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『其の七』

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――とまぁ、そんなワケでな……盗み聞きしてた幻麼げんまの情報通り、奴ら【鬼籤座おにくじざ】の人使いの荒さったら、大変なモンだったぜ! 舞台の掃除に衣裳の洗濯、繕い物、移動手段の馬車を修理したり、興行先では天幕張りも……思い出すだけで腹が立つ! だが娜月なつきの方は相変わらず、世間知らずがゆえか莫迦ばかがつくほどお人好しでな。俺たちをすっかり信用しきってた。けど例の鬼面だけは、決して外そうとしないんだ。いくら云っても、すすめても、頼んでも、それだけは聞いてくれなかったよ……ん? 食事の時? ああ、俺たちも驚いたのは、その点なんだよ! 本当に奇妙な鬼面でなぁ……まるで彼女の素顔みたいに、口元や目元、笑った時の頬骨なんかも動くんだ! そう、動くんだよ、副長さん! やがて打ち解け、親しみが増す内、娜月が話してくれたよ。彼女は神祇府じんぎふの『天譴裁判てんけんさいばん』で〝鬼憑き〟と断じられたのち、執行役から鬼業きごうが宿ったその鬼面を、無理やりかぶせられたんだそうな。その鬼面は彼女の素顔と一体化し、ぴったりと密着し、彼女が心から愛する相手の死に際し、流す〝泪〟でしか、引きはがすことができないんだと……あるいは、神籬森ひもろぎもり聖地の奥にある【黄泉離宮こうせんりきゅう】の聖水で、鬼面を洗う以外、その「生きた鬼業の面」を外す方法はないんだと……哀しそうに、そう云ってたっけ……おっと、少し話を進めすぎたな。とにかく俺たち【雷鳴レイション】も加わった【鬼籤座】一行は、神籬森周辺の町や村で興行しては、軍資金を稼ぐとともに、再び神籬森聖地へ侵入する道筋を、探ってたんだ……うぅん、さすがは【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】の鬼隊長さんだ! 勘が鋭いなぁ! でも、あまり先走らず、まぁ順を追って話をさせてくれよ。そうしねぇと、なんか混乱するだろ? そんじゃあ次は、そうだなぁ……氐郡ともぐん日疋郷ひびきごうでの興行風景から、再開するとしようかねぇ――


 戊辰暦ぼしんれき十年、暑気も隆盛の朱夏しゅか
 鬼籤座の雑多衆ざったしゅう(裏方)となった【雷鳴】五人組は、舞台袖から見ていた。
 座員が行う目くらまし、嘘八百舞台のすべてを。
 そうとは知らず熱狂する、観客の拍手喝采、賞賛の声、満面の笑み、莫迦騒ぎを。
 火灯し頃、幕が下り、座長の舞台挨拶が終わり、現実世界への帰途に引き戻されてもなお、見物客の熱狂は冷めやらなかった。再演を願い、いつまでも続く歓声……ボロけた小規模な天幕だが、そこを出て家路に着く客の口からは、次々と讃嘆の声がもれ聞こえた。
「いやぁ、凄かったなぁ! 【鬼籤座】の奇術!」
「ホント、魂消たまげたぜ! ありゃあ、人間業じゃねぇよ!」
「最初は、そんなに期待してなかったんだけど、来てよかったわ!」
 天幕裏の畜舎前で、そんな客たちの声に、耳をそばだてていた幻麼は、ヤレヤレと肩をすくめた。下下八げげはちとともに、ここでの仕事をまかされた幻麼だが、今は一人での作業だ。
 卑族ひぞく出身のクセに我が強く、自尊心も人一倍高い下下八は、どこかへ姿をくらました。
 だから彼の分まで、幻麼が働かざるを得ない。
