四天王戦記

緑青あい

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左道四天王見参 《第七章》

其の壱

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 凪いだ海、赤い月、清かな風。
 穏やかな波間を漂う男は、潮騒の子守唄を聞きながら、不思議な夢を見ていた。

――恣拿耶しだや、お帰りなさい。遅かったのね……心配していたのよ――
――すまない、三日月みかげ。獲物を取るのに、少し手間取った。だが、今日は豪勢だぞ――
――まぁ、こんな大きな猪……それに魚、山菜……木苺まで――
――それは、お前の分だ。肉は食べられないんだろう? だが、子供たちは大喜びだ――
――そうね、食べざかりだもの。すぐに夕餉の支度をするわ。待っていて――
――ああ、出来上がるまで、子供たちと遊んでいるよ――
――ねぇ、恣拿耶……私、とても幸せよ……一緒に来て、本当によかった――
――三日月……啊、三日月……愛している――

おい、あんた……しっかりしろ!」
 せまい横穴を抜け、海中にもぐり、ようやく『奈落』から脱出できた妥由羅たゆらは、しばらく浅瀬で休んでいたのだが、沖を流れ往く水死体を発見し、ゆっくりと近づいた。
 そして、それがまだ生者で……しかも大河のそばや、『奈落』でも顔を合わせた、あの《雁木紋がんぎもんの恣拿耶》だと知って、慌てて浅瀬まで引っ張って来たわけだ。
 顔を叩き、必死に呼びかけるものの反応はない。妥由羅は、やむなく彼の体を岩場へ乗せて、人工呼吸をほどこした。
 口伝に呼気を送りこみ、懸命に胸の辺りを圧迫する。
 すると、その効果は、ほどなく現れた。
「うぅ……ごほっ!」
 大量の水を吐き、苦しげにうめく恣拿耶。妥由羅は、ホッと胸をなで下ろした。
 それでも、恣拿耶はぐったりとして、なかなか動き出す気配がない。妥由羅は、あらためて彼の傷口を見た。
 背中、肩口、腕や肢の他、左手首から先は、千切れて、なくなっている。よくも、これだけ痛めつけられ、重傷を負ってなお、生きていられるものだ。
 妥由羅は、彼の鬼業きごうの凄まじさを、嫌というほど思い知った。
 だが、今は一刻も早く、治療してやらねば……彼女は、恣拿耶の左腕に、幾重にも巻きついた、邪魔な縛めを解こうと、黒光る怪しい物体へ、手を触れた。その途端――、
「痛っ……!」
 突然、腕輪状の縛めから鋭利な棘が突出して、妥由羅の手を刺した。血がしたたる。
「な、なんなんだ、これは……」
 そう……【厄呪環やくしゅかん】は嵌められた者だけでなく、無闇に触れた者をも鋭い棘で容赦なく攻撃する。そして仕掛けた術者以外、外すことはおろか、触れることさえできないのだ。
 つまり鍾弦しょうげんしか、この呪縛を解くことはできないのだ。
「とにかく、ここにいては百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたいに見つかる。往きたくもないが、あそこへ戻るか」
 妥由羅は、苦々しい表情でつぶやくと、恣拿耶を肩に担ぎ、浜辺へ向けて歩き出した。


 その頃、【百鬼討伐隊】軍船の最下層にある、船倉の一室では――、
「……恣拿耶、恣拿耶」
 囚われの三日月が、ポロポロと大粒の泪をこぼし、泣きじゃくっていた。
 何度も、何度も、繰り返し、愛する男の名を呼びながら、彼女は、こんなにも早く訪れてしまった永遠の別れを、嘆き悲しんでいた。
 いつも迷惑ばかり、足手まといになってばかりの、不甲斐ない自分だった。後悔や呵責、愛慕といった感情が、怒涛のように胸に押し寄せて来る。
「ごめんなさい……恣拿耶、許して……」
 三日月は、すでに自分の死を覚悟していた。しかし唯一の心残りは、やはり恣拿耶のこと。
 鍾弦という男が、約束を守ってくれたのか、どうか……それだけが心配だった。あるいは二人、心中覚悟で【百鬼討伐隊】に立ち向かい、死んだ方が幸せだったのかもしれない。
「逢いたい、もう一度だけ……啊、恣拿耶」
 ところが、その時である。
「あ、あのさぁ……お嬢さん」
 突然、部屋のどこからか、男の声がして、三日月は一瞬、身をすくめた。
「だ、誰です!?」
 驚愕し、泪で濡れた目を見開き、周囲に視線をやる。だが、声の主は見当たらない。
 すると――、
「おっと、驚かせて悪かった。俺だよ、覚えてる?」
 船室の隅、山積みにされた穀物袋の後ろから、ひょっこり姿を現した男に、三日月はいよいよ仰天した。
 派手な天女の刺繍入り法被はっぴを着、蓬髪ほうはつ頭で、猫科の動物を彷彿させる彼の瞳、人懐っこい顔には見覚えがあった。
 河岸での騒動時、出会った賞金稼ぎに相違ない。
「あ、あなたは……確か、『藍睡江らんすいこう』の畔で、会った……」
「そう。《びし太毬たいが》だ。よろしくね、えぇと……三日月さん」
 船室の真ん中へ出て来た男……そう、『井郡ちちりぐん』の郡代所地下牢から姿を消した《八つ菱の太毬》は、驚くことに、なんと【百鬼討伐隊】の軍船に、乗りこんでいたのだ。
 太毬は、にこやかに三日月の名を呼び、握手をもとめた。
 だが、彼女が手足を縛められていることに気づき、背後に回って縄を解こうとした。
 けれど三日月の方は警戒し、身をよじって、太毬の行動を阻止した。
「あなた……いつから、そこに!? どうやって、乗りこんで来たの!?」
 太毬は、彼女を不安にさせまいと一旦、そばを離れ、それなりの距離を測りつつ云った。
哈哈ハハ、俺の方が先客なんだけどね。どうやって乗りこんだかって? それは秘密です」
 実は港に置かれた穀物袋のひとつにもぐりこみ、上手く乗組員に運ばせ、この船倉にたどり着いたわけだが、その辺の経緯をぼかし、茶目っ気たっぷりにごまかす太毬であった。
 しかし、彼女を面白がらせるための冗談は、かえって不興を買ってしまったようだ。
巫山戯ふざけないで! あなた、【百鬼討伐隊】の仲間なのでしょう!?」
 三日月が、そう疑うのも、無理からぬことだった。
 敵意に満ちた目で睨まれ、太毬は慌てて身の潔白を訴えた。
「そんな、それは誤解だよ! 俺は、ただ……姐御あねごのことが心配で、匂いを追ってここまで……あ、いや、なんでもない。それよりさ、三日月さん。あんまり泣かないでおくれよ。こっちまでつらくなって来る。大体の事情は察してるけど、まだ、あきらめるのは早いぜ」
 自信満々で、そう宣言する太毬の目は、誠意にあふれ、真剣そのものだった。
 三日月の心は、徐々に揺らぎ始めた。
「つまりさ、一緒にここから逃げようぜ、三日月さん。俺も、一刻も早く姐御のところへ往きたいし、あんたも恣拿耶って男のところへ帰りたいんだろ? なら、協力し合おうよ」
「でも、どうやってここから? 軍船の中は、どこも隊員だらけ。逃げるなんて容易なことではありませんよ? 捕まれば、私はとにかく……あなたは」と、太毬の身を案じる三日月だ。 
 けれど太毬には、なにか取って置きの秘策があるらしく、胸を叩いてのたまった。
「心配ご無用! この太毬さんに、まかせなさい!」
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