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『傷心』
其の拾参
しおりを挟む『朴澣……いつまでも、一人で悩んでないで、好い加減、吾らに種明かししてはどうだ?』
黒光る八尺巨体の半鬼人《顰篭めの宿喪》が、いつものように【緇蓮族】風黒衣で身を隠し、亀甲墓の上に腰かけ、獣声で訊ねた。
「宿喪の云う通りだぜ、朴澣! 今回の仕事ときたら、まったくワケが判らねぇ! 俺たちぁ、お前の指示通りに、水沫の死の真相を探り、犯人を追いつめ、李蒐武官をあぶり出した! その上、お前と俺と、一角坊とで、以前片づけた三莫迦楽師に化け、婚礼宴席に乗りこんだ! 女体化した宿喪にゃあ、侍女を演じさせ、情報収集と裏工作をさせておいた! 水沫の幽霊に見せかけるため、にわか座員として琉衣まで呼び出した! 夜叉面にゃあ、典磨老家宰のニセ者役を振り分け、一角坊の仮死の毒酒を楚白に呑ませた! ついでに夜叉面には、惑乱香粉で、列席者一同の心理操作までさせた! 全部お前の脚本通り、文句も云わず動いたんだぜ!? せめて、大金出した依頼主の正体くらい、教えてくれたっていいだろ!」
一気にまくし立てる美男喝食は、【穢忌族】出身の色悪《夜戯れの那咤霧》だ。
彼の隣では、一角坊もうなずいている。亀甲墓を掘り返し、ようやく楚白の遺骸を、埋葬し終えたところだ。瓢箪酒を豪快にあおり、咽の渇きを癒やしつつ、文句を垂れる。
「蛍拿にゃあ、ケンツク喰わされるし、最期にゃあ、斯様な重労働までさせられるし、ほんに厄介な仕事じゃよ! 十万螺宜なぞ、安いモンじゃあ!」
一角坊は、うんざりした顔で、鍬を放り出した。
夜叉面冠者も掘削道具を捨て、亀甲墓にもたれかかる。彼は薄々感づいていたらしい。
「依頼主は……すでに、土の中でしょう」
ため息まじりに、そう云った。
『土の中だと?』
「そりゃあ、一体……」
「どういう意味だ!」
宿喪、一角坊、那咤霧が、胡乱な眼差しで鬼面を見やる。
これに、朴澣が重い口を開いた。
「さすがに、夜叉面は鋭いな……そうさ。依頼主は、《董楚白》だよ。尤も、初見から奴は《青耶》と名乗ってたがねぇ。なんとも奇妙な話さ」
吃驚して顔を見合わせる座員たちにも判るよう、朴澣座長は舞台裏の秘密を語り始めた。
――董楚白……いや、青耶は、どこからか【鬼凪座】の、後宮菊花殿事件の暗躍話を聞きつけ、依頼文を送って来た。『自分の双子の兄が、戴星姫《蛍拿》を拉致監禁し、日毎夜毎にさいなんでいる。可哀そうで、とても見ていられないから、なんとか助け出して欲しい』とな。《蛍拿》の名を聞いて、俺は正直、気が引けたぜ。古傷が痛むってぇのかなぁ。ま、そこは皆も同じだろ? けど、無視することもできず、俺は結局、そいつに逢って見ることにした。皆には内緒でな。《青耶》は、後宮監吏『闈司・姑洗太保』の息子でありながら、丁寧で生真面目、評判の悪い兄貴《楚白》とちがって、純粋朴訥な好青年だった。だから、俺は決心したのさ。依頼を受けるってな。しかし、お前らに伝える前に、ちょいと《董家》の内情を探っておこうと考えた。そこで判明したのは、董家に双子男児など生まれなかったって事実さ。俺は再び《青耶》を呼び出し、依頼を断ろうとした。ついでに、【鬼凪座】を騙すため、デタラメな依頼でっち上げた阿呆を、懲らしめてやる算段だった。けど奴は、泣きながら信じがたい告白を、俺に聞かせたんだ。『実は自分は、この世に生まれ出ること叶わなかった楚白の片割れで、今は楚白の体に同居している。楚白は気づいていないが、二人でひとつの体を共有しているのだ』とねぇ……嘘みてぇだろ? だけど《青耶》は真剣だった。それに奴は自分の母親を殺した犯人を、捜して欲しいとも云った。蛍拿を、母親と同じ目に遭わせたくないとも……そして奴は、依頼主の正体を、誰にも明かさないで欲しいと、俺に懇願した。どうせ信じてもらえないと、思ったんだろ。とくに、蛍拿だけには絶対、知られたくないとね。《青耶》は、蛍拿を愛してたんだな。多分《楚白》も、本気で蛍拿のことを……奴らはきっと、長い間、心を病んでいたんだろう――