 しかも畜舎の掃除だから、汚いし臭い。
 幻麼は、奇術に用いる獣たちの汚物に顔をしかめ、それでも不承不承、作業を続けた。
 それにしても……幻麼は思わずつぶやいた。
「呑気なモンだねぇ……騙されてるとも知らず、五百螺宜らぎも払って、エセ奇術の見学かい」
 客の一人が、偶然その声を聞きつけ、幻麼の傍に寄って来た。
「あら、座員の人?」
「え? ええ、まぁ……はい」
 幻麼は一瞬、ドキッとして、気軽に話しかけて来た若い女客の視線を避けた。
「そうでしょうねぇ、その派手な化粧」
「でも、今日の舞台には出てなかったわよね?」
 また一人、連れの女客が、幻麼の剽軽ひょうきんな顔をしげしげ見つめながら、問いかけた。
 幻麼は咄嗟とっさに嘘をつき、ついでに恨みかさなる一座への憤りを、口に上せていた。
「ワイはまだ、新入り見習いでして……へへ。この一座にしたって、そんな大袈裟な賛辞を頂けるような芸じゃあ、ありませんや。逆に、こんな子供騙しで、大金遣わしちまって」
「イヤだぁ。謙遜することないわよぉ」
「そうよ。明日も見に来るから、頑張ってねぇ」
 女客二人は、幻麼を〝文丑役者どうけやくしゃ〟だとでも思ったのだろう。彼の肩を軽く叩くと、ニッコリ微笑み、天幕から遠ざかって往った。幻麼はその後ろ姿を見送って、ホッと吐息した。
「驚いたぜ、一瞬、バレたかと思った……ハァ」
 直後、背後から険しい怒声が浴びせられ、幻麼はハッと背筋を伸ばした。
おい、こら、滑稽面こっけいづら。客に余計なこと、吹きこんでんじゃねぇぞ。そんな陰口で一座の名に傷をつけ、株を落として……もしも扶持ふちが減ったら、てめぇを真っ先に叩き出すからな」
 獣廻ししまわしの文殊丸もんじゅまるである。剣舞役者けんぶやくしゃ涅槃居士ねはんこじも一緒だ。
「それから、そっちで笑ってる爬虫類もどき! また、俺たちの目を盗んで、さぼってやがったな! 天幕の補修と、客席の掃除が済んだら、馬と家畜への餌やりも忘れるなよ!」
 文殊丸から刺々しい指摘を受け、ようやく畜舎の傍の樹上で、嗤いを噛み殺している下下八の存在に気づき、幻麼は大きな七宝眼しっぽうがんをさらに見開いた。太い枝ぶりへ尻尾をからめ、器用に寝そべっては、下方で項垂うなだれる幻麼の様子を、さも愉快そうにながめていたのだ。
「でぇえ!? 下下八! てんめぇ……そんなトコで、昼寝してやがったのかい!」
「ぷっ……哈哈ハハ! わりぃな、幻麼。けど、真面目に獣のクソ掃除してるお前の姿が、あんまり面白くってよぉ。途中から目が冴えて、全然眠れなかったぜ。だから、まぁ許せや」
「なに云ってやんでぃ! ワイ一人に汚穢おえ仕事を押しつけて……さっさと降りて来いや!」
「けど、お前の律儀な頑張りのお陰で、あらまし終わってんじゃん? なぁ、先輩がた」
 下下八は突然、両手を離し、ハッとする座員二人の前で、逆さまにぶら下がった。
 蜥蜴状とかげじょうの尻尾が、枝に巻きつき、彼の長身を支えている。
 文殊丸と涅槃居士は、いよいよ怒り心頭である。
「お前ら! ふざけてないで、さっさと仕事しろ! 殺されたいか!」
「あと半時で終らせなかったら、本気でクビ……いや、首を斬るぞ!」
 二人の物凄い剣幕に触れて、幻麼は思わず飛び上がり、下下八は思わず樹から落下した。
「へぇへ! 判りましたよぅ!」
つつ……畜生! 本当に人使いが荒いぜ!」


 一方、牙奄斎がえんさい丹慙坊たんざんぼうは――、
