だった。妻女《斎酒ゆき》を不幸にも喪ったばかりの唐久賀にとって、今も忘れられぬ、美甘七歳時の忌まわしい記憶である。
「なんと、憐れな……美甘よぉ……」
 唐久賀は顔をおおい、泣き崩れ、嗚咽した。
年老いてから授かった、唯一人の愛し子の不遇と悲運に、父王の泪は止めどなく流れた。
 使鬼が告げた鬼灯夜月齢満願まで、あと四日。
 晨明しんめいの清々しいそよ風が、無情にも最初の一夜を奪い去っていく。居室に差しこむまぶしい朝陽を、唐久賀は生まれて初めて、泪に暮れた恨めしげな表情で迎えたのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ダブルの謎

KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

御院家さんがゆく‼︎ 〜橙の竪坑〜

涼寺みすゞ
ミステリー
【一山一家】 喜福寺の次期 御院家さんである善法は、帰省中 檀家のサブちゃんと待ち人について話す。 遠い記憶を手繰り寄せ、語られたのは小さな友達との約束だったが―― 違えられた約束と、時を経て発見された白骨の関係は? 「一山一家も、山ん無くなれば一家じゃなかけんね」 山が閉まり、人は去る 残されたのは、2人で見た橙の竪坑櫓だけだった。 ⭐︎作中の名称等、実在のものとは関係ありません。 ⭐︎ホラーカテゴリ『御院家さんがゆく‼︎』主役同じです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...