朴澣の告げた真相は、座員たちを戦慄させた。
「水沫殿は自害でなく、董朱薇に成敗されたのです。夫を裏切り不貞を働き、家名や体面を傷つけた姦婦としてね……当初、鳥篭離宮は牢獄でなく、水沫殿を守る砦だった。【唯族】特有の夜盲体質を利用して、狼藉を働いた怪士……それは調査の結果、李蒐武官でしたが……匹夫の爪牙から、彼女を守りたかったのですよ。夫の『姑洗太保』殿はね」
言葉を継いだ夜叉面に、那咤霧は瞠目した。
「待てよ! そんなの、おかしいぜ! 鳥篭こしらえてまで、守ろうとした大事な妻女を、なんで朱薇は殺したんだ!? 大体、あんなところに幽閉しとくなんて、本当に護身のためだけだったのかねぇ!」と、興奮気味に云いつのる。
「いや、疑心暗鬼だったんだろうぜ。朱薇殿は。もしかしたら、水沫も合意の上だったんじゃねぇかってな。実際はそうじゃなかったのに、心優しい水沫さんは、まだ歳若い李蒐の蛮行と気づいたが、それを隠しかばった。李蒐の親父は、朱薇が若造だった頃からの功臣だ。その息子を、罪人にしたくなかったんだろう。けれど下手なかばい立てしたせいで、朱薇の疑念は強まり……ある晩、口論のすえ、朱薇は水沫を斬殺しちまった。その現場を、幼い楚白が目撃しちまったんだな……奴の心が軋み始めたのは、その辺りからだぜ」
――ひとつの体に双つの心……憐れな奴だよ――と、朴澣は話を締めくくった。
それきり、黙りこんだ朴澣……説明は、ここで唐突に途切れた。
「……と、まぁ、こんな具合に、芝居を進めた結果、あんたの大切な息子を死なせる破目になっちまった。俺の拙い脚本で……本当に、申しわけねぇなぁ、水沫さん」
再び、黄泉の国を訪れた《癋見の朴澣》は、煙管の吸い口で頭をかきながら、広漠たる水面より、ホンの少しだけ身を出した【唯族】の美しい女性に、真摯な態度で謝罪した。
けれど、悪相座長の眼差しには、どこか悪辣な光が宿っているようにも見えた。
水沫の方は、憂いに満ちた表情を、わずかにうつむけ、ホッと息をもらした。
……それが、あの子の、運命だったのでしょう……致し方ありません……
「本当に、心からそう思うかい?」
……私には、あなたを責める資格はありません……
殊勝にも、泪をこらえてそう語る水沫に、次の瞬間、朴澣が投げつけたセリフは、あまりにも放埓で、予想外のものだった。
「なんだ、判ってんじゃねぇか」
……え?……
思わず、顔を上げ絶句する水沫。朴澣は、一気にまくし立てた。
「あんたは、優しい顔した鬼だね。此度の芝居の間、どうしても邪魔になる本物の典磨老の爺さんを、三昧堂の内陣の仏像裏に隠し、青耶との会話を聞かせながら、問いただしたところ、すべてを語ってくれたぜ。あんたが、李蒐を誘ってたってことも、朱薇を『役立たず』と罵ってたことも……俺も驚いたが、朱薇は不能だったらしいな。楚白ができて間もなく、閨事が覚束なくなっちまった。他の女でも散々試したが、まるで駄目だったって」
……そ、それは……
「だから、歳若く、顔立ちも精悍で、なにより活気のある李蒐に、心をうつした……つぅか、あいつのことだって、単なる性処理道具にしか、思ってなかったんだろ、水沫さん」
……ちがう! それは、ちがいます! あの男が、無理やり私を……
直後、朴澣の煙管の雁首が、水際の岩に叩きつけられ、パァンッと鳴った。
「どいつも、こいつも、嘘ばっかだな」
朴澣は、冷徹な目で、水沫を見据えている。それでもなお、水沫は持論を云い張った。
