鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『難破船』

其の七

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「なんで……あんたたち、死んだ、はずじゃあ……嘘よ、悪い夢よ……嫌ぁあぁぁあっ!」
 恐慌を来たした華鱗かりんは、ジリジリと後退しながら、幽鬼に向けて、次々ともりを発射した。
 その瞬間、哲魁てっかいの小柄な体が、凄まじい勢いで膨張、巨大化し、銛を残らず叩き折った。
 しかも、硬質な鉄製だったはずの銛は、甲板に落ちた途端、まるで生きているかのようにうごめき、ついには木の枝と化して、甲板に突き刺さった。
 いや、それ以上に、交易商の壮絶な変貌ぶりには、さしもの華鱗とて、腰を抜かさずにはいられなかった。
 黒光る獣毛じゅうもうにおおわれた八尺超の巨体、蜘蛛状八肢くもじょうはっしに大蛇の尻尾、豺狼口さいろうぐち柘榴ざくろの複眼。
 鬼灯夜ほおずきやの、赤い忌月いみづきに照らし出された鬼畜の姿は、華鱗を激震させるのに、充分すぎた。
「ひっ……ひぃいぃぃいっ! おっ、おお、鬼ぃいぃぃぃぃいっ!」
 華鱗は、砲身を取り落とし、尻もちをついた。
 そこへ、さらに追い討ちをかけるように、信じがたい凶変が起こった。
「……梨緒りお、何故なの……何故、私だけでなく、豪弾ごうだんまで、殺したの……」
 咽を撃ち抜かれ、即死したはずの千尋ちひろが、血まみれの手で、華鱗の足をつかんだのだ。
「あ、ああ……そんな、そんな、どうして!」
 華鱗は、もう恐慌状態だ。足に喰いこむ鋭い爪。怨嗟えんさに赤くよどんだ瞳。言葉を発するたび、おびただしく吐血する千尋は、華鱗をなによりおびえさせた。千尋は怨言をつむぐ。
「何故なの、梨緒……あなたは、どうして、こんな非道ひどい真似を……」
 華鱗は恐怖に堪えきれず、到頭、此度の海難事故に隠された、裏事情を吐露し始めた。
「私じゃない! 笈玄きゅうげんジイの命令よ! あの老いぼれ船主が、すべて仕組んだのよぉ!」
 だが、千尋は追及の手をゆるめない。華鱗の足を、いよいよ強くにぎりしめる。
「私は、真実が知りたいのよ……何故なの、梨緒……何故、恩を仇で返したの……」
「ち、ちがう! ちがう! 私は悪くない! 悪くないわぁ!」
 華鱗は、ついに泣き出した。まるで子供のように、哇哇わぁわぁと、かぶりを振って嗚咽する。
「皆を……無慈悲に殺しておいて、悪くない……?」
 千尋に詰問され、観念した華鱗は、洗いざらい、しゃべってしまった。
「孫娘の話なんて、真っ赤な嘘よ! あいつは裏社会の顔役なのよ! ふかに喰われて死んだフリして、逸早くこの船から脱出したのよ! 今は近くに停泊中の別の船で、私の仕事が終わり、合図の発煙筒が上がるのを、待ちかまえているはずだわ! これが真実よ!」
 直後、千尋は華鱗の足から手を放し、スックと立ち上がった。
「なぁんだ。やっぱり、そうだったの」
「……へ?」
 腰を抜かしたまま、泪でぬれた顔を上げた華鱗は、呆気に取られ、目をしばたかせる。
「あら、ごめんなさい。驚かしちゃったわねぇ。お莫迦ばかな華鱗ちゃん」
 咽を貫通したはずの銛を、床板へ放り捨て、千尋は口元の血をぬぐっている。それは幽鬼でもなんでもない、まぎれもない〝人間〟の女であった。華鱗は驚き、声を上ずらせる。
「ち、千尋……?」
 すると、剡鎧武官えんがいぶかんが、厳格な面持ちとは似ても似つかぬ、軽口を放った。
「だから、云っただろ? 俺たち【鬼凪座きなぎざ】の調査報告を、信じねぇからさ」
 そう云って、最初に扮装を解いたのは、無論……【鬼凪座】座長《癋見べしみ朴澣ほおかん》だった。
 左半身が爛れた悪相琥珀眼あくそうこはくがん怪士あやかしは、ニヤリと嗤っていつもの衣装に着替える。