のう、牙奄斎。どうしたらそう、早く、上手く、ことが運ぶんじゃあ?」と、不器用な丹慙坊は、慣れない手つきでモタモタと、その厄介な仕事に必死の形相で臨んでいた。
「私は元来、こういう作業が嫌いではないのですよ。あとは、慣れですね」と、なにをやらせても人並み以上の働きをする牙奄斎は、どこか楽しげな様子で、仕事に取り組んでいた。
 ところが、一向に進まぬ丹慙坊の作業を、ふと目にするや、牙奄斎は愕然となった。
「慣れったって……わしは繕い物なんぞ、したことがないゆえ、まったくもって勝手が判らん。いつもなら、あの別嬪べっぴんじゃがキツイ女子衆おなごしゅうに、厳しく叱責されながらも、なんとかやり終えることができるんじゃが……うぅむ。牙奄斎よ。これ、どうすりゃいいんじゃあ?」
 そう、男二人(正確には、男と半分男)が関わっていた只今の仕事とは、繕い物である。
 裂けて破れた舞台衣裳を、直したのち、洗濯までしないといけないのだ。半分女の牙奄斎は、要領よく針仕事を進めていけたが、ガサツな丹慙坊は、そう簡単にいかなかった。
「た、丹慙坊……それは、さすがに、まずいのでは……むしろ、どうやったらそうなるのかを、教えて頂きたいものですな。それとも、まさかとは思いますが、座員への嫌がらせで、ワザとやっているのですか? と、とにかく、彼らに見つかる前に、なんとか……」
 丹慙坊の手の中の、派手な舞々まいまい衣裳は、無惨なことになっていた。最早、衣裳とは呼べない。原型すら、留めていない。どこをどう、縫いつけたのか、袖口も襟首も消えている。
 その上、開幕中、舞台転換を手伝ったあと、よくよく手も洗わぬ内に針仕事を始めたのか、前より衣裳の残骸は黒ずんでいる。丹慙坊は心底、困りきった表情で、牙奄斎を見た。
「だから、そうはいっても、儂はまだ、雑巾しか縫ったことはないんじゃよ。どういうワケか女子衆は、儂のやることが、いちいち気に喰わんようで、最後には必ず、『雑巾の作り方も判らないのか!』……と、どやされる始末。これでは喃、なんとかしようが……」
 女子衆と云っても、娜月姫を除けば座員の中では二人だけ。孔雀太夫くじゃくだゆう諱御前いみなごぜんである。
 完全に人選を誤ったな。あるいはあちらも、ワザとやっているのか……牙奄斎は、そんなことを考えながら、大きくため息をついた。しかし、いずれにせよ得心した点もある。
「坊らしいと云えば、坊らしいですが、これはもう雑巾以下ですよ。なるほど、私が舞台装置の修繕と、こちらを掛け持ちさせられた理由が、これで判りました。参りましたね」
 舞台袖の雪洞ぼんぼりの傍で、悪戦苦闘する丹慙坊の背後から、声がかかったのは、その時だ。
おい、終わったか?」
 丹慙坊は、ギクッと身をすくめ、牙奄斎も冷や汗まじりに、愛想笑いを浮かべた。
「おぉ、ま、まだじゃ! あと少し……そうさなぁ、半日もあれば、完成するぞ!」
「いえ、この分だと、完成の日の目を見ることは、なさそうです……申しわけない」
 不自然な二人の態度に疑念をいだき、声の主で衣裳道具職人のれんは、丹慙坊の手元をのぞきこんだ。そうして、あまりに無惨なボロ雑巾と化した舞台衣裳を見咎め、唖然となった。
「こら、貴様ら! どういうことだ……大事な舞台衣裳に、なにしてくれてるかぁ!」
 その凄まじい怒声を聞きつけ、舞台装置職人の轟馬ごうまも、慌てて舞台端から駆けて来た。
「なんと……貴様ら! その衣裳、作るのに、どれだけ苦労したと思ってるんだぁ!」