……嘘ではありません! 私は、本当に嫌だったのに、男の力にはあらがえず……
そんな水沫に、朴澣は決定的なセリフを放った。
「ならば、どうして朱薇が出かける晩に限り、うれしそうに薄化粧をしてたんだ? 誰に聞かせるともなく、『夜さりの残夢』を唄ってたんだ? 典磨の爺さんは、全部知ってたんだよ。ついでに、幼い楚白もな……いや、青耶と云うべきかな?」
……青耶?……
聞き覚えのない人名に、水沫は眉をひそめている。
「ま、安心しな。典磨の爺さんには、ウチの座員が『惑乱香粉』で記憶操作をほどこした上で、ちゃあんと董家へ送り届けといたからよ。尤も、そんなこと、気にするようなあんたじゃねぇか。うわべばかり優しい、悲劇の女主人公さんよ。今にして思えば、青耶も可哀そうな男だったよな。しかし……あの時、両手を広げて、蛍拿の凶刃を受け入れたのは、楚白か、青耶か、どっちだったんだろうな……俺には今更、どっちでもいいコトだが」
そう云いながらも、朴澣の目からは、あの時の楚白の、あの時の青耶の、哀しげな笑みが、一向に消えようとしなかった。
『蛍拿は……そんな戯言、信じないぞ!』
あの乱暴な口調は、まるで楚白のようだった。
では、すべて楚白の作り事だったのか? 青耶は、単なる幻だったのか?
今となっては、判らない。いや、判りたくもなかった。
そんな風に、一人煩悶の淵へと沈みつつあった朴澣を、水沫のセリフが呼び戻した。
……だから、青耶とは、誰のことです?……
疑念に満ちた目で、問い詰める水沫に、朴澣はハッキリと宣言した。
「あんたの息子だろ? 生後間もなくあんたが殺した、双子の片割れだろ? 殺生悪、邪淫悪、妄語悪か……なるほど、冥界へ堕とされるはずだぜ。黄泉から出られねぇはずだぜ」
こともなげに云う朴澣……驚くべき真実が、またひとつ明らかになった。
………私が、我が子を殺したですって? そんな真似、するはずがないわ!……
興奮し、水面を叩き、波紋を広げる彼女に、朴澣はさらなる追い打ちをかけた。
「双子の片割れにゃあ、間抜けな朱薇を騙しきれないほどの、目印があった……実の父親と同じ場所に、同じような形の痣がな。それこそ、朱薇の片腕にして、李蒐の実の親父でもある《焔蒐武官》……そう、そいつこそ、楚白と青耶の実父なんだよな、水沫さん」
……もうやめて! そんな戯言は、聞きたくないわ!……
「侍医には高額の金子で口止めして、片割れの体は重石をつけて、例の深池に投げ棄てた。運よく生き残った楚白も、実は朱薇の実子じゃねぇ。朱薇には子種もなかったのさ。なのに青耶は……あんたの息子は、蛍拿に真逆のことを云った。生後一刻で、あんたに殺された息子は、どういうワケだか、あんたに救われたと嘘をついたんだ。何故だと思う?」
……そんなこと、知らないわ! 私はなにも悪くない! 悪意ある出放題で、誹謗中傷で、私を苦しめたいのね! あんたは見た目通りの鬼畜よ! 醜い鬼神の手先め! 呪われるがいい! 七生の祟りを受けるがいい! どうせお前に、未来などないのだから!……
水沫は、キリキリと歯軋りしながら、眦を吊り上げ、堰を切ったように怨嗟の言葉を吐き出した。今までの、穏和で優しげな女性像など、最早そこには、存在しなかった。
けれど朴澣は、女の素顔、正体を見て、得心した。
煙管を吹かしつつ、水沫を憐れむように観察し、さらに続けた。
「俺には、なんとなくだが判るぜ。あいつは、あんたの所業を知ってなお、信じたくなかったのさ。実母に疎まれ、殺害されただなんてね……そして、董朱薇や、腹ちがいの兄である李蒐武官へ、怒りの矛先を向けた。他に向かう先が、なかったからだろうぜ。心を病むほど逼迫した、憤怒のやり場が……可哀そうな奴らだったよ、楚白も……青耶も……」