 黒地腹掛に藍染単衣ひとえ筒細袴つつぼそばかまに派手な大振り継半纏つぎはんてんである。千尋は苦笑いしている。
「悪かったわね。でも、いきなり云われてもねぇ……やっぱ、自分の目で確かめなきゃさ」
 ここに来て華鱗も、少しずつだが冷静さを取り戻し、状況が呑みこめるようになった。
 ようやく、誰何すいかの声を発する。
「あ、あんたたち……何者なの!? 私を、騙してたの!?」
 千尋は、先程までの華鱗より、ずっと大胆に、ずっと明快に、莞爾かんじと微笑み切り返した。
「騙したのは、あんたも一緒じゃないのぉ」
 さらに朴澣が、華鱗に向けて、衝撃的なセリフを投げつけた。
「笈玄爺さんからの迎えは来ねぇぜ、華鱗。尤も、泥梨ないりからの迎えなら、今来たがねぇ」
「なんですって!?」
 次々と現れる、衝撃的な事実に、華鱗は青ざめ、すっかり動転した模様。
 しきりに目をしばたかせ、ワナワナと震え、ジットリと額に冷や汗を浮かべている。
「だって私たち、その笈玄に依頼されて、この船に乗り合わせたんだもの」
「笈玄に、依頼された……? 笈玄に? あの老いぼれに!?」
 まさに青天の霹靂……華鱗は、怪士どもの信じがたいセリフに、慄然となった。
 さらに、駄目を押すように、千尋が甲板の上に伏す豪弾へ、軽い調子で声をかけた。
「むーちゃん。もういいってさ。起きなよ」
 刹那、これまた死んだはずの豪弾が、ムックリと起き上がったのだ。
「ふぅ……ヤレヤレだぜ、姐御あねご。ところでその、〝むーちゃん〟っての、好い加減、やめてくれませんかねぇ。俺には《夢幻居士むげんこじ》っていう、ちゃんとした名前があるんですから」
 血をぬぐい、髪を整え、肩をすくめる豪弾は、自らを《夢幻居士》と名乗った。
 いや、それにしても、だ。こうまで劇的な急展開が続けば、息つく暇もなく、思考が追いつかないのは、当然だろう。百戦錬磨の殺手さって・華鱗でさえ、ご多聞にもれずなのだから。
「なっ……な、な、なんで……そいつまで……」
 声を上ずらせる華鱗に対し、陬蘭すうらんがヤケに雄々しい男性で、口端こうたんをゆがめ、のたまった。
「実際に死んだのは、悪党三人だぜ。奴ら、下っ端の下っ端だったらしいな。なんも知らねぇまんま、の世へ旅立っちまった。哈哈ハハ、俺たちぁ、愉しく演戯してただけなのさ」
 その上、游晏ゆうあんが、丁寧な言葉使いだが、どこか敵意と皮肉を含んだ声音こわねで、云いそえた。
「無論、あなたが亡き者にせんと目論んだ、他の娘御たちも皆、救助されて無事ですよ」
 しかも峻圭しゅんけいが、端整な美男子の顔形には、とんと似合わぬ濁声だみごえで、朗らかにうそぶいた。
「お前さん……笈玄から、悪事の証明ともいえる帆船はんせんごと、すべて海の藻屑にして欲しいと、頼まれたんじゃろ? けどのう……笈玄の本当の思惑は、別のところにあったんじゃ」
 混乱のあまり、完全に言葉を失った華鱗に、狂猛な鬼畜が、とどめの舌鋒ぜっぽうを吐き出した。
『奴は、勝手に人身売買へ手を出した一部の子分に、手を焼いていた。裏社会の顔役とはいえ、奴が最低限の規律は守る、義侠の徒であることは、お前が一番よく知っていよう』
 最後に来て、華鱗の気力を殺いだのは、癋見の朴澣による、あざやかな種明かしだった。
「教えてやるよ。人身売買を仕切ってた、本当の黒幕を……おい、笈玄爺さん!」
 朴澣の呼びかけに応じ、船室から出て来たのは、花菱はなびし模様の背子はいしを着た老爺ろうや夜漁よあさりの笈玄》だった。華鱗に、またしても衝撃が走る。いや、かつてないほどの恐怖であった。
 笈玄の眼差しは、それほど強く、殺意すら宿し、赤くよどんでいたからだ。その上、老爺の足元には、これまた驚くべき人物が、両手を拘束され、ひざまずかせられていた。