 丹慙坊の手から、衣裳を引ったくり、ワナワナと震える轟馬は、呆然自失の漣を指差し、丹慙坊と牙奄斎を散々に罵倒した。同じ雑多衆として、とくに仲間意識の強い二人である。
 漣が丹精込めて作った衣裳をボロボロにされ、かえって轟馬の方が発奮したようだった。
「貴様ら! 早く漣に謝れ! 土下座して許しを乞うのだ! さもないと、容赦せんぞ!」
 丹慙坊は仕方ないとして、これにガックリと肩を落としたのは、牙奄斎であった。
「貴様……ああ、やっぱり私も連座ですか……本当に、参りましたね」
「いや! これは、その! まだ仕上げには、ほど遠く……これから! これからじゃ!」
 丹慙坊は、怒りながらも泪ぐむ漣に慌てふためき、しどろもどろで釈明した。
 そこへ、さらに音曲鳴物師おんきょくなりものし音耶おとやと、双子の弟で、同じく音曲鳴物師の迦葉かしょうが現れ、事態はますます、ややこしくなった。そっくり同じ見た目の二人は、やはり同じ声で云った。
「なにを騒いでんだ、お前ら。静かにしろ」
「そんな莫迦相手に熱くなるなんて、見っともないぜ?」
 振り向いた漣の目に、泪が浮かんでいることに、双子は吃驚びっくり仰天した。
「音耶、迦葉……ぐすっ」
 普段は誰よりも短気で、誰よりも厳格な漣が、よもや泣くとは……その上、常に冷静な轟馬が、こうも激怒するとは……音耶と迦葉は、ことの重大さを痛いほど思い知らされた。
「これが、熱くならずにいられるか! 見ろ、この有りさまを!」
 轟馬が突き出したボロ布を雪洞にかざし、顔をしかめる双子だ。所作までよく似ている。
「うひゃあ、確かにひでぇな」
「つぅか、これなんなの?」
 但し、このあと、双子の明暗は、大きく分かれることとなる。漣と轟馬の、この一言で。
「「お前たちが着る、衣裳だろ!!」」
「へ? まさか……牡丹模様の、アレ!?」
「……ってコトは、俺の一張羅いっちょうら、天女の半被はっぴも!?」
 驚愕し、ボロ布を凝視する音耶と迦葉。
 そんな双子に、横合いから牙奄斎が、自ら繕った衣裳を差し出した。
「そちらは、どうやら無事のようです」
 修繕前より、綺麗に仕上がった半被を目にし、小躍りして喜んだのは、迦葉の方だ。
「ああ! よかった! 俺のは助かった!」
「てめぇ、クソ坊主! よくもやりやがったな! 嫌がらせにも、ほどがあるだろ!」
 被害に遭った音耶の方は、激昂し丹慙坊の胸ぐらをつかんだ。
「ま、待て! 待てと云うに! あれはまだ、仕上げ途中で……ぐっ、苦しい!」
「黙れ、この野郎! あれよりも、酷く仕様があるか! 今すぐ、死んで詫びろ!」
「どうか、お待ちを! 私が、なんとか致します! ですから、彼を許してやってください! 不器用な彼なりに、精一杯、頑張ったのです! 決して悪意は、ありません!」
 牙奄斎も、仲間の窮地を救おうと、必死で割り入った。しかし、音耶、漣、轟馬、そして何故か迦葉まで……座員たちの怒りは、まったく収まりそうもなかった。そんな折も折。
おい、飯の用意ができたぞ……って、あれ?」
「今度は、なにをもめてるんだ?」
 舞台上で、小競り合う一同の元に、またまた新手が加わった。
水沫みなわ、飯どころじゃねぇよ……お、飛天行者ひてんぎょうじゃも一緒か。丁度よかった」
「今からこのクソ坊主に、制裁喰らわすところなのさ。お前たちも、加われよ」
 文丑役者ウェンチュウと、軽業師かるわざしは、互いの顔を見合わせ、悪逆に口のをゆがめ、うなずいた。
「へぇ、面白そうだね」
