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『傷心』
其の九
しおりを挟むところが――【鬼凪座】邂逅の晩から間もなく、朴澣にとって大誤算が生じた。
蛍拿は、ある夜を境に、まるで人が変わってしまったのだ。
その理由を、董家の屋敷中の全員が、知っていた。当然、典磨老に化けた夜叉面も、新入り侍女の樺蓮に化けた宿喪も、彼女に変化をもたらした、悪逆非道な原因を知っていた。
楚白の乱暴狼藉である。蛍拿は、大切なものを、またひとつ、この若い暴君から奪われたのだ。典磨老と樺蓮の下調べを、すり合わせた結果、明らかとなった二人の過去……夜叉面と宿喪は、沈痛な面持ちで、老家宰の居室、花頭窓から、鳥篭離宮をながめていた。
「座長……今度ばかりは、あなたも筆を誤りましたね……」
「もう云うな、夜叉面。これが、あの娘の運命だったのだろう……それより」
ここで一呼吸置き、典磨老と樺蓮は、顔を見合わせ、うなずいた。
「過日、訪れた董朱薇の前で、楚白が見せた態度は、随分と奇妙なものでしたよ」
「啊、そうらしいな。李蒐武官が、同役にぼやいていたそうだ。だが、その同役を色香で篭絡し、聞き出した話によると、奴が《水沫の方》の件を、董朱薇へ注進したと知り、激昂した楚白から、随分と非道く折檻されたそうではないか。但し、どういうワケか……」
ここで一旦、言葉を切り、しばしの沈黙ののち――、
「「李蒐は、ヤケにうれしそうだった……」」
夜叉面と宿喪は、声をそろえて、つぶやいた。
不可解そうに、またまた互いの顔を見合わせる。
「奇妙ですね。これまでも何度か目撃したのですが、楚白はどうも李蒐のことを毛嫌いしているようで、よく暴虐をふるいます。なのに、李蒐の方は、それを甘んじて受け入れている……まるで被虐趣味者か、あるいは楚白に男色の好意でも持っているかのようにね」
「その同役も云っていたぞ。李蒐の女嫌いは、楚白へのゆがんだ愛情のせいだ、とな」
夜叉面と宿喪は、ますます困惑した表情で、腕組みし、顎に手をそえる。
そうして思案に暮れる二人の耳へ、聞き覚えのある濁声が、入って来たのはその時だ。
「ついでに云うと、楚白の癇癪玉が破裂する時は、必ず李蒐が止めに入り、自ら進んで暴虐を受けているそうな。そして、楚白につけられた痣を、さもうれしげに、親しい人物へ見せつけるんじゃと……完全に惚れとるな。いや、隷属しきっとる……可笑しな奴よ喃」
奥の間から、いきなり引戸を開け、現れた人物は、武官姿の青年だった。いや、そうではない。武官青年に化けた男の正体を、夜叉面と宿喪はすぐに見抜き、だからこそ驚いた。
「一角坊!?」
「何故、ここに!?」
【巫丁族】特有の一本角を、高い元結髷で隠した破戒僧は、ニヤリと笑ってうそぶいた。
「座長が急遽、脚本にテコ入れして喃。儂も董家の舞台へ、参加することになったんじゃ」
武官姿で軽やかに一回転し、お道化て見せるところなど、相変わらず陽気な男だ。
「それにしても、吾が篭絡した同役に、まんまと化けるとは……悪趣味だな」
「そんなこと儂は知らんわい。それと、那咤もいずれ、こっちに合流するそうな。座長の指示じゃ。その時は、よろしく頼むと云っとったわい。で、楚白の様子は、どうじゃ?」
一角坊に問われ、夜叉面はため息まじりに、首を横へ振った。
「あなたが以前、学友から聞いたというような、心の病には見えませんね」
「まぁ、蛍拿への妄執は、病気と云えんこともないがな……嘆かわしい限りよ」
宿喪も、美貌を憂いにかげらせては、白い額に手を当て、長嘆息する。一角坊は憮然とし、そんな懐疑的な二人に、自分の調べ上げて来た情報を再度、つまびらかに語った。
「急に性格が変わり、粗暴になったり、優しくなったり……時には、記憶を失くすことさえあったそうじゃぞ。親しい仲間内の顔さえ、判らなくなることまでな。奇妙じゃろ?」
夜叉面と宿喪は、一角坊のセリフを、ボンヤリと反芻した。
「性格が変わる……」
「記憶を失くす……」
いよいよ、混迷の度合いを深める二人だ。すると一角坊は、意外なことを云い出した。