「華鱗……お前まで、裏切り者の海賊一味に加担し、人買い商売で儲けていたとは、嘆かわしい限りよ。だが最も許せんのは、これまでのわしらの世話で、劫初内ごうしょだい武官にまで上り詰めながら、儂らを謀ったこの男じゃ……人身売買の元締め、楊剡鎧ようえんがい! 早く前へ出ろ!」
 背中を思いきり足蹴にされ、楊剡鎧は、甲板の上に転がり出た。
「ぐわぁあっ!」
 華鱗は唖然呆然……殴られ傷だらけの武官を、目を見開き凝視する。
「剡鎧!? この男が……人身売買の元締め!?」
 峻圭が、ニタニタ笑いながら、からかい気味に云う。
「なんじゃい。お前さんも、一杯喰わされたクチかい。それは、可哀そうに喃」
「あの三悪党と、大差なかったようだな。てめぇらの親分である、顔役の顔すら知らねぇなんて、本当に阿呆な奴らだぜ。怒鳴りつけて、暴力までふるって……どうせ生きてたって、ロクな目に遭わねぇよな。お前も笈玄の心裏までは、読み解けなかったようだしな」
 陬蘭の悪しざまな云い草に、華鱗はカッと目をむいた。但し陬蘭には、まるで通じなかったが。游晏は游晏で、剡鎧を睨めつけ、彼の悪辣あくらつな本性を、冷淡な口調で責め立てた。
六官巡察使ろくかんじゅんさつしが、水面下で動き出したことに気づき、すでに誘拐済みだった娘御や、手下の海賊もろとも、この海原へ葬り去るつもりだったのでしょうが、そうはいきませんよ」
 朴澣も、游晏の言葉を継ぎ、剡鎧の悪計を、そして恐るべき真実を、白日の下に晒した。
「本来ならば、船の座礁と沈没事故で、全員死亡し、あんただけは、近くに停泊中の仲間の船に、救助されるって寸法だったんだろうが、その船は永久に来ないぜ。何故なら、その重要な仲間が、救助船を要請しなかったからさ。なぁ、游晏……いや、六官巡察使殿」
 直後、船尾の方から、ツカツカと歩み寄った青年官吏かんりが、剡鎧を震撼させた。
「……ゆ、游晏!? 游晏が、二人……いや、それよりも、お前が六官巡察使だって!? そんな、莫迦な! 一体、どっちが本物だ! 本物なら、この半年をともにすごし、儂と一緒に、散々甘い汁を吸ったではないか! それなのに、今更……裏切るつもりかぁ!」
 二人の黄游晏おうゆうあんは、互いの顔を見合わせ、莞爾と微笑んだ。
 あとから現れた方の游晏が、やはり丁寧な口調で説明する。
「申しわけありませんね、剡鎧武官。しかし、私は役職上、朝廷側に命じられて、相手方に取り入るためなら、多少の悪事も認められているのです。あなたは、側近に任じられて、まだ半年の私を、すっかり信用してしまいましたね。それも皆、必要悪だったのですよ」
 剡鎧は絶句、華鱗は呆然自失である。
ああ、頭がおかしくなりそうよ……もう、なにがなんだか……」
 すると、笈玄が敢然と剡鎧の前に立ちはだかり、威厳ある声音で宣告した。
「裏社会には、裏社会なりの『掟』がある。貴様には、制裁を受けてもらうぞ」
 真っ白な総髪、やや色黒で深いシワの刻まれた顔、鋭利な眼光、口髭顎鬚あごひげに埋もれた薄い唇は一文字に引き結ばれ、静謐せいひつな佇まいだが、陽炎のような殺意が小柄な渾身から揺らぎ出している。さすがは裏社会の顔役筆頭だ。その辺の子悪党とは、明らかに格がちがう。
「そして、華鱗……残念だが、お前にもな」
 そんな笈玄に横目で睨まれ、華鱗は剡鎧以上に震え上がった。
「どうぞ、処分はお任せしますよ」
「どうせ、劫初内から、抹殺命令の下った男ですから」
 二人の游晏も、同じ口調、同じ所作で、剡鎧を冷淡に突き放す。剡鎧は、慄然となった。
「なに!? うっ……嘘だぁあっ!」
 そうこうする内、甲板中央に出そろった怪士五人は、ついにその正体を明かし始めた。
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