「そんなら、早くやろうぜ……っと!」
 だが飛天行者は、ここに来た目的を思い出し、盗賊二人に問いかけた。
「ところで、お前たち。赤毛を見なかったか? 座長が探してたんだけど」
 ポキポキと指を鳴らしながら、威圧的な眼光で接近する飛天行者に、怖気を震いつつも、平静を装い、答える牙奄斎と丹慙坊だった。ただ、震える声だけは、どうにもならない。
「お、御頭? さぁ……そ、そう云えば、姿が見えませんねぇ」
「さ、さっきまでは、向こうで、て、撤収作業を、手伝ってたんじゃが……は、はて」
 すると、不思議そうに首をかしげ、漣が答えた。
「あの赤毛なら、水汲みにやったぞ」
「水汲み?」と、訝る飛天行者。
「思いのほか、使える男でな。奴のお陰……いや、莫迦力で、撤収作業が早く終わったモンだから、次の仕事として、さらなる力仕事を押しつけてやったんだが……まずかったか?」
 漣のセリフを聞き、飛天行者は納得したようで、再びニヤリと口角を上げた。
「なんだ、そういうことなら……そんじゃあ、始めますか」
【鬼籤座】の……いや、降魔外道ごうまげどうの屈強な道士六人に囲まれ、丹慙坊と牙奄斎は、覚悟を決めた。たとえ、一座を追い出されようとも、このままタコ殴りにされる心算つもりは、毛頭ない。
 つまり、一戦交える気がまえで、相手方を睨んだのだ。
 けれど、いさかいはここで、強制的に終了させられた。
ああ!」
「ざ、座長!」
「これは、その……」
 頭目格の遼玄りょうげんが現れ、険悪な眼差しで座員と盗賊を一瞥いちべつ。さらに、低く威厳のある声で、漣にこう詰問したからだ。
「どこまで水汲みに往かせた?」
「遼玄座長? どうしたんですか、そんなに怖い顔をなされて」
 戦々恐々と訊ねる漣に対し、遼玄は悪相を憂患ゆうかんでゆがませ、ため息まじりに云った。
「娜月さまも、まだ戻らん」
「「「え?」」」
 遼玄の言葉に、眉をひそめる六人。丹慙坊と牙奄斎も、不可解そうに顔を見合わせる。
 遼玄は腕組みし、うつむき加減で、さらにこうつけ足した。
「孔雀太夫と諱御前がついているゆえ、大丈夫とは思うが……」
 そこまで聞いて、ようやく六人にも事情が呑みこめた。
「「「あぁあっ!?」」」
 驚愕のあまり、頓狂とんきょうな悲鳴をそろえる六人……顔色は青ざめ、声音こわねは震えている。
「そうだ……姫君は、水垢離みずごりに……」
「森の中の、清流へ……往ったきり」
「赤毛をやったのも、その付近……」
 直後、遼玄の厳しい怒声が、天幕一杯に響き渡った。
「莫迦者! すぐに娜月さまを迎えに上がれ!」
「わ、判り申した!」
「これは一大事だ……」
「ただちに向かいます!」
 舞台から飛び降り、天幕の外へ駆け出そうとした座員たちに、遼玄がすかさず釘を刺す。
「但し不用意な真似をして、姫君に恥をかかせるなよ!」
 六人は拱手こうしゅでうなずき、慌てて現場へ急行……と、その前に、先頭を往く心配性の轟馬が、突然、天幕の出入口で立ち止まり、最も気がかりな一点を、遼玄に恐る恐る質問した。
「座長、万が一……の話ですが、赤毛が姫君に狼藉でも、働いていようものなら……」
 対する遼玄の返答は、実に明瞭簡潔だった。
「即刻、斬り殺せ!」
「「「承知!!」」」
 六人は、その言葉を『待ってました』とばかり、喜び勇んで全力疾走した。これに震撼したのは無論、丹慙坊と牙奄斎である。遼玄に詰め寄り、強硬な姿勢で、頭目を弁護した。