「それから、これは那咤からの情報なんじゃが……亡くなった水沫の実姉が喃、実は生まれつき狂れ病で、四十路を越えた今も、嫁がんと生家に暮らしとる。だが……水沫が死んでからというもの、時々奇妙な絵を描くそうじゃ。それがまた、なんとも奇妙な絵で喃」
一角坊の、思わせぶりな言葉に、夜叉面と宿喪は、またまた顔を見合わせた。
「絵、ですか?」
「それが、どうした?」
「那咤が、出入りの薬売りに化けて、かすめ盗って来た。これが、その絵じゃ」
そう云って、一角坊が懐から取り出した紙片には、確かに奇妙な絵が描かれていた。
「稚拙な絵ですね……これでは、あまり……」
「爬虫類が、からみ合っとるようにも見えるが……ハテ」
「よく見んかい。これが、水沫。そして、こっちが男」
「つまり、董朱薇と、水沫の……アレですか?」
「交合図だな。何故、こんなものを……」
「だから、もっとよく見んかい! この男は、武礼冠をかぶっとるんじゃ!」
一角坊はついに焦れて、勘の鈍い仲間を怒鳴りつけた。
これにて夜叉面も、ハッと顔色を変えた。
「黒烏帽子に前立物……ならば、身分はそれほど、高くないですね……当然、【十二守宮太保】級の董朱薇では、あり得ない……啊! では、まさか……これは! この男は!」
恐るべき真実にたどり着いた夜叉面は、まだ要領を得ない宿喪の顔を見、それから一角坊を見た。一角坊は、少ない配色で描かれた、まるで子供の絵を、じっと睨んでは云う。
「水沫の実姉には、不可思議な霊力も備わっておって、これは予知夢を描いたものらしい」
宿喪は、不可解そうに小首をかしげ、一角坊に問いただす。
「予知夢? しかし、水沫は、もう……」
一角坊は、奇妙な交合図に視線を落としたまま、肩をすくめて云いそえた。
「それ以来、水沫の実姉は、この絵以外、まったく描かなくなってしまったそうじゃよ」
しばしの沈黙……やがて宿喪が、恐る恐る口を開いた。
「確か、朴澣が云っていたな……水沫は殺されたかもしれんと……だから、真犯人を探し出すのだと……そんなことを知りたがる依頼主とは、よもや……夫の董朱薇なのか!?」
いまだ姿の見えぬ依頼主……その気配を感じ取り、興奮する宿喪だった。しかし――、
「それは、のちのち明らかになるでしょうから、ひとまず置いておいて……ようやく、見えて来ましたね。この絵を見る限り、水沫には、間男がいた……その相手とは……多分」
夜叉面の指摘で、宿喪もようやく、絵の中の男が誰なのか、気づいたようだ。
「李蒐武官!」
宿喪が導き出した答えに、こっくりとうなずく夜叉面、莞爾と笑う一角坊だ。
「しかし、この絵の男……眼帯をしておらんようだぞ?」と、さらに追及する宿喪。
その時、夜叉面がなにかに気づいたらしく、大きく息を呑み、思わず声を荒げた。
「私としたことが、もっと早く気づくべきでした! 李蒐が隻眼になったのは、水沫が亡くなって、三日もしない内のことだったそうです! 本人は事故だと云っていますがね!」
彼の発したセリフには、一角坊と宿喪も、驚きを隠せなかった。だが宿喪は――、
「吾は、李蒐の潰れた目を見たことがあるぞ。侍女の暮らす下屋敷からは、武官の寮がよく見えるのだ。あれは……当人の云うように、木の枝で誤って刺したものではない。刀傷のようだった。ゆえに、妙だと思っておったのだ。何故、そんな嘘をつくのかとな……」
夜叉面は、しばし思案に暮れていたが、やがてシワミ顔に笑みをたたえ、こう云った。
「いいでしょう。ここは私の出番ですね。早速、今夜にも探ってみます」
ところが、ここで一角坊が、こんな提案を持ち出した。
「いや、儂にも花を持たせてくれんか。当主代行の家宰が、武官の宿舎に近づいては不審を招くゆえ喃。ここはひとつ、李蒐の同役武官に化けた儂が、調べてみるべきじゃろうて」
破戒僧の云うことは、この場合においては、至極尤もだった。上役の典磨老が、ワザワザ下位である李蒐武官の宿舎を訪ねたとあっては、本人にも、他者にも、不信を招くはず。
聡明な夜叉面は、すぐにそう考え至り、然るべく早急に手を退いた。
「判りました……まかせましたぞ、一角坊」
「吾らは、楚白の方を見張っているからな」
宿喪も無論、同意する。これにて、今宵の仕掛け人は、一角坊と決まった。
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