……帰れ! 早く私の前から消えろ! ここには二度と、来るな!………
そう叫ぶ水沫の形相は、まさしく怨嗟にゆがみきった〝鬼女〟だった。憤激のあまり水面を叩き続け、朴澣に怒声を発すると、間を置かず水沫は、泉下へ逃げるように去って往った。
そして二度と、彼女が黄泉から浮上して来ることはなかった。朴澣は、そんな水沫が残した罪の波紋で、殺伐とした気持ちを冷ややかに洗われ、うんざりしたように吐き捨てた。
「啊、勿論、そうするよ。俺も、あんたの顔は金輪際、見たくねぇからな。あばよ」
そうして朴澣が、黄泉に背を向け、足早に歩き出した直後、静謐な水面に双つの影がよぎり……せめぎ合い、からみ合い、いがみ合い、もつれ合い、まじり合い、最後にはひとつに融け合い……水沫を追うようにして、泉下へと消えて往った。
さて、後日談も、あらためて語っておこう。
但しこれは、【鬼凪座】が蛍拿を、夜仏山へ帰したあとの、別話である。
それにしても――【戴星姫・蛍拿】――彼女の聖なる神通力は、【鬼凪座】の鬼業禍力とは、よほど相性がよくないのだろう。片や天帝の御落胤、片や冥帝の使者……そう考えれば、まぁ、当然と云えば、当然かもしれないが、しかし、彼女に関する依頼で、彼女に関する依頼だけで、天才を自負する絡繰役者一味が失敗するのは、これで二度目である。
なんにしても、苦しい舞台は終わった。この話は一旦、忘れよう。
一方、朴澣の懇願と口添えで、ようやく琉衣の転生を認めた【冥界十王】は、その身代わりとして、朴澣の転生を百年先延ばしすると決めた。朴澣は、それを黙って受け入れた。
無論、なにも知らず喜ぶ琉衣に、打ち明けるほど、野暮でもない。
冥界を去る最後の日、琉衣は朴澣に会いに来た。
転生の件のお礼を伝えるためと、もうひとつ……水沫のことである。
彼女は泉下で、何事か悩む内、ついに鬼女と化し、【泥梨百冥鬼】に加えられてしまったそうだ。今では、黄泉よりさらに劣悪な環境である、汚泥の中に身を置いているらしい。
まさしく、『泥梨』の名が表す通りだ。
しかし、それも自業自得だろう……朴澣は、密かにそう考えた。
当然のことながら、裏事情など知らない琉衣は、そうは思わなかったようだが。
……可哀そうね、水沫さん……もう、転生は叶わないでしょうね……理由はどうあれ、鬼女になるなんて、よほど、苦しんだんでしょうね……胸が、痛いわ……
朴澣は、そんな琉衣の、本物の優しさに触れ、少しだけ心が温かくなった。
今回の件で、深く傷ついた心が、癒やされるような気がした。
「ときに琉衣、お前……転生したら」
……勿論、龍樹を探すわ! 彼もきっと、転生しているはずよ! どこにいようと、必ず会いに往くわ! そして、今度こそ私を、お嫁さんにしてもらうの! これというのも皆、座長さんのお陰よ! ありがとう……本当に、ありがとう……
琉衣は泣いていた。
朴澣はこの時、此度の仕事にようやく〝やった甲斐〟を見出した。
傷心に次ぐ傷心……そんな仕事の中での、最大の手間賃は、青耶からもらった十万螺宜ではない。琉衣という女幽霊が見せてくれた、宝石のように美しい、うれし泪である。
「そうか。幸せになれよ、琉衣……じゃあな。仲間が待ってるから、俺は往くぜ」
……いつか、また会えるかしら……座長さん。あなたとも、座員の皆さんとも……
「さてな……そいつは、神のみぞ知る、だろうぜ」
……そうね、ああ……もう、往かなくちゃ……さようなら、座長さん……
「さよなら、琉衣」
まばゆい光につつまれ、白く輝き、やがて琉衣の姿は見えなくなった。
そして朴澣の姿もまた、鬱屈たる闇の向こうへ去り、見えなくなった。
『傷心』完
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