「お待ちください、座長! 我らの頭目に限って、姫君に狼藉などあり得ません!」
 常に穏やかな牙奄斎も、こればかりは承服しかねる、といった感じで語気を荒げる。
「そうじゃ! いくらなんでも、今のは我らの頭目に対し、無礼千万! 謝ってもらおう!」
 丹慙坊に至っては、頭から湯気を出し、今にも遼玄に殴りかかりそうな勢いである。
 遼玄は、そんな二人の様子をしげしげと見やり、どこか侮蔑的に口元をゆるめた。
「……お前たち、よほど、あの赤毛を信頼しているようだな」
「当然です! あの方は、あなたが思っているより、ずっと聡明で儀に篤いのだ!」
「おぅよ! これまでだって、幾多の困難を、ともに乗り越えて来た間柄じゃぞ!」
 二人のセリフを聞き、遼玄は小莫迦にしたように笑い、次の瞬間には冷淡に吐き捨てた。
「盗賊風情が、聡明で儀に篤い? 哈哈ハハ、笑わせてくれる! 幾多の困難? 哈哈ハハ、当たり前だろう! 無力な他者を平気で踏みつけ、奪い、殺傷し……そんなやからに、説教される謂われはない! 逆に、自分たちが犯して来た所業を、少しくらい恥じたらどうなんだ!」
 遼玄の云うことは、至極尤もだ。
「うっぬぅ! よくも……クソッ!」
 それが判っているからこそ、丹慙坊も反論できない。だが、牙奄斎の見解はちがった。
「確かに、我らは悪行に満ちた半生を送って来ました。今更、云いわけも自己弁護も致しません。けれど先の言葉……降魔の狂信者にも、そっくりそのままお返しできそうですね」
 途端に、遼玄の口元から笑みが消えた。明らかに気分を害したようで、牙奄斎を睨む。
「……我らは、盗賊とはちがう。無辜むこを苦しめ、あまつさえ命をうばうような真似はせん」
「なるほど……私たちの間の溝は、かなり深そうだ。折り合いをつけるのは、無理ですね」
 莞爾かんじと微笑み、皮肉る牙奄斎だ。
 遼玄は、いよいよ不愉快になった。
「気に入らぬなら、今すぐにでも出て往け!」
 痛烈に怒鳴りつけるも、牙奄斎の返答は、実に明快だった。
「それはできかねます」
「なに?」と、眉根を寄せる遼玄。
 牙奄斎は、穏やかな口調で、しかし凛然たる眼差しで、かく云い切った。
「私たち五人は【鬼籤座】でなく、娜月姫と契約し、ここに身を置いているのです。一座の雑事を手伝うのも、あくまで娜月姫の顔を立てるため……あなたがたのためではない」
 遼玄と牙奄斎……己の信念を貫くため、敢然と対峙したまま、お互い退く気など毛頭ないらしい。語調こそ静かだが、沸々と燃焼する空気が、すぐ傍で見守る丹慙坊をも、いたたまれなくする。遼玄は、焼け爛れた悪相をイラ立ちでさらにゆがめ、鋭い舌鋒ぜっぽうを向けた。
「口の減らん男だな。いや、完全な男ではなかったか……おい閹官えんかん。お前ほどの切れ者が何故、盗賊などしているのだ。他の連中はともかく、お前はあまりに毛色がちがいすぎる」
 そこには彼の、素朴な疑問も含まれていたが、牙奄斎は笑顔でこれを受け流した。
「さて、何故でしょうね。そこが、人の世の不思議なところ……面白いところです」
「……まったく、食えん男だ」
 そうこうする内、遼玄は反撃するのも、莫迦莫迦しく思えて来たのだろう。また、娜月姫の身も心配だったにちがいない。ここで唐突に、いさかいを切り上げた。そして牙奄斎を睨んだまま、丹慙坊の巨躯きょくを押しのけ、先駆けた仲間のあとを追い、天幕から出て往った。
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